第5話 派閥
早稲谷大学には野球部専用の寮がある。その隣に専用グラウンドがあって、野球に没頭するにはいい環境だと言えるが、学生の本分は学業である。
この寮に入るのは基本的にレギュラーメンバーとマネージャー、それに準レギュラーとも言えるベンチメンバーがほとんどで、まさに野球に全てを賭けた者たちの集まりであるとさえ言える。
もちろんベンチ入りメンバーと寮の個室の数を比べれば、その数に差はある。
またレギュラーに選ばれていながらも、学部の都合などで他の寮に入っていたり、下宿に入っていたりする者もいる。
たとえば白富東の元キャプテンにして、現在早稲谷ではサードのレギュラーである北村がそうだ。
北村の部屋は、早稲谷の寮ではあるが、野球部寮ではない。
卒業後は教職に就くことを目的としている北村は、教育学部のあるキャンパスに近い寮に入っている。
その部屋を訪れて、最初は正座、いやいや足を崩せと言われてからは胡坐をかいている二年生の後輩の話を、じっくりと北村は聞いていた。
問題は清河と、そして芹沢である。
去年の四年生が卒業してから、清河は次期主将の座を得るために活動を開始して、芹沢の横暴な振る舞いが目立ってきた。
それはグラウンドの中でもあったが、特に一月に入部予定の生徒が練習に参加しだしてからは、顕著になってきたという。
北村は清河も芹沢も、野球部以外ではあまり接点がない。
それに早稲谷の野球部というブランドにもあまり興味がなく、将来は野球で身を立てるつもりもない。
ただ将来的には高校野球で正しい野球指導をしたいので、野球部の中ではそれなりに働いている。
それなりのつもりであったのだが、二年になってからはほぼレギュラーとなり、現在はサードで三番を打つことが多い。
プロからの声もそこそこかかっているらしく、困惑する限りである。
北村は当初、後輩の七光りと呼ばれたりした。
それは彼が全国的に全く無名の公立校の出身で、一年生として入学した春に、白富東が始めて甲子園出場を決めたからだ。
しかも白富東はその初出場で、いきなり記録を二つも作ってしまった。
この試合後のインタビューで散々後輩たちが北村を誉め倒したため、少しずつ印象は変わっていったと言えるだろう。
それに一年の秋ともなればある程度は、その実力も分かってくるというものだ。
北村は速球にもそれなりに対応出来たが、その前提として変化球ならばほとんど打つかカットで逃げられたからだ。
長打も打てて、守備も堅く、足も速くて何より性格がいい。
頭角を現すつもりはなかったのだが、いつの間にか同学年では目立った存在になってきていた。
そしてそれを良く思わなかったのが、付属から進学してきた清河である。
北村としては自分の人望のなさを棚に上げて、勝手に敵視してくるのは鬱陶しいだけなのであるが、あちらから喧嘩を売ってくるのだから仕方がない。
同じチームに佐藤と白石がいたのに、お前は甲子園に行けなかったんだな、と言われたことがある。
北村は平然と、名門私立でお前は甲子園に行けたんだっけ? と返したものだ。
その頃西東京では日奥第三が私立では最強と言われており、早大付属もセンバツを合わせても甲子園には行けていなかったのだ。
この一方的な会話の後あたりから、野球部は清河派と反清河派に分かれたと言っていい。
北村はこんなサル山のボス猿争いには興味はなかったのだが、相手が勝手に敵視してくるのだから仕方がない。
清河が狙っているのは、早稲谷の次期主将の座であろう。
彼は利益誘導などが上手く、コネクションを作る能力に長けている。
普通にそれを活用すればいいだろうに、無駄に他人を見下そうとするところが、欠点だとは北村も思う。
現在の早稲谷は基本的に監督が主将を指名しているが、その下地となる雰囲気を作ろうとしているのか。
清河も芹沢も、早稲谷の主将であったというブランドを、社会に出る前にほしがっているように見える。
ただ監督である辺見は、そのあたりは厳しい。
良いか悪いかはともかく、野球を手段として考えている二人を、指名することはないような気がする。
そして同級生や下級生からの信頼が厚いのは北村である。
清河が自派の強化のためにコネクションを作っているのに対し、北村は普通に他学部の学生とも交わって、普通に交友関係を増やしている。
おそらくであるが、主将を意識的に狙っている清河などは、辺見は指名しないのではないか。
辺見はガツガツとした貪欲な選手は好きだが、清河の貪欲さは辺見の好むタイプではないだろう。
清河に対して主将に選ばれる可能性があるのは北村だ、
ただ北村は野球に対して真摯に対しているが、清河ほどの貪欲さはない。
貪欲さというのは本来ならばいい影響を及ぼすこともあるのだが、清川の貪欲さは小悪党的であり、小手先の技術で物事を解決しようとしているような気がする。芯がないのだ。
