竜姫 亜人と遭遇する 後編
きらめく光に、何者かからの――それこそ新たな竜からの攻撃かと思ったシュナは身構えかけたが、直後ぽかんと口を開いた。
光はシュナ達の上方から放たれた。何もない空間に突如現れた光球から、するりと何かが現れる。
細長いシルエットは優美だが、華奢と言うよりはもう少ししっかりしたしなやかさを兼ね備えていた。けして大きな身体ではないが、存在感がある。空のような青色の鱗はシュナと同じ、けれど目の色は鋭い銀。
音もなく光球から抜け出た竜は翼を大きく広げると、真っ直ぐシュナを見下ろし、目を細めた。
《――
きゅっと思わずシュナの口から音が漏れた。直後、キン、と金属で立てるような音が響き、彼女の首の周りに淡い光の輪が現れる。
《シュナ!》
(大丈夫――)
痛みはない。だが、叫んだデュランに答えようとした声が出ない。人間の時と同じように、息は喉を通るのにそれが音になろうとしない。
(どうして!? 人間の時の姿じゃないのに――)
《大丈夫であります、姫様!》
悲鳴を上げようとしたシュナだったが、いつの間にかすぐ側までやってきていたウィザルティクスの言葉に羽ばたかせかけた翼を急停止する。ウィザルティクス、と思いついてキョロキョロ辺りを見回すと、ニルヴァはすぐ近くの地面に横たえられており、脇にネドヴィクスが佇んでいた。
ひとまずほっとした気もするが、ニルヴァもネドヴィクスも相変わらずどちらも顔色が悪く、油断ならない状況なのではないかとすぐに心臓がきゅっと締め付けられる感覚に襲われる。
《念のための措置であります、すぐに終わるはず――一時のご辛抱を》
どうしてここに母が、それにあの姿は――色々と考えることはあったが、シュナはまだ事情がわかっていて落ち着ける方だ。ウィザルティクスに宥められると、いったんは様子見をする気にもなる。
影の手の状態の時は問答無用の襲撃で、対話することなど見るからに不可能に思えるが、この竜の姿をしている時の母はちゃんと娘の言うことに耳を傾けてくれるような――なんだかそんな気がする。
(でも、いきなり喋れなくされるのは酷いわ――!)
《シュナ? シュナ!? 何をされたんだ、くそっ――》
この場で一番状況がわかっていないのは人間達だろう。
突如出現した見慣れぬ竜に、二人とも警戒の姿勢を取ったまま睨みつけていて、今にも飛びかかりそうだ。
(待って、デュラン! その人に攻撃してはだめ――)
亜人の方は言って聞く相手でもないが、相棒と母を対立させるわけにはいかない。しかし声が出ず、地団駄を踏んでいるシュナの頭上――大きくゆっくりと翼を羽ばたかせた竜が歌うように言った。
《
呪文だろうか。それが唱えられた瞬間、何かが弾けるような音が響いた。
「なっ──」
「──!」
上がったのは二人分の驚愕の声だが、おかしな細工をされていなければシュナもその中に加わっていただろう。
変化が顕著なのはデュランの方だ。しっかりと着込んでいた鎧が一瞬にして跡形もなく消え失せ、彼は無防備な姿になっている。目を丸くした竜騎士が、手を前に突き出して構え直そうとするが、びくとも戻らないらしい。状況や態度からして、自分で鎧を解除したのではない――させられたのだろう。
一方、亜人の方も着込んでいた派手な飾りのいくつかがなくなっていたようだった。腰の辺りで手を止めていた男が、感触を確かめるように手を動かし、それからヒュウッと口笛を吹いた。
「へえ……なるほどね。こりゃ使い物にならねーわ。降参だよ、お偉いさん方」
大げさに首をすくめてみせた亜人の視線の先を追ったシュナは、またもぽかんと口を開いてしまう。
母のすぐ近く、まるで影のように大きな黒い影が控えている。通常の竜よりも一回り大きな黒い体躯に、左の顔にある特徴的な模様――アグアリクスだ。彼だけでない。一体いつやってきたのだろう、気がつけば待機所のあちらこちら、ぐるりとシュナ達を取り囲むように竜達が佇み、見下ろしていた。
シュナは声を出せず、デュランは鎧を脱がされている。この状態で竜達に囲まれていると、とても心穏やかではいられない。ましてその中には母もいるのだ。逆鱗同士は、自然と互い、身を寄せ合うように近づいた。やがて黒い竜が厳かに告げる。
《立ち去れ、人の子よ》
彼が主に見据えているのは亜人のようだった。
竜は伝えたい相手に意思を届けることができると言われていたから、竜の鱗でできた笛を持っていない相手にもその気になれば自分の声を伝えることができるのだろう。
亜人はじっと、黒い竜と青い竜を見つめていた。
《立ち去れ、人の子よ。この場は休息の階層。争い事は無用だ》
ピクッ、と亜人が眉を跳ね上げ、口元を歪めた。
「正当防衛だよ。先に襲ってきたのはそっちでしょ?」
《いくらかの間違いがあったことは認めよう。だが今後はあり得ぬ。そう決めた。ゆえに貴様も退くがよい。これ以上狼藉を重ねるならこちらもそれ相応の対処を取る》
「あのさあ。そもそもちょっと大げさじゃない? 今までどこでどんなに暴れても無視一徹だったじゃない。それが今日は何、気分転換? たかが少しの小競り合い程度で、あんた直々のお出ましとはね。となればそこの人は……僕と喋る気はないみたいだけど、そういうことなんでしょ? 特級宝器を強制武装解除できる存在なんて早々いないよ」
アグアリクスが笑った。いや、これは牙を剥きだしたのだ。もしかするとこの場で一番何が起きているか理解しているかも知れないシュナは、色々な意味でハラハラしつつ固唾を飲んで見守っている。母は呪文を唱えて以来、空中で静止しているのみ、瞬きすらしない。ザシャの挑発じみた態度をどこまで聞いているかも定かではない。代わりにアグアリクスが言葉を続ける。
《勘違いするなよ、冒険者。この場は我々のもの、定義は我々が決めるもの。なるほど貴様は確かに強い、ある側面では間違いなく最強と言えよう。……だがそれで、過去一度でも、我らが神の真なる御前に至れたことがあったかな》
シュナは思わずデュランにぎゅっとしがみついてしまった。
亜人の顔からほんのわずかではあったが、笑みが失われ、あまりに冷たい目が母を射貫く。そしてそれが錯覚であるように思える程、以前に増してより一層歪んだ微笑みを作り出したのだ。
「完璧に理解したよ。ご親切にどうも。ところでこれ、今から全員迷宮から出ないといけない流れなわけ? 僕、今日は潜りに来たばっかなんだけどなー」
《……
「じゃあ僕はこれで。いい勉強になったよ、女神の最強の盾さん」
くるりと踵を返した亜人は、竜達がじろりと見守る中、何の躊躇もなくさっさと砂の間の方へ歩み出す。かと思えば足を止め、シュナをぎゅっと抱えたままの竜騎士に向かって大きく手を振った。
「まーたね、デュランちゃん、シュナちゃん──は無理かなあ。僕ってばものすごい嫌われ者みたいだから。あはははは!」
尾を引く気味の悪い笑い声を最後に残し、登場したときと同じぐらい呆気なく、亜人は去って行った。
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