竜騎士 浮ついている
「なんだかトゥラの様子がおかしいと思うんだ。戻ってきてから」
時刻は昼。場所は城内。
天気がいいのでテラスに諸々広げ、当代侯爵と次代侯爵が揃って昼のサンドイッチをつまんでいる時のことだった。
息子の方が団らんのついで、機を見ておもむろに切り出してみたのだが、彼の予想に反し、
「おかしいのはお前の頭だわ、バーカバーカ!」
と額に青筋を浮かべて返された。
それまでそこそこ機嫌が良かったのになぜ急降下したのか。
解せない、と次代侯爵ことデュラン=ドルシア=エド=ファフニルカは眉を顰める。
全体的かつどこを取っても端正な彼は、多少表情を崩したところでやはり様になる見た目をしている。
すると食事中の父親のこめかみにはますます力が入っていっているように見える。
「血管切れるよ?」
「誰のせいだと思っていらっしゃるのでしょうかねえ」
息子は父親の視線の先を追いかけてくるっと後ろを振り返った。側に控える人間はあれど、今この場の見える位置には二人しかいない。
おかしいなあ、誰もいないのにと首を傾げているデュランに、侯爵は両手で顔を覆ってわっと泣き出すかのようなポーズを取った。
「ねえそれ本気で自覚ないの? ないんだよね、知っとるわ!」
「なんか最近急に気が短くなったよな、親父。どうかしたの? 母さんが鞭で自分の手に傷作ってるから欲求不満?」
「いやそれも大いにあるが、それよりもっと直近に大いなるフラストレーションの元が……まあよい。そうさな、そうだ。この件について感情的になるのは不毛。大丈夫儂は迷宮領当主、クールダウンなら得意。……で、何だって。トゥラちゃんが変? どうしてそんなことを思ったりしたのだ、お前は」
テーブルの上に両肘をつき、両手を組んで口元を覆う。
会議中、真剣に考えていると見せかけて欠伸をかみ殺している時の領主の常套手段だ。
この場合押し殺したいのは、退屈や眠気ではなくもっと積極的な感情なのだろうが。
しかし父の扱いがぞんざいなことに定評のある息子は、さほど壮年の健康を慮ることなく自分の用事を済ませようとする。
「なんというか、こう……避けられている気がするんだけど」
「……まあ、そうだろうな」
一瞬返すのに間があったのは、正直に言うべきか優しさで包むべきかの判断に、若干の時間を必要としたせいなのだろう。
結論素直が一番を採用した領主を、息子は上目遣いに見つめてくる。
「うーん……やっぱり、親父からもそう見えるんだ? ひょっとして――ていうかうん、確信持てた。母さんもそう考えてるんだね」
「うん、まあ。えー、ぶっちゃけるとな。お前をダンスパートナーにしなかった理由の一つ、それ。隣にいるぐらいならそわそわ程度で済むだろうが……密着はNGなんじゃないのかね」
つい先日ギャンギャン喚き散々不服を申し立てた件を掘り返したことにより、再び噛みつかれるかと身構えた父だが、今はショックの方が大きかったらしい。デュランもまた机にがんと両肘を突き、頭を抱え込む。
「ああー、気のせいじゃなかったかー、なんでだー!?」
「儂が聞きたいわ。お前、何した? パパ、場合によっては怒るけど正直に話してごらん」
「何もしてないっつーの!」
「つい昨晩、某コレットというメイドさんから指先キッスしてじたばたさせたとかいう報告が上がってきているのですが」
「寝る前の挨拶しただけだよ? あと一応匿名性は守ってあげなよ、話が誰から流れたなんてすぐにわかるけどさあ……」
大量(そしてそのうちの大半はデュラン用である)のサンドイッチが並べられた皿と水の入ったコップのみ載せられているとは言え、仮にもテーブルクロスの敷かれた食卓、シシリアがいたら男二人とも手をはたかれていたに違いない。
見ている者がいないと途端にマナーが飛び出すのは、迷宮領特有の風習と言えよう。
「なんでそういうことするの。イケメンだから?」
「関係なくない? え、だって……嫌われてるわけではなかったみたいだし。だから余計、ちょっとわからないっていうか……本当、なんで避けられてるんだろう」
心底不思議そうに言う十九の青年に、四十二の男はガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。かっと目と口を開いて人差し指を相手の顔にビシリと突き立てん勢いで指し、説教を始めるかに見えた。
