嵐の前 後編

 たった数時間――ほんのわずかな時。

 それでも一度休息を挟めたことは、戦闘員を回復させ、士気を保つことに大いに役立ったと言えるだろう。


 各避難所は一時期、配給の時間となる。資源の配給となれば、ただでさえ負荷のかかっている人々はピリピリして互いに小突き合った。



「ほーれ、深呼吸ー! すー、はー! もしできてない子を見つけたら、速やかに報告! できるけどしんどいって子も報告! その他はいつも通り――そう、いつも通りに。な、大丈夫だ。まだ我々は、終わってはいない」


「大の大男がそのように声を荒げてみっともない! 腹に穴が開いた程度でなんですか! そのように喚く元気があるのなら、お前も配って回りなさい!」


 だが、貴人達、指示し慣れている者が殺気立ちそうになる空気に凜と声を張る。誰でも受け入れる、翻せば統制の取りづらい迷宮領だが、不思議と侯爵家の人間が声を出せば従ってしまう。


 あるいは彼らがいない場では、実力のある者が音頭を取り、好き勝手させない。


 配給は迅速に行われ、その後は静寂が訪れた。


 ある者は睡眠をとり、またある者は己の道具を磨くなどして、次に備えている。



 デュランが休む旨を告げると、竜達は皆地上に降りてきた。静かに翼をたたみ、目を閉じてたたずんでいると、まるで彫像のように見える。常であれば騎士達と戯れて遊ぶ無邪気さは、今の彼らからは失せていた。


 竜騎士達は己も各々休息を取っているが、所用で少し席を外してもすぐに竜のそばに戻ってくる。中にはリーデレットのように、愛竜の背中に乗り込んで寝ているような者もいた。


 時折ささやかに会話をする――それ以外の音はない。


 デュラン自身も、ティルティフィクスの隣で横になり、目を閉じていた。

 そうすることが、最もシュナの助けになる――正しく理解していた彼は、最も静かに時を過ごす。



 一方、避難所では、また新たな動きが起きていた。


「――はぁい、ジャグ。今元気?」


 ちょうど己の所持品を並べていた片腕の父親に近づくのは、乙女の心を持つ筋肉冒険者だ。かつて妻の戦友だった男の声かけに、ジャグ=ラングリースは顔を上げ――何か察したようにニヤッと笑った。


「どうした、ズライ。まだ体が動かないってか?」

「おかげさまで、よーくなったわよぉ。でね、お達しというかお知らせというか、坊ちゃんから情報が届いてるらしくて。次は格別でかい戦いになりそうなんですって」


 バキ、と腕を鳴らし、冒険者は元冒険者に妖艶に微笑みかける。


「あたしは当然出るけど、今、入り物を取りに行く連中で固まらないかって話をしてるのよ。あんたも出る?」

「――当然」

「父さん、あたしも外に行きたい」


 立ち上がった父の傍らに、いつの間にか娘の姿があった。

 驚いた直後、困ったような雰囲気になる二人の大人を前に、ニルヴァ=ラングリースは静かに続ける。


「考えたよ。あたしは実戦経験もない上に、能力が高いわけじゃない。足手まといになる確率の方がきっと高い。何もできないどころか、事態を悪化させるぐらいなら、ここで大人しくしてた方がいいんだろうなって思う」

「ニルヴァ、俺ァ別にそこまでは――」

「聞いて、父さん。あたしね……どうせ死ぬなら、せめて欲望ネガイを果たそうとしてからにしたいんだ」


 大事な人、特に戦いに向いていない家族には、安全な所にいてほしい――それは父として当然の希望だ。だがジャグは、ニルヴァの言葉にはっとした。


 女神の変化により世界は変わろうとしており、もし今戦っている迷宮領の人間が倒れれば、どのみち子供達に明日はない。


 それでも――葛藤するジャグの横で、ズライが真面目な顔で少女に向き直った。


「あんたは何をするつもり?」

「戦闘ではほとんど役に立たないだろうけど、危険の探知や弱点の看破はできるはず。それに迷宮内のことには不案内だけど、市街地なら、あたしもしかすると、大人よりずっと詳しいよ」

「なるほどね。装備は?」

「軽装。スリングが使える」

「……ま、よしとするか。アタシは盾役だから、可能な限り仲間を守るわ。それでも、これはもう無理だって思ったら庇わない。……わかるわね?」

「はい」


 ズライは頷き、今度はジャグの方に試すような視線を向けた。


「状況込みでまあギリ及第点かなって所だけど、どうする? パパ」


 ジャグ=ラングリースはぎゅっと口を引き結んでいたが、やがてため息を吐き出す。


「……ここで止めて、たとえ縛り付けようが、どうせ後からついてくる。冒険者ってのは、そういう生き物だ」


 緊張していたニルヴァの面持ちがぱっと輝き、ズライもニヤリと怪しげな笑みを深める。


「ニルヴァ。ここから出るからには、お前は冒険者見習いだ。そのつもりで接する。いいな?」

「うん――はい!」



 消耗を抑え、来たるべき時に備えよ――とはいえ、誰もが皆大人しかったわけではない。


「次は何が来るかなあ。思うにさ、今までは軍団だったわけじゃない? そうなると、デカブツが来るんじゃないかなーって気がするんだよねえ。学者の勘はそう言っています」

「ヒョッヒョッヒョ……強襲強敵レイドボスかの? どうせ出てくれるんなら、落とし物がうまいといいのう」


 陽気かつのんきな非戦闘員達の会話に、うるさそうな目を向ける者もいたが、概ねはそのまま放置していた。この明るさが失われたら、そのときが本当の終わりだという思いもあったのかもしれない。


強襲強敵レイドボスねえ……このクソだるい時にマジで出たらぞっとしないけど、なんか悪い予感ほど当たるもんだからねえ……」


 亜人はぼやきながらも準備に忙しい手を止めることはけしてない。



 そして皆が止まる中、誰よりもせわしなくしている少年があった。


 彼は砕けた十字架の残骸ごと両手を合わせ、ずっと呪文を唱え続けている。術をかけて、穴の中からの不死者の群れを押さえ込んでいるのだ。


 おかげで彼以外は安心して休めているが、たった一人で防衛を続けている少年の負担は計り知れない。


「いやあれ……大丈夫なのか? 駆けつけてくれたのはありがたいけどよ」

「ここに来てからずっとだ。寝るどころか、飲み食いもせず……」


 彼とともに、あるいは彼を見守る人の中には、休息を勧めようとした者もある。

 けれどすさまじい気迫が少年から放たれており、結局声をかけて集中を乱すことがはばかられた。


 ルファタ=レフォリオ=プルシは、全身全霊を以て法国人の凄みを周りに示していた。


 彼は祈る。他人のために。

 そしてわずかに、自分と、自分の師のために。




 そのときが訪れた瞬間、誰に合図されたわけでもないのに、一斉に人々が顔を上げた。


「――来る!」


 休息していた者がただちに臨戦態勢を取るのとほぼ同時――迷宮領のあちこちに、地中を突き破って更なる脅威達が姿を現した。


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迷宮の眠り姫は竜騎士の呪いを解く 鳴田るな @runandesu

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