第106話 同じチームで

 WBCとは。

 今さら言うまでもないがワールド・ベースボール・クラシックという世界大会である。

 最初に開催されたのは2006年と、まだ歴史の浅い大会であるが、実質的には世界大会と言ってもいい。

 オリンピックの正式種目から野球がなくなったが、近年の人気でまた復活しそうなので、プレミアと並んで三つの世界大会の中の一つだ。

 その中でもおそらく、最も純粋に選手層が厚い。

 ただサッカーのワールドカップと違って、MLBの選手などはMLBのシーズンを優先する傾向にある。

 活躍しても金にならないし、名誉などもイマイチマイナーだからだ。


 だからというわけではないが、最初の二度の大会は、そこそこトップに近いメンバーを集めた日本が優勝している。

 ただWBCはMLB肝煎りの大会だけに、徐々にアメリカも選手を出してきている。

 客観的に見ると、プレミアはメジャーリーガーが参戦していないというだけで、そのレベルの違いが分かる。

 三月に行われるWBCと11月に行われるプレミアでは、プレミアの方はMLBのワールドシリーズ後に開催されるため、はっきり言って選手に余力がない。

 また招待制というその参加枠まで考えられて、やはりWBCの方がレベルは高いだろうと判断されている。


 直史にとっては、本番のWBCなどはどうでもいい。

 問題は今回、その前哨戦として大学選抜との試合が二試合行われるということだ。

「なんだお前、珍しくやる気なのか」

 代表監督に決定している辺見は、そう言わざるをえない。

 一年生の時の日米野球で、アメリカに行くのがめんどくさいから辞退した男である。

 二年目の夏には参加したが、試合の合間には東京に戻って授業に出たりしていた。

 まあそれは一試合目をパーフェクトに封じてしまった時点で、全く歯ごたえのない相手だと判断したからであるが。


 その直史が本気になっている。

 大学での練習も、相変わらず完全に自主トレ優先であるが、それでも変化は見られる。

 辺見は直史のエゴを感じるのだ。


 確かに直史はこれまでも、自己中心的な行動を起こすことがあった。

 だが全てはチームの勝利のためであり、単純に我儘というのとは違った。

 しかし今は己の研鑽のために、周囲を使っている。


 WBCの壮行試合。

 辺見は監督を務めるため、早稲谷からも相当数の選手を連れて行かないといけない。

 直史はリーグ戦でも公式戦でもないのだが、これを拒否することは考えられた。

 だがむしろ、ここでは積極的なのである。


 なぜか、とは辺見は考えない。

 元ピッチャーであるから、辺見にも分かるのだ。

 とにかく投げたいと思うのは、ピッチャーの本能だ。

 直史は上手く抜いて投げているが、納得のいくまで投げるところは、真にピッチャー的な人間と言える。


 それに、他にも辺見は考えるのだ。

 直史は完全に将来の選択肢から、プロを除外している。

 だがこの才能がプロに行ったとき、どれだけのことを成し遂げるのかは見てみたい。

 上杉と投げ合ったら、どちらが勝つのか。

 上杉でも難しい白石大介対策が、可能であるのか。

 野球人であれば、誰だって見たい。辺見ももちろん見たい。


 あえて懸念事項を挙げるとすれば、体力と耐久力になるか。

 直史は昨今のピッチャーには珍しく、あまりウエイトをしない。

 筋肉を増加させるよりも、現状の筋肉をコントロールする方法でボールを投げている。

 ただそれも最近は、やや比重を移しているが。

 あとはプロのペナントレースで、一年間戦い抜けるのか。

 直史は明らかに、野球選手としては体重が軽めなのだ。


 ともあれ辺見は決めた。

 大学選抜に早稲谷から出すのは、六人となる。

 直史、武史、樋口、西郷、近藤、土方である。




 瑞希は直史がこれだけピリピリしているのを、見たことがない。

 おそらく甲子園の決勝の前でも、ここまでの緊張感はなかったはずだ。

 それに胸板や二の腕を触っても、明らかに感触が違う。


 絞ってきている。

 体脂肪率などがどうかは分からないが、明らかに肉体の弾力が違う。

 それに何より、精神的な面が違う。


 情事の後の直史は、だいたい瑞希の頭を中心になで繰り回すのが基本だったのだが、最近は小さな胸の間に顔を寄せて、その柔らかさを感じていることが多い。

 瑞希はそれをそっと抱きしめて、肌と肌の接着面積を増やす。

 体温が、末端から少しずつ冷えていく。

 激しかった鼓動が収まり、やがて安らぎさえ感じる中で、眠りに落ちていく。

 本当は行為の後はシャワーを浴びたいのだが、お互いの体臭にはもう慣れ切っている。


 直史は徹底的に、弱みを見せないタイプだ。

 しかしほとんど瑞希だけには、こうやって甘えてくる。

 甘える男をマザコンと考える女もいるが、直史の場合は実の母親との、どことなく疎遠な関係を瑞希は知っている。

 別に仲が悪いというわけでもないのに。


 お互いの情動を解消し合って、二人は珍しくも安心した気分になる。

 いつも一方的に瑞希の快楽を引き出そうとする直史が、そんな無茶をしない。

 物足りなくもあるが、安心もする。

(普通のカップルって、どれぐらいこういうことしてるんだろう)

