第238話 閑話 分析と把握

※ プロ編235話がわずかに時系列が早くなります。


×××


 大介が二軍の試合に出た。

 そして結果を出し、一軍に復帰する。

(さて、スタメンから金剛寺が外れている現状、どういう結果になるかな?)

 樋口はいささかならず邪悪な思考で、その復帰戦の結果を待っていた。

 やはり大介は大介であるという結果がもたらされた。


 全治二ヶ月のはずが、復帰まで一ヶ月。

 なにやらのんびり旅行などもしていたらしいが、考えてみればプロ野球選手には、夏休みというものがない。

 代償として冬休みが長いように思えるが、それは休みのように見える自主トレ期間である。

 その間にリラックスもしたのだろうが、逆に緩めすぎるかもと期待してはいたのだ。

 結局二軍戦で一試合だけ出場し、ボコボコホームランを打っていたようだが。


 一軍復帰は丁度、ライガースとレックスの三連戦が終わった次からだ。

 その前の三連戦で、レックスはライガースに三連勝したのであった。

 そしてこれによって、スターズがまた入れ替わって首位に立つ。


 八月の消耗の激しい時期に、上位の三チームは全力で戦っている。

 その中でレックスは、勝てそうなピッチャーが投げてくる時に、こちらの強いピッチャーを当てて確実に勝っていく。

 樋口としてはこれはこれでいいのだが、最終的にはあまり長期的にチームを育てていけないのでは、と思っている。


 野球は六割勝てれば、おおよそ優勝出来るスポーツである。

 そしてプレイオフでは、その六割を何度も続けなければいけない。

 それは確率的に不可能であると思うが、その時はその時で、トーナメント用に戦術を切り替えるのだ。

 確かにそう考えれば、勝てるところでしっかりと勝っていけばいい。

 だが逆に考えれば、勝てるはずの試合でも、それなりに負ける可能性が高いのだ。


 大介が復帰しても、ライガースの勝率はそれほど爆発的に改善はしない。

 ただここでレックスも、勢いが鈍ってしまった。

 このあたりはさすがに、樋口もどうにもならない。

 忘れる人も多いかもしれないが、樋口がプロのシーズンを戦うのは、これが初めてなのだ。

(人間の体調の変化に似ているのかな)

 どれだけ優れたピッチャーでも、調子は上下するものだ。

 それがないピッチャーというのは、超人か怪物だけだ。

 樋口は調子の悪いピッチャーでも、それなりにリードをする。

 ローテを守ってもらって、五割の確率で試合を消化していけばいい。

 今は我慢の時なのだ。


 短期決戦は爆発力。

 シーズン戦は安定感。

 だが安定しているピッチャーでさえ、不安定になることはある。

(自分で自分がコントロール出来ないのが嫌で、プロには来なかったのかな)

 樋口はまた直史のことを思いだしていた。


 普通ならばプロに入ってからは、周囲の環境に適応するために、自分のスペックを上げていくのが人間であろう。

 だが中にはプロ入り一年目がキャリアハイなどという選手もいて、そういう選手はこのあたりがそうなる理由ではないのか、と樋口は思う。つまり、全力で一年目を駆け抜けて、二年目から対策されたというものだ。

