第193話 閑話 母校を見守る

 大学の夏休みも後半に入る頃、直史はようやく実家に帰省した。

 盆には一度帰省していたのだが、その後はまた東京で用事があり、結局今年は母校の甲子園での活躍は、テレビで見るだけで終わった。

 大会ナンバーワンの投手戦ということで、過去にあった投手戦の映像で、当然のように自分と武史、そして真田の対決が流されたものである。

 それにしても他の学校というか、武史でもそこそこ短めの髪の毛であったのに、直史だけは一般人的な髪の長さだったのは、今見ると違和感がある。

 リアル球児たちの中に、一人だけ俳優が球児役で混じっているような。

 文化系球児と言われた当時は分からなかったが、今では新鮮な発見がある。

 瑞希には「やっと気付いたの」などと言われたが。


 親戚の集まりも終わった頃で、とりあえず直史が向かったのは、懐かしの母校である。

 所謂チャリで来た、というやつだ。

 ここのところ毎年甲子園の決勝まで勝ち残っていた化け物チームである白富東だが、今年はついに三回戦で負けた。

 負けた相手は大阪光陰で、ここから大阪光陰が優勝したのなら、まだしも優勝チームに負けたという謎の慰めが発生するのかもしれないが、エースがバテた大阪光陰は次の準々決勝で負けた。

 その大阪光陰に勝った明倫館も、エースが万全でないにも関わらず、やはり総合力の高い相手だったので、エースを酷使して準決勝で負けた。

 明倫館に勝った蝦夷農産が、この年の甲子園を制したのである。

 

 夏休み期間中でも教師に仕事がないわけではなく、国立は職員室にいた。

 そして既に、瑞希も到着していた。

 国立に呼ばれたのは、直史だけではなかったのである。


 直史が現役時代、長い夏休みを過ごしたのは一年の夏だけである。

 あとの二度は甲子園に出ていたため、とても短い夏休みであったとい感想がある。

 一年の夏と言うと、暑い中で熱中症に気をつけながら、暑さになれるように練習をしていたものだ。

 今日も野球部は練習をしていたそうだが、午前中にトレーニングは終わらせて、午後からは休みなのだという。

 確かに直史の高校時代も、夏休みはそれなりに堪能した憶えがある。

 進学校である白富東は、宿題の量なども多かった。

 だが今はやるべきことを自分で選択肢、やらなければいけない。

 ある意味やるべきことが決まっていた高校時代の方が、絶対に楽であった。




 二人を呼んだ国立は、クラブハウスへと移動する。

 思えば直史の現役時代は、国立は対戦チームの監督であった。

 だが三里と練習試合に合同練習を行うと、そのバッティング技術を教えてくれたりもした。

 白富東でバッティングに優れていたのは大介で、そのバッティングは間違いなく国立よりも優れていたが、あまりにもタイミングがシビアすぎて、凡人には真似できないものであった。

