地上/市街地 竜騎士の意地

 竜達の鳴き声は多彩だ。

 美しい鳥の鳴き声のようであることもあれば、人の口笛や指笛に近いこともある。


 警告音は普段とピイピイ軽く囀る声よりも幾分か鋭く、ビイイ、と耳をつんざくような高音である。

 それは人の絶叫にもどこか似ていた。


 人の誰もがその音を聞いて血相を変えたが、特に顔を真っ青にしたのは竜騎士達だ。


 彼らは最も身近に人ならざる隣人を置いてきた者達ゆえ、即座に理解する。

 あれが他ならぬ自分たちに向けられた殺意であることを。


「隊長……!」


 合流に向けて移動していた一団は足を止め、最もベテランの男に部下達の目が集中する。

 厳しい顔で空を振り仰いだ彼の頭上を、大きな影が飛んでいく。


 一体だけではない。

 どこからか湧いてできた鱗と翼を持つ異形達は、時折歌うような鳴き声を織り交ぜながら旋回する。


 無言で荷物を漁った男は笛を構えた。

 ――しかし竜の鱗から作られた救命笛は、助けを呼ぼうとしない。


 どれほど息を吹き込もうと、普段の音は聞こえず、ひゅうひゅうとただ空気が漏れる音が聞こえるのみだ。


 それを見た部下達が慌てて自らの笛を取り出し、同じように構える。

 誰一人として音を出すことは叶わなかった。


「これが、答えだというのですか」


 ぽろり、と手の中から笛を取り落とした女竜騎士が零す。


「もはや対話すら許されぬと――それほどの怒りに触れたのだと、あなたは仰るのか――!」



 市街地にぽっかりと開いた穴の周辺で影の手と戦いを続けていたリーデレット=ミガもまた、空を振り仰いでいた。


 彼女には穴から空に飛び出していく無数の影を見て取ることができた。


 空に飛び出していく彼らは女神イシュリタスの半身であり、迷宮の管理人であり、時に審判の裁定を下す使徒である。


 本物の空を覆い隠す銀色――あれは迷宮領を飲み込み、領域とすることで、本来地上に出ることのできない竜達に翼を与えるものであったのだ。


「……リーデレットさん」


 珍しくきちんと震えた声で彼女の名を呼ぶのは、巡回の騎士クルトだ。

 他愛ないじゃれ合いの言葉を差し挟めぬ余裕のなさの表れであった。


「おれの目が間違ってるんだったら、そう言ってください。竜が……空を飛んでいるんですか?」

「……ええ、そうよ」

「それって……おれたちに、死ねってことですよね?」


 リーデレット=ミガは答えない。

 なんだか予感めいたものがあった。彼女はじっと穴を見つめ続ける。


 程なくして、見覚えのある影が飛び出してきた。

 他の個体と異なり、空に散っていくでなく、その竜はふわりと地面に着地し、人間達の様子をぐるりと見渡す。


「……ネド」


 ピンク色の竜はくりくりした目を瞬きさせた。

 彼は他竜に比べてやや輪郭が丸く、シュナほどでないにしろ幼く見える顔の形をしていた。


 リーデレット――逆鱗を持つ竜騎士が呼びかけても、彼は何も答えない。

 彼女は彼の体と全く同じピンク色の笛を取り出し、口に含んだ。


 そこから出てきたのは無音だった。

 だがぎょっとした様子のクルトとは異なり、リーデレットは案外落ち着いているように見える。


「リーデレットさん――!」

「離れていて、クルト。巻き込まれるかも」


 しかし彼女が掌を向けて静かに言うと、クルトはそれ以上騒ぐことは邪魔になると悟ったのだろう。


「ご武運を」


 一声かけ、にらみ合う逆鱗同士を残して距離を取る。


 他に周りにいた冒険者達も、不安そうな目をリーデレットに向けているものの、ひとまずは手出し無用と心得たのだろう。


 リーデレットはじっとピンクの竜を見つめていた。彼もまた彼女を見つめている。


 空中を飛ぶ竜達は、歌を奏でながら徐々に、それでいて確実に、破壊の準備を始めている。


 地に降り立ったままのネドヴィクスは、特に何かする様子はない。

 何も語らないまま、ただじっと、リーデレットを見つめるのみだ。


「懐かしいわね。初めてあんたに選ばれた日を思い出す」


 空中の竜達の詠唱が始まった。

 冒険者達が焦るような顔を始めた中で、竜騎士はただひたすらに静かだ。


「あの頃はまだ、あたしはミガ一族の掟に馴染むこともできず、けれど完全に出て行くような度胸もなくて。弱虫で泣き虫で、だけどどうしようもなく今をなんとかしたくて……そんなあたしを、あんたはずっと見ていた」


 彼女は腰に提げた剣ではなく、荷物の中から小さな棒を取り出していた。

 けれど彼女が一振りすると、折りたたまれた部分がまっすぐに伸び、棍の形となって彼女の手に収まる。


「あたしの相棒は中立と観察――ならばまだ、あたしたちは答えを出せる段階にないってことなんでしょう。つまり」


 そこでリーデレットはきっと空を見上げた。

 竜達が口の中に光を溜め込み、地上に向けて放とうとしている。


 冒険者のうち飛び道具を扱える者は空に向けて構えていた。

 しかし、竜は女神の代理人――よほど頭のいかれた者でもなければ、その存在に弓引くとて、矢を放つまで至ることは難しい。


 竜に見捨てられると言うことは、つまり迷宮で死ねと言われていることと同義だ。


 そしてたとえ彼らに警告音を放たれようと、攻撃を向けられかけているのだろうと――こちらから決定的に火蓋を切ることは、何か取り返しのつかないことに感じられて、どうしても最後の一線が越えられない。


 そんな人間達の葛藤の中、リーデレットミガはすうっと大きく息を吸った。


「――聞け、女神の使徒共よ! 我はリーデレット=ミガ! 誇り高き戦士のミガ族の一人にして、中立と観察の竜、ネドヴィクスの逆鱗なり! 使徒よ、我を見よ! 死する時まで頭を垂れぬ我を見よ! 人に罪ありと断ずるのであれば、まず我を撃ち殺すがいい!」


 どすのきいた声は辺りにとどろき、中空の獣たちの注意を一斉に引く。

 リーデレットは笑った。

 棍を握る手は、かすかな震えを残していた。



「うろたえるな!」


 ほぼ同じ頃、うなだれる部下たちに竜騎士部隊の隊長が声を張り上げた。


「でも、隊長……笛が鳴らないんですよ!? 俺たち竜がいるから竜騎士なのに――」

「ならば、なおさらだろう。我らだから、彼らに汚名を与えてはならぬのだ」


 目を見張る若者たちを見回して、壮年の男は静かに言った。


「あの美しきものに、市民を殺させるな。竜とじゃれるのは我々の専門分野だろう?」


 目も口も開いた若者たちの誰かが吹き出した。

 緊迫した空気がふっと緩む。


「――そうですね。俺たちが相手せずに、誰がするってんだ?」

「大丈夫です。慣れてます。……ちょっと今回みたいなガチのレスリングの相手は、初めてだけど」

「気まぐれですからねえ。今日は機嫌が悪いんでしょ。なら……かっこいいところを見せて、もう一度乗せたいって思わせるしかない」


 各々慣れた自分の武器を構え、空のかつての相棒たちを見つめる。

 士気が戻ったのを見て、男はふっと笑みを零した。


「たかが少し敵対したぐらいで易々失望すると思ってくれるな。竜騎士おれたちは皆、おまえたちを愛しすぎている輩なんだからな」

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