竜騎士 娘を拾う 後編
「やっほー、デュランちゃん。それ、誰?」
ザシャの視線から庇うように抱えている娘をぎゅっと抱きしめたデュランは、一つ息を吸ってから応じた。
「わからない。だけどこのままにもしておけない」
「ふーん……」
意図的か、それとも忘れたのか。ニヤニヤ笑いを顔に浮かべている時もうさんくさいが、真顔になるとそれはそれで不気味な男だ。じろじろと無遠慮な視線はなめ回すように彼女の全身を観察している。
マントからはみ出て揺れる脚の辺りで止まっていることに気がついたデュランが庇うように身体の向きを変えると、ザシャはねっとり絡みつくような目をやめる。かと思えば、また顔に悪いことを思いついたかのような笑みに変わった。
「ね、竜騎士様はさ、忙しいんじゃない? 大事な人が呼んでるんじゃない?」
「何を……」
「あーあー、自分で種明かしするのってダサいよね。詰め所でさ、竜騎士達が騒いでたんだよ。一斉に竜笛が鳴ったってさ。こんなことは初めて! って大騒ぎ。で、
背後に顎をしゃくるような仕草をしてみせたザシャの言葉に、デュランはなぜこの男が今この場にいるのか理解するのと同時に、ことの重大性にますます厳しい顔になるのを感じる。
険しい表情の騎士を満足そうに見やって、ザシャは歌うような抑揚をつけて言葉を続けた。
「で、まあ、一度は鎧のせいで竜にフラれたとは言え、元筆頭竜騎士様の逆鱗笛もさ、鳴ってないわけがないよねえ? だからここに来たんじゃない? 迷宮の様子、気になるんじゃない? 道草なんか食ってないでさ、今すぐに行きたいんじゃない?」
亜人は何気なく距離を縮め、デュランが抱え込んでいるものに向かって手を伸ばす。
「だからさ。その子、僕が預かってあげるよ。ほら……」
「触るな!」
もし、両手で娘を抱え込んでいなければ、伸ばされた手を勢いよくはたき落としていたところだろう。騎士が怒鳴りつけると同時に、思った以上に鋭く出た自分の声に自分で驚いていると、ザシャの方は逆に、やっぱりね、とでも言うようにぱっと手を引っ込めて肩をすくめる。
「おお、怖い怖い」
と挑発たっぷりの声に流されないように心中で自分にしっかりしろと呼びかけて、デュランは口を開いた。
「……迷宮の様子なら、さっき軽く見てきた。シュナはひとまず、大丈夫だ。そこは何よりも先に確認した。内部のことは今、リーデレットと逆鱗に任せてる。俺は入り口付近を念のため捜索して……この人を見つけた。どけ、ワズーリ。つまらない邪魔をするな」
喋る言葉は自分に言い聞かせ、思考と状況を整理するためでもある。
そう、シュナは……ひとまず、無事なはずだ。エゼレクス達の異様な様子やいまいち意味の捉えきれない言葉は気にかかるが、今はそれよりも笛の導いた先に倒れていたこの人を助ける方が先だ。
それを、例えばリーデレットなり、他の騎士ならまだしも、ザシャに預けるなんて絶対にあり得ない。
「別にぃ? 邪魔じゃなくて協力の申し出だったんだけどねえ」
「信頼されたければ日頃から相応の行動を取ることだ」
「あっはは、さすが騎士様! 正論責めだねえ」
亜人は身を引くと、ヒラヒラ手を振った。
「まあいいよ、行きな。冒険者ルールって奴さ、宝物は先に見つけた方が偉い。だいじょーぶ、僕ァ賢いオオカミさんだからね。うっかり落っことすまでは我慢しておいてあげる」
暗に、というかかなり直球に、お前が手放したらちょっかいかけるぞと言われ、ますます騎士は自分の顔が強張るのを感じる。
そのままあっさり、くるりと背を向けた相手に、一言だけ騎士は声を掛ける。
「待て。どこに行くつもりだ」
「竜騎士閣下はよくお忘れになるみたいだけど、僕、これでも結構優秀な冒険者なんだよねえ? さっくり軽やかに迷宮探索してきますよ。どうせ依頼は来るだろうしねえ。それよりいつまで雨に打たせてるのさ。姫様に風邪引かせちゃ駄目だよ? 後で僕も挨拶しに行くから、それまでせいぜい傅いといてよね、騎士様」
亜人は尻尾を揺らし、笑い声と捨て台詞を残して森の中に姿を消していく。
