竜姫 じゃれかかられる
「……はあ、なんだかどっと疲れた」
程なくして、デュランが大きく息を吐き出すとその場に座り込む。
もたれかかられたシュナはぱちぱちと目を瞬かせる。
《デュラン、寝ちゃうの?》
《……今はやめとく》
いかにも瞼が重たそうな竜騎士だったが、一応回復したとは言え気絶中の同行者もいるのだ。さすがにここでぐーすか寝こけることはどうかと思ったのだろうか。それでも立て続けの緊張続きからか、全身から倦怠感が漂っている。
(お外でも疲れて、本当ならリフレッシュしに来たのだものね……なのにさらに疲れさせてしまって、申し訳ないことをしたわ……)
しゅんと沈みそうになった彼女は、せめてこの時間はなるべく竜騎士の言うことを聞こう! という気持ちになっている。
程なくして、シュナに体重を預けたまま彼はそっと口を開いた。
《さっきの男のことだけど。ザシャ=アグリパ=ワズーリ――冒険者だ。すごく危ない奴だから、絶対近づかないで》
《よ――わ、わかったわ! 絶対近づかない!》
つい、「よく知っているわ、だって前も酷いことされたもの!」と元気一杯答えそうになったシュナだったが、危うい所で言葉を変えるのに間に合った。
人の時も竜の時もろくでもない目に遭わされた記憶しかないのだ。前回は首に噛み傷をつけられ、今回は攻撃に巻き込まれ、同行者に怪我をさせられた。言われるまでもなく件の人物の危険性は身に染みつつある。頼まれたって二度と近づきたくない。
胸を張ったシュナに、デュランは安心したようにほっと肩の力を抜いたが、すぐにまた眉に力を入れている。
《まあ、他の竜もかなり警戒を強めているみたいだし、あっちが寄ってきてもアグアリクスが来てくれるなら……でも過信はよくないよな。それにすごく嫌だ。あいつのいる迷宮にシュナを残していくの》
《わたくしなら大丈夫よ》
だってあの亜人が迷宮にいるなら、逆に今度は地上に逃げてしまえば安全ではないか。他の竜なら不可能だが、シュナにだけはその手が使える。
……のだが、根拠となる部分は話せるはずもなく。
結果、竜騎士はまた世間知らずな相棒が特に理由なく請け負ったと判断し、ますます不安を強めたようだった。
シュナの身体を撫でながら、彼は優しい声で話す。
《気をつけてね、シュナ。俺が二十四時間四六時中、おはようからお休みまで君を見守っていられるといいんだけど――》
《それはやりすぎなのではないかしら!?》
そんなことされたら人間に戻れない、という気持ちもこめてシュナは白目になりかける。しかし、口調は甘いが目は据わっている時の彼は、本人として至って真面目な時なのだと、今回の冒険で悟りつつある。デュランの目はやっぱり据わっていた。残念ながら冗談ではなくものすごく本気の時の彼だった。
《逆鱗なんだからそれぐらいしても問題ないんだよ》
《リーデレット様は! ネドヴィクスとそんなにずっと一緒にはいないでしょ!》
《リーデレットだって用事があるから来られないだけで、俺と似たような気持ちだよ。逆鱗ってそういうものなんだよ》
《そうなの!?》
《そうだよ》
《違うと思うの……!》
《じゃあシュナは俺と一緒にいたくないの?》
《それは……》
悲しそうに言われると、うっと詰まった。彼女は根っからの正直者である。思ってもいないことを口にすることはできないのだ。至近距離でじっとのぞき込まれて、おろおろ狼狽える。そんな彼女の様子に、竜騎士が表情を和らげているのにも気がつかない。
《……一日中はやりすぎよ。つ、慎みを持った関係というものが……》
《俺は慎みが足りないって言いたそうな口ぶりだね》
《そ――そうよ! わ、わたくしにだって、プライベートな時間というものがあるの。それはデュランだって、覗いてはいけないものなのよ。そういう行いは、紳士的ではないと言うのよ》
《そっか。興味深いな。そういえばシュナって、俺のいない間に何して過ごしているの?》
《――禁則事項よ!》
いつの間にか頬杖をついてニヤニヤしているデュランの様子に、シュナは自然とむきになっていく。
最終的に竜たちの会話打ち切り常套句を持ち出すと、金色の目がきらっと光った。
《相棒に隠し事なんて、悪い子だ!》
《きゃっ――何をするの!》
デュランよりは大きい彼女だが、竜としては小柄だ。そして相手は怪力を生み出す宝器を身にまとっている。戯れでも、不意打ちで飛びかかられたらあっさり身体がひっくり返された。
《悪い子にはお仕置きだぞ、シュナ!》
《くすぐったい――くすぐったいわ、やめてー!》
こしょこしょ脇腹のあたりを触られてしばらく身もだえていたシュナだったが、ばたついているうちに抜け出せた。慌てて空に逃げると、そこまでは騎士も追ってこない。笑いながら座り込んだ彼を見て、シュナもまたすぐに地上に戻ってくる。
《びっくりしたじゃない!》
《これに懲りたら俺に変な嘘は吐かないこと。すぐにわかるんだからね》
抗議したが、言い返されるとぐっと詰まった。
さらりと言われた言葉に、「はいわかりました」とは答えられない事情を抱えているシュナがまごついている間に、ふと彼がまた真面目な顔になった。
《女神様。君に似ていたね》
《そっ……そうかもね……!》
そっと目をそらしたシュナは心の中で叫んでいる。
(わたくしだってなるべく嘘は吐きたくないけれど、あなたが答えにくい話題を振ってくるのよ……!)
