竜姫 亜人と遭遇する 中編

 何が起こったのか、シュナには最初理解できなかった。周囲の音に咄嗟に反応するように首を向けた先――地面には見たことのない光景が広がっている。


 岩場は土煙に覆われていた。轟く音が耳に痛い。


 もうもうと立ちこめる煙の中で時折黒い線が走る――そんな光景をかろうじて視界にとらえたかもしれない。シュリの作り出す手が急速に増え、速度を増したようにも見えた。けれど奇妙なのは、その動きとシルエット。


(――ちがう。お母様じゃない!)


 確信したのは走る線に合わせて軽い爆発が起こったからだ。発火の光は、竜達が作る種類のものではない。彼らの放ったブレスなら、もっとまっすぐ飛ぶ。あんな風にうねったりはしない。


(何……あれは一体、何なの……?)


 形勢が、状況が一転していた。

 シュナは煙と謎の走る黒い線に目を凝らし、母の姿を探す。

 しかし、煙の中から手が現れたかと思えばすぐに霧散して消えてしまう。


 ――視界に別の物が入った。ネドヴィクスだ。シュナと、彼女にぴったりくっつくように近くを飛んでいたウィザルティクスは地上の様子を安全な高度から見下ろせる位置にいたが、慣れない乗り手を気遣ったのか、彼は遙か下でまだ羽ばたいていた。


 顔色を変えたウィザルティクスが、ぐるりと身体を反転させ、落ちるように降りていく。


《ネド、間に合わない! 共倒れするぐらいなら!》


 銀色の竜が怒鳴りつけると、ピンク色の竜ははっとしたように目を見開き、こちらもぐるっと身体をひっくり返した。

 あっとシュナは声を上げる。乱暴な飛び方をされて、それまでなんとか堪えていたニルヴァの身体が空に投げ出された。


 しかし開いた口から放たれた悲鳴は、ニルヴァの窮地に対するものではない。

 乗り手を振り落としたほんの直後、どこか地表の物に相対するかのような構えにも見える姿勢になったネドヴィクスのちょうど腹部に、煙の中から飛び出た黒い線が走って――爆発した。


《ネドヴィクス! ニルヴァ!》

《――駄目だシュナ、今降りるのは!》


 ピンク色の竜が声もなく――けれど確かにふらついて姿勢を崩すのを見たシュナは咄嗟に駆け寄ろうとするが、背中の竜騎士に止められる。

 シンクロとやらで身体の感覚を共有しているせいだろうか、ガチッと全身が硬直し、意図しない姿勢に身体のあちこちが軋む。


 大きく見開かれたままの目の先では、投げ出された乗り手を銀色の影が素早く回収している所だった。少女を確保すると、銀色の竜は再びぐんと身体を捻ってあっという間に高度を上げ、安全な高さまで逃げてくる。ひとまずニルヴァが地面に叩きつけられるようなことがなくてほっとしたが、それも一瞬。鋭い鉤爪のついた大きな手に捕まえられている彼女の身体からは、もはや力が感じられない。ぶらんぶらんと揺れる手足に、シュナは再度悲鳴を上げた。


《ネドヴィクス、ウィザルティクス――》

《ウィザル、ニルヴァは!》


 シュナの背でデュランもまた大声を出した。すると銀色の竜は羽ばたきながら唸る。


《大丈夫、見習いは緊急飛行に慣れてないから気絶しただけ! 後で気付け薬でも叩き込んでやれであります――ネド、ネド! 自力飛行は!? 損傷報告!》

《……回答。可能。障壁。完全破壊。本体。軽微損傷……》

《了解、わかったもういい。無理せず待避――いや、駄目だ。もうちょっと頑張ってくれであります……》


 ピンク色の竜はふらつきながらも上空に上がってきた。どう見ても直撃していたのだ、無傷とは行かなかったが、動ける程度の怪我で済んでいるらしい。


《クソッ。初心者いることわかってて……当てに来やがった》


 銀色の竜は憎々しげに土煙の中を睨みつけていた。シュナはぐっと首を捻って、硬い表情の竜騎士の方をなんとか向こうとする。


《デュラン――何が起きているの? 何が起こったの!?》

《……すぐにわかる。煙が収まったら》


 彼は視界が悪くとも、まるでそこにある何か――あるいは誰かを知っているような顔で、一点に視線を止めている。


(……お母様)


