第37話 とある進学校の野球部事情
セイバーから渡された訪問リストの中に一つ、かなり異質なものがあった。
甲子園にも出ていた滋賀県代表の城東高校である。
このチームはエース島の活躍で春夏とベスト8にまで進んだが、それ以前にも甲子園に出場経験がある。
スポーツ推薦のない、完全に学力のみで集めた、進学校の強豪校。
同じシニアだった石田が島を無理矢理に誘ったと話に聞いていたが、実のところは島の方が、他のめんどくさいチームに行きたくないから勉強教えろと石田に言って入学したとのこと。
今更そんなことを聞かされてもどうでもいい直史であるが、白富東よりもさらに悪い環境で、エース一枚で甲子園まで行ったのは興味深い。
普通の公立高校というのは間違っていないが正しくもない。
白富東はそれでも専用グラウンドを持っていたが、城東はそこまでのグラウンドはなく、他の運動部と共用で使っている。
あと、これは本当に日本でもここだけなのかもしれないが、国宝となっている城の敷地内に学校がある。
おかげで下手に施設は増設なども出来ないらしい。
「まあ近くにある運動公園を使ったり、色々と工夫はしてるんだけどな」
そう言って案内をしてくれるのは、前キャプテンの石田であった。島とバッテリーを組んでいた、頭脳派のキャッチャーである。
立生館大学に進学はしたものの、大学の野球部は早々に辞めてしまって、クラブチームに入ったのだという。
今年の城東は県のベスト4で敗退し、既に新チームが始動している。
それを見に来たついでに、こうやって夏休みの学校の中を案内してくれているわけだ。
直史と石田はもちろんお互いを知っていたが、まともに話すのはこれが初めてだ。
島ともあまり交流はなかった。二人が呼ばれたU-18の選抜合宿では、直史は参加していなかったので。
ただ同じサウスポーということで、武史とはそれなりに交流があったそうな。
甲子園で話題となった左と言えば、一回戦で壊れた石垣工業の金原を思い出す。
もっともドラフトで指名されてレックスに入団し、いきなり一軍で勝ち星を上げていた。
「工業高校は部活予算が普通校より多いんだよな」
石田はそんなことを枕詞代わりに使い、その内実を明かした。
金原は確かにあの試合では投げられなかったが、再起不能というほどの故障ではなかったらしい。
だがレックススカウトが裏から手を回し、治療をこちらでする代わりに、ああいった大袈裟な真似をさせたのだとか。
レックスと言えばジンの父がそのスカウトであり、何か動いていたのかもしれない。
しかし石田はどうしてそんなことを知っているのか。
「将来は球団職員になりたいんだよな」
それもまた一つの、野球との関わりの形である。
就職先にプロ野球球団を選ぶというのも、また進路の一つではあるだろう。
ジンの場合は現場にこだわっていたが、石田の場合はそれをさらにバックアップする体制で働きたいらしい。
「大学の野球部を退部ってのは不利にならないのか?」
立生館からは何人かレジェンドクラスのプロ野球選手が出ている。
「リーグ戦一回でもういいかってなった。あんなに練習ばっかしてたら、野球しか出来ない人間になる」
どうやらどこの大学でも、野球部の事情は同じらしい。
城東高校はさらに、練習時間も短い。
その中でどうやって工夫していくかにもよるのだが、なんだかんだ言って設備とコーチを金で集めたセイバーのいた白富東とは違う。
島という超高校級左腕はいたが、それを活かすだけの背景も持っていたのだ。
「あとは淡海高校の影響があるかな」
淡海高校は、まあ滋賀県の野球部と言えば代表的な私立である。
詳しい場所までは知らなかった直史であるが、なんでも城東から歩いてもいける距離にあるらしい。
「こっそり練習を見に行ったりは、中学の頃からしてたんだ。野球で甲子園目指すなら一番だし」
おまけに家から近いという条件もあった。
だが結局、石田はそちらを選ばなかった。
ああいう野球をしたいとは思わなかったのだ。それが大学で野球部を辞めた理由にもなっている。
島がついてきたのはおまけで、普通にどこまで公立が勝てるかやってみたかった。
それでも大介の外れとは言え、プロから複数一位指名されるピッチャーを抱えてなお、甲子園に行くのには時間がかかった。
大学でやってみて、やはり今のアマチュアでは別にやりたくないなと思ったそうだ。
そして大学を普通に卒業して、野球に関わった仕事がしたいのだという。
