迷宮 最深層――激突

 落下はいつの間にか降下に変わっていた。

 悠々と落ちる騎士の下に潜り込んだ竜はぐんと大きな弧を描き、上向きに姿勢を戻す。


 デュランは呆然と手の中を、次いで緑色の体躯を見つめた。


 荷物の中から取り出していたのは、もう使うことのないと思っていた無色の救命笛ホイッスルだ。


 二度と応じる声はないと思っていた。


 だが今、確かな感触がある。


「――エゼ」


 最初の竜であり、かつて最も共に旅をした相棒――エゼレクスはフン、と鼻を鳴らす。


《どうよ調子は? お元気?》

「なんで、お前……」

《忘れたの? シュリはお前に鎧を与えた。対価は竜の協力の剥奪。つまり鎧がなくなれば、お前に近づけない理由もなくなる》

「だけど女神イシュリタスは、俺を――人類を拒絶している」


 周囲にはぱらぱらと、先ほど壊れた足場の残骸だろうか、そんなものが落ちていく。


 闘技場は消え、辺りには虚空が広がっていた。


 振り仰いだ遙か上空、巨大な竜が咆吼を上げ羽ばたくのみ。


 観覧席に大勢いた竜達はいずこかへ去り、今デュランを乗せて羽ばたく彼がここに存在するのみであった。


「お前達は女神の半身であり、迷宮の管理者。なんで俺を助けるんだ?」


 ふん、とエゼレクスは鼻で笑った。

 一瞬、デュランの体に浮遊感が訪れる。

 ぽーんと背中から投げられたのだ。


 しかしそれは、仰向き落下を受け止めた結果、後ろ向きに座ることになった位置を修正するためのものだったらしい。


《このボクを誰だと思っているのさ? 反逆こそ我が本質にして使命。ボクにあるじは存在しても、ボクがどうするか決めるのはボク自身》


 今度こそ落ち着く位置に納まったデュランが、自然とかつてのように最適の姿勢に収まる。


 そうしてもう一度――逆鱗から作ったのではない、真白い笛を口に含めば、懐かしさがこみ上げる。


《感謝する、エゼレクス。協力してくれるか?》

《了承する。混沌の頂点にして異端の竜がお前に加護を与えよう》


 五年ぶりだが、全くブランクは感じなかったし、感じさせなかった。

 すっと一呼吸で互いを合わせ、接続する。


 感覚が共有され、研ぎ澄まされ、その一方で世界を傍観しているかのような視点を獲得する。


《ボケてないようで安心したよ》

《シュナも乗せてくれたからね》


 ぐっと翼に勢いを込めて加速したエゼレクスは回転しながら急上昇し、一気に巨竜を追い越してその上に躍り出る。


 眼下の巨体を見つめ、デュランは息を吐いた。


《……と言っても、さて》

《ご指示をどうぞ、司令塔》

《エゼ、尋ねる相手ができたなら確認したい。俺はどうすればいい?》

《試練を越え、望む物を得るためにここまで潜ってきたんだろう? 何を今更ひよることがあるのさ》

《そうだ。……女神を倒す。それが試練を越えたことになると解釈して、いいんだな》


 飛翔する巨竜が吠えると大気が震え、ビリビリと二人の肌を震わせた。

 エゼレクスは左回りにイシュリタスの上を旋回する。


《女神イシュリタスを越える。それが試練にクリアするってことさ。何か不安に思うことでも?》

《……本当に倒してしまっていいのか? 今は普通の試練と違う――百年前の災厄と同じ事が起きようとしている。俺はそれを止めたい。だけど……》

《ああ、それなら気にすることはない。どのみち同じ結末なのさ。迷宮イシュリタスはもう活動限界を迎えている。これは最後の抵抗だ》


 静かに、けれど皮肉屋の竜にしては優しく甘やかな響きを伴って、エゼレクスはそう答えた。


《ただし、お前が何もしないか、あるいは敗者になるなら、地上はこのまま更地になるだろうね。お前も薄々察しているだろう? 秩序達は地上への進行を開始している。お前がこれ以上今を失いたくないなら、女神に示すしかない――対価を得るにふさわしい、お前の価値を》


 ぐっと奥歯を噛みしめたデュランは、構え直す。


《エゼ。あの竜を、止める》


 意思を伝えれば、竜はぶうんと独特の鼻の鳴らし方で了承した。


 旋回から、接近へ。


 近づいていくと巨竜が首を返し、口からかっと光を放った。


《いくら範囲がでかかろうが、そんな単純な手じゃ当たらないよ、シュリ!》


 下方に背面から急速落下したエゼレクスは、攻撃を避けきるとぐるんと体を捻り、バク転するような軌道で元に戻る。


 並みの人間ならこの時点で落ちているか失神するところだが、デュランは涼しい顔だった。じっとエゼレクスの背後から巨竜の顔を観察すらしている。


《エゼ、次が来たら避けてから撃ち込みたい》

《口の中に?》

《そう。いくらお前が攻撃特化でも、ちまちま体に当てるだけじゃ勝機が低そうだ。弱点を狙うしかない》

《ごもっともですこと》


 エゼレクスはいったんイシュリタスの鼻先をかすめ、誘うように飛んで過ぎてから、正面に戻ってくる。大撃を華麗に回避し、そのままこちらの弾を撃ち込む位置だ。

 エゼレクスの方も、高威力の一撃をたたき込むべく、喉を震わせ発熱を始める。


 案の定イシュリタスは口を開き、再び攻撃の光がちらついた。が、その瞬間、エゼレクスの様子も変わる。


《げ。ちょい待ち、一回逃げる》

《何だ!?》


 急な軌道変更に、デュランは身を屈めてエゼレクスの体にしがみつくような格好になった。


 エゼレクスはきびすを返し、その直後女神が攻撃を開始する。


 しかしまっすぐ撃たれてそのまま消えるはずの光は、今度は無数の束に分かれ、それぞれがぐねぐねと飛び回るエゼレクスを追いかけるように曲がって回って走った。


《広範囲殲滅から、多数の追尾型に切り替えた――!?》

《まあこんぐらいはやるよね、シュリだって本気なんだから!》

《どうする、こちらも撃って相殺するか?》

《心配ご無用。見てなさいって》


 複数存在する光の弾は何方向からもエゼレクスを狙うが、かれはひらりひらりとそれらをかわして自滅を誘う。


 ある程度数を減らすと、引きつけたままイシュリタスの巨躯に突撃する。


 数発撃ち込まれた彼女が怒りの声を上げたが、もう一度エゼレクスが同じように着弾を誘うと、弾はイシュリタスの体をぬるりと避け、エゼレクスを追尾した。


《さすが学習型マザーは同じ手ばかりを受けてくれるほど甘くないね――でもま、こんぐらいならやれるか》


 追いかけてくる相手が数えられる程度に収まったのを確認してから、エゼレクスは自らの攻撃で迎え撃った。


《あれを相手にしながらこっちも攻撃するのは厳しいか。別の方法か、場所を――》

《まあまあまあ。異端様を信じろって。そりゃシュナほどじゃないけどね、ボクだって量産型とは格が違うんだぜ? ちゃんとオーダーには応えてやるからさ》


 別の手を考えようとしたデュランだが、自信たっぷりに緑の竜が述べると口を閉じ、任せるとでも言うように手を置いた。


 再びイシュリタスの鼻先で遊び始めたエゼレクスに、イシュリタスが同じ追尾型の弾を口から放つ。


 しかし今度のエゼレクスは、光の弾を引きつけながらイシュリタスの鼻先を飛び続けた。

 デュランは集中を注ぎ込み、エゼレクスの支援に徹している。今やもう、全ての感覚はエゼレクスのものだ。最低限、背中にくっついていられるだけの自我を残し、他は竜に主導権を明け渡している。


 竜騎士が竜を信じ、恐れず自らを差し出すほど、彼らの能力は向上する。


 目の前で飛び続けるエゼレクスに、焦れたイシュリタスが再び口を開けた。


 しかし早すぎるのと、自ら放った攻撃が一緒に飛び回るせいでうまく照準が合わないのだろう。

 今度はまた、全て焼き尽くすまっすぐなレーザー砲を撃つ。


 だが、それを待っていた。


 エゼレクスは避けようともせず、光の中に飛び込んだ。

 本来攻撃特化で防御には弱い彼だが、被弾しながら体力を残し、まっすぐ彼女の目の前まで飛び込む。


《――ぐ、うううっ!》


 デュランはぐっと目を閉じて堪える。


 全身が焼け付くようだ! ――だが、それだけ。それだけだ。


(耐え抜け、エゼが判断したなら、大丈夫だ――!)


 追尾弾はすべてレーザーで焼き尽くされた。

 ぷすぷすと焦げついた煙を立ち上らせながら、エゼレクスはかっと口を開く。


 イシュリタスの放った光よりは遙かに小さな直径。けれどその分、凝縮された攻撃が、閉じられる前の彼女の口の中、喉奥までまっすぐ入る。


 女神が苦悶の悲鳴を上げた。





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