自由な竜 泥沼に現れたる救いのオッサン

 さて困った。


 彼のこの発言をどう受け止めればいいのか。実に悩ましい問題だ。


 一番素直に受容するなら、「まあ、どちらのわたくしも選んでくれるだなんて……!」と感動に打ちひしがれてキュンとときめくのが正解なのだろう。……なのだろうか?


 だがそれはあくまで、シュナとトゥラが同一人物である、という前提があった場合の話だ。


 デュランは基本的に、シュナとトゥラは同一人物ではない、と思い込んでいる。

 疑う要素にはキリがない、どころか、一度はシュナ(というかトゥラ)本人による自白の手前まで行ったぐらいだ。


 残念ながら、振り絞った勇気は華麗に右から左に受け流されてしまった。けれど彼も薄々何か察知しているようだし、きっといつかは真相にたどり着くのだろう。遅いか早いか、それだけの違いで。


 とは言え、少なくとも現状では、未だ妄想を事実と確信できるほどには至っていない。

 ゆえに、とりあえず一般的な常識に照らし合わせて別人と思っている。


 まあ彼の思考回路としてはそんな辺りなのではないかなと予想ができるわけだ。


 さて、だが今度は、デュランがシュナとトゥラは一匹と一人と認知していることが別の問題を生む。


 先ほど彼はなんと言ったか?

 どちらも捨てたくない、すなわちどちらもほしい、とこの男は正直にのたまったのだ。


 するとこの文脈で総合的に意味することとしては――。


(それってシュナわたくしに、いわゆる浮気とやらを宣言したのも同然なのでは……?)


 ファリオンはそういう知識を娘に与えるのを嫌がったが、幼児向けの絵物語にも皆無とは言えぬ頻度で出現するのが人間の痴情のもつれ模様なのである。


 こういう場合、浮気をされた方とやらは、ハンカチを噛みしめるなり地団駄を踏むなり頬を引っぱたくなり……要するに相手に不快の意思を示すのが、人間の自然な感情の流れかつ社会のルールであるらしかった。


 特に恋人同士以上の関係になれば、自分以外の誰かに目移りすることに対して憤るのは、もはや権利であり義務なのである。

 箱入り娘は愛読家でもある、そのように男女の痴話喧嘩の作法とやらを心得ている。


 現にデュランの態度は、まさに悪いことをして叱られるのを待っている子供そのものだ。悪いことをした――いや現在進行形でしている、その自覚と罪悪感はあるのだろう。


《……念のために確認しておきたいのだけど》

《はい》

《わたくし、今、どちらか片方しか選べないって、言ったわよね》

《……おっしゃりましたね……》

《でもあなたは、どちらも好きだから、両方選ぶ、って……?》

《だって……本気だもん。シュナに対してもトゥラに対しても》


 おお、なんとまっすぐで清らかな若者の瞳であることか!


 だが経験値が溜まってきている娘にはわかる。

 この男、自分の外面がいいことを知っていて、かつ積極的にそれを武器にしてくる、そういう側面も持ち合わせている。加えて社交辞令はシュナより数倍うまい。


 ……いやしかし、どうもちゃんと本当に本心のようではないか。


 さてシュナは本格的に次の言葉を失ってしまった。


 このデュランを肯定も否定もできない。

 肯定すれば自分以外の女に目移りすることの許容になりかねず、一方で否定すれば自分への思いを拒絶することにつながるではないか。


 では今この瞬間真相を明かし、「実はシュナとトゥラは同一人物なの!」なんて無邪気に言うことができるか? いや、不可能だ。


(自分を偽ることで、いつか報いを受ける時がくるかもしれないとは、思っていたけれど……!!)


