姫 恋する少年を見る

「では、拝見させていただきます」


 近くの飲食店、その奥の個室に移動すると、神官はきびきびと治療を開始した。


 ちなみに巡回の騎士クルトだが、直前まで同行していたのを、店に入る直前、どうやら別ルートで巡回していたらしい年上の同僚に見つかった。押し問答の末、「いやだー、可愛い女の子の護衛してる方が楽しいのにー!」なんて悲痛な嘆きを上げつつそのまま引きずられていった。


 一応デュランが、自分が頼んで一緒にいてもらったのだと取りなしたから、職務放棄扱いにはならないだろう。が、やはり巡回の騎士の本職は街の見回り、そちらを優先しろと先輩が言って後輩を引っ張っていくのは、ごもっともなことである。


「あそこまで目立つと、かえって制服の人間がくっついてた方が虫除けになったんだけどね。ま、クルトのことは後でちゃんと労ってあげましょ。お菓子とか、色々気も利かせてくれたし」

「そうだな。それにどうせこの後迎えを呼ぶつもりだったし、店まで来てもらおう」

「それならあいつももう変なことはできないかしら。んー、しかし今後の課題ね。さりげなくがテーマだったけど、逆に物々しい方が近寄ってこないかしら……」

「もう出歩かないって選択肢もあるけど? 俺はずっと安全な所にいてほしいんだけどな……」


 神官がシュナの肩を見ている間、少し離れた場所で騎士二人がそんなことを話し合っている声が聞こえてくる。


 シュナは申し訳ない気分で一杯だ。元はと言えば自分が至らないから二人の付き添いが必要なのだし、デュランの言う通り大人しく引っ込んでいるのが一番揉め事を起こさず正しい姿なのだろう。


 けれどそれでは、それだけでは困るのだ。

 特に、人間の自分がいかに無力か痛感させられた今は。


(じっとしているだけでは、わたくしはいつまでも役立たずでお荷物のトゥラのまま……そんなの嫌よ! わたくしはデュランの逆鱗あいぼうなのだもの!)


「かなりくっきり歯型がついてしまっていますね。これはポーションか慰術を使わないと、暫く残るか、最悪痕がつくでしょう。慰術を使用しても?」


 ふん、と鼻を鳴らし、密かに決意を強くしているシュナの横で、傷を見終えたらしい神官が一度身体を起こし、デュラン達の方を振り返る。


 シュナの傷の責任者がデュランになっていることに思わないことがないわけではないが、喋れないし、居候の身なのだ。大人しく待っていると、彼はリーデレットに向けていた目を神官の方に寄越した。


「お願いする――あ、そうだ。プルシ、俺たちはこうやって離れていた方がいいか?」

「はい? ……ああ、ええと、なるほど? そうですね……このままでも問題ないかとは思いますが、付き添っていただくことも可能です。その方が彼女が安心するのでしたら、よろしいかと」


 シュナが首を傾げている前で、察しのいいらしい神官が少し身を引くと、離れていたデュランが寄ってきて、シュナの後ろに回り込む。

 何をするんだろう、と背後を振り返ろうとすると、「よいしょ」という軽いかけ声と共に背中に感触が。


「はい、トゥラ。大丈夫だからね。力を抜いて」

(……わたくし、そこまで子どもじゃないわよ!?)


 つまり、デュランの足の間に座らせたシュナを抱きかかえるポーズ、完全に治療を嫌がる幼児をなだめつつ押さえ込む保護者の図だ。


(お父様にだって、十二を過ぎてからこんな子ども扱いされたことないのに! 一人でできるもの! わたくしそんな悪い子じゃないもの!)


 とシュナは憤慨しているが、そろそろ学びつつある。こういうだらしない顔をしている時のデュランは一切役に立たない、むしろ彼女の邪魔になるということを。


「大丈夫、注射じゃないよ、痛くないよ」

「デュラン……あんたそれ、自分がやりたかっただけなんじゃないの……?」

「治療の邪魔なら退いていただきますが……?」


 じたばたもがいていたシュナだが、自分が抵抗するだけ場の空気がいたたまれないものになっていくことを悟るともう死んだ目でも状況を流した方が万事うまくいく気がしてきた。


(その代わり、竜に戻ったら、絶対にお返しをするんだから……!)


 黒い目の奥で闘志を募らせる彼女だが、温かな心臓の音に包まれていると自分の気持ちも徐々に落ち着いていくような感覚を覚える。

 シュナが大人しくなると、少年は彼女の肩の辺りに手をかざし、反対の手に手荷物から取り出した小さな杖を握り、小さく詠唱を始める。彼の杖が、掌が、ほのかなオレンジ色の光を帯び、シュナの肩の辺りもずきずきする感覚が徐々に失せてぽかぽかと温かくなる。

 温かいのはそこだけではない。身体全体が――熱い、ような気がする。


(デュランと一緒にいると、落ち着くけど、今はそれだけじゃないみたい。どきどきする……だけどあの亜人にこうされた時みたいな、嫌な気持ちではないの。安心するけど……むずむずする。くすぐったい? どうして? 変なの)


 不快ではないが、なんだか奇妙に居心地が悪いような気がする。しかし、少々身体をもぞつかせると「大丈夫だよ」と耳元に囁きかけられて、なんだかますます落ち着かない。


「はい、終わりました。気分はどうですか?」


 デュランの方に気を取られていたせいだろうか、治療はあっという間だった。

 せっかく慰術とかいう神秘の術を間近で見られる機会だったのに、うっかり見逃して残念な気持ちだ。言われて肩に注目してみると、服の破れや血の跡はそのままだが、すっきり痛みが消えている。指を這わせてみても、異常は感じられなかった。


「トゥラ、大丈夫? 気持ち悪さやだるさが、出てきていない?」

(大丈夫。痛くなくなったみたい!)


