対話
「いらっしゃいましたか」
きっかり一時間後、執務室に戻ればユディス=レフォリア=カルディが出迎えた。
見回すと、領主どころか彼女の弟子の姿も見えない。
父はそもそもあんなところでのんびりしていていいのか責任者、という立場だったし、枢機卿の一番弟子は師になにがしか任務を託された後なのだろう。
デュランとて、「迷宮の最奥に至れ」と既に目的を与えられている。
「……準備万端?」
「いつでも、あなたのお望みの時に」
特に変化の見られない彼女の様子に、どういう言葉を投げかけるべきか迷った挙げ句、結局出てきたのは短くて無難なフレーズだった。
元々冗長に喋る方でもない、神官の受け答えは簡素である。
――彼女が自分を継ぐ者とどう決着をつけたか聞き出そうなんて、それこそ無粋というものだろう。
自分のやるべきことならば既にある。
ちら、と広げられている迷宮領の地図に視線を流した。
「結局ここから……北のいつもの入り口まで行って、そこから迷宮に入ればいいのか?」
「現在、迷宮と地上を結ぶ全ての道は封鎖されているとのことです。しかし
「……あー。ん、と。ごめん、なんて?」
「何ならこの場から直行したい、と思えば実現できると思いますよ。試してみますか?」
まじまじと枢機卿の顔を見つめたデュランは、彼女が何の冗談でもなくただ事実を述べているらしいことを知り、のけぞった。
「いや、ここ、バリバリの城内だよ? それを、あの時神殿で起きたみたいに、直下に穴開くかやってみようぜって!? やめよう、せめて屋外! 試すにしても、外でやろうよ!」
「でしょうね。一刻一秒というほどでないにせよ、あまり長引かせすぎるのも良策ではありませんが、開宮後の被害なども考慮すれば、ここは無難に北部の一般出入り口を突破するのが安全と効率の良い中間点というところでしょうか。さ、参りましょう」
(つまり俺が最初に言ったことじゃん! 真顔だったけどやっぱり実はアレは枢機卿流の冗談だったのか!?)
若干の理不尽に憤慨する領主子息だが、既に神官は歩み出しており、慌てて後に……従うのは色々と癪に障るように思えたので、隣に並ぶ。
ふう、と息を吐き出せば切り替えは終わった。迷宮領の住人は理不尽慣れしている。この程度何のその、のはずだ。
「……目は見えないんじゃなかったのか?」
「完全に見えていたときとは随分違いますよ。臣の本当の視界に映っているのは、なんとなくぼんやりした影と、光の強弱程度です」
「じゃあ、術士の勘って奴か?」
「皆無ではありませんが……そうですね、強いて言うなら最悪の想定と対策、でしょうか。ご安心を、と言うべきか、ご警戒を、と述べるべきか、悩ましいところですね?」
「……もう、襲いかかってこないでくれよ」
「過酷な試練に錯乱したらご遠慮なく。頭を潰していただいて結構ですよ。確実さを望むならその後胸に穴でも空けるといい」
思いのほかしっかりとした、先行者すら務めようという足取りに対して水を向ければ、なんとも返しにくい言葉をかけられる。
デュランが「それを言うか」という目でねめつけると、彼女は微かに微笑むように口角を上げてから、いつもの真顔に戻る。
城内は奇妙に静かだった。しかし、どこか殺気立っているというか、浮き足立っているというか、押し殺したざわめきのようなものを感じる。
場外に向かう道の途上、時折、何人かで行動する使用人や騎士達とすれ違った。
「若様――」
はっと足を止めかけた彼らに、デュランは手を上げ――自分でも少し驚いたが――自然といつものように、微笑みかけることができた。
「行ってくる。今回は遅くなりそうだ」
口を開けば、これも言い慣れた言葉がするりと抵抗なく出て行った。
枢機卿と並ぶ彼を見て一様にこわばっていた彼らの表情が、ふっと緩む。
「ご武運を!」
「お帰り、お待ちしております」
「かっこいいとこ見せてくださいよぉ!」
「あまり遅れたら、またリーデレット様が書状持ってつつきに行きますからね!」
使用人。騎士。街の人間。冒険者――。
あるいは対応に追われ、あるいは避難のために移動し、それらの人々はデュランに出会えば皆暗い顔を明るくした。
「またねー、デュラン!」