《安心するのであります、姫様。あれはシュリの本体ではない、消滅してもダメージはない。それより此方達の方が――まずい》


 シュナが不安な顔であちこち探しているからだろうか、ウィザルティクスがこそこそと話してくる。その彼が黙り込むと、しんと静寂が訪れる――そう、いつの間にか音が全くしなくなっていた。徐々に、徐々に収まっていく埃の中から、誰かが歩いてくる姿が、やがてうっすらと見えるようになる。


「――あは。まさか待機所で敵とエンカウントする日が来るなんてねぇ。楽しすぎて――おっと。ああ、いや、違う、違うよ? ――あはは、参ったよ。


(この声――!)


 シュナはぞわっと背筋が一瞬にして冷えきったのを感じた。独特の抑揚の付け方、そしてねっとり絡みつくような喋り方には聞き覚えがある。


「――ワズーリ」


 灰色の耳をピンと立て、ゆらゆら尻尾を揺らしながら現れた男の姿に、デュランが小さく呟いた。彼にしては珍しい、固くてかすれた冷たい声。


(……わたくしを噛んだ人だわ!)


 人の姿ならきっと咄嗟に首を庇うように手が伸びていたことだろう。見覚えのある姿にシュナがひゅっと息を呑むのとほぼ同時、彼女の下から二つ分の吠え声が上がった。


 ネドヴィクスに、ウィザルティクス。どちらの竜も、目を怒らせた怖い顔で牙をむき出しにしたまま、喉奥で威嚇音を鳴らしている。


 男は地面から顔を上げ、少しだけ視線を彷徨わせてからシュナの所でピタリと止める。その瞬間、貼り付けるような笑みを浮かべていた男が――ほんの一瞬ではあるが、真顔に戻った気がした。ぞぞぞぞぞ、とシュナは全身の鱗が逆立つ感触に身体を震わせる。


 デュランと同じ金色の目は、細い瞳孔のせいだろうか、なぜかとても不気味で、注目されていると何とも言いがたい不快感に苛まれる。距離があり、空と地上の関係のはずなのに、まるでそれだけで捕まえられて逃げられなくなったような――奇妙な閉塞感を覚える。

 熱心に値踏みしていた亜人の男は、再び笑顔に変わる。にんまりと口の端をつり上げる――けれどピンク色の竜がふらつきながらも身体を割り込ませたおかげで、そこでシュナには男の姿は見えなくなったし、あちらからも遮られたようだ。


《――ネドヴィクス》

《……守護》


「やあ、デュランちゃん。その子、逆鱗? もう怖いのは何にもなくなったからさ、降りておいでよ。ほっとけない子もいるんじゃないの? っていうか、危ない所だったんじゃない? 感謝の一言もないのかなあ?」


(誰のせいで――!)


 飄々と話される言葉に、シュナはカッと頭が熱くなるのを感じた。

 彼からすれば、危険を追い払ったぐらい、何ならデュランから危険を追い払ってやった、助けたぐらいに考えているのかもしれない。実際、あのままでは場が硬直していたからなんとかしよう、と相談していた所ではあったのだ、その意味では力を貸している。


 しかし、意図的にしろ事故にしろ、彼はネドヴィクスを攻撃に巻き込んだ。彼が乗せていたニルヴァのことも命の危険に晒した。しかも謎の武器で滅茶苦茶にした相手は、シュナの母親である。

