第85話 コントロール
直史は以前からずっと考えている。
自分がコンビネーションやコントロールを気にせず、ただ心のままに投げれば、どういう結果になるのか。
もちろん単にストレート一本勝負や、全く何も考えないというわけではない。
ボールの球威だけで、ストレートであれ変化球であれ、適当に投げればどうなるか。
(まあ、そんなことはしないんだが)
自分の力を最大の効率で投げることは、直史の中で本能に刻み付けられている。
故障しない範囲内でしか、全力のボールは投げられない。
つまり武史のように162kmを投げることも、大介のように場外ホームランを打つことも、自分には出来ない。
(凡人だな、俺は)
ただ勝てるというだけで、そこにある才能の差は小さい。
本人が本気で思っているあたり、救いようがない。
本日はコントロールの精度は、コースが98%、スピードが99.5%、変化量が95%といったところだろうか。
変化量が安定しないのは少し困るが、緩急差はちゃんとつけられる。
コースの精度が98%というのも、まず問題ないだろう。
あとは序盤に、審判のクセをしっかり確認することだ。
今日は普通の調子だな、とバッテリーを組む樋口は安心する。
アメリカとの第一戦、直史は気合を入れて調整をしっかりとした。
ほとんどミリ単位じゃないかと樋口でさえ驚くコンディションに整えていたのだが、そういうことをやった後は、それだけ負担が体にも精神にもかかるわけである。
ノースローにキャッチボール、それから50球だけと、監督やコーチがやかましいので制限していたが、本来直史はやりすぎるぐらいに調整しないと、コントロールに自信を持てないタイプなのだ。
あの第一戦の出来は99%ぐらいで、調整をしすぎていたと思う。
今日は97%ぐらいで、このぐらいでいいのだ。
全日本の時は95%ほどで、それでも連投で完全試合は出来る。
(もしプロに行ったら、毎試合こんなことやって潰れるだろうな)
高校一年生の時に負けているのは、それだけ試合間隔が狭かったせいもあるのだろう。
甲子園の決勝で再試合したのも、二試合目は完封が精一杯であった。
だが、それは直史の基準を、本人の調子のみで平均化したものだ。
樋口の組む限りにおいては、90%ほどの仕上がりで、大学野球レベルなら完封は出来る。
それ以上を求めるのは、負担が大きすぎるだろう。
大会やリーグ戦においては、この全力を出すペース配分を、しっかりと考える必要がある。
おそらく直史は、プロに行けば先発としてはやや長めに期間を置かないと、調整の難しいタイプのピッチャーになる気がする。
もっとも現在のプロのように役割分担がしっかりしていれば、球数を少なめに調整し、ローテに入ることも出来るかもしれない。
樋口にとっても直史は、不思議なピッチャーだ。
連投で球が走っていない時や、おそらく朝までベッドの上で激しい運動を行っていた次の日も、それはそれでしっかりと調整してくる。
上杉兄弟や、早稲谷の他のピッチャーと比べても、あまりにも異質すぎる。
そして今日は、また変わったピッチング内容を試そうとしている。
それほど変わったものではないが、キャッチャーの技術も相当に必要になるだろう。
神宮球場を埋める大観衆は、今日も奇跡が起こることを期待している。
まるで宗教だ。
よく野球選手をアイドルと同一視したりする口調の記事があったりするが、直史は確かにその意味では偶像と言えるだろう。
奇跡の象徴。
他の人間ではなしえないことをなすという点では、直史は上杉と同質のピッチャーでもある。
アメリカチームから俊足の一番打者がバッターボックスに入る。
アメリカ代表はそれなりに選手のオーダーを替えてくるが、この一番打者だけは固定である。
武史のストレートを打っていたし、他の試合でもストレートを狙い打ちしていた。
かと言って変化球ばかりともいかないのだが。
先頭打者への初球は、アウトローにまっすぐなストレート。
回転が美しく、その量も多い。
這うような低めのストレートが、しっかりとストライクの宣告を受ける。
二球目のストレートはやや外れていたが、これを振ってきた。
アメリカのストライクゾーンだ。打球はファールゾーンに切れていく。
そして三球目はチェンジアップ。
ファーストゴロでまずワンナウト。
直史のピッチングについては、第一戦をアメリカもそれなりに調べてある。
とにかくランナーを出さないことを重視しているが、アウトコースのボール球を振らせるということが多かった。
あそこは日本の審判ならボールなのではないかとも思われたが、そんなに急にストライクゾーンを変化させることは出来ない。