 その点国立は、技術を分解して教えることが可能だったのだ。


 直史にとって母校とは、白富東を指す。

 中学校や小学校、そして大学はあくまでも出身校というイメージだ。

 愛着があるのは、この高校での三年間。

 なのでもう現役時代に知っているのは、本当に他校の監督であった国立だけの白富東に、感傷から協力したりもするわけだ。

 ただスポーツ推薦や体育科などを作った現在の白富東は、かなり雰囲気が直史のいた頃とは違っているなと感じる。


 この二人が呼ばれたのは、今後のチーム編成に関することを相談するためと、マネージャーが記録していたスコアなどをコピーして、瑞希に渡すためだ。

 瑞希の取っていた白富東の記録は、秦野の娘である珠美、そしてユーキの同年の妹であるサラ、そして今では宮武の妹であるマナに受け継がれている。

 もっともサラまではともかく、マナはあまりそういうものを几帳面につけるタイプではないので、新キャプテンの耕作が生真面目に監修している。

 瑞希が見てもなるほどと、今のキャプテンの几帳面に整理する正確が窺えるものとなっている。


 瑞希が後を任せた、俗に「続・白い軌跡」と呼ばれる文章やデータの内容は、珠美が記録をしていたところまで。

 そして珠美が学校を卒業するまでは、後を受け継いだサラが、助言を受けながらも書き記していた。

 だが今瑞希の手元にあるものは、時系列も微妙にずれていそうな、無秩序な情報の塊。

 これをちゃんと整理して、人が読めるものにするのは、ある程度の技術がいる。


 瑞希はそれを読みながら、まとめていくポイントを改めて整理していくわけだ。

 そしてその間に、国立は直史に聞いてみる。

 コーチとしてはともかく、ピッチャーとしての実際の実力ならば、直史に優る者はまずいない。


 150kmのストレートと決め球になる変化球を持つ、絶対的なエースであるユーキが引退した。

 事実上の二番手として機能していたのは、新しくキャプテンになった耕作である。

 一年の夏から甲子園のマウンドにも立って、粘り強くピッチングを行っていた。

 だが甲子園で活躍するチームのエースとしては、まだまだ実力は不足しているだろう。


 そんな耕作に、同じ学年と一年生から、合計三人のビデオを見せられる。

 またピッチャー候補として国立が見ている、とにかく肩の強い選手のビデオも見てもらう。

 こういうのは本当は、ジンの方が向いているのだろう。

 だがジンは大学卒業後、帝都一のコーチとして東京で指導者になるらしい。

 帝都一の次期監督の座を狙っているわけで、あまり頼り切るわけにもいかないと思われたのか。

「いや、あいつのことだから嬉々として改善してくると思いますけどね。同時にどっさりデータも取られるでしょうけど」

 それこそ来年と再来年、絶対に白富東が帝都一に勝てなくなるようになるぐらいには。




 ピッチャーに限らず現在の白富東は、夏の後なので当然戦力が落ちている。

 ただしリードオフマンの一番と主砲の四番、また代打で出ることが多かった下級生がスタメンになるために、打力と得点力の低下はそれほどでもない。

 しかし完全に全国レベルでも通用していたユーキがいなくなったため、完全に投手力は落ちる。

 そんな中でどうピッチャーを育てていくかと、具体的なアドバイスが欲しいのだ。


 バッテリーを見てくれているコーチの意見としては、とりあえずメインで投げるのは耕作にするしかないだろうということだ。

 耕作は制球がよく、変化球も種類があり、何より体力がある。

 身体的な面ではそのあたりが優れているのだが、国立から見ると耕作の一番の長所は、打たれる相手にでもストライクが投げられる精神力だ。

 ピッチャーというのはめんどくさい存在なので、ホームランなどを打たれると一気に崩れることがある。

 だが耕作の場合は、そういった点では折れることがない。


 これまた異常なピッチャーである直史から見ても、やはりピッチャーらしくないピッチャーだ。

 国立がありがたいと思うのは、歩かせようと思った場面で、絶対に意地を張らないこと。

 チームの勝利が最優先だと、分かっているピッチャーなのだ。

 それぐらいは当たり前と思われるかもしれないが、エースという存在は自分のプライドを、チームの勝利より優先したがる嫌いがある。

「おうちで農業の手伝いをしているのが、性格の粘り強さにつながっているのかも」

 なんとなく直史も納得する。祖父母が農業をしているので。

 もとは兼業農家だったのだが、定年後には専業になったというやつだ。


 言われてみると直史も、自分の中に流れる豪農の血を感じる。

 どれだけ頑張っても、天候によってその収穫は完全に左右される。

 河原の堤防の向こうに、佐藤家はある程度の畑を持っているのだが、そこは川が氾濫すれば、確実に作物は全滅する。

 それでもすぐにさっさと片付けて、次のことを考えなければいけない。

 農家というのは天候の理不尽に鍛えられているのだ。


 それは別として見ても、左のサイドスローというのは、かなり珍しいものである。

 もう少し球速があれば、かなり厄介なピッチャーになるだろう。

 淳の劣化版になれれば、それで充分に使えるのだ。

 そしてスライダーの軌道が、かなり面白いものであったりする。




 夏休みの間には、体験入部というものを中学三年生向けに行っていた。

 そこで簡単にどういう人材が入りそうか、甘めの判断をしてみる。

 スポーツ推薦は私立の入試よりも遅く、私立を第一候補と考えているならば、願書までは提出しても、あちらで受かれば試験を受けないということもあるだろう。

 それとは別に体育科の入試も、その後に行われる。


 千葉県の学区制では難しい、より広範囲からの生徒の募集。

 ただそこまでやっても、使えるピッチャーはそれほど入学してこない。

 最初のスポ薦の世代である悟の年代は、専業のピッチャーは山村だけであった。

 文哲は留学生枠であり、これだけでは足りないと判断した秦野は、急造のピッチャーを何人も作った。

 翌年にユーキが入ったことによって、それらのピッチャーはあまり試合では使われなかったが、それでも予選を戦うレベルでは、充分に使えるものであった。


 ユーキ引退後の白富東のピッチャーは、二年の耕作と永野、そして一年の渡辺をメインとして考えている。

「三人か……」

 直史が呟きつつ考える。

 ピッチャーが三人というのは、それが使えるピッチャーであれば、充分に甲子園にまでは行ける。

 自分たちの一年の秋は、直史と岩崎の二人が、実質的には使えるピッチャーであったのだ。

 次の年には武史、アレク、鬼塚が使えるピッチャーとして入ってきて、ピッチャーの陣容はあそこから分厚くなったが。


 現在の指導者の余裕などを考えると、まず来年の夏までは、この三人を使っていくしかないだろう。

 だが来年の新入生からは最低でも一人、そして今の一年生も秋以降に、もう一人はピッチャーとして試していかなければいけない。

 来年の新入生に、岩崎とまでは言わずとも、鬼塚レベルのピッチャーが一人でもいるだろうか。

 白富東基準で考えると勘違いするが、一年の春に130kmオーバーのストレートを投げられて、決め球のフォークも持っていた鬼塚は、完全にピッチャー向けに鍛える人材だと、他の学校ならば判断されただろう。

