竜騎士 娘を拾う 前編

 城の扉を勢いよく開けると、頭上でまばゆい光が走った。臆することもなく、デュランは悪天候の中に飛び出す。時折飛来物さえ横切る程の風に、叩きつけるような雨。頑丈な鎧は嵐にも屈することはなかったが、元から鎧を完全に着込むと少々視界が悪くなるのに加えたこの暗さだ、足下がおぼつかないのがもどかしい。


 けれど昼も夜も通い慣れた道、迷うことはない。


 迷宮領と呼ばれる領地は、実際にはかつての帝都であり、都市国家と言える程度の規模である。

 全体を俯瞰してみるとゆるやかな三角形をしていて、南側の辺が海、西側と東側はそれぞれ山と谷で囲まれている。

 城、と呼ばれる侯爵の住まう場所は、この都市の北側に位置していた。迷宮はその更に北、三角形の頂点である最北端、鬱蒼とした森の中にぽつんと入り口が存在する。


 迷宮の入り口は人が数名通れば一杯になっていまいそうな程と案外と狭く、それを覆うように小さな祠のようなものが建てられている。

 百年前の災厄の折、帝都は壊滅した。だから今建っている建造物は、城を含めほとんどその後に建てられたものなのだが、祠などごく一部残されている物もある。


 祠は雨風から下に向かって伸びる穴を守るためだけに作られたかのように、小さくシンプルで素っ気ない。外側には大して特筆することもないが、内側に入ると皆最初はその異様な光景に言葉を失い立ち尽くす。


 ――壁一面にびっしりと刻まれた古代の文字に圧倒されるのだ。


 解読できる人間から意味を聞き出すと、更に気分が悪くなる。それは正しく呪詛だ。何者かから、何者かへの恨みであり呪いの言葉がつらつらと並べられている。


 特に一際目立つのが、入ってくるときには見えないが出て行こうとするときにはほぼ確実に視界に入れることになる、扉の上部の文字である。


「お前は何も持っていない」


 そこにはたった一言、そう刻みつけられているらしい。


 夢を抱いて迷宮に潜り、成果を得て、あるいは得られずに戻ってきた冒険者達を迎える言葉がこれだ。気分がよくなるはずがなく、また一体何者が何のためにこの祠を作ったのかも謎である。


 ともあれ、デュランは嵐の中を駆け抜けて、その祠の前までやってきた。そこで誰かとぶつかりそうになり、咄嗟に剣に手を掛ける。しかしすぐに相手がわかって、驚きの声を上げた。


「リーデレット!?」


 相手も構えようとしたようだが、デュランの声に反応して止まった。嵐の中でもみくちゃにされながらもしっかり着込まれているらしい装備から想像するに、どこかで夜遅くまで飲んでいたか、何か作業でもしていたのだろうか。


「ネドが呼んでるの!」

「わかった、行こう!」


 他の女性なら真っ先にずぶ濡れの有様を心配するところだが、リーデレットは逆鱗の騎士であり、男共に腕相撲で勝てる女である。彼女もまた自分と同じような経験をしたのだと知って、デュランは短く返答する。

 嵐の中で聞こえるように喋ろうとすると、ほぼ必然的に二人とも怒鳴るような声の出し方になる。

 先をリーデレットに譲ったデュランが彼女の後を追う前、外でまた一際大きな雷が鳴った。

 はっと振り返ってから、デュランは一度足を止めた自分に自分で驚き困惑する。

 何か頭に一瞬だけよぎった幻覚を首を振って追い払い、縦穴の中に飛び込んだ。



 迷宮に入ってすぐ、竜騎士二人はどちらも立ち尽くすことになった。あり得ないはずの物が目に映って、二人とも絶句する。


 そこには岩場に降り立ち、威嚇するように互いに牙をむき出す竜同士の姿があった。

 五匹と二匹。二匹の方は緑とピンク、最近見た顔だ。

 仲間同士の結束が固く、同族殺しをけして許しはしない彼らが、険悪な空気を隠しもせず向き合っているのである。


「ネド!」


 ピンク色の竜に声を掛けたリーデレットだが、返ってきたのは唸り声だった。

 逆鱗の笛を口に入れて改めて呼びかけようとしていた彼女は硬直する。


「どうして……」

「……シュナがいない」


 リーデレットが逆鱗の相棒に困惑したのと、デュランが素早く周りを見回して声を上げたのはほとんど同じタイミング。竜騎士の言葉をきっかけにするように、五匹の竜達がふっと突然目から光を失ったかと思うと、バラバラに飛び立ち、目もくれずあっという間にいなくなってしまう。


 ネドヴィクスの方は姿勢をかがめたまま、微動だにせず彼らを見送る。

 頭を上げ、ふんと鼻を鳴らしたエゼレクスが、今度は笛を口に近づこうとしたデュランの方に向き直ってさっと目をまた鋭くした。


《それ以上こっち来ないでくれる。今ぼくたち、皆ものすごく気が立ってるんだ》


 おふざけが大好きで人をからかうことが生きがいのこの竜にしては低く硬い声だ。

 常ならざる竜達の空気に圧倒されるように立ち止まったデュランだが、エゼレクスから目を離そうとはしなかった。


《シュナは……シュナはどうした!?》

《……秘匿、事項》


 ぽつりと答えたのはネドヴィクスの方。

 しかしデュランが応じるより、不機嫌な表情のエゼレクスが補足するように口を開く方がわずかに早かった。


《先に言っておくけど、ネドを責めるのはやめとけよ。ぼくにつっかかられるのも困る。つーかそもそもの元凶に言われるとかマジで腹立つ。元はといえばテメーのせいだろうがって思っちゃうからさ?》

