竜姫 ちょっと引く

《あー帰りたくない考えたくない仕事したくないずっとこうしていたいなんで俺は領主子息なんだ次期侯爵なんだ意味がわからん……》


 すべすべな鱗に覆われつつも全体的にふっくら丸みを忘れず、総合的に毛触りこそないもののなかなかよい感触であるシュナの身体にすっぽり顔を埋めたまま、竜騎士は動かない。それを見下ろして……いや至近距離につき見下ろすのもきついため、縋り付かれたまま、シュナは彼が飽きるまで瞬きを繰り返している。


 ……大分かかりそうだ。がっちりホールドしたまま微動だにしない。


 無知故の幸か不幸か、こういう場面でのシュナは一般的女性に比べてかなり寛容だ。けして現在の竜騎士の様子を見てがっかりすることなく、彼にはこんな一面もあるのだなあ、と暢気に感動している。


(親子だわ……)


 彼女の脳裏に浮かんでいるのはファフニルカ侯爵の姿である。

 基本的に赤い髪以外共通点がなさそうに見える親子だが、今のデュランは夫人にべったりな時の侯爵に、雰囲気というか態度というか表情というか、とにかくその辺がそっくりなのである。夫人が常に邪険に夫を遠ざけていなければ、侯爵は全く同じようなことをしていたに違いない、となぜか確信できる。


 ……何故かも何もなかった。今しがたデュランが「乗っかられるのはむしろご褒美」とか口走っていたではないか。ファフニルカ侯爵は「妻に虐げられるのはご褒美」と公言してはばからず、常に生温かい顰蹙を買っている人物である。完全に一致するではないか。


 血のつながりとはこういうものなのだなと体感できるというか。実に興味深い。

 そしてつい最近シュナの目を覗き込んで、「不思議ね、人間の親子って」なんてしみじみ呟いていた母のことを思い出す。自分もシュナの母親なのにどこか他人事じみているのがいかにも人ではない彼女らしく、そしてシュナもまた同じような感覚と感想を抱くのだ。


(違うかと思えば似ているけど、けして同じではあり得ない。本当に不思議だわ。命の繋がりって……)


《ふふふ……シュナはどこもかしこもすべすべだなあ……》

《……ちょっと!》


 大人しくしていた彼女だが、デュランの手がすすすっと上がっていって耳の方にやってくると顔を振り上げて逃げた。きっと目をつり上げ見下ろすと、両手を上げたままの間抜けな姿が目に入って気が抜ける。


《変な所は触らないって言ったはずよ》

《別にそんな……これでも大分自重しているというか……》

《耳はくすぐったいからだめなの》


 前も言ったはずなのにきっと忘れてしまったのだな、と思って繰り返すと、デュランの金色の目が妖しく光り、彼は奇妙に輝かしい微笑みで両手を構えた。気のせいでなければ……いやどう見てもこれから何かに飛びつこうとするポーズで、しかも視線はぴったりシュナの顔面、更に言うなら耳にロックオンされている。ピッ! とシュナの喉から、本能的に恐怖を感じたせいだろうか、変な音が漏れた。


《……その手はなに?》

《やっちゃいけないと思う天使の俺と、だからこそやってみたいと思う悪魔な俺の葛藤――かな》

《一体何を言っているの!?》


 見てくれだけ切り取ると文句のつけようのない美男子の爽やかすぎる笑顔なのだが、いかんせん発言内容の方は問題があるのではないか。キシャー! とシュナの喉から出るのはもはやあからさまな警告音だ。久しぶりの間によっぽど大変な目に遭って寝不足が祟っているのだろうか。そう思いたい。元からこういう人でしたと断じるには今はまだとても割り切れない。


 騎士はさすがに経験豊富な男、引き時をわきまえているのか手は引っ込めたが、相変わらず視線はシュナの耳に熱意を持って注がれている。しょぼくれていた彼が元気になってきたのはいいことだが、開花しなくていい情熱まで芽生え始めた気がする。何が一番よろしくないって、シュナが結構真面目にシャーシャー言っているのに、騎士から感じられるのが反省ではなく和んでいる気配でしかないという部分だ。


《だめよ。あなたがどんなに疲れていても、わたくしだっていいこと悪いことがあるのよ。……本当にわかっているの?》


 シュナは翼を広げて精一杯身体を大きく見せた。生物共通の元祖威嚇法である。今の身体ならシュナの方がデュランより大きいのだ、体重をかけられても頑張れば踏ん張っていられる力だってある。


 しかし彼女は知らない。竜慣れしている男からすると、このポーズは全然怖くないどころか、ますます他個体と比べて小柄なことがよくわかるという事実を。


《はあ、可愛い……》

《デュラン!?》


 ついうっかり口から零れましたというような言葉にシュナはショックを受け、信じられない物を見る目で竜騎士を見る。そろそろかっこよかった頃のデュランを取り戻さないと大事な逆鱗からの信頼がすり減る事を感知したのか思い出したのか、彼はでれっとだらしなく弛緩した顔から真面目な顔に戻ってきた。


《すまない、シュナ。俺は悪い男だ》


 が、キリッとして言う言葉がこれだったので、シュナは思わず反射的に翼で頭を打ってしまった。


《反省して!》

《うん、する……大丈夫、君の弱点が耳なことはもうしっかり覚えたからね……》


 ぼーっとした表情のまま言う様子に、何か墓穴を掘ったような気持ちで一杯だ。この後いつものデュランに戻ってくれるのかしら、それとも今日はずっとこのまま壊れた調子なのかしら。どきどき怪しい心音に苛まれると、ふと顔を上げた騎士がくるりと振り返り、眉をひそめた。


《……気のせいじゃなかったか。ギャラリーが追加されてる》


 え、と思ってシュナが彼の向く方向に目を向けると、徹底的に存在を無視され続けた中、それでも健気にブーイングを鳴らし続けていたらしい竜がいた。もう唸るどころでなく地団駄と尾で地面を叩く動作まで加えて、なかなか身体を張った抗議に発展している。それなのにこの瞬間まで(反応から推測するに分かった上で)流していたデュランの精神面にもちょっと思うところがあるし、気がつかなかった自分のこともそっと反省する。


 しかも目を擦って見直してみたが錯覚ではなかった。竜は二匹に増えていた。ピンクの竜の横では、同じぐらいの大きさの銀色の竜が、後ろ足でガッガッと地面に怒りをぶつけている。デュランの注意を無事に引くと、彼らは足での主張を一端やめた。心なしかぜーはー息切れしている気がする。見慣れたピンクの竜と見慣れぬ銀色の竜は揃って口をかっぱり開くと、竜騎士に向かって交互に罵倒を浴びせ始めた。


《変態。変態。変態》

《臭い手で姫様にベタベタするのでないであります、バーカバーカハーゲアーホ!》

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