竜姫 母に世話される

 お騒がせな冒険者の姿が完全に見えなくなると、肌が痛む錯覚を覚えさせるほどピリピリしていた空気が多少和らいだ。

 男の消えた方をじっと睨みつけていたアグアリクスが、ぶふっと大きく鼻息を吐き出してデュランに向き直るのと同時、取り囲んでいた竜達がバサバサと羽音を上げて飛び去っていく。


 宙に舞い上がった彼らの姿がそのまま溶けるように消えていく様に目を丸くしていたシュナだったが、ほーっと息を吐き出したウィザルティクスが彼女の疑問を感じ取ったのかそっと耳打ちしてくる。


《いくつか規制があるのでいつでもどこでも、というわけにはいかないのでありますが――此方達竜は迷宮の管理人でもあります。パスの強制開通――えーと姫様にもわかりやすく言うと、物理的な空間状況を無視した移動が可能なのであります》

(瞬間移動できるってことね!)


 声が出せないなりに納得した様子を顔に表しているシュナの隣では、少し遠目の場所まで降りてきたアグアリクスが竜騎士に話しかけている。


《大義であったな、デュラン》

《アグアリクス。これは……》

《何、非常事態を検知し、我が出向かねばなるまいと思ったのでそうしたまでのこと。ウィザルティクス単独なら任せてもよかったが、負傷者二名とシュナを抱えた状況では判断も高難度になる》

《ああ……ウィザルが呼んでくれたのか。こういうとき秩序の連携は助かるな》


 戸惑いから納得に表情を変えたデュランだったが、すぐにまた緊張を帯びる。何しろすぐ近くに、先ほど冒険者達の武装を一瞬で解いた青色の竜が降りてきたからだ。通常の竜ならば嫌がるデュランのごく近くまで降りてくると、シュナの横に陣取る。


《案ずるな。悪いようにはせぬ》


 反射的に構えかけた竜騎士を宥めるように黒い竜が言うと、彼はひとまず静観の構えに入る。


 二匹の竜は改めて並ぶと本当によく似ていた。大きさと目の色ぐらいしか異なる点がない。じっと見つめていた彼は、至って真面目に真剣な顔でぽつりと一言。


「大きいシュナと小さいシュナがいる。ここは天国かな」

(何を言っているの!?)


 声が出ないと威嚇音も鳴らない。仕方ないので相棒を鼻先で小突いたシュナだったが、すぐにそれどころではなくなった。すっと首を伸ばしてきた母が身体を舐め始めたせいだ。


(み――耳は駄目、お母様、耳はくすぐったいの!)


 平和な攻防をしばらくだらしない顔で見守っていたデュランだったが、もの言いたげな視線に気がついたのか、はっとした顔になってアグアリクスの方に咳払いしながら振り返る。


《えーと、あの。何て言ったらいいのか……聞いていいのかな? あの人……女神様、だよね》

《…………。そうであるとも言うな》


 務めて小声で聞いてみると、気のせいで済ませるには少々長い沈黙の後、いかにも渋そうな反応が戻ってきた。察するに、誤魔化せないか考えていたが、どうあがいても無理だと悟ったため正直に言った、という辺りだろうか。


《どうしてここに?》


 素朴で当然な疑問をぶつけた竜騎士に、しかし竜達の頂点に立つ個体は随分と時間をかけてから答えを返した。


《……ウィザルティクスの通報を受け、我は即座に我自身が動かねばならぬ案件であると心得、行動を開始した。しかし、折しも迷宮は混乱の中。お前も薄ら想像しておろうが、我に与えられた役割の一つは女神の精神の均衡を保つこと――》

《うん。つまり、君が出かけるって言ったらついてきちゃったんだね。例えるなら護衛役がちょっと外がうるさいので見てきますって言ったら、護衛対象も一緒に来ちゃったみたいな》


 厳かな面持ちで長々朗々唱えていた黒い竜がはたと黙り込んだ。


(たまたま一緒にいて、話を聞いたから駆けつけてくださったってことなのかしら……でも襲ってきた影の群れも、お母様の一部なのよね? やりすぎたと思って反省した? それとも、まさか倒されると思っていなかったから慌てて出てきた……)


