竜騎士 謎を追う 5

 デュランは慣れ親しんだ岩場を歩き、水音のする方に歩いていく。


 身体を洗うのにちょうどよさそうな小さな滝が流れているのを見つけると、淵に腰掛けた。


 胸に提げている方ではなく、腰の荷物の中から笛を取り出して、息を吹き込む。


 ピイイ、ピイイと高く鋭く仲間を呼ぶ音が鳴り響く。


 何度か呼んでみてから、口を外し、耳を澄ませる。無音であれば、また笛を構える。


 それを数度繰り返してみても、特に変化は起こらないようだった。彼は首をすくめ、苦笑して頭を振る。


(……ま、そりゃそうか)


 五年前、十四のデュランの前に迷宮の女神イシュリタスは姿を現した。

 彼女は少年にいくつか問いかけた後、竜に乗ることのできない呪いのかけられた無双の鎧を彼に与えた。


 鎧は着ていない時も、腕輪の形でデュランにくっついている。

 貰ったばかりの頃、外せないかと試してみたこともあったのだが、無理そうだった。


 ぴっちり手首に嵌まる感触には、この後片手だけ不格好になりやしないかと心配したこともある。


 鎧も腕輪もデュランに合わせて形を変えているようだったので、結局ただの杞憂に終わったのだが。


(諦めて地上に戻るか。やるべきことはたくさんある)


 そう思って腰を浮かせた瞬間、バサバサ音が聞こえてきて竜騎士は動きを止める。


 あれ? 幻聴かな? と考えた彼の動揺を鼻で笑うごとく、強い風が拭いて危うくひっくり返りそうになった。


 大きな生き物の羽ばたきの余波だろうか。そういうわけでもなさそうだ。近づきざま、ブレスを吐き、わざと風を起こしていったらしい。


 頭上を飛んでいった緑色の塊が、滝が崖下に向かって流れ込む脇に降り立ち、チッと舌打ちをする。


《なんだよ××××野郎、何しに来た》

「エゼ……!」


 本気で感動に打ち震えたデュランだったが、情緒的な余韻はすぐに色々言ってやりたい些事に塗り替えられた。


《いや、あのさあ、よりによって出会い頭にその呼びかけは酷いんじゃないか!? 俺、そんな誰とでも見境ない男じゃないから!》

《うっせバーカバーカ、選んだ上でヤリまくりの癖にバーカバーカ、もげろ》

《なんなんだ、今日はいつも以上に当たりが強いな……!?》


 が、本当に彼らに応じるつもりがなければそもそも姿を見せない。「クサイ」という顔を隠しもしないし絶対に一定距離から近づいてもこないのだが、それでも呼びかけに応じてくれたことに「素直じゃないやつめ……」とため息を吐く。


