十二章 大学三年 黄金の時代
第141話 ユニークでチートでバグである
高校野球史上最強のチームは、SS世代のいた白富東であると、後世には語られることになる。
大学野球史上最強のチームは、SSS兄弟のいた早稲谷大学であると、後世には語られることになる。
佐藤直史が入学してから、早稲谷はその一年目、春のリーグ戦で全勝優勝を果たし、全日本大学野球選手権大会では準優勝、秋のリーグ戦では二位という成績を残した。
早稲谷の最強の時代は、長兄の直史がそのスペックを冬の間に一気に成長させ、そして次兄である武史が入学して始まる。
その春には東京大学の躍進、後に『春の乱』と呼ばれた劇的な優勝争いがあったが、これに勝利した早稲谷は、前年の優勝を逃した全日本を制覇する。
秋にも止まらなかったその勢いは、神宮までを制したし、そして春もまたリーグ戦を制した。
投手の運用に誤りがない限り負けない。
早稲谷はそんな、とんでもないチームになっている。
「西郷が卒業したらどうなる?」
「近藤が入るだろう。機動力まで計算すれば、そちらの方が攻撃力の連続性を保てる」
「早大付属が一番から四番までか。確かに強いカルテットだった」
「その後に樋口を五番に置けば、厄介なバッターが五番に入るわけか」
「ここぞという場面では絶対に打っているからなあ」
この二年で、大学野球のファンは急増したと言っていい。
六大学はやはり人気の中心であるが、日本の各所では大学のリーグ戦が行われているのだ。
テレビに独占されていた試合の放送が、ネットで行えることになった現在。
無駄に入れていたCMなどの必要もなく、もっと低額のCMを効果的に出し、テレビでは出来ない企画もやってのける。
これまで独占されていた、情報の発信について、ネットはどんどんと世界を広げていっている。
それはそれで問題はあるのだが、少なくとも野球に関しては、日本国内ではいい影響を与えている。
全日本に関しても、その配信がリアルタイムで、ドームも神宮も行うことが出来る。
モニターは一つでも、モニターの中に画面を二つ作って、さらにチャットやカキコミなどをしたりする。
そんな楽しみ方が、今では出来るようになったのだ。
時代が変わっている。
その中でどうコンテンツを提供するかが、今のプロデューサーの役目である。
昭和の昔と違って、その求められる才能も色々な発現の仕方をしている。
だが、まずはそこに試合がなければどうしようもない。
多くのステージの野球が、無料有料、手間の多寡の違いこそあれ、今ではほとんど見れる。
ただ解説付き、そして多方向からのカメラアングルとなると、そうそうは予算が足りない。
その予算を確保するため、有料放送が流れる。
大学野球は早慶戦は前から流れていたが、他の試合まで視聴者が取れるようになったのは、明らかに直史のおかげである。
そしてそれでさらに予算を確保していたため、翌年の東大の躍進劇が話題になった。
多くの、と言うかほとんどのスポーツにおいて、女性が男性と同じ競技で対決することはない。
競馬と競艇ぐらいは別だが、競馬にしても男社会で、格の高い競争以外では、体重に特典があったりする。
それが日本の、ほとんど国技と言ってもいいほどに浸透した野球で、女性が男どもの中に入って活躍する。
あるいみその非現実的な光景は、直史の存在以上のものであった。
そして今は、武史が三振を取りまくっている。
ホームランは野球の華とは言ったものだが、剛速球ピッチャーによる三振奪取も、かなりの華がある行為ではあるのだ。
その意味では直史の打たせて取る方法が、玄人好みではある。
早稲谷の監督である辺見は疲れている。
彼には全く相談もなく、変則的な特待生が入ることとなった。
甲子園でパーフェクトよりもパーフェクトなピッチングをしたピッチャー。
ここ最近はいなかった、神宮の王子として、最初からある程度特別扱いではあったのだ。
そして直史には信念があった。
上手くなるため以外の練習もトレーニングもしないと。
才能は確かにあるが、それを磨いてきた練習内容がえげつなさすぎる。
こんな練習をするぐらいなら、普通に全体練習をやっていた方がマシだというものだ。
なので放置しておくしかなかったのだが、干渉はしなくてももっと目をやっておくべきだったのかもしれない。
早稲谷の伝統は破壊されてしまった。
創造は破壊の後からしか成しえないと言うし、全ての伝統がいいものでもなかったのは確かだ。
だが伝統というだけで、それに価値を抱く者はいるのであるし、だいたい人は破壊者はおそろしく、本人よりもそれを止められなかった者に批判の矛先を向ける。
