第41話 閑話 応援席の佐藤さん

 白富東側の応援席は、OBや保護者だけではなく、他の関係者ももちろんいる。

 聖ミカエル学園のメンバーは一塊になっているのだが、明日美はツインズと共にチアとして応援している。

(この周辺の顔面偏差値高すぎるな)

 そんなことを呑気に考えながらも、直史は恵美理と話し合っていた。なお嫁は逆隣にちゃんといる。

「昔からのんびりとした性格をしていてね。だけど受験勉強の時は頑張ったかな。俺たちが甲子園行きを決めて、合格倍率が大変なことになったんだけど、それでもなんとか合格したんだ」

 直史としては兄として、頑張り屋の弟のエピソードを語り、恵美理の好感度を上げてやるつもりでいる。

 武史からすれば余計なお世話と言ってくるのかもしれないが、あの弟は放っておくと、悪い女にあっさりと騙されそうな気がする。


 実のところ恵美理は、直史的には苦手なタイプの要素を持っている。

 直史が苦手と思う女性は、年上、厚化粧、高身長、巨乳などである。

 恵美理は高身長と巨乳がこれにあたる。だが性格が控え目で、女っぽさよりも清楚さを感じるので、直史としてはこういう女の子が弟の嫁に来てくれると非常にありがたい。

 まあ婿に行ってしまってもいい。どうせ家を継ぐのは自分なのだから。


「そういやコーチらは来うへんかったんですね」

 ショートを守っていたショートカットの少女が言及するのは、星と西のことだろう。特に彼女は星に懐いていた。

「あいつらは大学に残って練習。一軍は新潟のほうに遠征に行って、ケントもそれに付いていってる」

「佐藤さんは行かなくていいんですか?」

「俺は少し肘を痛めてるんだ」

 そういう設定になっているのである。だから日米大学野球選手権大会にも参加出来なかったし、遠征にも行っていない。

 なぜか女の子たちにコーチはしてあげていたが。


 試合が始まるまでに、まだ時間がある。

 直史と聖ミカエルの女子たちの間には、野球という共通言語がある。

 今年もやはりこの後に、日本代表と各国の女子野球選手は、日本で試合をするらしい。

 今年はなんでも、観光がてら京都で試合を行うのだとか。

 この中からは明日美と恵美理が参加する。

 可愛すぎるバッテリーは、それなりに視聴率が取れそうで、地上波ではないが全試合が放映されるそうだ。




 しかし、点が入らない。

 直史からすると、こちらをちらちら見る武史に集中しろと言いたくなる。

 直史が応援席の瑞希を見ていた過去は、あれが集中する一連のルーティンだったので問題ではないのである。


 それに比べると真田は素晴らしい。

 右打者に対してはどうかと思っていたが、伸びのあるストレートとカーブを組み合わせ、軽々と打ち取っている。

 我が弟ながら武史のピッチングは、直史の好みには合わない。

 ピッチャーとしての総合的な力は、真田の方が上である。だが何度も言われるように、短期決戦で必要なのは絶対的な瞬発力だ。


 中盤に入ると武史のストレートは、まさに誰も触れられないものとなってきた。

 ガンガンと意識的に三振を奪ってくる。大阪光陰の強力打線から。

 直史の場合は大阪光陰から三振を奪うには、コンビネーションが必要であった。

 武史もコンビネーションを使ってないわけではないのだが、かなり大雑把なものである。


 高めのストレートを空振りしている。

 ここからでは少し見にくいが、どうもかなり上に外れたボール球のはずだ。

 大阪光陰打線はそれに対して、顔色を悪くしながらも首を傾げている。

 直史スルーや真田のスライダー、そして上杉のストレートのように、魔球と呼ばれる球がある。

 試合の後半、肩の駆動域が大きくなってきた武史のストレートも、その類であろう。


 またも空振り三振。

 だが真田の方も負けじと、スライダーで左打者を翻弄している。

 一度だけランナー一二塁となった場面があったが、ツーアウトで哲平では、他の誰かを出すわけにもいかなかったであろう。

 右打者が真田攻略の鍵だ。

 もちろん左打者では絶対に打てないというはずもないのだが、確率が極めて低いことは確かなのだ。

 

