竜姫 焦る
(今日は冒険に行くのね……)
デュランの言葉に、シュナは嬉しいような、ちょっとびっくりしたようななんとも言いがたいこそばゆい気分になる。少しでも長い間一緒にいられるのは嬉しいが、一方で迷宮外の事も心配だ。立ち直る前のデュランの尋常ではないやつれっぷりと言い、気になる。しかし急に切り出したら不審に思われないだろうか。それとなく聞き出すには……と彼女が悩んでいる後ろでは、二竜がピイピイ音を揃って竜騎士に向けていた。
《姫様は病み上がりなのでありますよ! 無理は禁物なのです》
《うん、わかってる。状態はかなり良さそうだけどね。飛行も特に問題なさそう、むしろ前より上手になってたみたいだし。たっぷり眠って、ちゃんと疲れが回復したのかな。アグアリクスにあんな風に言われたからどうなるかと思ったけど、来てみたら思っていたよりずっとずっと鱗の輝きも身体の動きも良さそうで、こっちまで元気を貰える――》
すらすらと流暢に淀みなく言葉を連ねていた竜騎士だったが、三竜がじっともの言いたげな目で見つめているのを見ると、一度句切ってから肩をすくめる。
《何だよ。調子なんて見てればわかることだろ?》
《……そうなの?》
《もちろん。俺は君のことなら何でもすぐわかるんだよ》
最初の言葉は遠くでますます遠ざかっていきたそうな雰囲気を醸し出している二竜に向かって放たれ、次の言葉は首を捻ったシュナに甘やかにかけられた。
確かに竜達と一緒にぐっすり寝たおかげか、調子はかなりいい。デュランの方はわかりやすく絶不調に見えたが、その最中でも的確にシュナを観察していたということなのだろうか。さすがは竜騎士、特級宝器保持者、かつシュナの逆鱗である。
と感心し誇らしい気持ちになるのと同時に、思わず少し苦笑いもしてしまうシュナである。
(何でもわかる、はちょっと困るわ……)
何しろこちらには知られては困るあれこれがあるのだ。目を泳がせ、どことなくふんわりした空気に任せてそのままやり過ごそうとしたシュナだったが、直後デュランが何気ない調子で言い出した内容に思わず吹き出しかける。
《ウィザル、ところで姫様ってどういう意味? 確か前にエゼレクスもそんなことを言っていたような気がするけど》
せっかくシュナが堪えたのに、当事者の方は駄目だったようだ。しゃっくりのような音を立てて、ぎょっとした顔になり、デュランをまじまじと見つめる。
《んなっ――な、な!》
その後も奇声を上げ、全く態勢を立て直せていない竜に、騎士は爽やかな微笑みで――それでいてどことなく油断ならない雰囲気を交えて、質問を続けた。
《まあエゼレクスは色々適当な事言う奴だし、そこまで気にしてなかったけど。アグアリクスに特別なんだからって念押しされたぐらいだし、お前は何度もシュナのことを姫様と呼んでいるから……何か理由でもあるのか?》
《そっ、それは……》
社会経験値がこの中で一番低いだろうシュナだってわかる。ウィザルティクスの態度はまずい。何かを隠していることを隠せていない。
(たぶん、お母様が女神様――迷宮の女王様みたいなものだから、娘のわたくしは王女で姫……ということなのだと思うけれど……)
それって言っていいことなのだろうか。アグアリクスはどうもデュランにシュナがある程度特殊であることを話したらしいが、さすがに核心部分までは言っていないのではなかろうか。だってシュナにだって「余計な事を喋るんじゃありません(意訳)」と言っていたぐらいなのだ、竜としてもそこは明かしたらいけない情報なのだろう。
どうするんだろう、どうやって疑惑を晴らすんだろう、とドキドキ見守っているシュナの前で、すっと銀色の竜が表情を失った。静かに、厳かな口調で彼は言う。
《禁則事項であります。お前は黙って少しは騎士らしく傅けばいいのであります》
《……なるほど》
とりあえずお茶は濁せたというか、ものすごく力業で会話を打ち切らせた。デュランは意外にもあっさり一言で片付け、あまり深入りをしない。
(それでいいの!? あまり気にしていないのかしら? 自意識過剰? 考えすぎ? ……そう片付けるのも、あまりに楽天的すぎるような。この感じ……不気味だわ。なんだかむしろ、何か思い当たるところがあったから引いた、みたいな……深読みしすぎかしら……)
