第133話 リリーフエース
当たり前のことではあるが、直史は完璧なピッチャーではない。
純粋にピッチャーとしての完成度だけではなく、普通に成績を見てみれば、ちゃんと打たれて失点もしているのだ。
大学以降はその成績も完璧であるが。
だが直史が、高校時代から完璧にこなしていたことが一つある。
それはリリーフである。
一年の春から、いきなりリリーフの機会はあった。
その年の夏には甲子園に行くチームから、点は取られたものの最終的にはリードを守りきる。
その後に負けた試合は、全て先発で登板したものである。
特に二年生のワールドカップでは、リリーフした試合において、一人のランナーも出さなかった。
それだけに秋の神宮で、坂本にホームランを打たれたのはショックであったのだが。
しかし試合自体には勝っている。
直史は極端に少ない球数で完投が出来ることから、もちろん先発としての適性はある。
だがピンチにおいても動ぜず、打たせて取るピッチングと三振を取るピッチングの両方が出来ることから、相当にリリーフ適性も高いのである。
純粋に記録だけを見るならば、むしろ先発よりも向いている。
そんなわけで直史は、翌週の立政大との第一試合は、後輩に先発を譲ったわけである。
ただしどこかですぐにでも、リリーフには行くかもしれない。
それを聞いた樋口は、直史にはかなり向いているのではないかと思った。
なぜなら直史は、肩を作らなくてもそれなりのピッチングが出来るのだ。
少しキャッチボールをすれば、それでおおよその調子が分かる。
全力で投げるのではなく、適切なボールを投げることによって、コンビネーションで勝負する。
140kmを投げられなかった時に、普通にパーフェクトをしているのだ。
ならば別に150kmを本気で投げなくても、どうにでも打ち取れるというものである。
球速はあまり関係ないという点では、本日の先発の淳も似たようなものである。
普通に上から、もしくは横から投げれば、140km近い球速は出るのだ。
だがそのわずかばかりの球速を犠牲にしてでも、アンダースローを選択した。
春の気配も遠くなりつつある、神宮の空気。
甲子園の準優勝投手は、大学野球の聖地であるこの神宮の空気に、ちょっと拍子抜けである。
神宮大会には、一年の秋にも出場していた。
あそこでも決勝で敗退したが、この試合とは緊張感が違う。
神宮大会など、はっきり言ってしまえば高校球児にとっては、ローカルな全国大会なのである。
特に関東の場合は、ベスト4にさえ入ればセンバツはほぼ決定だ。
それでもまだ、この試合よりは緊張感があったように思える。
その理由にも、想像がつく。
これがリーグ戦であるからだ。
負ければそれで終わりのトーナメント。基本的に高校野球の大会は全てがそれだ。
だが大学野球は逆に、春と秋のリーグ戦が主な試合になる。
この試合は特に、土曜日の第一試合、
ここで負けても日曜に勝ち、そして一勝一敗の状態から月曜日の三試合目を勝てば、それで勝ち点は得られるのだ。
真剣勝負の場と言うよりは、能力測定をしているような感じがする。
初見殺しではなく、本当の実力が試される。
何度も負けてもまだ何度も試合をしないといけないプロの世界には、当然ながらこちらの方が近い。
いくら高校野球のスターでも、このリーグ戦で結果を出さなければ、プロでは通用しないと見なされる。
(そう思ってもいまいち緊張しないのは、やっぱり負けても次があるからかな?)