それに清河の手足となって働く芹沢は、利害関係を上手く使うだけでなく、暴力まで行使している。
野球部というのは高校時点でもそうなのだが、上下関係において暴力をいまだに容認しているところもあるらしい。
芹沢などは高校時代にそれで問題を起こし、特待生が二人退学したという話も聞く。
清河はともかく、芹沢が主将に任命されることはないだろう。
だがこの二人をそのまま置いておくと、おそらく野球部全体の強さが損なわれる。
結束力が強さなどと言うつもりはない北村であるが、利害関係だけで勝利を目指していない集団は、さすがに勝てないだろうとも思う。
(ナオのやつが色々と考えてたらしいけどね)
北村としても辺見の反応というか対応は、意外であったのだ。
現在の四年生が一年生だった時に、早稲谷は最後のリーグ優勝を果たしている。
そこからまた優勝から遠ざかっていて、辺見も北村の入学した当初と現在では、かなり選手との距離や指導のスタンスを変えているように思う。
直史が初日から持っていった練習やトレーニングメニューなどに、しっかりと目を通して許可を出したりもしていた。
早稲谷の伝統にうるさいという印象を持っていたが、今は伝統と結束力より、選手の自主性を重視している気がするのだ。
清河と芹沢については、どうにかする必要があるだろう。
しょせん大学野球部内の箱庭の王様と言えるのかもしれないが、この王様という権威が卒業後も有効であるのは、北村にも分かる。
(俺がキャプテン? いや無理だろ)
北村は早め早めの単位取得をしているため、三年生の時点で教育実習に行くことを決めている。
はっきり言って野球を中心とする大学生活を送っていないのだ。
これが主将になるというのは、求心力の面で問題になるのではないか。
「でも北村さんは勉強教えてくれてるから」
真面目な学生である北村は、当然のように野球部ではなく学業を優先している。
それもあって野球ばかりしている同級生や下級生には、試験前には色々と頼まれごとをすることはある。
野球以外の部分で頑張っている人間を、辺見はキャプテンの資質として見るのだろうか。
まあこの二年生の言うことは、とにかく清河と芹沢以外なら誰でもいいということなのだろうが。
それに二年生には、芹沢には強力な対抗馬がいる。
西郷だ。一年の春からクリーンナップを打っている西郷は、実力も人間性も、芹沢とは比べ物にならない。
おおらかであるが細かいところにも目が行き届き、主将の本命馬と思われている。と言うか、芹沢はダークホースどころか大穴にさえなれない。
高校時代の行いなどを聞いていると、清河はまだしも芹沢には擁護の余地はないと思う。
だが清河を認めると芹沢の行動を抑制しない可能性があって、それが怖いのだ。
(主将ねえ……。俺がやるわけにはいかんだろ)
「こちらも考えておく。それに主将候補ならもう一人良さそうなのがいるだろ」
「伏見さんですか」
ポジションもキャッチャーで、現在の第二捕手でもある。
北村としても交流は多いし、そこを押している人間も多い。
次期エースと思われている細田と、高校からのバッテリー関係というのもプラス要素だ。
直史はかなり過激なことを考えていたようだが、この現状を打破できるのかどうか。
教育実習までに北村が考えないといけないことは多いらしい。
人が三人いれば派閥が出来るという。
そんなことはないだろうと直史は思うのだが、個性派が上手くまとまっていた白富東にだって、派閥はあったのだ。互いに争うような関係ではなかっただけで。
北村から手塚、そしてジン、倉田へとスムーズに政権継承はなされていたと思う。
だが決定的な二つの派閥はあった。
野球部の実戦部隊と研究班である。
言われて直史も気付いたが、途中で研究班に移ることも可能であったし、研究班から気合を入れて実戦部隊に入ってくる者もいた。
別にそこで人間関係の衝突なども起こらなかったはずだが。
直史はそう思うのだが、敵対しているかどうかでもなく、派閥はあるのだという。
途中で難しそうな話だと気付いて樋口を呼んだのだが、彼にも心当たりはある。
「上杉派と樋口派があったな」
正確に言うと上杉勝也のカリスマに集った者と、樋口の理論派に賛同する者だ。
これが上手く作用した結果が二年の夏の優勝であり、そこからは理論派の声が強くなっていった。
ただ樋口がいなくなった後の理論派は弱くなった。正確には上杉と樋口が卒業してからは勝てなくなったのだが。
白富東も考えてみると、温厚で堅実な倉田、ノリが良く気合の入った鬼塚、あとは純粋に能力の高さで武史を見ていた一年生などがいた。
つまり派閥が出来ること自体は当然のことなのだ。
問題は派閥が違っても、協力して団結出来るかだ。