 怒りこそ募れど、感謝の気持ちなどとても抱けそうにない。


《……シュナ。適当な所に下ろして。それからすぐ、ここを離れて》


 ずっと黙り込んでいたデュランがようやく口を開いた。シュナは不安に目を瞬かせる。


《でも、ネドヴィクスが……それにニルヴァは……》

《……なんとかする。君はあいつに近づいちゃ駄目だ。絶対に》


「あのさあ。なーにこそこそしてんの? 別にいいけどね、僕を嫌ってるのとか、逆鱗ちゃんとイチャイチャするのは。だけど、ほら。ねえ、そこには? 。ほら、早く降りてきなよ。それとも――ちょっと気を利かせてあげないと駄目かなあ? でも、しょうがないよね? 話通じないんだし、人命救助のためだし――一匹ぐらい落としても、僕が悪いわけじゃないもんね?」


 身体を左右に揺らしながら、目尻は下げずに頬だけ歪めて、亜人は語る。仰々しく広げられた右手が腰に伸びた。そこに収めている何かを――おそらく先ほど辺り一帯を無差別に襲った武器を、構えたのだろう。


《――シュナ。いい、俺はここで降りる。ニルヴァと一緒に、ちょっと離れていて。すぐ片付けて、迎えに行くから――》

《駄目よ、そんなの! あの子もあなたも、置いていけないわ。ニルヴァをあの人に渡してはいけないのはわかるわ。でも……行って、ウィザルティクス! わたくし、デュランと一緒に残る!》


 銀色の竜は無言だった。……いや、口の中で何か小声でブツブツ言っている? とにかく、瞬きもせず地上の亜人を見つめたまま、シュナには目もくれない。代わりにピンクの竜が答える。


《否定。撤退。姫。先行》

《シュナ、頼むよ。あいつはこのままだと引かない、だけど君たち竜に近づけていい奴じゃないんだ。ニルヴァのこともある、あまり時間はかけられない。たぶん、君が離れないと竜達がついていくこともないんだろう? だから――》

《いや! 絶対に、いや! 近づかないわ、離れた所で見ているだけ。お願いだから見守らせて。あなただけ一人危ない目に遭わせろだなんて、許さないんだから!》


 今にも飛び降りそうになる竜騎士を、身体を捻ってばたつかせてなんとか押しとどめながら、シュナは必死に抵抗する。


 理屈では、恐らくデュランだけ残る、それが今この状況で最も無難な選択なのだろうと彼の指示も理解できる。

 何しろこちらは負傷者を二名も抱えている。そしてあちらは実力行使も辞さない構えだ。比較的安全に足止めできるデュランが相手をし、その間に安全を確保するのは道理である。


 けれど、あの男とデュランを二人きりにしたくない。一人だけ置いていけと言うのは飲めない。


「どうするか決めてよ。僕は竜に玩具にされているそこの冒険者を助けなきゃいけないけど、彼らがちゃんと治療をさせる意思を示すなら余計な事はしないよ。そんなに難しいことかな? 降りておいでよ、その子を渡しなよ。ほら、じゅーう。きゅーう。はーち――」


 押し問答しているうちに、亜人はいかにも愉快そうにもったいをつけて、ゆっくり数字を数え始めた。


《――ああっ!》


 一瞬の隙を突いて、背中から竜騎士が飛び降りた気配を感じたシュナは悲鳴を上げる。

 鎧を持っている彼は、かなりの高さから地面に落ちることになったが、無事そうだった。


《行け、シュナ――行くんだ!》

《いや!》


 しかしデュランが地面に降り立っても、亜人は数える声を止めようとしない。ますますシュナもその場を離れられない。


「ごー、よーん――」

「ワズーリ、俺が話をする――」

「さーん――」

「手を出すな、彼らは何も悪くない!」

「にー――」

「……どうあっても巻き込むつもりか」


 デュランは苦々しく言うと、顔を鎧で隠し、深く身体を前に倒して背中の剣に手をかけた。亜人がより一層邪悪な微笑みを深め、最後の数字を唱える、その刹那。


 まばゆい光が、辺りを支配した。




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