そんな考えの淳のピッチングから、試合が始まる。
左のアンダースローで本格的なものなど、ほとんどの者は対戦したことがない。
ストレートを投げてもナチュラルで変化がかかるのだが、淳は水戸学舎の対戦で負けて以来、右打者へのシンカーを必殺のものとしている。
淳の感覚としては、今日の試合は勝って当たり前というものである。
相手がレベルの高い六大学リーグといっても、初見で打つのは無理があるのが左のアンダースローだ。
淳の本当の勝負は、これからの大学の四年間。
対決することが多く、データが蓄積されていく中で、それでも自分のピッチングが通用するか。
それを証明できなければ、プロの道には進めない。
技巧派であり軟投派である淳のピッチングは、内野ゴロ、フライ、三振をバランスよく取っていく。
その中では何本かヒットを打たれたが、アンダースローのサウスポーである淳は、一人を牽制で刺した。
六回が終わった時点で、やや球数は多い。
だが一年生のピッチャーが、六大のチームをここまで無失点に抑えたのは評価出来る。
直史や武史は化け物なのである。
普通の高レベルピッチャーの淳を見て、ほっこりする辺見であった。
「よし、じゃあ長男、あとは抑えて来い」
「はい」
短く答えて、七回からマウンドに登る直史である。
佐藤三兄弟の揃った時のチームは無敗である。
それを大学でも証明する。
東大戦でボールの感覚を取り戻した直史であるが、その後もずっと微調整は続けている。
そしてこの試合から、樋口がスライダーを解禁した。
それほどたくさん投げる必要はない。
直史は基本的に、全力でストレートを投げないために、肩や肘への負荷は少ない。
むしろ変化球の方が、肘への負担は大きいと、樋口は考える。
日本のボールではより曲がるスライダーを使えるようになったとは言え、それはあくまでも球種が一つ増えたということ。
だが直史の場合は、それで空振りが取れるということを、はっきりと示しておきたい。
ストライクにしろボールにしろ、一人に一球程度の割合で、直史にスライダーを投げさせる。
面白いようにポンポンと空振りしてくれる。これで印象付けは充分だろう。
(それにしても新しい球種でも、これだけコントロールが乱れないのか)
感心と言うよりは、もうほとんど呆れる樋口である。
相手バッターのデータさえあれば、必ずアウトが取れる。
そんな直史に、新たな機能が加えられた。
これまでも大きな横のカーブや、スライダーが使えなかったわけではない。
だが明らかにバットから逃げていく、右打者にとってのスライダー。
相手はこれを、必要以上に注意しなければいけなくなる。
直史の球種とコンビネーションは、一試合につき一人の打者に、全て違うボールを投げさせることすら可能だ。
だからこそ、何か一つの球種を、相手の脳裏に焼き付けさせなければいけない。
元々はカーブを使っていた。
そしてスルーを会得した。
ストレートの質を上げて、ギアの違うストレートも身につけた。
スプリットに左右の変化を与えた。
ここまでやってさらに、決め球に使える球種を増やしていく。
このピッチャーをどう導くか、キャッチャーは考える。
ただ適当に投げさせても、それなりのピッチングにはなる。
だがやはり、球速の絶対値というものがあるのだ。
大介に対して、ストレートだけで勝負しようなどとは思わない。
傲慢とかどうとかいう以上に、それは直史のピッチングではない。
己のピッチング。
ピッチャーならどうしても、一度は考えてしまうものである。
だが直史は、むしろピッチングに向き合う姿勢こそが、大切なのだと分かる。
至高のピッチングとは何か。
80球以内の完封。
だがそれはただの数字であって、内容には全く触れられていない。
ぶっちゃけ対戦相手が弱ければ、いくらでも記録などは達成出来るのだ。
本当の至高のピッチングというのは、場所、条件、時間、対戦相手がそろった上で、初めてそこだと確信出来る。
それは甲子園の決勝でもないし、日米大学野球でもないし、ワールドカップでもないし、日本代表その壮行試合でもないし、WBCの決勝ですらそうではなかった。
いずれは巡りあうのかもしれない。
だが少なくとも今は、まだその高みに登ったとは思えない。
あるいはどこにも、そんなものは存在しないのかもしれない。
高校、ワールドカップ、大学、WBCで頂点を取った。
プロの世界の頂点や、MLBの頂点から見る景色は、また違ったものなのだろうか。
だが過去を見ても、本当にやりきったなと感じたのは甲子園だけである。
あの、一度でも負けたら終わりというトーナメントで、数少ない挑戦回数。
誰かが集めたと言うよりは、ほとんど運命的に集まったチームメイト。
あれに比べると、他の舞台は燃えない。
下手をすれば部内紅白戦で大介と戦った時の方が、緊迫感はあった。
どこまで研ぎ澄ませば気が済むのか。
どこまで積み重ねれば気が済むのか。
それだけのものを準備して、何をすればいいのか。
本人にすら分かっていないそれは、ただの執着。
相手のレベルに限らず、完全に抑えこむこと。
あるいは依存とまで言ってしまえる、このピッチングへの意思。
本当にこいつは、と樋口は思う。
先週の試合は、六回までを投げてわずか奪三振が三つ。
そしてこの試合も、終盤三イニングを投げて、奪三振が三つ。
