第17話 脚光

 関東と関西に二極集中する大学野球の強豪であるが、その中に一つ仙台で気を吐くチームがある。

 東北環境大学である。

 設立はおよそ半世紀前。日本だけではなく世界的にも、環境問題への対処の機運が高まっていた頃だ。

 別に環境問題だけを論じるわけではなく、人間の生活環境など、社会学的な学科もある大学である。

 だが野球部の強さはそんな大学の方針とは全く関係ない。

 ただ科学的なアプローチをし始めたのは早く、現在においては仙台六大学リーグだけならず、東北・北海道地方でも最強のチームと言われている。


 本大会におけるその基本的な戦術は、三人のドラフト級ピッチャーによる継投。

 ドラフト候補でも上位か下位かの明白な違いはあるのだが、その日の調子がいい者が長く投げて、三人のうちの二人で一試合を投げきることが多い。

 比較的短いイニングを投げているということもあるが、防御率はかなり良い。

 三人とも右腕で、変わった変化球を持っていたりもしないのだが、おおよその傾向は同じでありながらも、細かい部分が違うというのは、逆に打ちにくくなる。

 ムービングで細かく動いて、凡打を誘うのと理屈では似ているのかもしれない。


 環境問題とは全く関係なく、野球をするために集まった選手たち。

 その総数は135人であり、早稲谷と比べても部員数でそうそう見劣りするものではない。

 とりあえず六大学リーグを制した早稲谷相手には、三人のピッチャーの中でもエース格を当ててくると思ったのだが、ここまで登板無しの四番手ピッチャーが先発のマウンドに上がった。

 左のサイドスローである。


 秘密兵器と言うか、奇襲と言うか。

 もし当たったのが早稲谷ではなく白富東であれば、一回でノックアウト出来ただろう。

 だが左打者相手には横の角度をつけて、右打者にはシンカーと言う左のサイドスローの長所を活かしまくったようなピッチングで、まず一回の表を三者凡退のスタートとなった。




 早稲谷の先発はエース梶原で、まずいつものスタメンというスタートである。

 直史は試合の展開はどうでもよく、ただ溜め息をついていた。

 なぜなら球場が神宮であったので。


 全日本大学野球選手権大会は、東京ドームと神宮球場を併用して開催される。

 過密日程で開催されるのは、これが平日の大会であるから仕方がない。

 どうせなら東京ドームでやりたかったのだが、それは投げてみたいという程度の感覚だ。

 ただ、雨が降りそうだ。

 今はまだ曇りであるが、天気予報では降ってくる確率はそこそこ高い。

 雨天順延の大会ではあるが、現時点では降っていないということで、本日第一試合のこのカードが開催されている。


 直史はこの大会に関しては、色々と文句を言いたい。

 まずは大学野球の大会であるというのに、平日を使って試合が行われるということ。

 仮にも学生であるのなら、スポーツなどは週末を使ってやるべきだろう。

 もっともそれをやるには、遠隔地からの出場校が大変なのだろうが。

 長期休暇で行うにしても、大学ではその休みを使ってゼミの合宿や、学部によってはフィールドワークがあるため、それも難しいのだとは分かる。

 どうせ夏の大会にしても、甲子園には人気で勝てないのだろうし。


 高校時代、土日を潰されて試合を行うのには文句のなかった直史であるが、平日を使って行われる関東大会や神宮大会には文句があった。

 大学野球では、まあ休みを潰されるのは春と秋のリーグだけなので、それぐらいなら許容の範囲内である。

 ただ完全に平日と土日を潰して一気に行われるこの大会は、限りなくめんどくさい。

 直史がめんどくさいと言うぐらいなのだから、本当にめんどくさいのだ。

 そしてめんどくさい以上、マウンドのピッチャーの仕事以外、何もやる気は起こらない。

(よりにもよってうちの試合、全部神宮なんだよな)