なぜだろう、出会った時にはただひたすら頼もしく頼る相手だった相方の言動が今はキリキリと心臓に痛い。ビクビクチラチラ顔色をうかがうシュナの心知らず、彼は彼女の首筋をポンポン撫でている。
《にしても、なんで此方達の微細な変化がわかるし覚えているのでありますか、あの男。むしろ感覚共有のある此方達より気がつくのであります》
《興味。連結。記憶》
《はあ……つまりそれって、奴がいつも此方達を舐めるように見ていて、しかも繰り返し頭の中で考えているということなのでは?》
《回答拒否》
どうかこれ以上デュランが鋭いことを言いませんように、わたくしのことで変なことを考えませんように! と念じているシュナから少し離れた所では、竜達がひそひそ互いを小突き合っている。
その間にデュランはシュナの許可を得て背にまたがっている。久しぶりの人の感触には緊張する部分もあったが、シュナは彼の合図に応じ、スムーズに空中に飛び立った。
《飛び方、練習したの?》
《そうよ!》
《ふーん。……他の竜と?》
《そうよ。アグアリクスに教えてもらったの》
シュナの後ろでは二竜が羽ばたいていた。シュナは練習の披露の瞬間だと気合いを入れ、うきうきと返事をする。
《シュナはアグアリクスのこと、好き?》
《もちろん!》
《……へえ。そう?》
最初は錯覚かと思いかけたが、どうもデュランの反応が芳しくない。なんだろう今度は一体何が引っかかったのだろう、デュランと違ってシュナには彼がわからないことだらけだが、今日はことさら読めない、とちょっとびくつくシュナは、知らず知らず言い訳のように付け足していた。
《あの人、少しお父様に似ているから……一緒にいると落ち着くの》
《……お父様?》
ボソッと低い声で素早くデュランが呟いた。
《君にはお父様がいるの?》
彼は一呼吸ほどの間の後、優しい口調ではあるが、確認するかのように尋ねてきた。
……咄嗟の動揺に飛行姿勢が乱れなかったのは、きっとアグアリクスの訓練の賜だと彼女は深く心の中で感謝する。いや、彼が発端で絶賛ピンチに陥っているので、ありがたがるだけでもいられないのか。
(竜に両親はいない……ああもう、わたくしったら!)
たっぷり心の中で冷や汗を流しながらシュナは必死に考え――ようとしたら、正しく護衛が仕事をしにバタバタ慌ただしく馳せ参じた。
《人間には! そういう役割が存在するのだと! 此方達が解説したのであります!!》
《肯定!》
後ろで様子を見守るように並んで飛んでいた竜二匹が、ぐんと距離を縮め、シュナを挟むように並走して交互にデュランにピイピイまくし立てる。
《そっ……そうなの! ええと、人間には、お父様? というものがいて、アグアリクスはとてもよく似ているな、って……》
《……なるほどね》
援護を受けてシュナも言葉を重ねると、彼は再びどこか不穏なフレーズと共に黙り込んだ。
そのまま気まずい沈黙が流れるかと思ったら、すぐまたデュランが話しかけてくるのでシュナはピッ! なんて高音を漏らしている。彼女もウィザルティクスのことを全く笑えない。
《ところで、シュナ。アグアリクスがお父さんなんだとしたら、お母さんはどの竜?》
《えっ!?》
今度の「え」は濁点がついたような濁った音だった。シュナだけでなく両脇からも同じ音が出た。
それぞれ意表を突かれた、という様子の竜の真ん中で、竜騎士はあくまで爽やかかつ優しい顔と口調である。見た目は確かにそう見える。
《何? どうかした? アグアリクスがお父さん竜なら、お母さん竜だってきっといるよね。違うのかな》
《……デュラン。何か、怒っているの……?》
《違うよ? 別に答えられないなら、それでもいいからね》
プルプル震えるシュナの首筋を優しく騎士の手が愛撫する。なぜだろう、それすら今のシュナにはほんのわずか、けれど確実な恐怖を抱かせる。模範的な飛行を懸命に維持したまま、シュナは無理矢理答えをひねり出した。
《エ――エゼレクス!》
《……ん?》
《お母さんなら、エゼレクス……かしら……って……》
完全な無音が訪れた。シュナは背中で竜騎士が完全に硬直した気配を感じる。左右でちょっと遅れてから、堪えきれず吹き出す音と、なんとか堪えきるも全身を震わせる振動の気配が伝わってくる。
(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!)