野球バカでは出来ない、野球に関わる仕事をするため、今は勉強中ということなのだ。
「レックスのレジェンドで、うちの大学のOBいるからな。ポジションキャッチャーで」
「ああ、監督もやってたあの人か」
何やら偶然かもしれないが、直史の周囲にはレックスに関わる人間が多いように思う。
石田は確かに、頭のいいキャッチャーだとジンも認めていた。
打撃はそれほどでもなかったが、貧打の城東では上位を打っていた。
ジンは石田のことを、キャッチャーとしては同年代では五指に入るのではと言っていた。
優れたキャッチャーと言えば、二年生から日本代表になっていた樋口を除けば、瑞雲の武市、明倫館の村田、早大付属の土方、そしてこの石田を挙げていた。
村田は野球を辞めて、武市は六大学に行った。
土方はコンバート前のポジションに戻り、キャッチャーとしてドラフト上位指名にかかった高卒選手はいなかった。
そんな石田もまた直史に、ちょっと投げてみてくれと頼んでくる。
さすがに高校生に向かって投げることは出来ないが、それを見ていることは出来る。
「日本一になったピッチャーのピッチングだからな。出来るだけ近くで見ろよ」
「おーい、俺は一応世界一にもなってるんだが?」
「そういやそうだったな。世界一の技巧派だからな。たぶんプロでもいないぐらいのピッチング、生で見られる機会を逃がすなよ」
直史はワールドカップの最優秀救援投手である。
プロ野球の球団では、先発ローテが五人か六人、中継ぎが四人から六人ぐらいは普通にいるが、クローザーは一人しかいないのが普通だ。
そして甲子園でもクローザーとして投げた試合では、一度も負けていない。
さらに大学に入ってからも、一度も負けていない。
石田としてはプロまで含めても、クローザーとしては一番のピッチャーなのではないかと思う。
もっとも球種やスタミナ、配球などを考えると、先発で使うべきピッチャーなのだろうが。
調子に乗った石田は、バッターボックスの中に打者を入れたりまでした。
直史としてはスルーを投げて後逸させたろかと思ったりもしたが、後輩の前でいい格好をしたい石田を許してやる寛容さを持っていた。
結局100球ほどは投げてしまった直史であるが、石田は不思議そうな顔をしてくる。
「あのさ、ひょっとして高校時代より球速アップしてない?」
「してるぞ。150出るようになったし」
「お前、それ以上能力上げてどうすんの?」
「楽しいだろ。ピッチングのバリエーションで凡退させ続けるの」
「ピッチャーってドSが多いよな」
やれやれと首を振る石田であった。
せっかく国宝なのだからと観光もしたが、直史はともかく瑞希は城の天守にまで昇るのはしんどかったらしい。
だがそこからの風景は、石田も言っていた淡海高校の校舎も見える。
確かにこの距離は近い。
こんな近い距離に私立の強豪があったのに、石田はここで甲子園を目指したのだから、変わり者と言えば変わり者なのだろう。
だがあの言い方を聞くに、どうも甲子園までは本気で目指していなかったように思える。
思えばジンも、帝都一の監督を狙うなら、最初から帝都一に入学していれば良かったのだ。
別に家が貧しいというわけではなかったようだし、ベンチ入りの実力は間違いなくあった。
ただ帝都一だと石川や井伊といった選手とポジション争いをすることになったわけで、それはさすがに厳しい。今から思えば、の話であるが。
大学は素直に帝都に進んでいたのだが、やはり高校まではプレイヤーでいたいという打算があったのだろう。
大阪光陰の木下監督も、大学時代は控えのキャッチャーだったと聞くし、指導者には挫折した人間、縁の下の力持ちの方が向いているのかもしれない。
(だけどプロだとスーパースターしか監督になれないんだよな)
このあたり日本のプロ野球は、監督の顔までもが興行のうちなのだと思う。
直史はセイバーを見て、秦野をみて、辺見を見て、そしてこの数日でクラブチームなどの指導者も見てきた。
はっきり言って監督に一番向いていないのはセイバーであった。
だが彼女は、指揮官として自分がやるべきことは分かっていたし、フロントの人間としてならば間違いなく優れた監督であった。
挫折を経験して海外の環境を体験した秦野は、さすがに指揮官としても上手い人間だと思う。
それに比べると辺見は、何かに囚われているとでも言うべきか。
もっとも直史と樋口、そして近藤たちを利用してこれまでの野球部を変えた政治手腕は、また違う段階での見事さがある。