 あくまでもメインは神宮であり、東京ドームはそれに間に合わない試合を消化するためのものだ。


 直史が嫌いなものは、ヘタクソな審判と同じぐらいに雨である。

 とにかく実力以外の要素が混じってしまうのが嫌いなのだ。

 高校二年の春、センバツで大阪光陰に負けた時以来、ずっと雨の中で試合をするのは嫌いだ。

 なのでドームで試合をするのは大歓迎なのだが、なぜか今大会は全て神宮でやる組み合わせになってしまっている。

(降ったら嫌だな)

 その考えが頭の片隅にありながら、ずっと試合を眺めている。




 ベンチの隅に座る樋口と共に、試合展開を眺めている。

 あちらの奇襲とも言える軟投投手に対して、ヒットは出ているが得点には結びつかない。

 それに対して、梶原も力投してはいるのだが、先制点を取られてしまった。

 ここで散々、遅いアンダースローに目が慣れてきたところに、正統派の速球ピッチャーというのが、あちらの戦略であろう。


 アンダースローがスピードはないのに捉えにくいのは、それが普通のピッチャーの投げる普通から逸脱しているからだ。

 その普通とは違う変則にも、試合の後半になれば慣れてくるだろう。

 だがその慣れたところに普通が来れば、普段なら打てるバッターでも打てない。

 ただ軟投派のピッチャーに対して、普段と変わらないスイングで凡退している西郷などは打てるだろう。

 けれど西郷一人だけなら、敬遠してしまえば済む話だ。


 試合は1-0のまま淡々と進んでいく。

「お前、勝つ気ないだろ」

 隣でずっと沈黙していた樋口が、ぼそっと呟いた。

 当たりである。直史には勝とうという気持ちがない。

 さっさと敗退してしまえば、日常に戻れる。そんな考えでさえある。

 ただ、それ以上にこのままだと、出番がない。

「負けてる場面で出て行っても、ピッチャーには何も出来ないだろ」

 それは正論に聞こえなくもない。


 樋口としてもこの試合、あまりやる気はない。

 いや、そもそもリーグ戦からして、三試合も拘束されるのはかったるいという理由で、土日で試合を決めていたのだが。

 流れが悪いのは確かだ。あちらのピッチャーが軟投型とは言え、星とさほど差があるようには感じない。

 前提として少数のアンダースロー攻略に、それほどの攻略のための時間をかけてはいられないのだが。


 変則投手を攻略するのに必要なことは、普段のスタイルを曲げないこと。

 失投を待ってそれを確実に打つ。そうでなければセンスで打つ。

 どちらにしろピッチャーに出来ることは、追加点を許さないことぐらいか。

 梶原も悪いピッチングではなく、点につながった連打が一度あっただけで、ほとんどランナーを出さないし、制球も安定している。

 しかし一点を奪われたピッチャーが、その失点をなかったことには出来ないのである。




 だが戦況は動く。

 七回、疲れからか先頭打者をフォアボールで歩かせてしまった場面で、相手ピッチャーは交代。

 下位打線ではあるが、得点のチャンスである。

 ここでベンチの中を見回せば、代打として期待出来そうなのが、まず一人いる。

 同点か逆転出来れば、直史を投入する。そしてそのまま、代打として出した樋口と組ませる。

「樋口、行ってこい」

 リーグ戦でも代打の経験のない樋口を、辺見は指名した。

 確かに三浦はあまり打てるタイプのキャッチャーではないのだが、それでもここで交代とは。


 樋口としては、勝利するパターンの中の一つを、辺見が選択したので納得する。

 代わったばかりの投手だが、データが揃っているならば打てるだろう。

(150km台半ばのストレートと、あまり速度差のないスプリット。あとは緩急を活かすためのカーブ)