「完全に膠着した投手戦だな。こりゃ延長まで行くかもな」

 直史はそう言いつつも、自分だったらどう投げるだろうかと考える。

 とにかく相手の選手の心を折るしかない。自分にとってそれがパーフェクトピッチングであった。

 再試合の時は、とにかく完封することを考えていた。体力の上限はともかく、その消耗度では明らかに優位にあったので。

「いいなあ……」

 そんな直史の呟きを、瑞希は耳にしても聞こえなかったふりをした。


 もう一度、甲子園で。

 それも相手も、間違いなく全国制覇レベルの強豪で。




 白富東の応援は、イリヤ作曲作詞による『白い軌跡』。

 だが武史が投げる時の、守備側で歌われるのは、また別のものである。


 イリヤはこの試合をどう見ているのか。

 彼女は直史が知る限りの人間の中でも、特段に浮世離れした人間だ。


 イリヤは直史のピッチングを好きだと言った。

 自分の中のインスピレーションを刺激する、特別な存在だと。

 だが武史はどうなのだ。

 彼女の歌、あるいは曲により、心を揺さぶられすぎる者は多い。

 だが武史に対しては、常にプラスにしか働かない。


 甲子園は一つの舞台だ。

 あるいはライブのようなものと言ってもいいのかもしれない。

 観客はただ試合を見るだけではなく、声援を送ることによってそれを応援する。

 舞台の中へ干渉するのだ。

 それならば、勝つのは白富東だ。

 イリヤの歌が流れて、武史が投げる限り、その力は無限に近くなる。




 六回の裏、木下監督が動く。

 代打を送る。大阪光陰レベルのチームであると、打撃に全てを振ったような選手が、左右一人ずつはいるものだ。

 だがこの回先頭に送られたこの打者に、武史は打てない。


 剛腕というのはまさにあれを言うのだろう。

 トップを強く後ろに引いた腕が、大きな弧を描いて、ボールがリリースされる。

 より前に。1cmでも先で、ボールにスピンをかけてリリースするために。

 160kmという表示が出て、そんなものをいくら代打の専門であっても、いきなり生で見て打てるはずがない。

「直史君、この勝負どうなるのかな」

「白い方が勝つ」

 大阪光陰のスカイブルーのユニフォームに対して、白富東は手抜きの白。

 いつだって勝負は、白い方が勝つと決まっているのだ。


 結局のところ代打の意味はなく、実はそこそこ打てるキャッチャーである木村も、あっさりと処理された。

 そしてこの試合、一応は一本のヒットを武史から打っている先頭打者の毛利。

 だがこれに対してもバッテリーは、球威で押していく。

 直史には出来ない。ストレートだけで押すにしても、そのストレートに種類がある。

 武史は一球ごとに、その球威を増していく。

 そしてバッターが変われば、また一からリセットだ。


 武史も真田も、パワーピッチャーだ。

 武史はスピードに、真田は変化球のキレに、パワーが完全に乗っている。

 あれでバッターは打てないのだから、パワーのある球を投げられるというのは、間違いのない才能だ。

 嫉妬はするし、それをも上回ってやろうという気にもなる。




 六回が終わった。

 ここまで両者、打たれたヒットが一本と二本だけ。

 フォアボールがない。つまりボール球を振らせるような組み立てをしていない。


 直史もそういうことは出来るが、今となってはそれを選ぶかどうか。

 いや、現実の自分は去年、球数を減らすコンビネーションで投げたではないか。

(たったの一年前か)

 あれからもう一年、という気もする。

 生活環境が変わった。特に実家から離れたのが、一番大きな精神的影響であろう。

 一年という時間が、長くも短くも感じる。


 あと三イニング。

 それで決まらないような気もする。この流れの中に一つの石を放り込んでも、波紋など起きはしない。

 もっと巨大な、それこそ大介のような存在であれば、試合を決めてしまうことも出来るのだろうが。


 七回の表、白富東の攻撃は、三番の悟からである。

 あの日、スポーツ推薦の実技試験の日。

 直史が投げた、あの少年が、打席に立っている。

 まさかこんな舞台で、出番が回ってくるなど、直史も思っていたわけではない。

 ただ、母校には強くあってほしいという感傷があっただけだ。


 残り三イニング。

 秦野も木下も、動くのは最低限に我慢している。

 木下の仕掛けた代打は、簡単に失敗した。守備固めの選手を替わりに入れたので、あそこだけは打線は弱くなったはずだ。

 だがレギュラーと控えの差が、多くのポジションではほどんとないのが、大阪光陰の強さである。

 白富東は部員の人数こそ増えたが、こんな状況で使える選手はほんのわずかだ。その証拠に、ベンチメンバーには一年生が多い。

 木下の動きは隙にならなかった。今度はどちらが動き、それが隙になるかどうか。


 大観衆のざわめきの中、七回の攻撃が始まる。

 白球の行方は、まだ誰も知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る