思い返してみると、一番監督として素養があるのはジンなのだろう。
セイバーがいた頃から、そしていなくなって秦野が来るまで、ジンが白富東を強くしたし、実際の作戦を考えたし、キャプテンとしては無敗で高校生活を終えた。
そう考えるとジンが監督になったチームは、とんでもなく強くなる予感がする。
新人戦でも帝都大が優勝していたのは、一年生の力が大きかったはずだ。
もっとも二年生にも、かなりの実力を持った選手がいたのは確かである。
だが近藤たちは出場して、それで勝てなかったのだ。
明日は白富東の試合があるということで、京都に戻って予約していた宿を取る。
それにしてもセイバーは、ここまで関西の野球の世界を見せて、何を考えているのだろう。
一番簡単に考えれば、直史を野球の世界に引きずり込むということだ。
だがそれは単純に、NPBの選手にしようとしているわけでもないように感じる。
あるいは直史の専門知識を考えて、フロントに入れようなどと考えているのか。
だが直史はプロ野球選手が嫌とかではなく、他に自分の進路を決めているだけなのだ。
「弁護士はやりようによっては時間が作れるから、クラブチームの試合に出るってのはいいかもな」
布団に横たわって、直史はそんなことを呟く。
「晴れた日にお弁当持って応援しにいくのって、気持ちがいいと思う」
瑞希もそういった日曜日の過ごし方は気持ちいいと思う。
「ねえ、男の子が産まれたら、やっぱり野球をやらせるの?」
「それは本人の選ぶようにすればいいさ。でもキャッチボールの仕方だけは教えたいかな」
二人の考える未来は穏やかなもので、激動の人生などというのはあまり考えられない。
瑞希はまだしもセイバーの誘導で、直史と野球の世界をつなげようとしているのは感じる。
直史は野球が好きで、野球が上手くなることが好きで、野球の試合に勝つことが好きなのだ。
だが、人生の中心に野球を置きたいわけではない。少なくとも本人はそう明言している。
野球が中心の人生というのは、どういうものなのか。
「ねえ、メジャーリーグの選手ってどんな生活なの?」
「メジャー? まあ調べたことはあるけど、かなり過酷なのは確かかな」
もっともピッチャーは野球の中でも、かなり異質なポジションだ。
「日本のプロ野球より少し短いぐらいの日程で、さらに多い160試合するんだからな。野球の技術がどうとか以前に、体力というか耐久力が必要になるんだと思う」
直史にはMLBに関する興味はあまりない。
ただ自分のピッチングに活かせないかと、動画などは色々と見ることがある。
「あとメジャーは日本よりも圧倒的に年俸が高い」
それだけは素直に羨ましい。
直史は大介ほど極端ではないが、先祖代々の土地を残し、それなりに精神的に充足した生活を送りたいと思っている。
金で幸福は買えないと言われるが、金で不幸から脱出できることはあるし、幸福を得る手段となることもある。
だがプロの世界というのは、勝ちたがりの直史にはあまり合わないと思うのだ。
全ての試合を勝ってしまいたい直史にとって、リーグ戦で年間に何試合も同じ相手と戦う、プロの世界はまるで異世界のことだ。
おそらく一年目の上杉は、高校野球のつもりでプロに挑んでしまった。
二年目と三年目は、試合には負けてもそれを次に活かすことを考えている。
直史は自分が、上杉のようなすこぶるつきの化け物になる姿は想像出来ない。
それにプロ野球選手というのは、遠征ばかりで家族との時間も作りにくい。
シーズンオフには自由な時間があると思えるが、実際のところ直史は、練習をしないと技術が落ちると思っている。
周りがいくら環境と状況を整えても、本人にその気がないなら仕方がない。
瑞希はもちろん直史の意思を尊重する。
個人的にはマウンドの上にいる直史の姿は好きなのだが。
「明日も含めて、あとどんだけ勝っていけるのかな」
直史としても弟二人がいる母校に、愛着がないわけではない。
だが、おそらく大阪光陰と当たれば負けるのではないかと思っている。
真田は15回までを完封したピッチャーだ。
神宮では土をつけられたし、勝利したセンバツは怪我で決勝に出られなかった。
ただ真田が投げられないか、途中で交代したなら、勝つことは出来ると思う。
一介の野球ファンになって、直史は明日の試合を楽しむつもりでいる。
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