第98話 閑話 明日美ちゃん、お仕事ですよ
「CMですか?」
きょとんと幼い表情を見せて、明日美が問い返す。
「そう、スポーツ飲料の。普通はありえない、むっちゃ大きな案件」
少し困ったような顔をしているのは、事務所の社長である鞍馬である。
芸能事務所としての、規模自体は大手ではある。
ただ特殊なのは、海外との伝手が多いこと。
そもそも最初は、個人事務所であったのを、知り合いからスターの卵を引き受けていったら、なんだか勝手に大きくなっていった。
そして現在は、影響力はともかく独立性は、業界でも随一である。
そう、イリヤがいることと、セイバーが関係していることが、この事務所の存在感を大きくしている。
イリヤに言われてツインズが現れ、そして鞍馬の胃を痛くするような事件が色々とあった。
そのツインズが連れて来たので、どんな問題児かと思っていたら、なんだか可愛がられることの多い、とっても良い子であった。
権藤明日美は、彼女自身は健康優良児で、性格は明るくて優しくて、善良そのもの。
この芸能界の中には闇の部分があるのだが、彼女はそれを照らしてしまうほどの、強烈なスター性があった。
事務所が売り出すまでもなく、自分自身でその知名度を高めてしまった。
女子野球選手として、日本代表のエースで四番。そして大学は東大を現役合格し、男子に混じって大学野球で大活躍。リーグ創立以来初の、東大優勝への期待もかかっていた。
おそらくあの時期、プロ野球で白石大介や上杉勝也の大活躍よりも、明日美とツインズの活躍の方が大きく取り上げられていた。
可愛いだけではなく、本当に強かったのだ。
最強と言われた早稲谷大学から、一勝を上げた唯一のチーム。
彼女たちが抜けた秋のリーグでは、早稲谷は圧倒的な力でリーグ戦を優勝していた。
明日美は美少女であるが、顔の造作が完璧に整っているとか、そういうタイプではない。
美しいというよりは可愛い。表情がくるくる変わるのが、見ていてとても楽しくなる。
この業界には長いが、彼女のような存在は、本来棲息しないはずなのだ。
だが、圧倒的な正のオーラを持っている。
歌うわけでも、踊るわけでも、演技をするわけでもないのだが、とにかく圧倒的な存在感なのだ。
日本ではよく、純粋無垢、イノセントな人間というのが誉め言葉のように使われる。
だがアメリカを中心とした文化圏では、無垢であるのはまだお子様であるという評価になるのだ。
その意味では、明日美は無垢に見えて、何色にでも染まる。
太陽の下で野球をやるような、完全な光のイメージもあるのに、夕暮れの中で写真を撮れば、意外なほどに悲しそうな表情もする。
無垢なのではない。どんな要素もあるのだ。
もっとも今回は、太陽の下モードのお仕事であるが。
セーラー服を着ると、高校生にしか見えない明日美である。
まあ今年の春までは高校生だったので、おかしくはない。
不思議な子だな、と明日美に目をつけた、このCMのプロデューサーは思う。
神宮球場での試合で、やたらとアップになるので気になった。
もちろんピッチャーだから一番カメラは向くのだが、同じ試合では入れ替えで、芸能人であるツインズだって出場していたのだから。
目立つはずの双子よりも、よほど存在感があった。
既に芸能事務所に所属していると聞いて、思わず電話をしたものだ。
今回のCMには、特定の条件が存在する。
全力疾走してきた少女が、波打ち際で立ち止まる。
そこで何かを、全力で叫ぶのだ。だがなんと言っているのかは分からない。
荒い呼吸の少女に、350mlのペットボトルが投げられる。
それを上手くキャッチして、キャップを外して飲む。
もちろんカット次第では、そんな必要もない。
だが一連の動作を、この子なら出来るのではと思ったのだ。
そしてその予想は正しかった。
「じゃあ走ってきますね!」
「いや、汗はこちらで霧吹き使うから」
スタッフがあまりの無知さに呆れているが、それでいい。
明日美という少女は、そのままで商品になる。
存在感が違うのだ。特に印象的なのは目だ。
正直なところ、芸能界であれば、彼女より美しい女性は大勢いる。
だが見つめられた時に、そしてその横顔を見た時に、思わず立ち止まってしまう。
そういった天性のスター性は、そうそういるものではない。その最も特徴的なのが、瞳なのだ。
どうしてこんな子が今まで出てこなかったのかと問えば、高校生の間は学校でずっと過ごしていたのだ。
西東京の山間部の近い、田んぼもあるような、それなりの田舎。
彼女はそんなところで育ち、見るべき者に見られることがなかった。
もったいない、と思う。
