惑う娘 恋の相談をする 前編
プライバシーを確保し、喜びの舞を踊っていたシュナだったが、時間が経つと落ち着いてきた。
相変わらず母は読み取りにくい表情で娘を見つめている。
ゆったりと寝そべり、優雅に尾を揺らしている様は実に美しくそれでいて厳かである。
シュナはもじもじと母を見上げ、考える。
先ほどはいたたまれなさすぎて自分から打ち切ってしまったが、デュランに対する自分の感情やこれからの関係の築き方など、母にしか聞けない悩みがたくさんあるのだ。
そこそこ話の通じる今、尋ねてみるべきなのではなかろうか。
《お母様、聞いてもいい?》
ブゥン、と母は鼻を鳴らした。了承の意志のようである。思い切って娘は口を開いた。
《あのね……好きってなに?》
《質問が曖昧だと答えを選択できないわ、シュナ》
母はそっと娘を窘めた。
少々冷たくもとらえられる言葉選びだが、口調は穏やかである。
シュナはとことこ歩いて行くと、自分も母の側にこしかけ、うずうず尻尾を振りながら一生懸命お喋りをする。
《あのね、あのね……わたくし、好きな人ができたみたいなの》
《知っているわ》
《でも、なんだかわたくしの思ってた好きと違っていたの》
女神は首を傾けている。娘はじっと上目遣いに見上げた。
《だって、好きって……ただ、一緒にいたくて……それだけで幸せで……そういうものだと思っていたの。でもたとえば、あの人が他の人と仲良くしていると、嫌になってしまうの……もっとわたくしと一緒にいてほしいって。わたくしとだけお話をして、他の子なんて見ないでほしいって》
せっせと恋の悩みを打ち明けている、その様子は稚くも女らしくもあった。
静かに話を聞いていた竜は、銀色の目を細める。
《それは嫉妬ね。恋に独占欲はつきものだもの》
《……独占欲?》
《違うの? 独り占めにしたいってそういうことでしょう?》
《そうなの?》
《そうでしょう?》
《そう……かも……?》
《そうよ》
そうなんだ……と半ば押し切られた感もあるシュナは、若干の疑問を抱えつつ一応納得する。
女神の落ち着いた声はよく通り、響き、すとんと落ちて収まる。欠けていたあるべきものが戻ってきたかのように。
これが恋。
これが嫉妬。
これが独占欲。
――そうか。そうだったのか。
モヤモヤした部分に名前をつけて切り取ってしまうと、その分頭がすっきりとして、クリアになっていくような気がする。
《好きなのね。あの男のことが》
母が確信を持って放った言葉に、恥じらいを覚え顔を赤らめつつ、今度はこっくり頷いた。
しかし未だほんのりふんわり浮かれたような状態が続いているのもまた事実、彼女はどこか夢見心地で母を見上げている。
《お母様も……お父様に似たような気持ちになったことがあった?》
《わたしたちはずっと二人きりだったから、嫉妬するような機会がなかったかしら》
シュナの母はどうも、父より更に真面目が過ぎるような気がする。
言われてみれがそうですよねとしか言いようのない事実を淡々と返され、しかもその理由を今はなんとなく察することができるほどの知識を手に入れている娘はしゅんとうなだれた。
すると気を遣おうという気概はあるらしい女神が、慰めるように口を開いた。
《でもファリオンが嫉妬したことはあったわ。だからあなたもあの時の彼と同じなのではないかしら――そうわたしは推測する》
《嫉妬? お父様がお母様に?》
意外な言葉にシュナは目を見張った。
何しろ彼女の知っている父親とは、いつも穏やかかつ寂しげな笑みを浮かべた落ち着いた大人の男性で……たとえば嫉妬なんて子供っぽいことをする姿が想像できない。
《そう。わたしが竜とばかり話すと拗ねるの》
《すっ……拗ねる……!?》
《お喋りしてくれなくなるのよ。あなたが生まれて、わたしがあなたの世話に必死になった時もそうだったわ》
あの父が!? と娘は衝撃を受けている。
繰り返しになるがシュナの中のファリオンは絶対的な正義であり規範である。
最近外に出て大分「昔思ってたのと違ったんだな……」となんとなく悟る部分も出てきたが、本人を直接知る当事者が思い出を話のはなんというかまた全然別の重みがある。
一方母は、娘から視線をあげ、空の辺りをどこか懐かしい昔を思い出すようにぼんやり眺めながら話していた。
《怒っている時の彼は口数が減るの。元々そこまでうるさい人でもなかったけれどね。わたしから話しかけてもぷいっとそっぽを向いて、しばらく知らんぷり。それでわたしが困ったわ、って思ってきた辺りで言うの。「シュリ、君の一番は誰?」って。決まっていつもそうだったわ》
《…………》
絶句。である。
シュナの中では今、「お父様、そんな方だったのね!」と無邪気に喜びながら聞いている自分と、「お父様、そんな方だったかしら!?」と驚愕し今すぐ話を止めたい自分がせめぎ合っている。
シュリは一度言葉を途切れさせてからは特に自分から発展させるつもりがないらしい。
結果、これと行った邪魔もなくうんうん思う存分葛藤に浸ることになったシュナは、やっぱり彼女の第一性質である好奇心が僅差で勝り、恐る恐る口を開いた。
《……あなたよって、お母様は答えたの?》
《言わないと機嫌を曲げたままだし、言えば元通りになって喜ぶのだもの》
それなら言わない理由がないでしょ、という結びの言葉は省略されたようだった。
軽いめまいを覚えたシュナは思わず上空を振り仰ぐ。
(大人げない! そんな過去があったのにわたくしの前ではちっともそんな素振り見せないで、どころか子供っぽいことをしてはいけませんみたいな雰囲気でいつも――)
(ああ……でも大人げないと言えば、つい最近自分も似たような光景に遭遇したような……)
(舞踏会……お酒……うーん……)
《お母様、お父様にそんなことをされて、嫌になったりしなかったの?》
最終的にシュナは唸りながらそんな質問を絞り出した。
いや、たまにならそうでもなかろうが、何しろ彼らはほぼ二人暮らしでお互いしかいなかったのだし、母のこの話している雰囲気から察するに、割と日常的にあったやりとりな気がするのだ。
両親の不仲についてにわかに心配し始めた娘に、母はことさら優しい眼差しを向ける。
その慈愛に満ちあふれ、けれど全く知らない顔に、シュナはどきんと心臓が跳ねたのを感じた。
《慣れないうちは驚いたし、どうしてだろうって思ったこともあったわ。怒ったこともあったかもしれない。でも、そのうちあれが彼の甘え方の一つなのだと学んだら、ちっとも嫌ではなくなった。あの人、ずっと大人びていたから》
わかったようなわからないような……とシュナは思っていたが、母としてはもうそれで充分答えになったと考えたらしい。
どころか、今まではシュナが黙っていると自分も黙り込んでいたのを、《それで》と何か思い出したように話題を振ってきた。
《シュナは本当は、何に悩んでいるの? 自分の気持ち?》
娘はゆるやかに頭を横に振った。
《気持ちはわかってきたの……きっと好きってこういうこと、って。でも、好きでいていいのかわからないの》
《どういうこと?》
《だって、わたくし……》
口ごもり、そのまま一度余韻も切れた。
ごくり、と喉を鳴らしてから、消え入りそうな、ともすれば聞き損ねてしまいそうなほどわずかな言葉を絞り出す。
《わたくし、人間じゃないかもしれないのに。人を好きになって……いいの?》
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