辺見のことは気の毒と思う樋口であるが、そこに同情がないのが、この男の鬼畜メガネたるゆえんである。
そんなこんなで、全日本は始まり……早稲谷の圧倒的な強さを見せ付けて終わった。
シードがあるため四試合を戦えばいいという優位を別にしても、とにかくピッチャーが強力すぎるのだ。
平気でノーヒットノーランをするエースに、平気で15個以上の三振を奪う控えの二番手に、アンダースローやサウスポーなど、期待される得点が少なすぎる。
そして早稲谷の打撃陣も、どの試合も五点以上は取ってしまう。
天才が、その本領を発揮している。
そう考える世間は、過去の試合にまでケチを付け始めるのだ。
辺見の選手起用は、確かに間違っていた。
リーグ戦を優勝出来なかったのも、全日本で優勝できなかったのも、今の視点から見れば明らかである。
佐藤直史が投げるなら、一点あれば大丈夫なのだ。
そんな、明らかに歴史的に見ても異常な存在なので、見極められなかった辺見に、そこまで期待するのは酷である。
だがそんなピッチャーを抱えている辺見がうらやましいので、慰めの言葉はかからない。
あくまでもその頭脳の使い道は、試合内に限定している樋口と違って、チーム全体の状態を見るジンは、やはり自分はプレイヤーではなく、コーチや監督向きだな、と思う。
来年以降、つまり直史が四年生になってからは、勝算が高くなる。
まず西郷という大砲がいなくなるのがその理由の一つだが、直史が自由に使えなくなるのだ。
法科大学院の制度などを調べてみたところ、土曜日の授業があったりもする。
そこで直史がどちらを選ぶのか。
二年生の春までは、リーグ戦でもそれ以外でも、ほとんどパーフェクトかノーヒットノーランを続けてきた直史。
だが秋以降はそれが減り、今年の春はノーヒットノーランが一度だけ。
そもそも試合で先発完投することがほとんどなく、ロングリリーフやクローザーとして投げている。
これは辺見監督の意思と見るか、直史の意思と見るか。
直史は勝利のために最良の選択をする。
かつては力量が足りなかったが、今ではもうなんでも出来る。
(つまり監督の計算が……まあ、分からなくても無理はないか)
ジンは敵の監督である辺見に同情的である。
かつては最高の味方だったピッチャーが、今では最大の脅威である。
武史も強大な存在ではあるが、絶対的ではない。
そして能力の高い投手が二年連続で、あるいは三年連続で入ってしまったため、早稲谷は有望なピッチャーを獲得出来なかった。
ブランドに引っかからず、出場機会を選んだ賢明なピッチャーが多かったのだ。
佐藤兄弟から登板の機会を奪うのは、普通に考えて無理なのだから。
つまり直史が卒業し、さらに武史も卒業すれば、早稲谷にはピッチャーの空白期間が生まれる。
その時代はおそらく、早稲谷にとっての暗黒時代になるだろう。
ピッチャーを上手く運用しなければ、野球には勝てないのだ。
これがまだしもプロならば、登板機会が多いために、援護を期待して入ってくる。
だが土日ばかりがメインの大学リーグでは、せいぜい三人もいればピッチャーは足りる。
「なるほど」
とジンと話し合っていた石川と堀は、深く頷いた。
「つまり俺たちの代はもう、優勝するチャンスはないってことか」
石川は悲観的になっているが、ジンの言いたいのはそこではない。
「ナオは野球を優先するけれども、野球のために何かを犠牲にしたりはしない。将来的に必要なことがあれば、野球よりもそちらを取る」
「優先と犠牲の違いは?」
「優先はあくまでも、代替が利くこと。犠牲は諦めれば失ってしまうこと」
「つまり……弁護士になるための講義だの試験だのがあれば、そちらを優先させるということか」
「本気で野球をやってないわけでもないだろうにな」
石川と堀、かつては帝都一と大阪光陰で、甲子園の舞台で戦った二人。
それがこうやって、白富東だったジンも交えて話をするというのは、不思議な感覚である。
だが今の早稲谷は、直史だけが強いチームなわけではない。
「タケはなんだかんだ言って、上手く頭を使えば一点ぐらいは取れると思うんですよ。樋口は一つ年上で、早稲谷はその下のキャッチャーが育っていない」
「優秀すぎる選手のいるチームの弊害か。まさか早稲谷レベルでも起こるとはな」
石川はそう呟く。大阪光陰は少数精鋭でスカウトのみで野球部を作っていたが、帝都一は基本的に来る者拒まずだったのだ。
大阪光陰は、だから、常に来年、さらに二年先までのことを考えて、スカウトを行う。