 実際にそれは間違いでもなく、プロの野手として通用している鬼塚が、ピッチャーとして伸びていけば強豪私立でもエースになっただろう。

 外野を守っているが、肩は相当に強い。おそらく今は140kmは簡単に超えるだろう。


 130kmを投げる一年生が、白富東に入ってくる可能性は低い。

 もし入ってくるとしたら、それは体育科ではなく普通科として、あくまで進学をメインに考えている人間になるはずだ。

 高校野球の投手のスピードは上昇しつつあり、150kmが一つの分岐点になっているとも言える。

 もちろん技巧派であれば140kmでも充分に通用するが、そういった選手になりそうな者も、私立はスカウトしているだろう。


 公立校だけあって、寮がないというのも厳しい。

 県内全域から生徒を集めるのだから、千葉は東部の沿岸部などからは、白富東まで相当時間がかかる。

 そういったところの都合を考えて、体育科の人間分の寮は、どうにか作って欲しいものである。

 そうすれば寮のあるトーチバや勇名館から、ある程度の有力選手を奪うことも出来る。

 千葉県の力を本当に結集すれば、全国制覇も目指せるはずなのだ。

 大阪光陰などは、全国から選手を集めているが、理聖舎などは寮のない私立である。




 将来的な制度のことはともかくとして、まずは秋に向けて何を行っていくか。

 九月の中旬から、県大会本戦が行われる。

 残り20日ほどと考えれば、ここで地道に鍛えている暇はない。

 持っている戦力をどう使うかが、勝ち進むためには必要なことだ。


 先発は耕作に任せるべきだろう。

 大舞台を経験している数が多いが、まず何より安定している。

 軟投派だけにそこそこ打たれることは覚悟しても、国立はその程度の失点を上回る得点を期待している。

 そして体力に任せて投げてしまうことも出来るが、終盤に他の二人に継投してもいい。

 単純な球速だけなら耕作より上のこの二人は、そのギャップに慣れないうちに、終盤の相手を封じてしまう。


 あるいは逆に速球派のスタンダードな二人を先に投げさせるということもありだろう。

 国立の言を信じるのであれば、耕作はどんな状況でも割り切って投げることが出来る。

 そして普通のピッチャー相手に戦っていたところへ、左のサイドスローの軌道で投げられるボールがくるわけだ。

 それは混乱することだろう。

 あるいは最初に速球派、それから耕作の軟投派、そして一番速いピッチャーを最後に持って来る。

 ただしこれはピッチャーの出来次第となるので、耕作を他のポジションでもう一度ピッチャーが交代出来るようにしておく必要があるだろうか。




 国立もおおよそは、想定していた運用である。

「ところでこの彼のスライダー、面白い軌道ですよね」

 直史が目を止めたのは、耕作の投げるスライダーである。

 スライダーは当然ながら横のスライド変化に、落ちる変化も加わっている。

 そもそも全てのボールというのは落ちるボールであり、その落ちる成分が少なければ、比較してホップするように感じるものなのだ。

 ストレートが持っているホップ成分を、他のスピン軸の変化球は、持っていない。

 なのでスライダーでも、落ちていくボールにはなる。

 これを上手く縦の変化を増やすと、縦スラとなるわけだ。


 だが耕作のスライダーは、スライド変化はあるものの、あまり落ちていない。

 サイドスローであるがゆえに、ライズボールのスピンがかかっているからだろう。

 スライダーなのにそのボールを振って空振りという、おかしな現象が発生している。

 これは間違いなく耕作の決め球で、逃げていくボールを打たなければいけない左打者だけではなく、右打者にも効果的だ。

 ただしあまり多用すると、その軌道を読まれて打たれるボールではある。


「部員の話も聞きたいし、夏休み中に何度か来てもいいですか?」

 それはもちろん、と国立は教職員に話を通しておくことになった。

 これは直史ではなく、瑞希のほうが選手の声を聞きたがったものである。


 大学四年生の夏。

 学生最後の夏というわけではなく、法科大学院に進んでいる二人は、一応来年も夏休みはある。

 だが司法試験の合格のためには、受験勉強以上の密度の濃い勉強が必要になる。

 おそらく来年もまた、甲子園の前に見にくることなどは出来ないであろう。


 夏の熱さを感じたのは、高校時代が最後だ。

 大学生になってからは、直史は野球部にも出ずに夏休みをそこそこ遊んだりもしたが、それでも本当に夏を夏らしく感じたのは、高校時代。

 甲子園の熱量が、いまだに直史の中では燻っている。

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