別に合わせたわけではなく、単純に樋口が、より周囲への影響を考えてリードしただけだ。
あまりにも守備機会が少なすぎると、鍛えた守備を披露することがなく、野手が気の毒だと思ったことも確かだ。
この日、三回を投げて球数は21球。
奪三振はわずか三つで、ヒットもフォアボールもエラーもなし。
珍しくもないパーフェクトリリーフで、直史は試合を終わらせたのであった。
二年間を費やして、ようやく辺見は分かってきた。
直史には不可能なことがほとんどない。
いや、もちろん負けている状態から、リリーフして逆転するのは、さすがに打線の役割ではあるのだが。
先発として投げて、一番球数が多かったのが、フォアボールを連発した時。
それでも結果的にはノーヒットノーランなのだから、意味が分からない。
相手が本当に強かったツインズと明日美のいた東大相手には、それなりの球数が必要になった。
あとは意図的に完全試合を狙う時は、どうしても投げる球数が多くなる。
ゴロよりはフライ、フライよりは三振と、ランナーが出る可能性を潰していけば、球数も多くなってしまうのだ。
結果的にパーフェクトになった試合では、それなりに球数も少なかったが。
リリーフとして投げた時のスコアを見てみれば、異常なまでのフォアボールの少なさが分かる。
それだけにあの16四死球が異常値となって残っているのだが。
誰かの火消しとして登板した場合は、さらにその成績が際立って見える。
直史の本質は、クローザーなのかもしれない。
いや、本当は分かっているのだ。
ピッチャーとしての立ち位置としては、どこでも出来るのだと。
それこそ中継ぎでも出来るのだろうが、そんなもったいない使い方は普通は出来ない。
だが昨今の分業制を考えると、少ない球数で完投してしまえる能力から、やはり先発が一番向いているのだ。
クローザーに苦慮している球団があれば、それはまた別であろうが。
日曜日の第二試合も、直史はリリーフ出来る状態である。
だが先発した武史が、立ち上がりから調子が良かったのを見ると、それは必要ないな、と気を抜いてしまう。
武史としても今日こそは、という意識がある。
日曜日なので恵美理が応援に来てくれていることもある。
やったろうじゃねえかパーフェクトということで、直史であっても別に、結果的にはパーフェクトになる試合において、意図的にパーフェクトを狙っていく。
「何考えてんだ?」
ベンチの中で直史は色々と考えているのだが、最初からテンションが高い武史というのも、それはそれでバッターにとっては悪夢であろう。
早いイニングからいきなり、ギアが上がった状態になっている。
おそらくは女がらみだろうなと、直史は推察している。
まあそれならそれでいいことだと思うのだが、運命はつくづく、武史には味方していないようである。
点が入らない。
あちらのピッチャーも確かに奮闘はしているのだが、西郷の打球が上がらなかったり、打線のつながりが悪かったりと、なぜか点が入らない。
こういう時に頼りになるはずの樋口は、ものもらいでスタメンを外れている。
芹沢がニコニコとキャッチャーをしていて、それでもまあ仕事はしてくれている。
しかし結局は、九回が終わっても0-0と、記録上はパーフェクトにならない。
直史ほど気が長くない武史は、さすがにここいらで苛立ちを感じている。
「ピッチャーが不機嫌だとチームの雰囲気も悪くなるぞ」
辺見でさえ言いにくいこと、直史が兄の立場から言ってくれる。
いいぞいいぞと内心で応援している辺見だが、ちょっと丸くなりすぎである。
その程度の注意は監督としてすべきだろう。
だが武史には理由があった。
「そりゃ俺だって別に、普通の試合ならどうでもいいんだけどさ」
どうでもいいのか。
何が普通でないのか、眉をしかめる直史である。
ちょいちょいと手招きする武史の隣で、耳を近付かせる。
「パーフェクト達成したら、処女貰うっていう約束したんだよ」
心の底からがっくりとくる直史である。
バカか、こいつは。いや、バカだ、こいつは。
「お前、付き合ってもう一年は経ってるだろうが! 普通に誘え普通に!」
ガチ切れの直史を見て、ベンチ内が唖然とする。
あまり人のことを言えないと思われるかもしれないが、直史の場合は瑞希から持ち出してきたことである。
大きく溜め息をついた直史は、もうこいつそろそろ呆れられて捨てられるんじゃないか、と思ったりもする。
スペックは凄いのに、中身のソフトが残念すぎる。
直史は試合後に、女の子とのお付き合いマニュアルのようなものを、一時間もかけて準備することになる。
ヘタレの弟を持つと、本当に面倒なものである。
なおこれを瑞希に確認してもらって、実践でちゃんと試してみたりはした。
意地でも一石二鳥を果たす男である。
ちなみに武史のパーフェクト記録は、10回に芹沢が三振したボールを後逸して、果たされることはなかった。
いつもへらへらしている武史のマジ切れに、思わず平身低頭の芹沢であった。
試合自体は完全にやる気をなくした武史の後を直史がリリーフし、継投でのノーヒットノーランを達成した。
当たり前だが兄弟継投としては、初めての記録である。
それにしても武史よ。
違った意味で恐ろしい子である。
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