竜姫 他竜(ウィザルティクス)と遭遇する

《ハゲは俺じゃなくて親父の方だよ》


 竜騎士はさらりと放たれた攻撃の一つをこの場にいない父親の方に受け流した――というか無理矢理押しつけた。

 どうも彼は父親であるファフニルカ侯爵に対して、ことあるごとに扱いが雑な節がある。なんとなくそうしたくなる理由は、もう現時点でさえ充分わかっているのだが、それでも地上では一番偉い人なんだから、もう少しせめて敬おうとする姿勢ぐらいは見せていた方がいいような気もする。


《そういうことを言ってるんじゃないであります、ぐぬぬ……》


 二竜は揃って渋そうな顔をした。言葉の出力が追いついてこないネドヴィクスは口を開いたまま硬直している。銀色の竜はシュナの目が自分の方を向いていることに気がつくと、びしりと敬礼するように翼を構えた。


《姫様、お初にお目にかかるのであります! 此方は本日の姫様担当、秩序と風紀のウィザルティクスと申すのであります。此方の目が黒い内は、このような邪知暴虐、無知蒙昧な輩に大きい顔などさせてはおかぬと固い決意を――うわっ、臭いっ、こっち来んなであります、ギャースギャース!》


 口上の途中だったが、シュナの横でさりげなくすっと鎧を顔まですっぽり装備したデュランが前方に掌をかざしながら歩いていく。ピンクの竜銀の竜ともに顔をしかめてのけぞるも、最終的には我慢ならなくなったのか、地面から慌ただしく空中に逃げていく。


《馬鹿め。この呪われた鎧のせいでお前達に俺とシュナの仲を邪魔できないのは既にわかっているんだ。思い知ったか!》

《くっ、なんて卑怯な……其方おまえそれでも元筆頭竜騎士でありますか! やり口がコスいのであります! 器の小さい男だ! 心の狭い奴だ!》

《うるさい! お前に俺の何がわかる――五年間ずっと遠巻きに眺めることしか許されなかった俺の深い絶望の、一体何がわかるって言うんだ!!》


 最初に騎士が鎧を悪用して竜達を追い払った時は「こういうの、大人げないって言うのよ、わたくし知っているわ!」とさすがに相方をたしなめようとしたシュナだったが、口を開けた直後状況が変わったためそのまま怯んだ。

 勝ち誇って拳を振り上げていた彼は、新たな竜に応戦している間に、一転してがくっとうずくまり、地面に向かって叩きつけている。その姿を見ると、叱った方が良いのか慰めた方が良いのか、もう全部見なかったことにするのが正しいのか、おろおろ迷った末立ち尽くすことになる。とりあえず口を開けっぱなしなのはどうかと思うのでそっと閉じた。ぴう、と鳴いてみたが、竜騎士は失意たっぷりに四つん這いになったまま、孤独な五年間を噛みしめるのに忙しいらしい。そっと耳を澄ませてみると、


「いや、見られるならまだいい……遠巻きでも視界に収められるのはむしろ最高にいい方なんだよ……臭いが駄目だとかで徹底的に避けられ続けた俺の深刻な竜不足がお前らに理解できるのか……? 仕方ないから八つ当たりの矛先を迷宮探索に向けるしかなかったんじゃないか、何が孤高の覇者だ、好きで一人になったわけじゃないっつーの!」