 物わかりのいい竜騎士のまとめによって事態を把握したシュナだが、同時に疑問も募る。


《ところでシュナ。言うまでもないことだが、くれぐれもシュリを母と呼ばぬように。他人が見ているのでな》


 そんな彼女に質問攻めの時の気配を感じ取ったのか、竜騎士からそっと視線を外した黒竜がくるっと顔を向けてきた。わかりやすく都合の悪い話から逃げた感じもあったが、騎士の情けだろうか、デュランの深追いはなかった。


「上司のフットワークが軽すぎるのも心臓に悪いよな……」


 なんて何か思い出すように目を遠くして呟いているが、どちらかというと彼の立場の場合それこそやきもきさせている側なのではないか、だって暇をひねり出しては迷宮に潜っているという話を聞いたし。


 そのようなことを、シュナはこっそり考えている。


 しかしなるほど、それで母は先に自分を喋れなくしたのか。いや、シュナだってやっちゃいけないことぐらいわかる。しかし今までの自分のあれこれを思い出してみると、「お母様、安心して! わたくし、あなたが心配するようなことは全くないわ!」とは口が裂けても言えない。だってついさっき、父の存在についてうっかり口を滑らせたばかりだし。色々間に大変な出来事を挟んだから、うまいことデュランもシュナの失言を忘れていてくれないだろうか。


 ……それにしても我が母ながら正直舐め方がわりとネドヴィクスよりというか、だからどうして鱗と逆向き方向に進もうとするのか。あとたぶん顔の辺りを重点的にしているのは親愛とか心配の証しなのだろうと思うが、ちょっとこの辺で勘弁してほしい。そろそろ目を開きたい。


 ――願いが通じたのだろうか、不意に母がすっと首を上げた。彼女の見つめる先には、胸に手を当てて跪いたデュランの姿がある。


「……この出会いと導きに感謝します。お会いするのはこれで二度目……でしょうか。覚えていらっしゃいますか? 昔、貴女にこの鎧をいただいた――デュラン。デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカと申します」

(――そうなの!?)


 彼の鎧については再三繰り返し色々な場所で耳にしていたが、母からもらった、二人が既に面識を持っていたなんてことは……うっかり聞き流していたのだろうか。


(宝器って確か、お母様が作るけど、基本的に迷宮のあちこちに落ちているもので……だからお母様に直接渡されたって、結構なことなのではないかしら……)


 母は一体どういうつもりでそんなことをしたのか――というかそもそも、彼の事をどう思っているのか。デュランが一番執着している竜との交流の機会は取り上げたが、無双の鎧を託したぐらいだ、嫌ってはいないのだと思う――思いたい。嫌ではないか、自分が逆鱗を渡した相手が親から評判が悪いなんて事態になるのは。


 そわそわしながら顔色を窺うシュナだが、母は何も言わずしばらく竜騎士を鋭い刃のような色の目で見つめ――そして唐突に、ふっと糸が切れるように、興味をなくしてぷいとそっぽを向いてしまった。


(お母様!?)


 よりによって無視なんて、さすがにそれは自分もデュランも傷つく! とシュナは慌てふためくが、彼女は優美に尾を揺らしながら歩いて行ってしまった。


《何、悪くは思っておらぬ。現に鎧は未だお前の手にあろう。それが借り物であることさえ忘れなければよい、あの方はきちんとお前を理解している――はずだ。おそらくは。我にも真意がわからないことは多々あるが、きっと大丈夫だ。うむ》


 残されて傷ついた様子の竜騎士に、そっとアグアリクスが慰めの声をかけた。しかし最後の最後で目を泳がせつつ色々余計な言葉を足すのは信頼感が失せて実によろしくない。


 結局どっちなんだ、安心していいのか、油断せずに精進すべしとのことなのか!