 瑞希の周りには耳年増は多いが、彼女相手にこういった赤裸々な性事情の話をする者はいない。

 ひょっとしたら周囲には、まだ処女と思われているのかもしれない。




 冬休みの中でも積極的に鍛えていた直史だが、さすがに正月には地元に帰る。

 そして新年の挨拶をしたり、瑞希の家に挨拶に来たりと、田舎の長男は忙しい。

 自分が動き回るわけではないのだが、次から次へとやってくる者がいるため、自分の時間がないのだ。

 それでも成人式には向かう。


 振袖姿の瑞希を迎えにきた直史は、スーツではなく紋付袴であった。

 佐藤家の家紋がしっかりと背中にある羽織は、先祖代々受けつがれてきたもの。

 ただ昭和以降の日本人の平均身長の伸びにより、仕立て直すことは必須になっている。

「意外と和装似合う」

「日本人は短足だから、着物が似合っても当たり前なんだよな」

 そうは言うが武史もそうだが、佐藤兄妹は割りと足が長い。

 直史はこれを、バランスが取りにくい代わりにボールに力を加えやすいと、野球脳で考えたりもする。


 市内に移動すると、顔見知りが大量にいる。

 中には中学以来ほとんど交流のない者も多い。

 直史の交流関係は、多くが高校時代に作られたものである。

「おお、佐藤が来た」

「有名人きた」

「大介は来てないのか?」

 あっという間に集まるのは、有名人あるあるである。


 元野球部員も何人かは地区が違うため、会うことが出来ない。

 たとえばジンや岩崎もそうだ。

 しかし大介は同じはずである。

「白石が来たぞ!」

 おそらくは日本の20歳の中で、一番の高所得の人間ではなかろうか。

 一歳下だと、逆にイリヤの稼ぎがえらいことになる。

 ツインズも芸能人で高給取りだが、さすがに年収が一億を超えたりはしない。




 直接に会うのは、そこそこ久しぶりか。

 去年もシーズンオフには会っていたのだが、今年はあえて避けていた。


 おそらく日本で一番有名な20歳。

 それを追いかけるため、テレビカメラが追ってきていたりもする。

「よう」

「ああ」

 人混みが割れて、二人は向かい合う。

 直史の目から見ると、大介は一回り大きくなったように見える。

 体格はどうか分からないが、間違いない一段階成長している。

 自分はどうだろうか・


 直史は高校時代の貯金で、大学野球を制圧してきたと思っている。

 高校最後の年から、球速をしっかりと伸ばしているのに、大介の方が上昇の幅は大きいと感じる。

「ほらあんたら、こんなとこに立ってたら迷惑でしょうが」

 これもまた久しぶりのシーナであった。

 意外なことにと言ってはなんだが、振袖を着ている。

 直史と同じ学区なので、成人式もやはり同じなのである。


 ある意味、スーパースター三人の揃い踏みである。

 絵になるなと思って、マスコミ各社がシャッターを切る。

 そんな中、成人式の席では隣に座って、色々と話す二人である。

 周囲の人間は、お偉いさんのありがたい話ではなく、二人の会話を聞くために静かになる。


「国民栄誉賞、辞退したんだってな」

「まあ、ちょっと将来のことを考えると、そういうものをもらうわけにはいかないしな」

 このあたりは騒ぎになったことである。

 二年連続の三冠王に、日本野球史上初の四割打者。

 去年の最高打率と最高打点を、さらに更新したことを思えば、この若さで受賞するのもおかしくないのだろう。

 上杉の方にも話はあったらしいが、チームが優勝していないのに、もらうわけにはいかないと断ったそうな。


 そんなものはどうでもいい大介である。

「WBCがあるじゃん」

「その前に大学選抜との試合もあるな」

「……本気で投げてくるつもりか?」

「あまりにも打てなくて、スランプになる選手はいるかもしれないな」

 直史の言葉は、決して大袈裟ではないだろう。


 勝負自体も、大介にとっては嬉しい。

 直史が変な忖度もなく、本気で投げてくるのだから。

 しかしそれと同じぐらい、大事なことがある。

「賞金とか辞退するなら、大学生でも選出出来るって知ってたか?」

「俺にも参加しろと?」

「今の段階で既に、ピッチャーで何人か辞退者が出てるんだよな」

 それでも日本人は、日の丸を背負って戦うことを名誉だと思うだろう。


 大介は知っている。

 直史は意外と権威とかに弱いのだ。

 あるいは、、それらをないがしろにはしないタイプだと言うべきか。