 なんて呪詛のような低い言葉が聞こえてきた。


《えっ、嘘であります、そんな、そこまで傷つくなんて思ってな――な、泣くことないのであります、此方悪いことしてな……してないでありますよね、ネドヴィクス!?》


 激しい動揺に苛まれたのはシュナだけではなかったようだ。いやもうシュナは動揺を通り越して「わあ……」と逆に感心する段階まで行っているのだが。

 ちょっと遠目の場所に降りてきた銀色の竜は、立ったり伏せたり羽ばたいたりと忙しそうに暴れ回った後、背後の同類に助けを求めるように振り向いた。


《……肯定》


 いかにも面倒くさい顔だったがネドヴィクスは一応答えた。合いの手すらサボっていることもある彼にしては、かなり良心的な応答と言えよう。


 しかし新顔の狼狽っぷりを眺めている間に、いつの間にかデュランは立ち直っており、悪い笑みを浮かべている。


「これが経験値の差だ……覚えておけ……」

《デュラン》

《何? シュナ》


 呼びかけるとすぐに甘い声と顔に戻る様子に、何かこう見てはいけない物を見てしまったような気がして一端また思考停止しかけたシュナだが、精一杯気を取り直そうとする。


《今まで長い間大変だったのね。疲れも溜まっているのね。でももう大丈夫よ。わたくしがついているもの》

《シュナ……!》

《だけど、喧嘩するような態度はよくないと思うわ。前にラングリース様の時も同じようなことをしていたでしょ。それに――》


 続けようとしたところではっとシュナは気がつき、慌てて言葉を切り上げた。

 何しろ“シュナ”が知っているのは迷宮の中のデュランのことだけのはず、人間の“トゥラ”の記憶をこの姿の経験として話してはいけないのだ。


(あ、危ない……ついうっかり、人間の時のことまで話題にするところだった……!)


《と、とにかく。だめよ、いけないことを繰り返すのは。仲良くして、余計な争いを生むようなことをしない。基本よ!》


 咳払いでのごまかしは大分危うい気がしたが、デュランは素直にシュナの発言を重く受け止めたらしい。


《ごめんなさい。これから先は人や竜を煽りません。可能な範囲でできうる限り前向きに》


 最後にものすごく早口かつ小声で付け足された部分は、おっとりもののシュナは深く考えることなく、最初の真摯に見える部分にだけ反応した。


《素直に反省できる人は偉いと思うの》

《シュナ……!》


 再びぎゅっとシュナを抱きしめたデュランを見て、ぎぎぎと銀の竜が派手な歯軋り音を立てている。


《くっ、あの野郎、こっちが近付けないからと思って調子乗りやがって……かくなる上は、此方にも考えがあるのでありますっ》


 そこで彼が何か溜めるように言葉を句切ったので、その場の全員の視線がなんとなく集中した。たっぷり注目を集めてから、銀色の竜は胸を張る。


《アグアリクス先輩に言いつけてやるのであります!》

《非推奨》

《お前、それでいいのか……》


 ネドヴィクスは簡潔に自分の意見を述べてから目を逸らし、デュランも脱力してため息を吐いていた。一人銀色の竜だけが達成感に満ちている。


《まあつまり、俺がトチらないようにお目付役がついたってことでいいのかな。アグアリクスの指示か?》


 お互いにヒートアップして沸点を超えた後急速に冷えたせいか、デュランが普通に話を振ると、距離を保ったままではありつつも、あちらも存外先ほどまでギャーギャーやり合っていた仲とは思えないぐらいごくごく普通に返してきた。


《先輩はご多忙の身ゆえ、不肖此方が任務を託されたのであります》

《差し支えなければ、人選の根拠は教えてもらえたりするのかな》

《厳正なるくじ引きの結果なのであります》

《ああまあ、うん、そんな感じなんじゃないかなってね、予感はしていたんだけどね。もうちょっとなんとかならなかったのかな、アグアリクス……!》


 デュランの嘆きを聞いていたシュナは、《我は秩序と正統の竜ぞ、そんな仕事は受け持っていない!》と某黒い竜が眼をつり上げて抗議する幻影を見た気がした。

 目の前では銀色の竜が頬を膨らませてブー、と不満の音を漏らしている。


《不愉快であります。不満がありそうな顔なのであります》

《同意。疑問。能力。推奨。自省》

《ネドヴィクス!?》


 思わぬ同士討ちに銀色の竜は悲鳴を上げたが、ピンクの竜は冷たい目を向けたままだった。エゼレクスと並ぶと黙っている場面がほとんどの彼だが、この竜と一緒にいるともっと目立つようになるというか、相方のポンコツ感によって彼の安定性が際立つというか。


 銀色の竜とピンクの竜がピイピイやり出したのをよそに、デュランはシュナの首筋をポンポンと叩いてから一度数歩下がり、全体を確かめるように目を滑らせる。それからシュナの周りをぐるっと一周回って、正面に戻ってきた時再び竜達に声をかけた。


《――で。今日は大地の間から崖の間に抜けて軽く探索をしようかと思っていたのだけど。そこのお二人の助力は期待できるのかな》

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