彼女は心の中で犠牲にした緑の竜に手を合わせる。お父さんとお母さん、ならアグアリクスとの組み合わせ、かつ似たようでありつつ正反対……なんて考えていて真っ先に思い浮かんだ結果なのだが……たぶん本人には大不評というか、知られたら間違いなく「なんでよりによってぼくを選ぶのさ、しかも母親の方!? ありえねー!」と激怒するだろう。
(でも、お母様をお母様と呼ぶわけにはいかないもの――お願い、許して!)
必死に祈る心持ちのシュナの横では、立ち直っていつも通りの平静状態に戻ったピンクの竜と、ヒーヒー苦しそうにまだ喘いでいる銀色の竜がそれぞれ竜騎士の次の動きを見守っている。……ウィザルティクスは呼吸音が怪しい気もするが、よっぽど変な咽せ方でもしたのだろうか。
《まあ、価値観は個人で違うものだよな》
最終的にデュランは、釈然としないが納得しないわけにもいかない、という態度だった。
《冒険のことを! 考えた方が! いいのであります!!》
《はいはい。ところでシュナ。アグアリクスとエゼレクスなら、どっちの方が好き?》
せっかくウィザルティクスが話題を変えようとしてくれたらしいのに、軽くいなされてしまった。一体いつまでこの質問攻め続くのだろう、せめて乗る前にしてくれれば「ちょっと用事が」なんて飛んでいくこともできたのに。さすがに答えられないからって振り落とすのはあまりに惨いし後が怖い、と温厚で臆病なシュナは考える。
質問魔は自分も言われたことがあるが、今なら彼女に矢継ぎ早に問いを向けられてたじたじとしていた竜達の気持ちがちょっぴりわかる気がする。猛省して、以後困らせるのはやめよう。
そっと心に誓いながら、それでもシュナは擦り切れそうになる自分の意識をたぐり寄せ、ええとええと、と唸る。
《……アグアリクスかしら》
本当にごめんなさいエゼレクス、でもこの二択なら仕方ないわ! と心の中で絶叫している幻影に平謝りしている(とどめを刺しているとも言う)シュナの背の空気が少し軽くなったようだ。
《じゃあ、俺とアグアリクスなら?》
《…………》
なんだか話の流れからして来るんじゃないかという予感はあったが、実際的中しても全く嬉しくない。しかしシュナは素直で空気の読める竜だった。実に模範的優等生だった。
《……デュランは逆鱗だもの。一番大切な人よ》
《そう!? 俺もシュナが一番大切だよ!》
嘘は言っていないのだが、この誘導で言わされている感は何なのか。
ほとんど白目になりかけているシュナと、ぱあっと輝きに満ちる騎士からそっ……と距離を離したウィザルティクスが、同じくそっ……と彼から引いてきたネドヴィクスに向かって耳打ちする。
《なんなのでありましょうね、あの男。此方達が手を下すまでもなく、勝手に自分で沈んでいくのであります。でも、あまり沈まれ過ぎると、主様や先輩各位の心労がマッハで祟るので、此方はざまあ見ろもっとやれと思うべきか、おい馬鹿その辺にしておけと思うべきか、悩ましいのであります》
《……審議拒否》
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