これだけの天性のスター性があれば、もっと色々な選択肢があったろうに。
だがその自分に許された選択肢の中から、彼女は選び、東京に出てきたのだ。
そろそろ本格的に寒くなってきた季節なのに、どうして夏っぽいCMなのかと、明日美は不思議であったりする。
髪や額を濡らして、全力疾走をした後のような姿を見せる。
そこへ投げられたペットボトルをしっかりとキャッチ。
既に開いていて、音は後で付け足すのだとか。
ごくごくごくと三口飲んで、唇から飲み口を離す。
「っはー!」
満足した笑みを、しっかりとカメラが撮る。
表情を少しずつ変えた、これが三回目。
「よし、これでいこう!」
どうやらOKがもらえたらしい。
「じゃあお疲れ~」
「あとは編集だな」
「音源も試してみて」
これから素材を加工する者たちの仕事が始まる。
そして明日美がこれでとりあえず終わりだ。
「お疲れ様でした~」
深々と挨拶をする明日美は、着替えたあとはさっさと車に乗り込む。
「寒かった~」
「まあ、特殊な事情もあったしね」
今まで使っていたCMが、登場人物にNGが出たので、急遽取り直しとなったものだ。
「熱愛発覚くらい、いいと思うんだけどな~」
明日美はそう言うが、10代の芸能人の恋愛関係は、かなり問題なのだ。
20代ならまだしも、大人の対応で普通に結婚まですれば盛り上がるが。
「明日美ちゃんもそのへん気をつけてよ」
「大丈夫です。あたしの好きな人は、手の届かない人ですから」
スチャっと車を停めるマネージャーである。
「好きな人いるの? 同業者?」
「全然関係ないです。やってることの端は少しつながってるけど」
「詳しい話は……後で聞きましょうか」
子供っぽい顔をして、油断は出来ない。
だが確かに明日美は童顔だが、変に色っぽい時もあるのだ。
いいや色っぽいと言うよりは、妖しげな。そう、妖艶と言ってもいい雰囲気を、時に醸し出す。
不思議な子なのだ。
普段は無邪気に明るく見えるのに、ふとした時に見せる姿が、とてつもなく大人っぽく見える。
本人に言っても、全く無自覚のようであるが。
「あと今月の大きい仕事は、スチールとMV一本だからね。まあスチールはいいけど、MVの方はたっぷり時間も予算も人も使うから、頑張ろうね」
「はい!」
こうやって元気に声を返す素直さを、あの双子も見習ってほしいものだ。
明日美の仕事が増えていく。
本人はちゃんと大学にも通うため、あまりスケジュールを詰められないのだが。
スポーツ少女だったのでかなり体力はあるのだが、電池が切れたようにストンと眠ってしまうのは、まるで子供のようである。
だがおかげで、本人が無理をせずに済むという利点もあるのだが。
移動時間に車の中で、三秒で眠ってしまう。
健康的なイメージしか通用しないかと思ったら、屋外の夕方に撮影などしてみると、それだけで感情の陰影が見えてくる。
なんと魅力的なのだろうと、マネージャーをやっていても、どんどん新しい顔を見せてくれる。
本人は全く興味はないが、俳優としての素質もあるのではないか。
少なくとも頭のいいことは間違いないのだし。
ブカブカの男性用スーツを着せると、また子供っぽさが戻ってくる。
朝から晩まで、そして室内と室外と、同じ日に違う顔をいくつも見せてくれる。
S-tiwinsのMVは、彼女には白いワンピースに白いスカーフを巻かせて、波打ち際でゆっくりお踊らせるだけという演出をした。
音楽に合っていれば、何をしてもいい。
そこで明日美はまた、彼女にしか出来ないようなことをする。
「……彼女、ほんとにバレエ経験ないの?」
撮影する監督がそう言うぐらいに、明日美の体幹はしっかりしている。
倒れるかどうかぎりぎりな姿勢まで傾きながら、その危うさからすっと戻ってきたりする。
明日美は頭脳も明晰であるが、それ以上にスポーツ万能だった。
父親もスポーツは万能だったと言うが、それは常人のレベルの万能だろう。
そして母親がヨガのインストラクターをしている関係で、体が信じられないほど柔らかい。
野球はもちろん知られる通りにすごい選手であるが、高校時代までは陸上部を含めても、一番足は速いし、遠くに跳ぶことも出来た。
プールで泳いでも、県で上位に入るぐらいの同級生と、ほとんど同じぐらいに泳げる。
一番得意なことは踊ることで、バレエの基本的な振り付けが、見ただけで出来る事がたくさんあった。
そのあたりはツインズに似ている。
ただ明日美にはツインズにはない、表現力があるのだ。
ツインズは何を踊っても、ただ凄い。
だがそこに、柔らかさや優しさを乗せることがない。
一方的に圧倒的に、ひたすら見せ付けてくるのだ。
