自由な竜 泥沼化する修羅場

《その。トゥラさんからは、どのようにお聞きしているのでしょうか……?》


 まさに戦々恐々、という様子で竜騎士は切り出した。

 普段の自信に満ちあふれ明るい笑顔を振りまいている様子はなりを潜め、びくびくとシュナの顔色を上目遣いに窺う様子は、率直に言って割と情けない。


 しかし一方でそれは彼の反省を示した態度と解釈することも可能だった。


 シュナは大きく深呼吸をして気合いを入れる。


(トゥラは他人、トゥラは他人!)


 喋っている間にボロを出さないように自分に心の中で言い聞かせてから、おもむろに口を開いた。


《せっかくおめかししたトゥラのことを無視して、舞踏会で色々な女性と仲良くしていたって、聞いているわ》

《それは……はい、ごめんなさい。他には何か……?》


 一瞬言い訳のムーブを見せかけたデュランだったが、冷ややかな目が飛んできてこの流れはまずいと察知したのか、それより先にまずは相手の情報を引き出すことが優先事項だと思ったのだろうか。


 促されてシュナは、トゥラとして言ってやりたかったこと――を、シュナが聞いてきたのだという体で話す……などと地味に頭を働かせながら口を動かしてみる。

 偽装工作はなかなか骨の折れる作業なのだ。


《でも、それはね、仲直りしたの。トゥラだってわかっているもの。大勢の人と仲良くするのはデュランのお仕事の一つだって。……気分はよくないわよ! 女の子達の中にいてヘラヘラしているデュランなんて嫌いなのよ! トゥラはそう言っていたのよ! ……ちょっと、そこでなぜ笑うのっ!?》

《ご、ごめん……不可抗力……》


 途中まで確かに顔色悪く、神妙に深刻な風情でいた青年だったのだが、なぜか罵倒されているはずなのに途中から自制できないほど口角が震えだし、しまいには手で口元を覆い、仕切り直すように咳払いした。


 なぜ怒っているのに喜ぶのか……と複雑な気持ちになりかけたシュナは、ふと思い出す。


《そうね、あの時も同じだったわ。あなたはトゥラが他の女の子と仲良くしているのが嫌だったってわかったら、なんだか急に喜び始めて……それでキスをしたのよ》

《…………あ。はい。うん。そうですね》

《なんなのその答え方は!!》

《ごめんって! いやでも――いや、でもね、でもね!?》

《でも、何なのよ!》

《だって……いや本当……可愛くてつい……》

《真面目に考えてくれないかしら!?》

《割と今人生で五指に入るレベルで真面目だよ!?》

《それで!?》

《この必死さが伝わらないのは辛いな!!》


 双方肩を怒らせ、割と絶叫している。


 じっとデュランの金色の目をのぞき込んだシュナは、確かにそこに宿る色合いがとても情熱的かつ真摯だということに気がつくと、少しクールダウンされる。勢いに押されて負けたとも言う。


(そうね、反省はしているみたいだし、あまりいじめるのもよくない……待って! だめよ、トゥラの時、何度も今口がきけたらと思ったはずでしょう。ごまかされるのはよくないわ。考えて、ちゃんとシュナとして喋れるときに、伝えておかないと)


 元々のんびりしていて争い事に不得手、自己主張もどちらかというと大人しい方である娘は束の間そのまま追求をやめそうになってしまったが、必死に己を鼓舞する。


《デュランはトゥラのことが好きなの?》


 自分を奮い立たせすぎた結果、つい勢い余ってド直球な質問をしてしまった。

 言った直後、彼女はさっと顔色を青くする。現在の姿が青色の竜なので全く目立たないのだが、それはともあれ。


(確かにそれはものすごく気になっていたし、現在のシュナにとってもトゥラにとっても最も気にしている所、諸悪の根源とさえも言える問題……だけれど、さすがにこの聞き方はまずいのではないのかしら、わたくし!)


 主に、答えの種類によっては自分の精神面に壊滅的なダメージを受けるのではなかろうか。


 冷や汗だらだら、何なら「やっぱり今のはナシで」とすら言い出しかねないほど尻込みしていたシュナだったが、結局撤回する前にデュランは答えを出してきた。


《……うん。たぶん……》


 しかしなんとも頼りなく、また曖昧な態度である。

 頭を掻きながら首を傾げ、目をふらふら彷徨わせて言う彼の様子に、下がったはずの熱がまた上がっていく気配を感じた。


《たぶん? あなたはたぶんで人の唇を奪うような男なの!?》

《いや、その! は、初めてで……》

《何がよ!》

《こ……こんな気持ちになるのが……?》

《どんな気持ちよ!》

《いやあ……えーとその……色々……》


 彼は鼻を引っ掻きだし、ついには頬どころか顔全体を赤く染めて俯いた。

 これはあれだ。照れているのだ。


(なぜ! そこで! 照れるの! いえ、真顔で「え? やだなあ、たかがキス一つだよ? あの子そんなに本気になってたの?」なんてことを万が一言われたりしたら立ち直れなかったもの、一応それなりの気持ちはあるのだとわかってよかった……はずなのだけど! 一体何なの、この釈然としない気持ちは!)