 上杉にしても一年目は無敗で終えたが、二年目以降は少しだが負けている。

 もっともあれは長いシーズンを走りきるために、ある程度の手抜きをしているからとも思えるのだが。

 直史であってもリーグ戦において、制球が大乱調だった時がある。

 あれ以来急激なスペックの上昇を、試みようとすることはなくなったが。




 調子が上下するのは、いったい何が一番の原因なのか。

 一つ考えられるのは疲労であるが、それならばこの夏の時期に、調子を落とす者がいてもおかしくはない。

 だが樋口としては、気分の問題なのではとも思う。


 プロに入ってから思ったが、聞いていた以上にプロ野球選手というのは、不摂生である。

 いまだにタバコを吸う者もいるし、酒は強要するバカはいるし、次の日が試合であっても女とオールナイトする。

 セとパの強さは、今では特定の一部の選手のパフォーマンスによって、セが有利となっている。

 だがそれまで伝統的にパの方が強かったのは、そのあたりの誘惑が少なかったからではないか。


 大介と話し、また元ライガースの西片と話しても、ライガースファンの地元の人間は、とにかく選手を甘やかすという。

 タイタンズ、ライガース、カップスやフェニックスと、その本拠地が長く変わっていないチームがセには多い。

 先祖の代からファンであるという地元民がいることが、選手を甘やかす理由になるのか。

 甘やかされないにしろ、ハングリー精神を保つことの妨げにはなるのではないか。


 樋口の優先順位ははっきりしているし、何より野心がある。

 国を動かすという野心を捨ててまで、野球で成功しようという野心だ。

 私欲ではなく、純粋に公共のために働こうとしているところが、逆に樋口の恐ろしいところである。

 そのためにならばある程度の、法を逸脱することも厭わないのだから。

 たださすがに、野球においてダーティプレイはしようとは思わない。

 そういったことをすれば成績はともかく、人気を失うことになる。

 人望はともかく人気を失うのは、プロスポーツ選手として致命的だ。

 それにしょせんこの世は、コネがものを言う世界だが、プロスポーツは結果が全てだ。

 なのでそのコネのためには、球団上層部などとの関係はよくしておかなければいけない。つまり、成績が必要なのだ。


 まず第一には、この新人の時代に、ちゃんと結果を残すということ。

 それすら出来ないのでは、己の幸福すら追求するのは難しい。

 結果を残すのは、数値上の結果と、印象での結果がある。

 樋口の勝負強さは印象だけではなく、データでも証明されている。

 まずはこのデータを騙す。




 決勝打や逆転打、得点圏打率をことさらに高く評価する者がいる。

 プレッシャーに強い者と弱い者がいるのは確かだが、ヒットという結果の大半は、運によるものである。

 あの夏の決勝のように、完全に読んで狙ってホームランを打つなど、樋口でもまず無理なのである。

 ただ甲子園の決勝で、唯一の逆転サヨナラホームランを打ったという肩書きは、この後も一生付きまとう。

 その後もプロ入りするなど思っていなかったので、重要な場面では積極的に得点を狙っていった。


 勝負強いと思われてしまえば、肝心の場面で勝負されなくなる。

 だからまず、今のように重要ではない場面では出塁、重要な場面では打点というスタイルを、変えていかなければいけない。

 ただ一度ついたイメージは、それがいいものであれ悪いものであれ、払拭するのは大変だ。

 だが緻密なデータを取るプロの世界なら、データマンがしっかりと統計を取ってくれるだろう。


 ここから樋口の安打数が伸び始め、出塁率と打率がやや落ちはじめた。

 なんだかんだ言いながら、ボールを打つ必要なく出塁出来るフォアボールやデッドボールと違い、ヒットはその打球が野手の正面に飛ぶ可能性がある。

 だがバットコントロールの上手い樋口は、上手く一塁線や三塁線、そして内野の頭を越えたあたりと、打球をコントロールすることが得意である。

 特にアウトローの厳しいところなどの、本来なら打ちにくいところへ投げられたボールを、上手く叩きかえす。

 これで樋口は、アウトローを打つのが上手いというイメージが広がった。

 実際のところは樋口も、アウトローを打つのは苦手である。

 これぞまさに情報戦と言うべきだろう。


 得点圏打率を下げるのは、さほど難しくなかった。

 いくらランナーが二塁以降にいても、圧倒的に勝っている試合であれば、そこで凡退すればいい。

 ただ右打は心がけて、進塁打にはなるようにしている。

 一点差を争う試合でも、打点よりは出塁を考える。

 