今さっきくすぐりの刑を受けたばかりだ、さて次の質問攻めは一体どう切り抜けたら、と戦々恐々していた彼女だったが、意外にもデュランはシュナの顔をじっと見つめているだけでそれ以上聞いてこようとしない。何かじっと考えていそうな彼の様子を窺っているうち、今度はシュナの方が己の好奇心に負けた。
《デュランは、あの人に会ったことがあるの? そんな風に言っていたわ》
《……一度だけ。この鎧をもらったんだ。貸してあげる、って、言われて――》
言葉が句切れた。竜騎士は口と共に目を大きく見開いているが、シュナも同じような顔になり、忙しく頭を働かせている。
貸してあげる、という言葉でピンときた。
(――まさか)
比較的最近の記憶を急いで呼び起こす。
短い間だったが、覚え違いではないはずだ。
一面に広がる花の群れ。ぽつんと置き捨てられた棺。満たされた黄金色の液体の中で眠る人――その服装は、どうであったか。
(……やっぱり、そのはず。花畑のお父様は、鎧を着ていなかった)
今更、初めて竜騎士と出会った時の自分の行動に納得する。
道理で見間違えたはずだ――いや、ある意味では間違えてなんかいなかったのだ。
デュランが今身につけている鎧は、百年前――かつて父が使っていた鎧そのものなのだから。
(だとすると……本当にお母様の考えていることがわからないわ。確かデュランが鎧をもらって呪いを受けたのが五年前だったはず……どうしてそんなことを?)
単に宝器を渡した、というだけの話だと思っていた。よくあることの一つなのだと。
しかし、父が身にまとっていた鎧とは、今までの諸々の知識を総合するに、母が父に贈った特別なものではないのか。
(あらゆる危険から身を守る、最強の鎧――)
ドラグノス、と呼ばれる漆黒の鎧がどう説明されていたものかを思い出す。何気ない一文だが、事情が見えてきた今なら、そこに一体どれほどの想いが込められたものなのか理解できる。
あれは、母が迷宮から父を遠ざけた時、離れ離れになる自分の代わりに、世界の何物からも彼を守るように願いを託した――そういう類いの宝器だったのだ。
(世界で唯一無二。たった一つ、たった一人のためだけに作られた特級宝器)
それをわざわざ他人に譲渡する。いや、貸したのだったか。ともかく、一度は譲ったことに変わりない。そこにどんな意味が、意図がある?
それに――だとしたら、デュランがシュナの前に訪れ、シュナが目覚めたのは、果たして偶然の出来事だったのか?
なぜ彼女は亜人の前にわざわざ姿を晒した? シュナがいたから。本当にそれだけか? デュランがいたから――ならばなぜあそこまで無関心の態度を貫き通す?
(ああ、また、いつものこと。一つわかったと思えば、わからないことが重なって――)
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
ふと、顔を上げれば、逆鱗を交わした相手と視線がぱっちり交錯する。
《デュラン?》
《シュナ?》
相手に向けた声すらぴったり重なって、なぜかお互いわたついた。
《ごめんなさい。少しぼーっとしていたみたい》
《……俺もだ》
妙に気まずい空気が流れ、デュランが咳払いする。
《シュナはあの人のこと、知っているの?》
長い沈黙の前のシュナからの問いに対応するような言葉に、彼女は少しだけ考えてから、小さい言葉を返した。
《知っているわ。優しい人よ》
《そっか……》
彼はまた黙り込む――かと思ったら、あっと大きな声を上げ、勢いよく手を打ったのでシュナはびくっと身体を跳ねさせた。
《そうだ! 危ない、俺としたことがすっかり忘れる所だった。よかった、ちゃんと思い出せて》
何事!? と警戒体勢の彼女の前で、竜騎士は慌てたように荷物を漁り始めた。
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