だからこそ安定して強い。
帝都一は松平の下、それぞれの選手が競い合うため、実力の下克上が起こったりもする。
チームによって、色々な特色がある。
「その意味でも早稲谷は、伝統を壊してしまったから」
他の大学の、戦力だけではない情報まで、ジンは把握している。
早稲谷は武史が卒業した後、おそらく暗黒期に入るであろう。
この一時代の栄光を築くためには、実は犠牲にしなければいけないものが多すぎた。
あるいは優秀な指揮官であるなら、ここからまたチームを再建することが出来るのかもしれないが。
辺見には無理だろうし、自分にも無理だなとジンは思う。
合理的でない伝統だのなんだのといったものは、ある程度までは自然とチームを作ってくれるのだ。
もっとも自分なら何年かかけて、新しいドクトリンを導入するだろうが。
早稲谷の場合は、直史という劇薬に樋口が添付されていて、近藤たちという燃料まで揃っていたのが悪かったのだ。
そして現在進行形で、武史まで加わったチームは伝統を破壊し続けている。
天才や、天才と戦う覚悟をしている者はいい。
だがそれ以外の一般人は、なんらかの縛りがなければ、ついつい楽な方向に行ってしまうものなのだ。
「そこまで分かってても、今はどうにも出来ないもんかな」
堀もキャプテンとして、どうにか最後の秋のリーグ、勝てはしなくても一矢与えたいという気持ちはある。
「一応、付け入る隙はあるんですけどね」
もはやジンの読みは、戦術ではなく心理学的なものに及んでいる。
この春、直史はリーグ戦のみならず、全日本でもクローザーに回ることが多かった。
それはそれで機能していたのだが、クローザーというのは勝っている試合でしか必要ないものだ。
もしも負けていて九回を迎えたら、クローザーには試合を逆転させることは出来ない。
その意味でも直史は、先発として使うべきなのだ。
連投しても平気なぐらいに、八分程度の力で完封出来る。
そんなピッチャーがいるのだから、ジンならもっと有効に使う。
だが今でもわずかでも直史を使わないというのは、その影響力を残したくないからではないか。
スペックやパフォーマンスでは武史もたいがいのものがあるが、直史の支配力はただその試合の中だけに及ぶものでもない。
白富東の頃はそもそも、チームの基本方針自体が合っていたから良かったのだが、早稲谷では伝統を破壊することになった。
その直史の色を排してから出ないと、おそらくチームの再建は出来ない。
あるいは辺見監督は、直史を使わずに負けてしまってでも、次の監督のためにその影響力を排除しようとしているのかもしれない。
ジンから見れば直史を使うのが下手な無能であるが、そもそも直史を上手く使える監督の方が少ないだろう。
セイバーや秦野、そしてシーナは上手く使っていたが、ワールドカップでは大阪光陰の木下監督が、大層な苦労をしていたと聞く。
佐藤直史は、強すぎて毒にもなる薬である。
堀や石川にとっては最後となる秋のリーグ戦。
早稲谷に勝つためには、相手の無能にある程度期待するしかない。
ただ案外、この無能が発現する芽は少なくないかもしれない。
武史には立ち上がりの悪さという弱点がある。
そして他にも優れたピッチャーはいるが、一点も取れないというほどのものではない。
春のリーグ戦でも研究し、どうにか早稲谷の打線を最低限に封じることは出来た。
これからは早稲谷を集中的に分析して、短期間だけでもいいから抑えられればいいのだ。
とりあえず西郷は、ランナーがいる場面ではまともに勝負しない方がいい。
六大学リーグのホームラン記録まで、あと一本で並ぶという西郷であるが、どこのチームだってそのバッティングは注意しているだろう。
ただ西郷は確かにホームランを打てる生粋のスラッガーであるが、大介のような理不尽な存在ではない。
ボール球でも平然と打って、ヒットか下手をすればホームランにしてしまう、無茶なバッティング技術は持っていないのだ。
もっとも、外野フライだと思ったらスタンドまで届いた、ということはよくあることなので、油断するわけにもいかないのだが。
とりあえず、まだ秋のリーグ戦の始まりまで、二ヶ月の時間がある。
それまでは徹底的に情報を収集し、弱点を分析する。
一試合、あるいは一度の勝負だけでしか使えないものでも、それを使って勝つことは出来る。
(でもやっぱり、ナオを打ち崩して勝ってみたいんだよなあ)
その願いは口にしないジンであった。
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