第210話 再会
正月が終わって、野球部の練習は再開され、そして去った者は戻ってこない。
社会人に進んだ者はともかく、独立リーグを目指す者は、住居の拠点を移している。
早稲谷の新しいエースは、当然ながら武史である。
今年のドラフトの目玉でありながら、実は本人はそれほど野球は好きでもないという、素質だけならば兄以上のスペック。
だがさすがに球速の上限は見えてきた。
168kmを記録したが、なかなかそこまでは出るものではない。
だが160kmあれば充分なのだ。
むしろ普通のストレートをその程度に抑えて、球速の変わらないムービング系の球を投げた方が、球数が少なくて済みそうだ。
そう、ストレートとムービングを、全く同じ速度で投げ分ける。
これにチェンジアップとナックルカーブがあれば、ほとんど打つことは不可能である。
直史と樋口という、完全に信頼出来る人間がいなくなった、ようやく自分で考えるようになった。
「タケ先輩、もうスピードは求めないんですか?」
二年生ながら武史の後輩ということもあり、バッテリーを組んでいる上山。
早稲谷の最強世代が卒業した今、白富東閥の影響は、むしろ大きくなっている。
エースに二番手、そして内野を守れる巧打者宮武に、正捕手候補の上山。
佐藤兄弟を中心として、今年もまだ早稲谷は、その強大な強さを維持している。
「ピッチングは単純にスピードじゃないって分かっただろ。もちろん必要な時は投げるけど」
握りを変えたことによる、バッターの手前で分かるわずかな変化。
そしていざという時に投げる、ホップ成分の高いストレート。
今年最大の目玉と、プロのスカウトからは最大限注目されている。
だが本人としては、普通の会社づとめの方がいいんじゃないかとは、練習の時にも散々に口にしているのだ。
「プロに行ってまで野球するってほど、別に好きじゃないんだよな」
神は不公平な存在であるが、せめて必要としない人間に、これほどの才能を与えるのぐらいはやめてほしいものだ。
もっともおおよその神話において、神というのは気まぐれなものだが。
それに武史は熱意や執着がないだけで、練習はちゃんとしている。
直史に比べればはるかに従順な武史であるが、それは単に野球に興味がないから、監督の言うがままにしているだけである。
そして野球以外のことを優先するということでは、武史は直史以上のところがある。
快楽主義者である彼は、恋人との時間を大切にする。
その日も武史と恵美理は、都内のスタジオに向かっていた。
明日美とツインズが、ロケを行っているからである。
映画化された『白い軌跡』はほぼノンフィクションを謳っていて、事実著者である瑞希の存在がないこと意外は、かなり事実に近い。
ただ無駄な恋愛要素を入れているため、直史と岩崎とシーナが三角関係に近い状態になっていたりする。
続編は武史が登場する、直史たちが二年生の春からであり、イリヤ役の女優もいる。そしてツインズは本人が自分のことを演じるという、かなり訳の分からないことになっている。
前後編で春の大会と夏の大会を分けていて、友情出演で上杉が本人役でチョイ役として出てくるという、なんだかもう全部本人でやれよ、と思わないでもない配役だ。
そもそもその年度からならば、文歌がマネージャーになるため、岩崎とくっつくのであるが。
けっこう観客動員が良かったため、この2の興行収入によっては、第三部の前後編まで作られるかもしれないという。
直史の代が春夏連覇を果たして引退という、まさに白い軌跡の原著の最後までとなる。
原作が少女マンガなわけでもないのに、なぜに恋愛要素を入れたのか。
ヒロインはいてもいいが、別に恋愛要素はいらなかっただろうに。
ポリコレに配慮したのか明日美演じるシーナは、シーナと言うよりはシーナ+ツインズという感じになるらしいし。
どうせ夏の甲子園に出場したら、シーナもマウンドに立って男子と投げ合うとかいう展開になるのだろう。
まあ明日美が甲子園に出場していたら、確かにそれなりに投げることは出来ただろうが。
ただ明日美がシーナ役として出演しているせいで、明日美を明日美として出すことが出来なくなり、白富東と聖ミカエルの試合は削られるだろう。
訳が分からん。
この日のロケは学校のシーンを多く撮影するもので、かなり多くのシーンを撮ってしまう。
二年生の入学式から、春の大会の終わりまでを、この季節に撮ってしまうわけだ。
明日美もツインズも童顔ではあるが、さすがに今さら女子高生は辛いだろう。
そう思っていたが、三人とも何を着ても似合う。
イリヤ役の女性は、一般的な俳優だ。
音楽がいるシーンだけは本職を使うのであるが、普通にイリヤ役は歌えたりする。
病気で歌えない設定など、彼女のキャラクターの本質を示しているはずなのだが、そのあたりもカットされている。
まあイリヤの存在感を持って来ると、ただでさえ目立つ明日美の存在感と共に、他の俳優を食ってしまう危険がある。
