嵐の前 後編

 遠くで戦いの音が断続的に響く。時折地面が大きく揺れた。戦闘の場に出られぬ人々は不安げに身を寄せ合い、息を殺す。


 ――やがて迷宮領に静寂が戻った。



「あらかたは片付けた、か……?」


 乱闘の音がやみ、散っていった竜達が帰ってくる姿を見てデュランは呟く。

 自らもあちこち飛び回ったが、少なくとも上空から確認できる範囲の地上に不死者の姿はなくなった。


《こちら東部。ここら一帯は全部追い払ったぜ、リーダー》

《北部、鎮圧完了。このまま巡視を継続する》

《西部、クリア。任務完了しました。次の指示まで待機します》

《南部、敵影なし。負担の大きかった奴をいったん帰投させる。この間に少しでも竜体を休ませておきたい》


「――デュラン!」


 竜同士の念話を目を閉じて聞いていたデュランは、羽ばたきの気配に顔を上げた。


 呼びかけてきたのはリーデレットだ。逆鱗コンビとして復活したネドヴィクスの鮮やかなピンクの色は、鈍い色の空でもよく目立っている。


 対話機能が不足している、と公言している竜の方は、相変わらずの無表情、何を考えているのかぱっと見ではわからない。発言内容から察するに、喜怒哀楽を感じていないわけではないが、あまり表に出てこないのだ。


 一応付き合いが長くなると、なんとなく察することはできるようになる。今は適度な緊張を帯びて、力まず周囲への警戒を続けている、そんな状態と見えた。


 対して相棒を取り戻した女騎士は、眩しい笑顔だった。竜、それも自分を選んだ相手の背に戻ることの悦びは、きっと経験した者だけが知る至上の栄光なのだろう。思わず応じるデュランも、自然と表情が緩むのを感じる。


「中央部も、生ける屍リビングデッドの群れを入り口まで押し込んできたわよ。今は皆で囲んで、交代で出てこないように牽制しているような状態。応援が必要そうな所はある?」

「わかった。他のエリアでもちょうど今は落ち着いたみたいだ。ちょっと待ってて」


 リーデレットに返事をし、デュランはティルティフィクスを通して念波を飛ばす。


《――シュナ? 聞こえる?》

《なあに、デュラン?》


 すぐに愛しい声が戻ってきた。


 シュナは今、迷宮の復旧作業を進めている。先代女神からの引き継ぎと、もう一人の次代神候補との争い――複雑かつ膨大な処理に対応すべく、体をもう一度眠りにつけて集中しているらしかった。


 ティルティフィクスにデュラン随行を命じたのも、自身が前線に出てくる余裕がないためなのだ。少し寂しい気持ちもあるが、贅沢は言っていられない。一番負担が重たいのは彼女なのだ。こちらはこちらのできることをして、女神の娘を神の座に導かなければならない。


《調子はどう? 大丈夫そう?》

《平気よ。皆の声もちゃんと聞こえているわ》

《そっか》


 ひとまず声の調子に異常や消耗は感じられず、デュランはほっと息を吐き出し、本題に入る。


《もう伝わっているかもしれないけど、改めて状況を共有する。こちらは地上に侵攻していた不死者の掃除が、あらかた完了した。この流れのまま、司令塔まで叩いておきたい。あの手の群れを作るタイプって、雑魚をいくら討伐してもきりがないんだ》

《わかったわ。きっと隠れているのね? 探してみる――》

《――探索。続行。既遂。結果。共有》

《そうなの、ネドヴィクス? ありがとう!》


 途中からぐいっとネドヴィクスが割って入ってきた。言われるまでもなく仕事をしていると言う彼から、早速脳内に敵の位置情報が送られてくる。


《やっぱり迷宮内部に司令塔がいたのか……》

《今のままだと、地上の人が迷宮に来られないし、入ってきても危ないところに行ってしまうかもしれないのね。わたくし、目標までの道を作るわ。できるはず!》

《無理しないでね、シュナ》

《へいき!》

《推奨。補助。派遣》

《そうなの? もう迎撃部隊を送ってる……? すごいわネドヴィクス!》


 一応個別会話も可能ではあるはずだが、声音に寄らない意識のコミュニケーションは竜達の本分だ。当然のように会話に割り込まれ、シュナとのやりとりは他の竜達に筒抜けになっていると思っておいた方がいいな……と目を遠くするデュランである。