一枚岩になって頑張る、などという台詞はよく語られる。
だが実際のところは複数の価値観がありつつも、大目標を共有できることが、組織としては強さになるのかもしれない。
そんな派閥の原則の話はともかくとして、野球部の現状が問題だ。
北村も感じていることではあるが、清河派の選手たちは、野球を手段にしてしまっている。
野球を上手くなるための活動ではなく、野球を利用して利益を得ようとしているのだ。
確かに早稲谷の野球部は就職に強いなどとも言われるが、それはあくまで副次的な効果でなければいけない。
伝統と歴史が、早稲谷の野球部閥として、社会に存在しているのは、あまり好ましいものではないのではないか。
清河がそれを利用しようとしているなら、止めた方がいいだろうとは思う。
そもそもあの監督は、そこまで目が曇っているわけではないと思うし。
「早稲谷の野球部ってブランドを使うのは、別に悪いことでもないと思うんだけど……」
そういうことを高校時代にやっていて、結局甲子園に行けなかったのだあいつらの世代である、
反目しているように思われている北村と清河だが、原因は主に清河の方にある。
もう一つ直史たちが気になるのは、野球の実力のことである。
単に人格の問題だけならば、なんだかんだ言って野球の上手さがステータスの大学野球部で、大きな顔をしてはいられない。
「どちらも上手いことは上手い」
清河はショート、芹沢はキャッチャーとして、特に清河はスタメンである。
芹沢も現在は第二か第三のキャッチャーとして、次の正捕手を狙っている。
もっとも樋口の加入によって、その道は遠くなっただろうが。
「とりあえず樋口は練習の時に、怪我をしないように気をつけることだな」
「まあコリジョンルールも出来た今、キャッチャーもクロスプレイで怪我をさせることは難しいだろうけど」
近藤たちから聞いた芹沢の行状を聞くに、自分のポジションのためにプレイがかぶるメンバーを怪我させることに、躊躇をおぼえるタイプではない。
春から練習に参加している近藤たちは、まだしも甲子園ベスト8チームのレギュラーだったことから、監督やコーチの目が届くことが多い。
それがなければ高校時代の逆恨みで、何かを仕掛けてきた可能性は高い。
陰湿な手段を講じてくることは、ほぼ間違いないだろうと付属出身の者は見ている。
ただありがたいと言うべきか、付属出身の二年や三年は、芹沢のせいで甲子園にいく足を引っ張られたという意識が強いらしい。
芹沢を数の力で排除することは、出来るではないかとも言われている。
入学前から聞かされていたことではあるが、溜め息をつく直史である。
「俺たちは野球部に入ったはずだけどな」
「芹沢のやってることは立派な犯罪だからな、断罪するのに遠慮はしない」
樋口は性格が悪く、相手の裏を書くことなどが大好きであるが、他人を傷つける犯罪行為などには憎しみすら抱いていると言っていい。
父が死んだ時のことが、彼の中ではトラウマになっている。
ただ注意すべきは、芹沢は本当に手段を選ばないというところだ。
もっとも野球寮に入っていて野球漬けの生活を送っていれば、それほど変な方向からの攻撃は心配しなくて済むかもしれないが。
「高校の野球部なんか監獄と一緒ってとこもあるらしいしなあ」
北村はそう言うが、なんだかんだ言って逃げ出しても問題のない高校と、監獄では大いに違うと思う直史である。
「実際に手を出して怪我をさせたりもしてるんですよね?」
「そうだな。お前の得意な分野で言うと、傷害罪か?」
「まあ実際に怪我があって、医者の診断書とかがあれば。……他の方面からの切り口も用意しておいた方がいいのかな……」
芹沢が高校時代に許されたのは、野球部ぐるみの犯罪であった面と、彼が未成年であったこと。
そして親からの多額の寄付金などが理由らしい。
近藤たちのみならず、同じ学年で甲子園に行けなかった者たちの中には、それを問題して大学は他に進んだという者もいるそうだ。
直史としては、これは自分の成すべき範囲を逸脱していると考える。
どの範囲までを、自分が触れるべきラインか判断しないといけない。
卑近な問題としては、色々と金がかかるといったところか。
「どういった手を取るんだ?」
北村としては、あくどい手段も取れる直史には、搦め手からの攻略を期待している。
だが直史が取る手段としては、あくまでも正当な手段を考えるしかない。
「俺は普通に野球やって、野球を使って環境を良くしようと考えてただけなんですけどねえ」
さすがの直史も、周囲への影響を考えると、どんな手段を採ってでも、とは考えられない事態になってきそうである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます