竜姫 騎士と再会する 後編
一直線に音のする方に飛んでいくと、間もなく鮮やかな赤が目に入る。最初に会ったときと同じような格好だが、もう少し装備がしっかりしているような気もする。
シュナがピイピイと喜びの声を上げれば、応じるようにあちらも笛に息を吹き込んだ。
《デュラン!》
《シュナ!》
笛を口に含んだまま竜騎士は両手を広げる。飛び込んでいく寸前でシュナははっと我に返り、上昇した。空振りした騎士が後ろ向きに倒れ込む。
《シュナ!?》
(あ、危なかったわ……デュランを潰してしまうところだった)
今の自分は人間の時と違って彼より大きな身体をしているのだ、それなのに小娘のように振る舞ったら色々彼に弊害が出る。
と、思っての行動だったのだが、フェイントは思った以上に竜騎士に打撃を与えたようだった。
《シュ、シュナさん……? やっぱり怒ってる……のかな……? ずっと来られなかったから、俺のこと嫌いになっちゃった……?》
顔色を青くして震えている騎士の横に今度こそ優雅に降り立ったシュナは、翼を畳みながら答えた。
《違うわ。そのまま飛び込んだらデュランが潰れてしまうもの。わたくしがデュランを嫌いになるはずがないでしょう?》
ぶわっ、という音が聞こえた気がした。感極まったデュランは素早く立ち上がり、再びシュナお出迎えのポーズを取る。
《俺は大歓迎だよ、シュナ……大丈夫だよそんなことぐらいで怪我はしないし、乗っかられるのはむしろご褒美だよ……ここ数週間……あれ、十日ぐらい……? シュナに触れなくて俺はもう気が狂いそうだったんだ……》
反応に困った。求められているのは嬉しいのだが、何かこう、切迫感が真に迫っているというか、オーラが怖い。にじりよってこようとする竜騎士から思わずさりげなくじりじり後ずさりながら、シュナは自分の顔が引きつったのを感じる。
《デュラン……疲れているの……?》
《え? ああ、まあ、うん……ちょっとね》
彼の顔色が青いのは先ほど自分が紛らわしいことをしてしまったからだと当初は思っていたが、近づいてくるうちに様子がはっきりわかるようになる。全体的にげっそりしていて、迷宮の中、迷宮の外、どちらに居たときよりも明らかに元気がない。気のせいかもしれないが、彼を象徴する鮮やかな髪の色もくすんでいた。太陽に輝いていた金色の目には光がないが、シュナに焦点が合うとかろうじて爽やかさが戻ってくる。
(しおれた植物……)
浮かんだ言葉をぶんぶん頭を振って追い払い、シュナは気を取り直そうと明るめの声を上げてみる。
《きちんとご飯は食べているの? それにちゃんと寝ているの?》
《はは……ここ数日はあまり。でも大丈夫。俺はこういうのにも慣れているから。ははは!》
シュナはぶるっと寒気が走ったのを感じた。わかる。というか今わかった。こういうのを空元気と言うのだ。もうなんかどう見てもしおれているのにいつも通り振る舞おうとする態度が痛々しい。あれ? 外で最後に見たときここまで酷くなかったと記憶しているけれど一体何が……と震えが止まらない。
《む、無理しすぎないでね……!》
《ありがとう。俺ももうずーっと迷宮に来たかったんだけど、色々とね、休めない理由がね、ありましてですね……》
再び彼の目から光が消えた。もしかしなくてもその色々って自分(トゥラの方)のことも含まれているのではなかろうか。いやさすがに自意識過剰だろうか。というか外は今どうなっているのだろう。外に居たときは一刻も早く迷宮に戻らねばと言う気持ちが強かったが、迷宮にいる時間が長くなるとあんな形で出てきて大丈夫だったのだろうかという懸念の気持ちが強くなってくる。
いや、どう考えても大丈夫なんてことがあるわけない。実行する前はさっと抜けてしれっと戻ってくればいけるんじゃないかななんてのんびり考えていたが、そこまでうまく事が進むわけがない。迷宮への入り口を開いたときは「今ならなんでもできる気がする!」という謎の強気に満ちあふれていたが、過ぎ去ればシュナは相変わらず無知で疑問だらけのシュナだ。多少できることは増えたが、全ての問題や疑問を解決するにはほど遠い。
迷宮内部にいると時間感覚がなくなるが、母と話をしたりアグアリクス達と飛び回ったり、果ては眠りこけたり、これで外の世界はまだ朝になってないしトゥラがいなくなったことは誰にも知られていません、なんて考える方が楽観にすぎるだろう。
(か、考えなしすぎたかしら……あのまま外に居続けるというのも駄目だったと思うけど……でも断りなしに出てくるのもまずかったかしら。でも断る……どうやって? それにもし仮に意思疎通できる手段があったとしても、デュランが許してくれたとは思えないわ。やっぱり最終的には強攻手段に出る他なかったのでは……ああでもやっぱり、もう少し上手な方法があったかしら……!)
行動してもしなくてもドツボに嵌まっていくようなこの感覚。
だらだらだら、と心の中で全身びっしょり冷や汗で濡らしているシュナは、ゆらり、と揺れるシルエットにびくっと怯えた。一瞬宙に逃げそうになったが、よく見たら近寄ってきていたデュランだった。
《だからシュナ。久しぶりの所本当に悪いんだけど、君を逆鱗と見込んで一つお願いしたいことがあるんだ》
《な、なに……? わたくしにできることにしてね……?》
今なら罪悪感でかなりの無茶振りにも首を縦に振ってしまいそうな気がするが、それでも無理なものは無理だ。
一体何を言われるのか、と身体を小さくして固唾を見守っている彼女の前で、竜騎士はすっと息を吸った。
《君を思う存分触らせてもらえないか》
《…………》
若干痩け気味の顔や目の隈が気になっても美形の男が真顔で真剣に言うと凄まじい迫力があった。いや、逆に余計鬼気迫るものがあるというか。
さてシュナは固まった。頭の中が真っ白になった。要求自体はそこまで難しいものではない。というより今までだって散々やられていたことな気がする。
だからこう改めて言われると、「わざわざ許可を取ろうとすることは普通以上の何をするつもりなのっ!?」と逆に疑う気持ちが芽生える。そこまで深いことを考えずとも単純にこの圧が怖い。
しかし見た感じ本当にお疲れモードな彼に邪険にするのも、「なんとなく雰囲気が微妙だからイヤ」なんて断り方をするのも、お互いに唯一無二な関係を結んでいる相手にあまりにも無情な気がする。疲れの原因の一部はほぼ確定で自分のせいなのだろうし。
増してデュランは鎧の呪いとやらのおかげで他の竜には触ることができないのだ。となるとシュナが断れば彼の要望に応じることのできる存在はどこにもいなくなるというわけで。
瞬きもせずにシュナを見つめる騎士。そっと目を逸らすと、ちょっと遠くでリズミカルにブーブー唸っているネドヴィクスを発見した。今近寄ってこないのはデュランのせいなのだろうが、デュランの存在に唸っているのか、要望に対して「それは我々竜としては看過できない頼み事ですよ! お触りなんて絶対に許しませんよ!」という意味なのか。
エゼレクス辺りならちゃんと言語化して外野から参考意見を飛ばしてくれたのだろうが、コミュニケーション能力難有り竜ではさほど助けにならない。もうちょっと落ち着いている時のデュランなら、ピンクの竜を無視することなく翻訳までしてくれたのかもしれないが、今の彼はシュナしか目に入ってないんじゃないか感が半端ない。感というか実際そうだろう。本人(本竜)が地味かつ大人しいこともあってか、ネドヴィクスの存在は今現在デュランに認識されていないと見た。
つまり結論を言うとシュナ本人が主に自分一人でなんとかするしかない。
幸いデュランはロックオンしていても急かすことはない。そんなにじっと食い入るように見ていたらそれ自体が催促になっているのではないかと思わないでもないが、雑念を片端から追い出してイエスかノーかのシンプルな回答に集中する。しばしの葛藤の後、シュナは必死に頭を働かせて妥協点を導き出した。
《……変な所や、くすぐったいのはだめよ。それ以外なら――》
《シュナーッ!》
食い気味だった。素早かった。この人こんな風に動けるなら案外まだ余裕あるのかなと思いそうになる速度だった。
ガッ! と音が鳴る勢いでシュナの首元に腕を回した騎士は、そのまま沈黙している。シュナも立ち尽くしていると、両手が首筋を滑っていき、さすさす感触を確かめるように往復する。ブツブツ呟く低い早口が聞こえてきた。
《ああ……シュナだ……久しぶりのシュナだ……生き返る……俺は許された……》
シュナはしばらく、一切のことについて無心になることと、後で記憶から消すことを決意した。
離れた所ではネドヴィクスがより一層大音量かつ高頻度でブーブー繰り返していた。
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