 まさかこういう形で嫌な予感が的中するなんて、想像できるわけがないではないか。


 どうしよう。シュナは思わず助けを求めて振り返った。


 そこには期待通り、白い竜が待機している。

 が、シュナが顔を向けた瞬間、自分も同じように自分の背後に顔を向けた。


 割と露骨な「私に話題を振らないで下さいどうしようもできないです」アピールである。

 きゅうん! と悲しく鳴いてみたが微動だにしなかった。保護者とは無情な生き物なのか。

 ある意味その反応も期待通りと言えるのだが、結論として残るのは依然墓穴を掘っている自分のみという惨敗極まりない結果である。


 しかもこの反省しながらかつてないほどド真面目でもあるというデュランが作り出す何とも言えない空気、原因はシュナである。

 根本的な意味でも、そもそも自分と自分で二択を迫るという、真相を知っていれば茶番極まりない話題にしてしまったという意味でも。


 デュランはデュランで、まさか念願の相棒から「私と女の子どっちが」問題をふっかけられるとは思わず、答えに窮しているらしい。心なしかどこか嬉しそうでもあるのが度しがたいのだが、そわそわ時折口を開けたり閉めたりしつつも、悩ましげに眉をぎゅっと寄せたままでいる。



 沈黙が流れた。

 どうしようもなく無音だった。


 このいかんともしがたい間を壊してくれるなら、今ならエゼレクスに飛び込んで来られても構わない。

 一瞬そう錯乱したくなるほど、シュナにとっていたたまれない空間だった。


「あのー。お話は、まとまりましたでしょうか……」


 さて、お互いにすっかり途方に暮れた者同士、すっと助けの手を差し伸べたのは意外な人物だ。


 飛び上がった二人は、そっと声をかけた冒険者に双方丸い目を向け、ついその過程でうっかりお互い目をバチッと見合わせてしまい、慌ててそそそっと距離を取り合う。


「ま――とまってはいないけど、ちょうどいいタイミングだったかな!」


 冒険者に動揺も露わな震え声で答えたデュランは、


《そうだ、シュナ! この人が君と話したいって――お話を聞いてもらえると嬉しいな! 俺はちょっと、その……頭冷やしてくるから!!》


 となんとかギリギリ捨て台詞を残し、それから目にもとまらぬ速さで去って行ってしまった。


「逃げましたな、あれは……?」


 呆然と背中を見送るシュナの前で呆れ顔になった冒険者は、コホンと咳払いする。


 どこかで見たことのある顔だ。

 デュランよりも大分年上で、甲冑は着ておらず革の防具を身につけている。


「お久しぶりです、シュナ様。以前お目にかかりました、ジャグ=ラングリースと申す。覚えていらっしゃいますかな」


 男は話しながら、手をシュナの顔の前に持ってくる。開かれた手の中には何もない。それを充分見せつけてから握りこぶしを作り、


「ぽん!」


 と彼がおどけて再び開けばそこには小さな花が握られていた。


 途端に記憶が蘇る。

 前に――というより、デュランと初めて会ったばかりの頃、少し話をした冒険者だ。


《覚えているわ!》

「おお、好反応。良かった、良かった」


 シュナがピイピイ愛想良く返すと、男は顔の皺を深くした。


 彼は確かあまり前線には出ないタイプの支援型冒険者だった。竜騎士ではなかったはず、竜の鱗で作られる笛とやらを持っていない。

 となると、シュナが彼の言葉を聞き取る分には問題ないのだが、彼がシュナと話そうとするとデュランなしには少々難しいはずだ。


 しかし引っ込んでしまったデュランを探しに行く様子も見せず、


(久しぶりに会ったけれど、わたくしに用だとしたら何をしにいらしたのかしら?)


 と首を傾げているシュナに、男は腰のポケットから瓶を取り出す。


 あっ、とシュナは思う部分もあったが、平静を装った。


 まもなく掌一杯に竜砂糖カラメルを乗せた男が、善意百パーセントの微笑みで手を出してくる。


《…………》


 別に自分の好物ではないのだけどな……? という思いを抱えつつ、満腹というほどでもなかったシュナは、ひとまずは大人しく冒険者の好意に甘えることにした。


 デュランと知り合い、それなりに親しそうな間柄の人間だったのだ。警戒すべき相手ならそもそもデュランは二人きりにはしないだろう。加えて視界の範囲にティルティフィクスもいる。


 少し前まで妙な気疲れで強ばっていた身体が、竜砂糖を摂取するという行為によって自然な動きを多少取り戻してきた感覚がする。


 全部無事に飲み込み終わってからふう! と鼻息荒く達成感を示している竜に、冒険者はようやく本題を切り出してきた。




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