二番も三番も、内角と外角を、緩急で攻められた。
三振にこそならなかったが、カーブをひっかけて内野ゴロというパターンが三度続いた。
まず初回の表は三者凡退。
球数は11球と、納得のいく内容である。
アメリカのピッチャーにも、100マイル近くを投げる選手がいる。
あとエース級でなくても、95マイルは平気で投げるピッチャーが多い。
だが日本代表の打線は、そのスピード自体にはそれほどの脅威を感じない。
あちらさんのピッチャーの特徴は、基本的に動くボールを使ってきながら、ストレートかウイニングショットのボールを持っているのだ。
そして決めるときのストレートは、高めに外した球であることが多い。
マウンドの高さと角度を考えると、むしろ高めの方が投げやすいのだとかいう話もある。
それが本当かどうかはともかく、見逃せばボールになるコースを振ってしまっている場合があるのは事実だ。
だがごく一部のバッターにとっては、そんな小賢しい考えはいらない。
フォアボールのランナーを一人置いた状態で、フルスイングする。
高く上がったボールは、神宮球場のバックスクリーンにまで届いた。
野球がパワーのスポーツだとしたら、間違いなく西郷にはその適性がある。
だがひょろっとした感じの直史も、技術で勝負する。
ピッチャーは速い球を投げることも重要だが、それよりも重要なのは空振りを取れる球を投げること。
バッターは投げられた球を打つしかないが、ピッチャーは投げる球を選べる。
選択さえ間違えず、その選択の幅が広ければ、ピッチャーは確実にバッターをしとめることが出来るのだ。
二回の表も、三者凡退。
ただ三振が一つもない。
直史は打たせて取るタイプのピッチャーだと思われているが、実際の数字を見れば、三振を取る平均は高いものがある。
その謎は、球数の少なさを考えれば分かることだ。
ツーストライクまでは球数が増えないように、打たせて取ることを第一に考える。
そしてツーストライクまで追い込めば、安全な三振を奪いに来る。
この時に伸びのあるストレートを使うか、カーブやスライダーを大きく使うかは、相手のバッターの特性による。
また二球目までに何を投げているかで、やはり選択は変わってくる。
ホームランは野球の華と言われるが、ピッチャーにとっては奪三振がそれに当たるだろう。
だが直史は、凡退を取ってくる。
ただ本人にとっては、少し不本意ではある。
調子がいいのは全てのバッターを三球以内にアウトにすることだ。
だが今日は四球目を使うことが多い。
それに三振を奪えるかと思って投げた球を、案外前に飛ばされる。
ピッチャー返しになる球は、自分で捌く。
フィールディングは身を助けるというものだ。
五回には追加点が入ったが、味方にエラーが出て、パーフェクト達成は既に不可能になっている。
まあそのランナーは樋口が牽制で刺してくれたので、結局は27人で終われるペースなのだが。
フォアボールでランナーを出さない。
かといってヒットも打たれない。
ボール球を確実にスイングさせる技術というのは、コンビネーションである。
樋口はボールをキャッチする時、必ずミットを流さない。
外側から内側に締めるようにキャッチする。
これでだいたいボール半個分ほど、ストライクゾーンが広くなる。審判がヘボであればそれ以上だ。
直史にとって意外だったのは、代表に選ばれるほどの選手であっても、打撃を期待されていれば守備はヘボだったりすること。
パーフェクトをいつも目指しているわけではないが、一番危険性の少ないピッチングをしていれば、それは当然完封を狙うことになる。
完封を狙うためには、当然ランナーを出さないことである。
ランナーを出さないことを考えると、当然ながらフォアボールは避けたい。
これが大介が相手であれば、状況によるが直史は平然と敬遠をしただろう。
高校時代、紅白戦を行う場合は、だいたい別のチームに分かれていた。
その時の大介を抑えるための作戦は、ホームランだけは打たれないことと、大介の前にランナーを出さないことだった。
抑えすぎても、チームの主砲を不調に陥らせる可能性がある。
ただ大介の場合は打てなくてもどんどんと成長をしていってしまうのだが。
六回が終わる。
ここまでわずかに三奪三振と、めずらしいペースの直史。だが球数も充分に制限されていて、64球となっている。
このままであれば、100球以内で完投出来る。
いや、ノーヒットノーランか。
そんなピッチングをしながらも、直史が少し首を傾げる。
ベンチに戻って樋口と話し合う。
「なあ、なんで今日は三振取れてないんだと思う?」