北の森、ぬいぐるみを持った幼子が手を振り、最後に締めるように別れ文句を口にする。どうやら冒険者の父親の元に、母親が連れてきたらしい。これから皆で、災厄に備えて避難をするのだそうだ。
人々の歓声を背に受けて歩いていたユディス=レフォリア=カルディが、観衆の姿が見えなくなるとぽつりと口を開いた。
「好かれていますね」
「貴方だって、大勢の弟子がいるじゃないか」
「臣に皆が従うのは、恐ろしいからですよ。禁術使いですから」
デュランはちら、と背後を振り返る。歩く先々で話しかけられるデュランの影に立つように、いつの間にか枢機卿は彼の後ろに陣取っていたのだ。
「……それ、迷宮領で?」
「ここでわざわざそんな挑発をするのはあの殺人狂ぐらいです。本国ですよ。他の枢機卿は皆そう言います」
「そ……そう……?」
禁術使い――とは穏やかな呼称ではない。優れた術士ならば、禁忌を可能にする領域まで到達する。本来なら栄誉溢れるそれを、けれど「人ならざる者と化した」とみなしての蔑称。つまりは始末に負えない嫉妬の産物だ、とデュランは理解している。
実際にその一端を目の当たりにした身としては、使える、というだけでも罵倒したくなる気持ちも多少は理解できてしまうが。
(――執拗に、シュナの封印を求めたのは。もしかすると、自分自身が力を持つことで排除される側だから……そういうのも、あるのかもしれないな)
複雑な気持ちで彼女を見ていると、それで歩調が乱れたせいか、また隣並んで歩く位置まで戻ってくる。
枢機卿がまた口元を緩めた。気のせいでなければ――いたずらっぽく笑ったようなのだ。
「迷宮領は、生まれ故郷の異分子の行き着く先でしょう?」
「掃き溜め呼ばわりされると、次期領主としては穏やかじゃないぞ?」
「こちらもよく更地呼ばわりされますから――魔獣の扱いはギルディア領ですが、家畜ならば当国も負けていませんよ?」
「知ってる。のびのびのほほんと油を与えられてるんだろうなって王国とは、また違う味わいがするよな。そっちのミルク。俺はさっぱりしてて好きだ」
「引き締められた味わいです。厳しいだけでは生きてはいけませんから、時折息抜きをさせるのが重要なのですよ」
「なるほど」
互いの声はけしてとげとげしさを孕むものではない。
むしろ、どこかある種の気安さが混じり始めているような感じがあった。
「それなのに、あの子はなぜ、臣などに好意を抱き続けているのでしょうね。てっきり今回のことで幻滅されたかと思えば、ついていきたいと頑張るので言い聞かせるのに少し骨が折れました。賢い子なのに、あれだけは愚かの極みと評さざるを得ない。実に度しがたいことです」
世間話のノリで――いや本人は世間話のつもりなのかもしれないが――結構プライベートな話題が出てきた。
ぶっ、と思わず吹き出すデュランだが、自分の事だろうに相手は涼しい顔のままである。
触れずにおこうと思ったが、こうなってしまうと好奇心の方が勝ってくる。
「カルディは……その、プルシのこと」
「憎からず思っていますよ。臣の一番の弟子として」
「しょ……将来性とかはどうでしょう? なかなか見所のある男だと思うな!」
なんで俺は赤の他人の恋愛を勧めようとしてるんだろう、と思いつつ、なんとなく全然他人事に思えなくてついつい口が滑る。身近に七歳年上の修道女(一応見習い)に猛アタックして思いを遂げた事例が存在するせいだろうか。それとも己の境遇、成就までのあまりに高い壁を重ねての同情だろうか。
いずれにせよ返ってきたのは冷ややかな眼差しだった。
「まさかとは思いますが、男女関係について述べようとしていますか? 冗談にしても趣味が悪いですよ。あの子はまだ十五、成人も済ませていない。下手をすれば親子の年齢ですよ、
「それは……まあ。はい。ごもっとも」
予想通りと言えば予想通りすぎる。
ルファタ=レフォリオ=プルシが師に好意を――ただ師弟としてよりも、もっと強い思慕を抱いているのは、休みの日に、彼女に贈る花を探して街を歩いている姿を見かければ一目瞭然である。
だがしかし、さすがに女性側が十以上年上、男はまだ未成年、そんな関係を「今すぐ成就させるべき!」とは言えないだろう。