 コントロールはそこそこ。上杉正也の劣化版といったところか。

 ただ一つのパターンはある。


 樋口としても、別に得意なコースではない。

 だが多くのバッテリーが、そのコースを選択する。

 それに実際、それで平均的な成績は残せるのだ。

 だからこそ、そこを樋口は狙うのだ。


 アウトローのストレート。

 初打席の相手には、やたらとバッテリーが使ってくるコースと球種。

 確かにアウトローの出し入れだけで、おおよそのチームを抑えてしまうピッチャーは多い。

 だが狙って打つなら、それも簡単である。


 内角を厳しく二球攻められた後。

 普通は内側に意識がいってしまっていて、外にはどうしても対応出来なくなる。

 しかし並行カウントからは、そのコースでストライク先行にしたいだろう。

 配球としてはそれで間違っていない。ただリードとしては間違っている。

 配球は理論であり、リードは結果論だとは言われるが、結果論で勝負するのが樋口は強い。


 三球目のアウトローのストレートを、強く踏み込んでライト側に打つ。

 バックしたライトが途中で諦めて、ボールはポールに当たった。

 ツーランホームランで、早稲谷大学の逆転である。




 樋口は基本的に、大学の野球部において自分の成績を残すという点では、直史と思考回路は似ている。

 ただピッチャーと違ってキャッチャーの本能として、チームを勝たせたいとは思うのだ。

 期待されれば打ってしまう。それが樋口である。

 打つべき時に打つ。二年の夏を思い出すでもなく、その勝負強さは決定的だ。


「伏見さん、キャッチボールに付き合ってもらいませんか」

 仕方がないので、直史も準備を開始した。


 ブルペンで投げ始めると、それだけで観客が沸く。

 ただここでさらに追加点が取れたら、直史ではなく葛西などが投げるだろう。

 だがどうやら向こうのピッチャーは、一年から浴びた逆転弾から、立ち直りつつあるようだ。


 葛西も投球練習をしているが、一点差のリードである。

「佐藤、行ってこい」

 お呼びがかかってマウンドに向かう。

 七回の裏。このまま一人も出さなければ、九人で終わる。

 わざわざ一点取られる義理もない。今日は勝ってしまうだろうが、わざと負けるほど直史は野球を憎んではいない。


 マウンドから眺める風景は、いつもと変わらない。

 全日本大会といったところで、どこか空気は甲子園や、高校の地方大会とも違う。

 選手の緊迫感が薄いのだろうか。

 代打で出たままキャッチャーに入る樋口へ、いつも通りに投げ込む。

 良くも悪くもない、ごく普通の感覚。




 樋口の出したサインに、直史は二度首を振った。

 そしてその次も球も、二度首を振った。

 それだけで意図が分かる。二人の思考法は似ている。

(そういう考えか)