「選ばれれば出てもいいけど、予備の選手もいるだろ。それにWBCは賞金が出る大会だから、学生は出てなかったし、旅費とかまで出ないんだったらさすがに困るけど」

「そのあたりは大丈夫だと思うけど、なんならお前の経費は俺が出してもいい」

 実際のところは、経費は出せると確認してもらっているのだが。


 ただ、問題は別のところにある。

 他のプロの選手が多くいる中で、直史を選ぶほどの意義があるのか。

 学生が一人、樋口もついでに選ばれたりなどしても、ポツンと二人で参加するのか。

「まあ知ってるとこだと織田さん、福島、玉縄あたりは出る予定だし、顔見知りはそれなりにいるぞ」

 ちなみに吉村は去年、怪我の離脱もあり成績が上がらなかったため、早々に辞退を表明している。

「壮行試合でお前が、プロの選抜を完全に封じてくれたら、呼ばざるをえないんじゃないかな。あとはお前の気持ち次第だけど」

 WBC。世界大会か。

 日米大学野球が案外拍子抜けだっただけに、そちらに参加するのも、参加出来るのならしてみても面白いかもしれない。


 ただ直史は知っている。

 WBCはMLBが主催しているくせに、本当の一線級のネジャーリーガーはあまり出場しない。

 怪我などをしてはMLBの方のシーズンに影響が出るからだ。

 一線級のメジャーリーガーは年俸が10億を超えることも珍しくなく、ケチな賞金などよりも、そちらの方が重要だからである。

 そんなアメリカを相手にして、戦う価値があるのか。

 ある。勘違いしている人間には、現実を見せてやりたい。


「樋口とか他にも何人か学生が選ばれても、お前がその分の金は出せよ」

「おう。任せとけ」

 大介は金持ちだ。

 つつましく生きていくなら、もう一生働かなくてもいいだけの金はある。

 あと一年働けば、それこそ広言していた、貯金六億も達成する。

 もちろんそこで終わるような人間でもない。




 WBCか、と直史は思う。

 大会の決勝は、アメリカで行われる。

 予選やトーナメントを決めるリーグ戦では、参加国の中でも集客が期待できる国で行われる。

 今回はどうだったかは把握していないが、日本でも行われることは間違いない。


 パスポートは以前に取ったものがまだ有効である。

 ただ心配なのは、キャッチャーがどうなるかだ。

 樋口も一緒に来る気になるか、それともプロであるならば、さすがに直史を活かせるキャッチャーがいるのか。

 もう一度、とは思っていた。

 もう一度、最高のチームでと。

 最強のバッターがいる最強のチーム相手に、戦うことを考えてはいた。

 だが最強のバッターと共に、日の丸を背負って戦う。


 名誉なことだし、家名をあげることにもなる。

 このあたり本当に、直史は権威主義者であり、世俗の欲に塗れている。

「あ、ついでに応援に来てくれる人間の分も、お前出せよ」

「出す出す。まあイリヤとかは勝手に来るだろうけど」

「瑞希の分さえ出してくれれば、俺はそれでいいんだけどな」


 直史の価値観からの名誉欲、そして金銭的な問題。

 正直に言えば、わくわくしてくる。

 真剣の大介と戦いたかったが、それは対決したいというだけの意味ではない。

 また同じチームになって、強大な相手と戦いたいということでもあったのだ。

 そんな二人の会話を、しっかりスマホで録音していたりする者もいる。




 当然、この日の夕方には、ネットの海は祭りになった。

 佐藤直史がWBCで投げるために、トッププロたちを完全に抑えに行く。

 その中のメンバーには、当然かつての戦友であり、この場合は最強の敵である白石大介もいるわけだ。


 日本史上最高の、二年連続三冠王の四割打者。

 大学野球の記録を全て塗り替える勢いの、奇跡のエース。

 誰もが夢見た勝負が、壮行試合で見られる。

 そしてその結果によっては、またSSが同じチームで戦うところが見られるのだ。


 日の丸を背負って。

 上杉も含めて、怪物三人が、同じチームに所属する。

 そんなもの、全日本の野球ファンが見たいに決まっているのだ。


 三月の壮行試合。

 それに向けて、また直史はトレーニングを開始する。


×××


 群雄伝更新 WBCに向けた、若手たちの集まりです。

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