《にしても、まだ持ってたの、前の鱗。シュナから逆鱗もらったのに》


 エゼレクスは器用に後ろ足で耳の後ろ辺りを引っかきながら、デュランの持ち物に目を向けていた。


 竜を呼ぶ笛は、彼らの落とす鱗から作られる。笛に加工できるような鱗は、身体から離れると元の個性豊かな彩りから脱色して不思議と無色になる。


 冒険者は皆いざというときの救命笛を携えているが、竜騎士達は竜を呼ぶ笛を代わりに持つ。人間が聞くと大差ない音なのだが、竜は鱗でできた笛の音にしか反応しない。


 だからシュナから逆鱗を貰ったデュランは、その前に竜を呼ぶのに使っていた物と、二つ笛を持っていることになる。


 今回使ったのは前の方だった。


 竜騎士は笑って「これ?」と見せるように一度手を上げてから、また笛を腰の荷物入れにしまいこんだ。


《シュナの鱗は特別だけど、最初にもらった竜騎士の証はこっちだから。そういえば、初めて呼んだ時も、お前が来てくれたんだっけ》

《さあねえ。覚えてないよ。ボクは呼ばれて気が向いたらとりあえずは顔を見せる主義だし》


 緑色の竜は面白くもなさそうにくあ、と大きな口を開いた。

 デュランは思わず、顔が緩むのを抑えられない。

 初めて出会った時からずっと、この竜は変わらなかった。



 デュランが竜騎士になったのは九つの頃だ。

 本来はもう少し身体ができてきてから、具体的に言うと十二歳以降でないと乗れない。


 それを本人の熱意と、関係者全員が「測定装置壊れてるんじゃないのかこれ?」と何度も目を疑うほどの適性を叩き出し、実力で掴み取った。


 初めて笛に息を吹き込んだ時、何体もの竜がフラフラ様子を見にやってきた。


「初めての呼びかけでこれだけ大勢やってくるなら将来に期待が持てる」


 大人達は天才少年の登場に色めき立っていただろうか。


 少年デュランは人間にはあまり構わなかった。彼はただ、色とりどり飛び交い、何事か互いに盛んにやりとりをしている竜達の様子に夢中になって魅入っていた。


 誰が少年の前に実際に降り立つか吟味しあっているらしい群れの中で、一際目を引く姿がある。


 それは鮮やかな緑色の体躯をしなやかに躍動させ、のびのびと、時にはわざと密集している間をくぐり抜け、誰よりも自由気ままに空を泳いでいた。


 少年が目を丸くして姿を追いかけていると、その竜はくるりと旋回し、今度は音もなく静かに降下してきた。


 その瞬間、見守る大人達が全員血相を変えたのをよく覚えている。


「うわあああああ、緑の悪魔だあああああ!」

「新人、悪いことは言わないからソイツだけはやめておけ!」

「初フライトの思い出がゲロにまみれるぞ! 最悪内臓が飛び出るぞ!」


 乗り手の事を考慮しない曲芸飛行士。それでいて応じはするものだから余計にたちが悪い。


 例えるなら、入学は誰でも受け付けているが試験が非常に難しい学校、のようなものだろうか。


 ともあれ、当時も今と変わらず、ちょっと腕のいい竜騎士の慢心を叩き折り謙虚にさせることに定評のある、混沌と異端の竜だったのである。


 周りの言いように、まだ色々と初心だった少年は困惑し、ちらっと竜の顔をうかがった。するとブフッ! と鼻息を吹きかけられる。


 緑の竜は悪びれるどころか、散々立てられる悪評に「もっと言え」と言わんばかりに胸を張っているではないか。


《俺はデュラン。デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカ。君は?》

《最後まで乗ってられたら教えてやるよ》


 皮肉っぽい言い回しと、漲る自信の様子。ただの自称ではないだろう。これだけいる竜達が皆、茶々を入れようともせずじっと見守っている。


 少年の胸の中に好奇心が膨らんでいく。

 彼は周囲の制止を振り切り、その背に飛び乗った。


 後に慌てて後を追いかけた監督者や見物人各位から、


「今日初めて飛んだ奴が、試験官がついていけない速さだの高さだので飛ぶんじゃない」

「あの急旋回と急上昇急降下のオンパレードに笑っていられる神経が理解できない」

「変態軌道」


 と口々罵られることになった初フライトだが、乗り手は満ち足りた爽やかな笑顔で「気持ちよかった! また乗せてくれよな」と感想を述べた。


 混沌の頂点にして異端の個体属性を持つ竜は、どこか不服そうな顔でひらりと飛び降りた少年の背に一言。


《エゼレクス》


 それが約束通りの名乗りだとデュランが気がついた頃には、既に背を向けて飛んでいってしまっていた。


 そんな馴れ初めだったし、その後も基本的に会えば何かしら辛辣なコメントをされるのが常ではあるが、エゼレクスはデュランの相棒常連だった。


「実はお前、案外俺のこと好きなんじゃないのか?」


 なんて言ってみようものならしばらく邪険にされそうなので、ニヤニヤしながら黙っているしかないのだが。



《ところで、シュナを呼ばなくていいの?》


 しばらく色々と思い出してだらしない相好になっていたデュランを気持ち悪そうに見下ろしつつ、エゼレクスは問いかけてきた。


 するとデュランの顔も真面目なものに変わる。


《呼んでも来ないんじゃないかな、このタイミングだと》

《ふーん。どして?》

《トゥラが地上にいるから》


 デュランはまっすぐ竜を見つめていた。

 相手は何も言わないが、すうっと金色の瞳を細める。


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