明日美はともかく男性陣は、多くが男性アイドルを使っている。
ただその存在感は、完全に明日美が上回っている。
華があるというのとも、少し違うのだ。
元々明日美が目立つので、この二作目からは明日美が演じるシーナが、半ば主人公のようになってさえいる。
他の男性陣は、直史役も大介役も、引き立て役にしかなっていない。
ちなみにシーナも含めて登場人物は、本当の名前にはなっていない。
下手をすると肖像権の問題が発生するからだ。
なので佐藤兄弟は加藤兄弟になっているし、ジンはシンになっていたりと、面倒な改編が多くなっている。
実際の出来事を詳細になぞった方が、むしろ面白いのだが、あまりにもリアリティがなさ過ぎると言われるのだ。
事実は小説より奇なり。
アイドルを使って、野球選手に必要な筋力が全然足りていないなどと言われたりもするが、直史役は割りと本人に似ている。
直史の体重は、野球選手としてはかなり軽いので。
いつの間にか兄よりもかなり大きくなった武史であるが、だいたい存在感というか、人間としての重みで勝てると思ったことはない。
「なんか兄貴に加えて俺まで、権藤さんに振り回される展開になってない?」
「撮影している間に脚本が変わることがあるらしいけど」
本職の俳優も何人もいるのだが、その中でも明日美の存在感の方が強い。
かつて聖ミカエルにおいては、恵美理の方が美人ではあると誰もが認めても、学校のアイドルと言われるのは明日美であった。
明日美を嫌いな人間が一人もいなかったというのが、歪なまでに人々の求心力を集める一例となるだろうか。
関係者席で撮影を見ていたわけだが、休憩のたびにこちらを見ては、ぶんぶんと手を振ってくる明日美。
大人になってもどこか、純粋さを持っている。
だが同時に中学生の頃から、時折ぐっと大人っぽい表情を見せるとも言われていた。
「私は大人っぽいとは言われて炊けど……中学生でもOLのコスプレが出来るとか言われてたの」
「中学時代の恵美理さんも、可愛かっただろうなあ。いや、既に綺麗系かな?」
「もう」
いちゃいちゃしておられる。
この撮影の場には、瑞希も来ていた。
アドバイザーとしてちゃんとクレジットされるわけだが、はっきり言ってノンフィクションである『白い奇跡』と、リアルさを追求する映画がこれほど相性が悪いとは思っていなかった。
だいたいは野球よりも人間関係の青春ドラマとなっていて、一年目の話も二時間弱の時間の中で、野球の試合描写は三試合、それも前の二試合は五分程度しかない。
それでもまだこの時点では、直史も大介も人間の範囲に収まる成績を残している。
白い軌跡は一年の秋から始まるのだが、映画では一気に時間を飛ばして、センバツの敗退から始まる。
そこから新しいメンバーが入って、青春ドラマになっていくわけだが、やたらと女子マネが出てきて花を添えている。
と言うよりは売出し中の若手を、普通に使っているだけか。
舞台は高校だが、役者の年齢層は大学ぐらいまでで、むしろ中学生という役者もいたりする。
何かおかしなところは、と聞かれることもあるのだが、むしろおかしなところしかない。
直史はやたらと無口になっているし、瑞希の存在自体が消えているため、将来のためのことを何も考えていない。
まあ高校時代で完結するのだから、それで問題もないのだろうが。
大介が天然のバカになっているのは、分かりやすくていいだろう。
ただ本人のファンからアンチが大量に発生しそうだが。
そんな瑞希に、武史たちは合流する。
「全然違う話になってるんですけど、いいの?」
武史としては問うわけであるが、瑞希も本格的に関わっている暇などないのだ。
「ただ手塚先輩の役がちょっと気の毒」
やたらオタクな面が強調されて、野球部をバカっぽくしている。
確かに無闇に深刻にならないのは、白富東の特徴でもあったのだが。
「今日は兄貴は?」
「直史君はクラブの方」
子供ではないので二人とも、常に一緒にいるわけではない。
なんだかんだ言って二人も、ちゃんと自分の時間を取っているわけだ。
二人で暮らせば自動的に二人の時間が増えるため、特に問題はないだろう。
お互いに他人の存在にナイーブな性格ではなくて幸いである。
直史の所属するマッスルソウルズには、色々な種類の人間がいる。
共通することは全員が社会人ということと、あとは野球が好きということか。
プロを目指している者もいるし、プロではなくてもずっと野球をしていきたいという者もいる。
たとえばキャッチャーの馬場は、元プロである。
一軍に上がっても試合でマスクを被ることはなかったが、二軍では多くの選手の球を受けて来た。
今の彼の生きがいは、ピッチャーとキャッチャーを育てること。
実際にキャッチャーで、ドラフトに指名されてもおかしくない選手が、今は一人いるのだ。
クラブチームのキャッチャーで、ドラフトに指名される。