ただ、師匠師匠と懐いて後ろをくっついているのに、さほど顧みられていなかったように見える姿を見ると、もう少し報われてもいいんじゃないか、ともどかしくもなってしまうが。
「……家族として、なら? あなたも彼も、レフォリエル出身なんだろう?」
「養子の街の、ね。臣に家族はいませんよ」
別の方向からやんわり探ろうとしたら、更に突き放されてしまった。
心なしか、柔らかくなってきつつあった空気をピリリとしたものに変えて、ユディス=レフォリア=カルディは続ける。
「法国でも迷宮領でも、臣は嫌われ者の部類です。あの子は臣とは違う。もっと別のやり方で、上っていってほしいものです」
「別に枢機卿は、迷宮領で嫌われてはいない……と、思うよ」
「そうですか?」
どうにもモヤモヤとする、胸の違和感をふっと形にしたデュランは、言葉を考えながらゆっくり続けた。
「正直言うと……まあ、その、ちょっと苦手だけど。嫌いではないよ。……というか、すごい人だなって、ずっと思ってたし」
一つの失敗も許さない、というような几帳面さや、己にも他者にも妥協を許さない生真面目さ。それらに息苦しさは感じていた。けれどそれ以上に、彼女の無駄をそぎ落とし、ひたすらに高見に向かっていこうとする姿を、尊敬もしていた。
だからこそ、なおさらあの時、許せなかったのだ。
いや、悲しかった。
仮にもし、対決することになったのだとしても、もっと正々堂々当たりたかった。
苦いものが口の中にこみ上げる。
返答を吟味するように――あるいは沈黙で以て答えを返すかに見えた枢機卿が、顔を前に向けたままふと口を開いた。
「臣も、貴方の人となりと業績を理解しています」
「……どうも?」
「だから臣はずっと、貴方の事が少し嫌いでした」
「――――えっ?」
ぱちり、と盲目の瞳と目が合った気がした。
老成し、デュランよりも年上の女が、まるで少女のように笑う。
そんな幻覚が見えたのは一瞬だった。
枢機卿が足を止める。
見張りすら弾き出した迷宮の入り口は、普段と何ら変わらぬ姿で、けれど明らかに普段とは異なる禍々しい空気を漂わせて、そこにあった。
建物の扉の前で、デュランが手を伸ばす。
バチリ、と小さな光が走り、けれど彼は戸を開くことができた。
薄暗い屋内の中心、ぽっかりと口を開けている穴を見下ろす。
「先に行ったワズーリは、俺たちよりも早く女神と会う……と、思うか?」
「いいえ、とお答えするのは我々の希望的観測に過ぎないでしょう」
「一応、万が一があっても。願いを叶えられるのが一人きり、というルールはないよな」
「あれに先んじられたら、かなり厄介なことになるとは思いますがね」
「嬉々として世界の滅亡を願う、とか?」
「いいえ。その程度のかわいげのある男なら、もっと早くに殺せました。あれはもっとろくでもないことを言い出しますよ。迷宮の至宝をよこせ、だとか」
確かに可愛くない男だったな、と口を閉じたデュランは、続く言葉に更に機嫌を曲げる。
「あいつ、次会ったら、ほんと、ただじゃおかない。何度も俺とトゥラ……じゃなくてシュナの邪魔しやがって。初デートだったのに」
「私怨は刃を曇らせますからほどほどに。臣も運良く迷宮で再会することがあれば、今度こそ息の根を止めておきたいものです」
「この件に関しては、俺たち完全に意見が一致してるな」
「物騒な意気投合ですね」
「息の根云々言ったのはそちらですけどね……」
その時、地面が大きくぐらりと揺れた。
二度、三度。揺するように動いてから、ぴたりと止まる。耳には届かないが、蠢く低音を腹に受けたような気がした。
自然と、互いに顔を見合わせる。
「逆鱗はお持ちですか」
「……うん」
「では、互いを呼び合う糸の響きを、けして聞き逃さぬように。あなたが呼べば、彼女は応える。応えられ続けている間に、終わらせねばなりません」
枢機卿の言葉に頷き、竜騎士は大きく深呼吸してから、胸元に提げた笛を口に含む。
――シュナ。迎えに行くよ。返事をして。
想いを込めて、命のように息を吹き込んだ。
一拍。二拍。三拍。しばらく待って、もう一度試そうかと構えた瞬間。
微かに、遙か遠く、か細く頼りない、けれど確かに。
自分を呼ぶ、声が聞こえた。
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