「まあ一つには、球場に合わせた俺のリードがあるだろうな」
今日は風向きが、スタンド方向に伸びやすい。
ただでさえ神宮はホームランが出やすいのだから、パワーのあるアメリカチーム相手には、樋口もフライではなくゴロを打たせることを優先している。
ストレートの割合が、ほんのわずかに少ない。
それだけで取れる三振の数は変わる。
「ジャイロは使っていかないのか?」
辺見はそう問いかける。あの沈むくせに減速しない魔球を、今日は使っていない。
「ラスト一巡までは」
つまりここからは解禁だ。
ボールのパワーだけで勝負するのは、本来の直史のピッチングスタイルではない。
それにスルーは指先の感覚が鈍るし、わずかだが肘に疲労が蓄積していく。
ただ大学入学以来、直史はそういった細かい部分を鍛えている。
七回は三者三振。
八回は二者三振で残りはピッチャーゴロ。
九回はアメリカも代打を出してくるが、初見でスルーは打てない。
ラストバッターは打ち上げた。
「オー……ライ!」
樋口の掲げたミットに、ボールが収まる。
試合終了だ。
打者27人に対して、99球、10奪三振、失策が一つ。
当然ながらノーヒットノーランである。
初戦の完全試合もドン引きであったが、100球以内でノーヒットノーランをしてしまう。
全日本から三試合連続で完全試合をした後に、ノーヒットノーラン。
何か、普通の人間がやっているのとは別の次元で、野球をしている。
二年生を中心としたアメリカ代表。
相手のピッチャーも二年生だとは聞いている。
このピッチャーが三年前、マイナーなハイスクールのワールドカップで、クローザーとして活躍したことも聞いている。
だが二試合連続でノーヒッターを達成されれば、これはもう目の前で起こった伝説である。
直史はつまるところ国際試合において、これまで一本のヒットも打たれていない。
高校時代から数えると、30イニングをノーヒットノーランにしているのだ。
無敗とか無敵とか、そんなもんではない。
もっと恐ろしいものの片鱗。そう、まだこの奥には何かが眠っている。
大観衆がスタンディングオベーションをする中、瑞希は一人ノートにペンを走らせる。
感情が揺り動かされて、まともに思考が出来ない。
直史のピッチングは、ピッチングの技巧の頂点だ。
「日本の学生はドラフトにはかけられないんだったな」
本当はアメリカ代表の中に、注目の選手がいたMLBのスカウトが、思わずそんなことを確認する。
球速の表示は、今日は最後まで150kmは出なかった。
球が速いということは、あくまでも一つの基準でしかないということを、現実で証明して見せてくれた。
多くの球児たちは、勘違いしてピッチャーを目指すかもしれない。
相手に何もさせず、味方が一点を取ってくれれれば勝てる。
そんなピッチャーの至高の形を、こうやって見せてしまえば。
甲子園、ワールドカップ、早慶戦、全日本。
そしてまたここで、日米大学野球において、完璧な世界が達成される。
佐藤直史のピッチングは、人間の成しえる最高のパフォーマンスだ。
このピッチングが、どれだけ見られるものか。
六大学リーグや、全日本、そして神宮大会などの放送権を持っている配信会社の株価は、この後軒並値上がりする。
ちなみに直史も瑞希も、自分の使える金額内で、それらの会社の株を買っていたりした。
信用取引で。
下手をすれば一気に全財産を吐き出すことになることは分かっていたが、勝算はあったのだ。
ちなみに日本において公営競技などでは、選手が自分に賭けることは出来ないが、海外では可能であったりする。
それと似たような感覚で、直史は自分の価値で金を稼いだ。
力さえあればそれを上手く使うことで、金は手に入る。
別に八百長をしたわけでもないし、学生の株取引は違法ではない。
そして何より、これはインサイダー取引ではないのだ。
かくして日米大学野球選手権大会は終わった。
翌年の大会はアメリカで行われるため、直史が参加することはない。
最初で最後の、日米大学野球の交流戦である。
もちろんこのパフォーマンスは誰もの記憶に強く残り、ずっと先までアメリカの野球人は忘れないことになる。
アマチュアの世界であっても、直史は直史である。
給料や奨学金以外でも金を稼ぐ。
瑞希がまたノンフィクションの執筆を依頼されるのは、当然の未来であった。
×××
群雄伝更新してます。
織田+鬼塚 織田×鬼塚でも鬼塚×織田でもないので間違わないように。
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