それはかなり可能性として、難しい選択ではあるだろう。
名門の強豪私立で甲子園を目指しながらも、怪我で肝心のところでアピールが出来なかった。
そして大学も東都の名門に進んだものの、家庭の事情で大学を中退して就職。
それでもまだプロの夢を諦めていない。
プロは実績よりも、素質で選手を取ることも多い。
だが高校時代にアピールできなかったというのが、かなり難しいことである。
そして大学に入ったものの、経済的な理由で就職。
ただこのチームを紹介したのは、大学の監督である。
社会人野球は、チーム編成を考えて選手を取る。途中退学の人間を、適切なタイミングでとるのは難しい。
その点ではマッスルソウルズは社会人野球に近く、社員は部費を3000円出してトレーニング出来るわけだ。
これまた家庭の事情で、ここ最近実家に戻っていたというわけだが、直史がぜひにと言われたのは、彼のためでもあった。
そして顔合わせをしたわけだが――。
「どこかで会ってるよな?」
「忘れたのか、ひどいな」
少し擦れた印象はあるが、スポーツマンらしい立派な体格。
野球をやっているというからには、高校か大学で見たことがあるのだろう。
経歴を少し聞いていたので、会っていてもおかしくないとは思っていたのだが。
「中学最後の大会、あそこまで抑えられるとは思ってなかったからな」
「あ」
真っ黒に日焼けした野球少年は、野球青年に成長していた。
「竹中君」
「憶えててくれたか」
中学最後の大会で、直史が敗北したチームの主砲。
棚橋中学の竹中であった。
西東京の強豪校、東名大菅原に進学したものの、最後の夏には怪我で出場できず、チームも敗退。
そして東名大に進学したものの、父が病死して働かざるをえなかった。
それでも野球を諦めきれないということで、大学の監督にここを紹介されたわけである。
「大変だったんだな」
「そちらは順調だったみたいで」
「けど東名大と対戦した時、ベンチにも入ってなかったような」
「その頃もう、父が病気で野球部にもなかなか出られなかったからな」
私立大学であっても、奨学金の申請などをして、卒業まで在学することは出来ただろう。
だが野球部に所属して、選手としての結果を出すことは難しかった。
下に兄弟もいたため、どうしても金が必要であった。
よくある話だ。
「でも中学時代はキャッチャーじゃなかったよな?」
「高校に入っていきなりコンバートされてな。サードは余ってるとか言われて」
直史の高校時代の三年間、西東京で東名大菅原が甲子園に出たことはない。
そしてポジションがキャッチャーともなれば、高卒でドラフト指名するというのは、確かに難しいものだろう。
一言で言うと、大変だったということだ。
特待生を除けば大学で野球をやるというのは、私立で野球をやるということだ。
実家がちゃんとしていなければ、とても続けることが出来るものではない。
「俺の方は一方的に、そっちの活躍を見てたけどな」
中学時代とは、完全に立場が逆転していた。
こういうこともあるのだろう。
「それで家の事情っていうのはもういいのか?」
「ああ、妹が進学せずに働くとか言ってたから、説得してた」
「大学?」
「いや、高校。さすがに中卒で働くのは、かなり難しいだろ」
「まあ……競馬の騎手ぐらいかな」
とりあえず上総総合に進路を決めて、受験はするらしい。
本当なら私立を滑り止めにして、もっと上の公立を狙いたかったのだが、さすがに大学まで援助できるか、竹中も苦しいと思ったのだ。
う~む、と考える直史である。
「中学時代に対戦して、高校大学とほぼ接触の機会もなかったのに、大学卒業後にバッテリーを組むとか、変な感じだな」
「そうか? 野球を続けてたら、どこかでは交差する可能性はあると思うけどな」
それが茨の道を歩みながら、まだプロを目指している人間の言葉か。
かなり挫折したような気になっただろうに、前向きでいられるのは素直にすごい。
大学中退者がドラフトにかかるのは、クラブチームを経過している場合、三年間の指名不可という縛りがある。
竹中は二年生で退学しているため、来年がその三年目なのだ。
三年目、活躍すればドラフトにかかる可能性はある。
ただ育成指名では、さすがにプロには行けない。
金銭的な事情がある。自分一人だけではなく、妹のことも考えなければいけない。
ただその死んだ父親を悪く言うつもりはない直史だが、それなりの企業なら保険に入っていて、充分に遺族が暮らしていけるぐらいの金銭にはなっただろうに。
高校時代は、ただ勝ちたかった。
大学時代は、自分のためにチームを勝たせてきた。
今度は誰かのために、己の力を活かすのか。
(事実上、使えるのはあと一年か)
誰かのためにプレイする、直史の新たなステージが始まった。
×××
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