 そして三球目からは振らないようになった。


 変化球主体で七回を三人で抑える。

 天候が悪くなってきた。

 いつ雨が降り出してもおかしくはない。それまでに勝負はつける。延長戦にはしない。


 グラウンドでのサインの交換で、二人はこの試合のプランを立てた。

 三人ずつで終わらせるなら、悪い考えではない。

 配球のパターンを完全に崩し、相手バッターとの相性だけを考える。

 ならば選択肢は無数に広がっている。


 そして八回の表、ツーアウトながらバッターは四番の西郷。

 ストレートを掬い上げて、スタンドへのソロホームラン。

 貴重な一点の追加である。




 データというのは、相手のデータを集めるのと、こちらのデータを出さないのと、二つの活用があるように思われる。

 実際のところは三つだ。こちらの誤ったデータを向こうに流す。

 直史の場合は、完全に間違ったデータでもないというのが罪深い。

 無数の変化球を持っていて、そのどれもが通用するレベルである。

 カーブの系統が一番多いのではあるが、相手によっては全く使わないこともある。


 直史はこの試合、ストレートをほぼ封印する予定である。

 ほぼというのは、状況によっては使うからだ。

 当初の予定を決めていても、状況に応じて変化させる。

 柔軟性こそが、身体的のみならず精神的にも、ピッチングで成果を出すためのポリシーである。


 八回の裏においても、バッテリーの呼吸はほどよくズレている。

 あまり呼吸が合いすぎていると、それは思考が硬直していることに通じるので、わざと首を振ることはある。

 ピッチャーとキャッチャーの頭がいいと、こういったことが可能になるのだ。


 ストレートは完全な見せ球にして、変化球でストライクを取る。

 当たるだけなら当たるコースに投げているが、難しいところだと判断してカットしてくる。

 なかなか粘り強いバッティングであるが、球数をそこそこ使えば抑え切れる。

 投げるのが三イニングだけなら、この程度は可能だ。

 外すスライダーやツーシームを使えば、三振は取れる。

 ここも三者凡退で、いよいよ最終回の攻防を迎える。


 ランナーを一人おいて、先ほどは逆転ツーランの樋口。

 ここはまた、外野の頭を越えるツーベースで、さらに一点を追加する。

 そして打席に立つのは直史である。

 4-1というスコアは、ほぼ決まりであろう。

 だが満塁ホームランを打たれたら逆転される。


 打席に立つのがピッチャーということもあり、内野も外野も前よりに守っている。

 狙ってみてもいい場面だろう。


 多くの対戦相手は、直史のピッチングにばかり注目する。

 だが知っている者は知っている。高校時代、甲子園での打席を入れても、三割以上を打っていたことを。

 長打力はないが、それでもたまには外野の頭を越すことはあったのだ。


 この場合は外角に投げ込まれたストレートを、そのまま無理せずに弾き返す。

 打球はファーストの頭上からライン際に着地する。

 足もそれなりにある樋口が帰ってきて、これで5-1だ。

 まあセーフティリードと言っていいだろう。




 あとはいかに球数を少なくするか。

 九回の裏、東北環境大学の、最後の攻撃。

 変化球の後のストレートで、内野フライが二つ続く。

 ラストバッターは変化球を引っ掛けさせてファールに打たせ、カウントを稼ぐ。

 一球外に見せ球のストレートを投げて、最後には本日初のスルーを使う。

 空振り三振でゲームセット。


 三イニングを投げて、またパーフェクトリリーフである。

 どうやらチームの皆も、直史がどういう存在か分かってきたらしい。

 加えて今日は、樋口が二安打三打点である。

 辺見もキャッチャーとしての樋口を、直史以外のピッチャーでも試してみようかと考え始める。


 思ったよりも球数は多くなってしまった。

 一イニングを10球以内で抑えたかったのだが、合計で34球。

 当初の予定よりは多いイニングとは言え、微妙な数字である。

 ワールドカップで対戦した打者と比べても、粘っていく意識は強い。

 だが直史としても、この程度の球数なら消耗はしない。


 全国のリーグからの代表が集まるだけに、NPB各球団のスカウトも、当然ながら観戦には来ている。

 相変わらず佐藤直史に隙がなさすぎるが、あとは樋口のバッティングに改めて意識が向かったのと、東北環境大の先発ピッチャーが、無名ながらも素晴らしいピッチングをした。

 まだ二年生。だがこれから注目度は高くなっていくだろう。


 全くの無名の選手が、早稲谷のような強豪相手に、軟投型ということで起用されることはある。

 そしてスカウトの興味の対象となるのも、よくある話だ。

 アンダースローというのはそれだけで貴重だ。ただアンダースローへの転向を目指しても、なかなか成功するものではない。

 腕をしならせて、足腰でスピードを出す。

 そういったアンダースローが、実戦で成果を出すのだ。


 試合の裏でもドラマがある。

 敗北は、新たな挑戦への始まりでしかない。

 なんにしろこれにて、早稲谷は準々決勝への進出を決めた

 試合終了後に雨が降り出して、その後の試合は順延されることになる。

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