竜騎士の帰還
不死者――
彼らとの遭遇は少ない。平時であれば、人が踏み入るべきではない迷宮の深層にひっそりと息を潜めているらしい。一方で、大災厄の折には先頭に立ち、人類の駆逐に最適な無情の兵士として務めを果たすのだという。
魔物、謎の手の群れ、竜――そして不死者。先が見えず厳しくなる一方の連戦に晒され、人間達の疲労は最高潮に達していた。空は不気味な銀色の球体で覆われており定かではないが、もう夜のとばりも下りているのではなかろうか。
終わりが求められていた。それはけして幸福でなくてもいい。この状況が好転するとは思えないから。緩やかな絶望が地を這い、人の足を伝って体をむしばんでいく。
誰かの吐息が肩に重たくのしかかる。足に力が入らず膝を突く。振り下ろされた不死者の一撃に耐えきれずよろめく。かばい合っていたはずが罵声の応酬じみたものになっていき、誰の顔も険しくなる。
ここで終わりかと、そんな空気が迷宮領全体を覆いつつある時だった。
ピイイ、と空を裂くような高い音が鳴り響く。
それはつき先ほど、人類に向かって敵対の合図として使われていたものだ。
――だが。
一際白く輝く翼が力強く羽ばたく。
ただ一体だけ、空を舞う竜がいる。
真っ白な体は金色に輝いているようにも見え、思わず地上の人々は不死者達と対峙していることも忘れてその不思議な竜に魅入った。
奇妙なことに、迷宮領のどこにあっても人であればこの竜の姿が目に浮かんだ。まるで時が止まったかのように静まりかえる。一つの羽ばたきの音だけが世界を支配する。
男はぐるりと辺りを見回し、懐かしそうに目尻に皺を寄せた。そしてすうっと大きく息を吸う。
「――立ち上がれ、人よ! お前の願いはその程度のものか!」
びりり、と空気が震えた。俯いていた人間達は思い出す。
ここが迷宮領、最も常識知らずで、欲望に近い場所であることを。
「頭を上げよ、竜よ! お前の誇りはその程度のものか!」
ピイイ、と高い音が放たれる。同時に、不服をかみ殺すようなうなり声がそこかしこから漏れ聞こえた。
「俺は何一つ諦めない! 全部勝ち取ってやる――だから」
竜の背で男が一点を――ちょうど彼の下、まるで時を止められたかのように硬直している不死者の群れを指さす。
心得た、というように相棒が口を開いた。
一閃。
――あれほど高い壁、御せぬ荒波と思われていたものが、あっさりと瓦解し、粉々に砕けていく。
「戦え! お前の価値を示せ! お前の
最初は沈黙のみがあった。
おお、とどよめくように空気が震える。
応、と誰かが答えた。
ピイイ、と耳に少し痛い高音が空を渡った。
おおよ、と誰かが吠えた。
地上に伏せられていた翼が力強く広げられる音がこだまし合った。
負けてたまるか。終わってたまるか。畜生、こんなところで。まだちっとも願いを叶えていないのに。
《――来い!!》
竜騎士達は、身につけて片時も離さない、異形でありながら最も近しいものと自分を繋ぐ鱗を口に含んだ。そこに息を吹き込むことで、声なき叫びを上げた。
空に、次々と竜が上がっていく。少し前までがらくたのように地面に伸びていたのが嘘のように。そして争っていたのが嘘のように、人を受け入れ、背に迎える。
人もまた、戸惑いはしなかった。息をするように相棒の背にまたがり、そして次には撃つべき目標を見据える。
《――やれ》
《殲滅しろ》
《寝起きのウォーミングアップだ》
各々が伝えると、竜達は鳴き声と行動によって応じた。
呆然とそれらの光景を見守っていたうちの誰かが笑い、隣からいぶかしげな目を向けられる。
「――だってさ、こんなものを生きて拝める日が来るなんて思わないだろう?」
目尻に浮かんだ涙を拭い、空を指さして彼女は言う。
「地上に竜が舞い、不死者を迎え撃つだなんて。大災厄の記録にも、こんなすんばらしいへんてこ展開、書いてなかったってば!」
――竜の一部を常に身につけ、牙を剥かれようと逃げず反撃もせず、地に落ちれば不死者の群れから献身的なまでに守って、竜騎士は誰も彼もが酷い有様、ボロボロだった。それでも空に在る全員が静かな誇りに目を輝かせ、微笑みを浮かべている。
やがて彼らはあらかたの仕事を終えると、迷宮領中心の上空に集い始める。
誰よりも多く飛び回って戦果を上げた白い竜が戻ってきてきょとんと竜騎士達を見回すと、リーデレット――当然のように相棒の背に身を預ける女騎士がニヤッと歯を見せた。
「お帰りなさい、至高の竜騎士様」
そしてすぐに真面目な顔になる。
「ご指示を、閣下」
竜騎士達はデュランの言葉を待っていた。
五年前の彼を知るものもそうでないものも、皆本能的に至上の竜騎士とは誰のことかを理解していた。
デュランは一瞬はにかむように顔を赤らめたが、咳払いし、声を張る。
「各機散開して次の襲撃に備えよ――迷宮領を取り戻せ!」
竜も人も、力強く彼に応えた。
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