 女神の思考がわからず白目を剥いている逆鱗達の視線の先、女神はこの場のもう一人の逆鱗に近づいていた。


 座り込んだままじっとしてたネドヴィクスは、寄ってこられると立ち上がる。

 シュリは彼をじっと覗き込んだ後、ぶぶぶ、と鼻を鳴らした。それで何か通じるものでもあったのだろうか、ネドヴィクスは恭しく頭を下げた。


《一度培養槽ウームに戻るがよい。あの宝器は打った相手の内部まで破壊する。軽度とは言え、傷が入ったのは事実。今はまだ無理を押す時でもあるまい》

《……受諾》


 アグアリクスに促されると名残惜しそうにシュナをじっと見つめるが、大人しくピンク色の竜は翼を広げた。


《安心するであります、姫様のことは此方に任せるのであります!》

《ウィザルティクス。ところでお前には後で――いやこの後すぐ、我から話があるだが》

《あっ……はい》


 不在の間は任せろ! とばかりに銀色の竜が声を上げたが、黒色の竜が据わった目を向けるとシュンッと縮まった。


(怪我をしたのだから、休むのは大事よね……早く治るといいのだけど)


 一度挨拶するように頭上を旋回したネドヴィクスが飛び去っていく後ろ姿をじっと見つめていたシュナだが、デュランがうろたえるような声を出したので急いで視線を下げる。


「ニルヴァ――」

《大丈夫だ》


 シュナも声を上げかけた。ネドヴィクスを見送った母は、今度はウィザルティクスに――いや、彼の横でぐったり地面に伸びたままのニルヴァに近づき、見下ろしたのだ。


 何をするつもりなのか、と腰を上げ身構えかけたデュランとシュナを一瞬ちらっと見やってから、女神は少女に向かってかがみ込むように身体を倒し、目を細める。


命令オーダー完全回復ベスタヒリア


 直後、少女を淡い銀色の光が包んだ。瞼こそまだ開かないようだが、血の気が失せて真っ白だった顔が赤みを取り戻すのが目に見えてわかる。


「……治して、くれたのか?」


 顔を上げた女神は、呆然と呟くデュランを、それからシュナを順に見やる。

 これでいいのか、気は済んだか、とでも問われているような気がして、シュナは慌てて頭を下げた。


(ありがとう、お母様)


《眠りについたままなのは身体が休息を必要としているためだ。適性の低い中、長時間の飛行はさぞ堪えたことだろう。これで体調は改善されたろうが、なるべく早く地上に戻してやるがよい。初心者にはいささか過酷な冒険であった。その子の父親も案じておろう》

《――温情に感謝します》


 改めて恭しく頭を下げる竜騎士だが、母はどうも反応が薄いというか……もうわざとやってるんじゃないかこれと疑いたくなるレベルで彼に対して応じない。


 しゅん、とした様子の竜騎士だったが、再び近づいてきた彼女が自分を通り越してシュナの前までやってきて、鼻先で顔をちょんと押してから頬を当てている姿を見ると……悔しそうな顔で何かブツブツ呟きだした。


「くっ――なんで俺は今日画像記録装置を持ってこなかったんだ、一生の不覚――いやさすがに不敬だからアウトか――しかしこの光景を永遠に刻みつけることはきっと客観的にも正義であるはず――」

(何を言っているのかさっぱりわからないけど、きっとろくでもないことなのだわ!?)


 てっきり自分が無視されてシュナばかり、という点に嫉妬しているのかと思ったら全然違ったようだ。背後の雑音に我関せず、女神は思う存分娘を堪能すると、身を引き、後退してから翼を広げる。


《では、我々はこれで一度退散する。間もなく代わりの竜が来る、少しだけ待っていてほしい》


 アグアリクスもそれを見計らったように同じく離陸の姿勢を取る。じっと睨みつけられて、ウィザルティクスもものすごく気乗りしなさそうな表情のまま、しかし翼を広げて身をかがめた。


全解除オルグリナ


 飛び立つのと同時に、シュリは小さく何か呟いた。同時にシュナの首の光が消え失せ、彼女は自分の喉が正常に戻ったことを知覚する。


 出てきた時と同様、空中にまばゆい光の球を出現させ、その中に飛び込むように女神は消えた。それを追うように、竜達の姿は消え失せる。


《……帰っちゃったね》


 後に取り残されたのは人間達とシュナのみ。目を丸くしている間に全てが勝手に始まって終わったような、何とも言えない空気の中、デュランがぽつりと零した言葉に、シュナはきゅうと小さく鳴いて返す。


(お母様、結局一言もお話しにならなかった……)


 それがデュランや他の竜達がいたせいだからか――それともかろうじてつなぎ止めた正気の限界の中で活動していたからなのか。シュナにはわからず、ただぽっかりと穴の空いたような感情だけが胸に広がっていた。

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