が、結局開かれた口からは威勢のいい台詞は一切飛び出さず、まるで空気が抜けるようにまたへなへな初期位置に戻っていく。
「……で」
「で?」
「この父に悩みを打ち明けたのは、うん、まあ、息子の義務? 権利? どっちでもええわ、よしとしよう。それで? その後も何か言いたいことあるんだろう、ないならないでいいけれども」
今体から抜けていったエネルギーを取り戻そうとでも言うようにファフニルカ侯爵はサンドイッチに手を伸ばした。
一方、少し前、父が騒がしくばたついている間に一つ口に入れていた息子は、ごくりと飲み込んでからそうだな、と頬杖を突く。
「……まあ、すごく正直に言えば、ダンスはやっぱり俺と踊った方がいいと思うけど。わかってる、わかってる。それはそれで面倒になるって言いたいんでしょ? それに何よりトゥラが……なんか知らないけど、あれ恥ずかしがってるのかなあ? 可愛いけど。続きすぎるのは困るな。ともかく、俺が近すぎるのはダメみたいだし、しょうがないか……」
途中ちらほら口を挟みたそうなムーブをしていた父だが、なんとか堪えて息子の話の行く末を見守る。
「若様、結論はどうなりましたの?」
「え? ……そうだな、舞踏会終わるまではちょっと遠めから見守るとして、シュナに相談するのが一番かもなって」
父の女言葉ボケもさらっとかわしたのは、元の調子が出てきて雑対応をしているのか、ぼーっとしていて素で気がつかなかったのか。
何にせよ「いやトゥラちゃんよりお前の方が最近ずっと変だからね」と言いたいが、言っても自分のストレスが増えるだけな未来を予測して黙る侯爵閣下である。
「――でもやっぱり、本番は何があるかわからないし。俺は万端に整えておくから、安心してて! ごちそうさま!」
最終的にどうやら勝手に自己完結したらしい息子は、考えがまとまってすっきりしたのか、やけに爽やかな笑顔でそう言い残すと、素早くテラス席から去って行った。
まあ領主一家は全員多忙の身だ、食事は軽めに済ませて次の予定に向かうなんてしょっちゅう、その点については当主とて小言を言うつもりはない。
彼がため息を吐き出したのは、皿の上にいつもより大目に残っているサンドイッチの群れを見てのことである。
「なーにが万端だ、まったく。せめて浮ついていくことぐらいは自覚せい! 軟弱者め!」
空に向かって振り上げられた拳は、再び顔面を覆う位置まで戻された。
「ああでもあれ、すっごく見覚えある……シシリアと会ったばかりの儂そのものだわ……そうね、一挙一動気になって足がふわふわするんですよね、馬鹿野郎なんでそこまでわかりやすいのに自覚しないんだ……!?」
そのままぐでーんとテーブルの上に伸びていた領主だったが、さすがにのんびりとしすぎたらしい。
そっとやってきた執事が時間を知らせてきたので、だるだるの様子からぴしりと姿勢を伸ばした状態に戻り、きゅっと襟元を正した。
「まあいいよ……お前が嵐の中で拾ってきたときから、なんとなくもう我々覚悟できてるというか、もはや諦めるしかない境地だから、いいよ……幸いにもね、お相手様の反応悪くないみたいだし、だからこう、もうちょっとしゃんとね、してほしくてね……」
若者同士を支援するのはけして善意のみを理由をしてはいないが、なんだかんだ息子は可愛いし娘さんもかわいらしい。
なのでより一層、息子の方にはいつものようにしゃんとリードしていただきたいのだが……。
当座は目前に迫った舞踏会が一番の難敵であることは侯爵家、および関係者各位の共通認識である。
まあ懸念要素はあれど、デュランだってそこはちゃんとわきまえているだろうし、何より家庭教師シシリアがついていれば大丈夫か。
などと、最終的には楽観主義で結び、侯爵閣下は悠々と午後の予定に足を運んだのだった。
……しかしその日の夕方、トゥラのダンスの練習相手を努めていたらしい騎士から、
「気がつくと若様が物陰からそっと見つめているの、なんとかなりませんか。妻帯者に嫉妬しないでいただきたい、私は仕事をしているだけです……」
などと困惑混じりに伝えられ、当代侯爵は膝から崩れ落ちることになった。
フワッティ若様無自覚問題については、最悪長期戦を覚悟せねばならなそうな根の深さなのであった。
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