 地団駄を踏んでいる相棒を震えて見つめながら、そっとデュランは宥める言葉を囁きかける。


《あのね。トゥラは、その……なんだか放っておけないんだ。知らないことも多い子だけど……なぜかはわからないけど、初対面ではない気すらして。大丈夫だ、信頼できるって確信が持てるんだ。自分でも驚いてるし、正直持て余してる……所もある。彼女はもっと前から俺の特別みたいな感覚で、時々感情や色々な感覚を共有しているような気持ちにすらなることがあって、ずっとずっと、側にいたいなって……シュナさん? あの、お加減いかが?》

《気にしないで。ちょっと頭痛がしてきただけなの》

《だ、大丈夫!?》

《大丈夫になるから少しそっとして……》


 そう……と心配そうにデュランは言うが、いったんは黙って様子を見ることにしたらしい。


 シュナは頭を抱え、唸っている。もちろんデュランが今言った「初対面ではない気が」だの「もっと前から俺の特別」だの「感情等共有しているような気持ち」というセンテンスに、こちらとしては思いっきり心当たりがあるためだ。


 主に逆鱗とか逆鱗とか逆鱗とか……現実逃避や他の理由を模索しようと無駄な抵抗をしてみたが駄目だ、やはり「どう考えてもそれ、交換した逆鱗のせいでしょう」という結論に落ち着かざるを得ない。


(トゥラはわたくしだけど、デュランとしてはわたくしとトゥラは別人だと思っていて、だからわたくしもトゥラは別人だって振る舞わなくちゃいけなくて……でも、デュランがトゥラのことで悩んだり、ひょっとしたら好きな理由って、シュナのせい――つまりわたくしのせいかもしれないってことに、なるのではないかしら?)


 頭痛は止みそうにない。

「浮気か?」とマイルドに疑われたことに「それを言うならあなたの方が心当たりあるはずでしょう!」と咄嗟に返してしまった喧嘩だが、トゥラに対する好意を照れながら告白されるとこちらも叫びたくなってくるし、そもそもトゥラに対しての考察をあまり深められすぎるとシュナとの関連にどうしても抵触するだろうし、これはむしろ墓穴を掘っている行為なのでは……? と今更ながら気がつき始める。


(むしろ今のやりとりで気がついたのでは……!?)


 今度はこちらが怯えて騎士の顔を窺う番になったのだが、デュランは目を伏せたまま考え込んでいるようだった。


 ちらと目が合うと、はっとしてから気まずそうに逸らせる。

 どうやら彼の中ではまだ「相棒に黙って色んな女の子と交流してたし何ならそのうちの一人に結構がっつり手を出した」罪悪感が残っているらしく、それをどう説明したものか悩んでいるようにも見えた。


 するとシュナの心も複雑に、ますますモヤモヤが増してしまう。


 トゥラは自分だ。自分の事を考えてもらえるのは嬉しい。無視されたら悲しい。


 だけどデュランはトゥラとシュナは別人だと思っている。

 その上で、トゥラを好きと言うことは……。


《……あのね、デュラン》

《はい……なんでしょうか……》

《デュランはやっぱり、人間の女の子の方がいいの?》

《……はい?》

《わたくしとあなたはお互いに唯一。でもわたくしは……竜だもの。あなたとキスはできない。赤ちゃんも産めない。そうなのでしょう?》


 デュランは最初、何を言っているんだろう? とぽかんとした顔をしていたが、すぐに呆けた表情は驚愕に、それから狼狽に変わっていく。


 ごくり、と唾を飲み込んで、青い竜はきゅうんと悲しみの声を上げる。


《あなたはわたくしとトゥラ、結局どちらが好きなの? どちらかしか選べないとしたら、どちらにするの?》


(……あら? わたくし本当に、こんなことを聞くつもりだったのかしら……?)


 いや、気になっていることだし、ものすごく大事で、目下の所最大の心労だ。


 人か竜か。どちらを選ぶのか。

 シュナは未だ選びきれない。いつか選ばなければいけないと言われると、困る。


 ――デュランはどうなのだろう。

 彼は結局、人としての自分を求めているのか。

 それとも竜としての自分を求めているのか。


 ……切実な疑問、問いたい内容ではあるのだ。

 ただ一つ問題があるとすれば、「実質一択、どちらを選んでも自分になる二択を迫っている」という事実を冷静に考え始めると、猛烈に身悶えしたくなってくることだろうか。


 さてシュナが身体をくねらせじったんばったん暴れ出す前に、す……と赤毛の騎士が片手を上げた。


《――ど》

《ど?》

《どっちも好きなので捨てたくないですって答えるのは……この場合、不誠実になるのでしょうか……?》


 消え入りそうな、油断すると聞き逃してしまいそうなほど小さな声だった。


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