「お待たせ、リーデレット。今確認していたんだけど、不死者の司令塔を竜達でなんとかしてくれるって――」


 待たせていた女騎士に伝えている途中で、デュランははっと言葉を切った。


 ティルティフィクスの体に緊張が走り、ぐんと降下する。ネドヴィクスも同様に逃げたようだ。空中にバシンと痛そうな音が響き渡り、緑色の竜が突如姿を現す。


《――クソが! 五体のどれかは持っていきたかったのによ!》


 イライラと首を振って物騒な悪態をつくのは、まごうことなき混沌の頂点だ。急襲に身構えた竜達は「なんだお前か」という顔になったが、デュランは目を見開いた。


「エゼ!? そういえばお前、今までどこに――」


《よお色男。無事にシュナんとこ行けたみたいで何より。アグちんと体張って時間稼ぎしてきた甲斐があったわ》


 さわさわとこそばゆい感覚があるのは、おそらく通信を共有していたシュナの驚きだ。ちょっと慌てているような感じが伝わってきて、デュランもなんだか落ち着かない気分になる。


《まさかお前……ザシャとやり合ってたのか!?》

《さっきまでね。あ、向こうの位置情報は喪失ロスト。アグちんとボクは権限強いし、深追いしたら逆にシュナの場所割られそうだったからさあ。そこは絶対死守しないと駄目じゃん? まあそんな感じ》


 反応はいつも通りなのだが、普段であれば光り輝いている体は全体的に色褪せてくすみ、所々怪我も見える。鱗が逆立っているのも、けして不機嫌だけが理由ではなかろう。


《それでエゼ……アグアリクスは? 地上こっちには来ていないようだけど……》

《ちょっと糸切りに迂回はしたけど、今はもうシュナんとこ戻ってるよ。保護兼補助な。あいつしばらく通信にも出てこないだろうけど、放置しといてやって。あいつの作業に集中したいだろうからさ》


 デュランはその言葉に、いったん気配がなくなったシュナに呼びかけることを思いとどまった。竜のことは竜が一番知っているのだ。彼らの言うことに従った方がいいだろう。


《防御型とはいえ、ザシャの相手をしていたとなると、かなり消耗が激しいんじゃないか?》

《あいつを誰だと思ってんのさ、秩序の頂点様ですよ? 他の奴みーんな倒れても、あれだけは残る。そういう風にできてるから気にしなさんな》


 心配するデュランを鼻で笑ったエゼレクスは、それからブツブツと独り言の呪詛を続ける。


《あの野郎マジなんなの、覚えたての力の使いこなしが手慣れすぎてて気持ちワリーんだよクソが。しかもシュリ相手にしてる時より苦戦しちまったわ、屈辱。あー、もうちょっと速く動けたら取れたのになあ、足……》


 少し距離を取って飛んでいたティルティフィクスとネドヴィクスは互いに顔を見合わせ、緑色の竜に近づいた。

 二竜が鼻先を黒ずんだ部分に寄せれば、エゼレクスの体が淡い金色を帯びて、損傷部分が修復されていく。


 その間に、今度はリーデレットがデュランに呼びかけた。


「デュラン、今エゼレクスと話してた? 何があったの?」

「エゼとアグアリクスで、ザシャを抑えててくれたらしい。あいつ、次の神になろうとしているんだ」

「はああ!? えっちょっと待ってよついていけない、次の神ですって!? っていうか今更だけど、一緒にいた枢機卿カルディはどうしたの――」

「ごめん……ええと、迷宮内のことを話し始めるとすごく長くなるんだけど……」


 女騎士は目を白黒させている。申し訳なさそうな顔になったデュランの前で、健康体に戻った緑色の竜が、くああと場違いにのんきな欠伸を披露した。


《たぶん今あの亜人はねぇ、自分の陣地作って、権限強化してるとこ。こっちから先に仕掛けられればそれに越したことはないが、まあ大分消耗させられてるし、何より要のシュナの準備が正直できてると言いがたい。――そこで提案。一回ここらでがっつり休んでおかね? 飯食って体拭いて仮眠取るぐらいの時間はあるよ》


「はあ? そんな暇、あるわけないでしょ――」


 途端に真面目な女騎士が憤慨したようになったが、デュランは「いや」と幼なじみを押しとどめる。


「俺はエゼレクスの話、悪くないと思う。地上の時間がどうなってるのかわからないが、こっちもこっちで結構な長期戦になってきているんだろう? たぶんここが、一息入れられる最後のタイミングなんだ。ザシャは準備ができ次第、仕掛けてくる。こっちもできるだけいいコンディションにしておかないと」


《ご理解いただけて結構だこと。さー、わかったら各自きりきりと回復に務めるよーにっ! ああ、ボクはちょっくらお残しをフォローしてくるわ。できる竜はモテて辛いね》


 緑色の竜は話は済んだとばかりに、現れたときと同じぐらいの唐突さで姿を消した。


 女騎士が困惑の目を向けると、デュランは苦笑してから真面目な顔になる。


「たぶんあいつ、司令塔潰しに行ってくれたんだ。……休もう、リーデレット。皆にもそう伝えるよ」

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