自分たちを見ろと、観客を引きずりこむ力。もちろんそれは、あってもいいものだ。
だが明日美ほどの多彩さはない。
「う~ん、アスミンに踊ってもらって大正解だね」
「あたしらだと、どうしても威圧的になるからね」
自分たちのことを、それなりにちゃんと分かっている二人である。
イリヤが曲を作っている。
高校を卒業したイリヤは、大学には進学しなかったものの、色々な大学などの教育研究機関を回ることはある。
本人の好きなことだけをやっているように見えるが、彼女に言わせると違うのだ。
この世には、自分がやらなければいけないことが多すぎる。
そしてそれは同時に、イリヤだけにしか出来ないことであったりする。
男性ボーカルユニットに楽曲を提供し、少し話題にもなっている。
イリヤよりも年上の青年たちが、まるでイリヤの召使のように見えたりもする。
イリヤは、今でも時々歌う。
本当に、なんでも歌えた時と比べれば、どれだけ限られたその声か。
ただ出来ることが少なくなった代わりに、他の人間を使うことをおぼえた。
ツインズは彼女にとって、楽器と同じようなものだ。
自分のしたかったことを表現してくれる、得がたい存在。
他にも何人か、同じような才能の持ち主はいる。
しかしもし明日美が、歌の才能もあったらどうだったろうか。
明日美には色々な才能があるが、歌う才能はない。
別に下手というわけではない。むしろ上手いだろう。
だがその、動きに感情を乗せるようには、声に感情を乗せることはない。
肉体の表現力はあれほどあるのに、歌で表現することは出来ないのだ。
上手いだけ。
イリヤがよく使う言葉だ。
だがたいがいはその前に「今はまだ」という枕詞をつけるが。
体験が表現力を高めるというのならば、明日美の肉体になぜあれだけの表現力があるのか、歌に表現力がないのか、説明がつかない。
才能なんて、自分も含めて存在しないと思うイリヤである。
出来る事は、せいぜいが共感を引き出すだけ。
それをこそ、才能と呼ぶのかもしれないが。
そして撮影が終われば、ツインズに誘われる。
「アスミン、野球見に行こうぜ~」
「タケは出ないみたいだから、エミリーは誘いにくいけどね~」
神宮大会。
自分も投げて、そして打ったあの球状で、年に二回、大学野球の優勝決定戦が行われる。
どちらかというと全日本の方が盛り上がるという者もいるが、どちらも春と秋、正確には初夏と晩秋と言える季節の、日本一決定戦である。
春、優勝していれば、全日本の方には出られた。
明日美はまだ野球もしている。
埼玉の球場を使って、女子のリーグ戦を行ったりするのだ。
女子でも大学生なら、神宮を使う理念には反しないと思うが、あそこはとにかくよく使われる球場である。
ちなみに東京ドームで草野球をすることも、時期さえ選べば可能ではあったりする。
神宮大会、早稲谷は三回勝てば優勝である。
一戦目と二戦目の間には一日あるトーナメントになったが、準決勝と決勝は連投である。
中二日あれば、直史が投げられる。
勝つだけならば、普通に勝てる大会である。
「恵美理ちゃんは誘うの?」
「誘うよ~」
「タケが投げる日も、応援に行くけどね~」
なんだかんだ言って、色々とお互いのことを気にかけている兄妹である。
神宮大会は11月の中旬に、わずかなチームのトーナメントで行われる。
ただでさえ強い早稲谷は、シードが一つあるので、さらに有利になる。
応援団も気合を入れて、チアガールもいたりする。
ツインズはここまで来ると、もう踊って応援したりはしない。
どうせ勝つのだ。
それに甲子園に比べると、どうしても応援の圧力が違う。
「早く来たのに、やっぱりけっこう入ってるね~」
「お兄ちゃんが投げるしね~」
「あ、あそこ五人座れないかしら」
恵美理が見つける席に向かうのは、ツインズと聖ミカエルの元バッテリー二人。
芸能人のくせにツインズや明日美は、あまり目立たないための変装をしたりはしない。
ツインズの塩対応は、ファンの間でも有名である。
対して明日美の方は、具体的に何をやっているのかという、役割がはっきりしない。
CMに起用されるからには、芸能人ではある。
写真を撮られるからには、モデルでもある。
踊っているからダンサーとも言えるのか。
何か良く分からない、ふわっとしたのが明日美である。
声をかけるにしても、親しみやすいのにどこか、遠くから見つめたくもある。
「すみません、ここ空いてますかって、あれ?」
巨体を狭そうにベンチに乗せて、上杉勝也がそこにいた。
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