 シュナはふん、と鼻を鳴らしてから、立ち上がってプルシにお礼の抱擁を――しようと試みたのだが、ちょうど抱きかかえたままかつ行動を読んでいたデュランに阻まれ、抗議の声を上げながらじたばたするのみにとどまった。


「すごい。本当に綺麗にできるのね。大したものだわ」

「ありがとう、プルシ。助かった」

「いえ。先ほども申し上げましたが、奉仕は我々の望む所です。それに……」


 リーデレットも近寄ってきてシュナの肩を見てから感心の声を上げる。

 神官は口々に礼を言われると、一度口ごもってから、静かに小さな声で続けた。


「……その方は、カルディが特に気にかけられていました。あれだけ無垢な人は珍しい、悪い輩に目をつけられやすい性質ゆえ心配だ……と言っていたのが、印象に残っていたもので」


 どことなくばつが悪そうに話すのは、なぜだろう。シュナは疑問に思っているが、騎士二人は何か納得したように小さく頷いている。


「それと。その……若輩の身ゆえ、こうした場合、信用ならないと断られることも多いのです」

「あのレフォリア=カルディの一番弟子で、もう既に自分と劣らない才能もあると本人が太鼓判を押してたぐらいなんだ。実力は疑っていないよ。現に君は見事に傷を治してくれた」


 デュランの言葉の中で、少年は師の名が出た瞬間、一番誇らしそうな顔になった。

 今一度、最後にシュナの状態を確認してから、念のため帰宅後には主治医に診せるように、等と言いつけた。


「観光も良いですが、機会がありましたら是非神殿にお立ち寄りください。カルディは貴方の事を大層気にかけていらっしゃいます。困ったことがあればいつでもご相談に乗りますよ」


 これは別れ際という所になって、シュナをじっと見つめての言葉だ。

 初対面があまり良い思い出ではなかったせいで、なんとなくシュナの方では神官達に苦手意識のようなものもあったのだが、好意的に接されると、警戒しているのが申し訳なくなってくる。


「では、迷える子羊達の明日に星の光の導きのあらんことを」


 最後にまた独特な礼を取って、少年は去って行った。大事に花を抱え直して、いそいそと歩いて行く。その後ろ姿を見送ってリーデレットがぽつりと呟く。


「初々しいわねえ。相手が相手だから、ちょっと成就には分が悪そうだけど……悪くないセンス。何より擦れてないのがいいわ。きっとあの子、いい男に育つわよ」

「ま、何事もやってみるものさ。何もしないよりはずっといい。失敗しても成就しても、自分から動いたことならちゃんと経験になる。……ちょっと今は正直過ぎるみたいだから、もう少し小ずるくなった方が生きやすいとは思うけどね」

「あんたはあのぐらいの頃には、もう涼しい顔で彼女持ちだったものね。しかもあの子と違って、最初からいっつも言い寄られる方だったものね」

「あの、リーデレットさん? 急に俺に矛先を向けるのはやめていただけませんか? 特にその、こういう場では、ね……?」

「ふーん。ま、いいけど」


 ほんわかした雰囲気だったのが、なぜか急にリーデレットは圧のある笑みをデュランに向け、彼の方はチラチラシュナに視線を寄越しながら冷や汗を垂らしている。シュナがじっと見るとさっと目をそらしてしまうので、代わりに女騎士の方に目を向ける。彼女は肩をすくめてから、シュナに笑いかけた。


「トゥラちゃんはまだ経験ない? あの男の子、恋をしているのよ。単に師弟というだけでなく、お師匠様の事が大好きなのね」

(……恋)


 シュナは首を傾げる。

 納得した気持ちと、わからない気持ち。誰かを好きになる――物語の中では散々見てきた光景で、あれがそうなのだと実際見たものを言われて。けれどなんだろう? 同じだけど、違う。


(だって……物語の王子様やお姫様は。皆恋は幸せだって言っていたわ。でもあの子――)


 確かに師を語るとき、彼の目はきらきら輝き、頬は赤く染まり、声は喜びに弾んでいた。


 けれど、その師にあげるのだという花を抱え直し、匂いを確かめるように顔を近づける。その仕草をしていた時の彼は、まるで痛みを堪えるような、今にも泣きそうな、そんな顔をしているように見えたのだ。


(……恋。恋? 幸せで、嬉しくて、温かくて……そういうものなのではないの? ならどうして、あの子は時折、胸がぎゅっとなるような、苦しそうな顔をしなければならなかったの?)


 つけられた傷は、綺麗になくなったのに。

 身体の内側に、何か言いようのないざわめきが溜まってしまって、ぐるぐるそこにとぐろを巻いているかのような――そんな錯覚を覚えたのだった。

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