 敵も味方も、全てを偽らないといけない。

 あまり評価を落として、あいつは勝負弱いと評価されるのも避けなければいけない。

 適度に成績を残す。確実に正捕手は守れるように。

「……そんなに甘くないか」

 思ったよりも、打率が上がってしまった。

 得点圏打率は普通にしようとするのだが、やたらとチャンスでは、どうにか樋口にまで回そうと考える者が多いらしい。

 得点圏で凡退ばかりしていると、またこれも評価が低くなる。


 難しい。本当に難しい。

 全力を出してなお及ばない者がいるプロの世界で、樋口の思考はかなり野球を舐め腐ったものである。

 ただ現実にも500本安打や1000本安打の記録で、ホームランを狙って打っているプロの選手はいるのだ。

 樋口の場合はそこまで露骨にするわけではない。


 普通に打てる球をあえて見逃し、微妙なところを打って行く。

 ただしたまにはちゃんと打たないと、チームが勝てない。

 樋口はてかげんを覚えた。

 もう少し打線が強力になれば、遠慮なく打って行ってもいいのだろうが。




 自分の成績さえ考えていればいいのが新人のはずだが、樋口は戦略さえも考えている。

 時折そういった話をチームメイトとすれば、やっぱりこいつは頭いいな、と思われるのだ。

 そもそも東大合格レベルで、成績は良かった樋口である。

 野球にかける頭脳も、勉強とさほど変わらず発揮する。

 今季の戦力では、リーグ優勝も日本シリーズ出場も、おそらくは不可能である。

 だがクライマックスシリーズまでは進みたいし、そこでも出来ればファイナルステージまでは残りたい。

 そんな視点から見て、他の上位三チームはどうなのか。


 首位のライガース。大介が復帰したが、いまいち勢いがつかない。

 金剛寺が内角が打てなくなっているのに気付き、多くのバッテリーがそこを攻めるようになったのだ。

 そしてスタメンから外れたが、コーチ兼任のため、ベンチにはいる。

 一応ロースターに入っているので、代打で出る可能性もあるのだ。


 あの投手陣を考えれば、もっと勝っていてもおかしくはない。

 大介の調子がいまいち上がらないのは、打線で援護しなければいけないという意識が、強すぎるからではないかとも思う。

 攻撃だけでもダメだし、守備だけでもダメ。

 今のライガースはどちらも揃っているようでいて、どちらも完全には機能していない。

 多くの貯金を作っているピッチャーが、ほとんど真田と山田の二人だけ。

 このどちらかが欠けたら優勝もクライマックスシリーズで勝ち進むのも、難しくなることは確実である。


 そしてタイタンズ。選手層の厚さはセのチームでは一番。

 だがそれだけに重要なところではベテランに頼ってしまって、投打で存在感を発揮する若手は、本多と井口ぐらいだろうか。

 本多は一年目と二年目に不良債権扱いされそうになったのが嘘のように、現在のタイタンズでは荒川と共に投手の軸となっている。

 井口も外国人と競ってホームラン王争いをしているのだから、ベテランの強みを持ちつつも、若手の台頭もあるといったところか。


 スターズは相変わらず投手陣にばかり負担がかかっている。

 それに上杉が圧倒的過ぎて、バッターはその上杉に慣れてしまっているのか、大量点を取ろうという意識が感じられない。

 ここは完全に、ドラフトと育成での、バッター確保に失敗している。

 外国人で補強すべきだろうが、今からではチームに馴染まないので、来年以降の課題であろう。

 樋口がもしスターズの監督などをやっていたら、フロントと育成の無能に切れていたかもしれない。


 


 そして我らがレックスである。

 まず投手陣は先発とリリーフが揃っている。怪我で離脱した者もいたが、今は復帰している。

 その離脱の間に使われた選手も、それなりに数字を残した。

 打線や守備においてはスタメンに怪我がない。

 若手が多いがセンターの西片などが、リードオフマンとしても機能していて、ベテランとして調整能力に優れている。

 五年以内の若手がどんどん育ってきて、不足している長打力をおおよそ外国人で埋められている。

 ただ出来れば内野や外野などに、離脱者が出た時のための予備戦力がほしい。

 これは二軍などを見れば、育成中の選手が多く見られるわけである。


 樋口は一年間は寮に住むつもりだったが、これは正解であった。

 有望そうな選手も見つかるし、自前でトレーニングすることなく、寮のトレーニングルームが使える。

 今は一軍の調子がいいので二軍にいるが、余裕さえあれば一軍で使ってみてほしいと言われている選手がたくさんいる。

(来年からが勝負かな)

 樋口が完全に正捕手になってしまっているが、それまでの正捕手であった丸川も戻ってきた。

 控えとして使う分には、丸川もそれなりのキャッチャーではあるのだ。


 完全に上から目線であるが、それが間違っていないのが樋口である。

 あとは何が必要になるか。

 来年武史がちゃんと入ってくれるなら、先発は完全に満足する。

 そして短いイニングを投げるのが上手いピッチャーを、セットアッパーとして固定できる。


 強いて言うなら更なる打力と得点力の向上と、守備固めぐらいであるか。

 それも致命的なわけではなく、年間を通して見るならば、というレベルである。


 選手の問題はともかく、首脳陣にはやや問題がある。

 正捕手がなかなか丸川から変わらなかったのは、バッテリーコーチが丸川のバックにいたからだ。

 このバッテリーコーチのさらに後ろに、フロントのOB選手がいる。

 ただこれは樋口が現在の成績を維持する限り、どうにかなるものである。


 首位争いをするライガースとスターズが対決し、お互いに潰しあう。

 それにしても今年の上杉は、これまでにもまして神がかっている。

 三連戦の最後には登板する予定だが、ここまで21勝0敗。

 ノーヒットノーランもされてしまったし、完全に上杉は一人で試合を支配する。

 ただこれだけの成績を残してしまっていて、プレイオフで疲労が出ないのか、そのあたりは心配だ。

 はっきり言ってスターズは、上杉が倒れたらそこでおしまいなチームである。

 投手陣はそこそこいいのだが、もっと打てる選手は取ればいいだろうに。


 シーズン前半は代打起用が多かったのに、樋口のホームラン数が二桁になった。

 規定打席には到達しないだろうが、だからこそ逆にすごい。

 キャッチャーのくせに二桁の盗塁にも成功し、これも地味にすごい。

 とにかくあらゆる要素において、トップレベルの能力を樋口は発揮しているのだ。


 プロ入り一年目。キャッチャー。

 セの新人王との声が、そろそろ上がってきていた。

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