《何を……》

《シュナは今――眠ってる。深い眠りについた、というのが一番近いか。当分起きてこないよ。だから迷宮の中をいくら探しても無駄》


 吐き捨てるように混沌と異端の竜が放った言葉の意味をデュランが考えている合間に、そっとネドヴィクスが相方に声をかけた。


《エゼレクス……》

《わかってる。でもネド、悔しいけど今はこいつしかいない、そうだろ》

《……シュナは、無事なのか?》

《それこそあんた次第だろうよ。何のための逆鱗だ》


 意地悪でありつつも親しみが込められていた、その温かみが今は全くない。

 どこまでも冷え冷えとした金色の目で、竜は騎士を見据える。


《使えよ。探すのさ。責任取って死ぬ気で守れ、騎士ナイトの役目だろ。……さあ、行けよ。グズグズするな》


 鋭い牙に爪を持つ生物が大きな翼をめいっぱい開いて唸るとかなりの迫力があった。

 やや気圧されるように一歩下がったデュランの肩を、黙り込んだまま場を見守っていたリーデレットがぽんと叩く。


「デュラン。ここはあたしに任せて、あんたは自分の逆鱗が呼ぶ方へ」

「……大丈夫か? いつもと随分、竜達の様子が違うみたいだけど……」

「だったら余計、あたしが残るべきでしょ。最盛期のあんたほどじゃないかもしれないけど、あたしだって逆鱗の竜騎士なのよ」


 リーデレットはデュランに不敵な微笑みを見せてから、ピンクの竜にじっと視線を注ぐ。

 ネドヴィクスは何も答えようとはしなかったが、リーデレットが笛に息を吹き込み、片手を上げてゆっくり近づく間拒絶の意思を示すこともなく、最終的には首を下げた。ぽんぽんとリーデレットに叩かれると、大人しくされるがままになっている。


 横でエゼレクスがまたふんと鼻を鳴らし、デュランにまだいるつもりかとでもいいたげな流し目をくれてよこす。


「……頼んだ」

「頼まれたわ」


 幼馴染みであり、逆鱗を持つ竜騎士は頼もしかった。


 デュランは空色の笛を取り出し、口に含む。鳴らしても返事の声はないが……何と言えばいいのだろう。音なき音が聞こえる、と言うような感覚だろうか。目を閉じて、頭の中に流れ込んでくるとらえがたい感覚に神経を研ぎ澄ませる。


 笛を吹いてはこちらだ、と思える方に歩き、また笛を吹いては歩き……ああ、こうしているとシュナと最初に出会った時の事を思い出す。間もなく彼は、自分が入り口にたどり着いたことを知った。


「……外?」


 不審に思いつつ笛を吹けば……やはり声なき声が示すのは迷宮の外、嵐の中だ。

 雨風の中に出ると、笛を吹くのも方向を探すのも困難になる。けれどエゼレクスの言葉が頭をよぎり、焦燥のようなものに駆られて足を止めることができない。


 一体どれぐらいの間、そうしていたのか。

 ぴかりと光った雷の映した物が、最初は信じられなくて眉をひそめた。

 見間違いか、と目を凝らし――そうではないことを知った瞬間、全速力で向かった。


 迷宮を覆うように広がる森の中、倒れている人影があった。

 雨ざらしの身体は服をまとっていない。身体にまとわりつくように広がる長い髪は……黒色、だろうか?


「君――君。しっかり――」


 騎士はそれが人であることを知ると急いで駆け寄り、鎧のマントを引き剥がして華奢な身体を包んだ。うつ伏せの状態から抱え上げようとしたところで、はっと息を呑む。

 女性のような少女のようなその人の顔は整っているが、左の目を中心に、火傷のような、あるいは誰かに暴行を受けたかのような痣が広がっているのだ。一糸まとわぬ状態で嵐の中に倒れていたことといい、しばし竜騎士の思考は完全に停止する。


 その間に、固く閉ざされていた瞼が震え、長いまつげが揺れて、ゆっくりと目が開く。


 自分が視界に収められたことを認識した瞬間、騎士の心臓がどくりと不自然に跳ねた。


 彼女の髪よりも黒い、黒い目。

 ……どこかで見たことのある色だ。

 きらきらと光が反射すると、深い夜空に星が瞬くようで――。


 けれど彼が一体それが何であったか思い当たる前に、瞳の中に広がる星空はあっけなくふっとかき消えて見えなくなった。瞼が落ち、ぐったりと全身から力が抜ける。

 慌てて呼吸を確認しようとしたデュランは、嵐の中に場違いに響き渡った口笛の音に一瞬動きを止める。


「あっはぁ。こいつは面白い現場に出くわしたぞ。いやあ僕ちゃんの勘ってほんっと優秀」


 よりによって、と吐き捨てたい気持ちを精一杯自重し、騎士は娘をぎゅっと抱きかかえ、表情を硬くしたまま立ち上がる。


 少し離れた木の下に、濡れ鼠のような格好の亜人が立っている。

 ザシャは騎士が声もなく睨みつけてくると、片手をついたポーズのまま、にんまりと口元をゆがめてみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る