その姿を視界に収めたまま、一歩、二歩。確認するように踏み出してから、駆け出す。
腕の中から、時折小さく苦しそうな息づかいが届く。
それに心を痛めつつも、けれど確かにまだ息があるという安堵も感じさせられて、騎士は嵐の中を精一杯駆けた。
騎士が拾いものを手に駆け込んだ城では、深夜にもかかわらず人々が起き出してざわついていた。
デュランが戻ってくると、皆はっとして視線を集中させてから素早く動き出す。ファフニルカ侯爵の使用人達は優秀だ、主人に余計な事を聞くこともなく、淡々と仕事を始める。
女性達の指示で、客用の部屋の一つに入り、ベッドに娘を下ろそうとしたデュランだが、そこで動けなくなった。
手際よく沸かしてきた湯を持ってきたメイドがいぶかしげに覗き込み、「あらまあ!」なんて微妙に暢気な声を上げている。
下ろされた方が気配に反応したのか、離されたくないとでも言うようにぎゅっと騎士の首元にしがみついているのだ。冷たい雨の中、得られた温もりが遠ざかろうとしたので驚いたのかもしれない。
困ったデュランがちらっと後ろを見ると、ギャラリーがバリエーション豊かな表情で見守っている。
「わー……」
「まーた若様が女の子引っかけてる。ナンパ師め」
「はいはい青春もいいですけどね、邪魔だから早くどいてくれないかなー」
「これは……ロマンスの! ロマンスの気配を感じるわ! いいぞもっとやれ!」
「しーっ!」
(せめて本人に聞こえないようにやってくれないか、いたたまれない!)
ひそひそ声を耳を塞いでやり過ごすこともできない。
……と、ずるりと音がして首元の感触が消える。力が入れられなくなったらしい。きっと朦朧としているのだろう、目にも焦点があっておらず今にもそのまままた気絶しそうなのに、目一杯力を込めた手をさまよわせ、何かを探している。
デュランは少し迷ってから、優しく両手で娘の手を包み込み、囁きかける。
「大丈夫……大丈夫だから。側にいるよ」
するとまるでそれに安心したように、娘は微笑みを浮かべ、力を抜いた。しばしその顔に見とれる。
――がっかりして置いていかない?
――置いていくわけないじゃないか。君は俺の――。
頭の中に何かが浮かびそうになったが、余韻はすぱーん、と景気よく頭をひっぱたかれる音で霧散した。
「はーい若様、ご苦労様です、どいて!」
「まあお気持ちがわからないでもないですが、あなたねえ、ご自分だってずぶ濡れ状態なんですから、まずそれをどうにかしてからまた戻ってきてください」
「そうですよ、誰がその服洗ったり、水浸しの部屋を片付けたりすると思ってるんですか!」
雑に脇に押しのけられて口を開けたまま反論が見つからずにいる騎士の前で、女達はてきぱきと連れ込まれた人の介抱を始めている。
「……というよりですね、騎士様。仮にも貴方騎士様なんですから、女性の着替えの現場に居座るのは、本当にどうかと思います」
なんとなく離れられずに部屋の中でうろうろしていたデュランだが、そこまで言われてようやく拾ってきた相手が全裸だったことを思い出した。反射的にベッドの方を見ると……ちょうど身体を拭くためにだろう、ぺろんとシーツがめくられたところであった。抱きかかえたとき軽さに驚いたし、全体的に華奢なのだが、なるほど胸は結構ちゃんとある――。
そこまで考えてから、周囲に漂う冷ややかな雰囲気と、あれ、今何で自分、わざわざベッドの方をガン見してたんだろう、という現実に気がつく。
慌ててくるりと踵を返し、矢のように部屋を飛び出した。
「あらまあ。女性の裸なんて見慣れてるでしょうに、まるで初めての男のように耳まで真っ赤にして」
「大嵐の中で走り回っていたみたいですし、風邪でも引いたんじゃないですか?」
「ええ……あの若様が……?」
(だから! 本人の! いないところで話してくれと!)
なんとか部屋まで舞い戻った騎士は、久方ぶりに一人うわあああ! と声にならない叫びを上げて頭を抱えることになった。
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