姫 迷宮に戻る(失敗)
(……もう、いいかしら)
ベッドの中、掛け布団に頭まですっぽりとくるまって今か今かと待ち構えていたシュナは、そろそろと顔を出し、耳を澄ませる。
すっかり日も落ちて、皆が寝静まった頃だった。
今日の外出は色々と波乱に満ちていて、帰ってきた後も(主にあの亜人に絡まれたことについて)色々聞かれたり確認されたりと疲れたことはあったのだけど、シュナ本人は比較的素早く解放され、以降はいつも通りだったように思う。
デュランやリーデレットは難しい顔をしていてまだまだ忙しそうだったが、シュナはさっさと晩ご飯に通され、風呂に引っ張っていかれ、ベッドの中に放り込まれた。
……いや、一つだけいつもと少し違うことがあった。
晩ご飯の時、侯爵夫人が珍しく何も言ってこないと思ったら、
「なんでも今日、ギルディアの冒険者に求婚されたそうですね。お受けするのですか?」
とかふと言い出したのだ。
食事中ではあるが、思いっきり音を立て、左右に勢いよく頭を振ってしまった。
ちなみにデュランの方はまだ事後処理に追われているとかで、晩ご飯には顔を出しておらず、食卓についていたのは侯爵夫妻と居候のみだった。
侯爵の方も、横であんぐり口を開けて妻を見ていた。
きっとふさわしくない行動を取ってしまったことについての厳重注意だろう、一体どんな叱責が飛んでくるか、なんて震えていたところ、彼女はしばらく黙々と夕食を片付けるのみで何も言わなかった。自分の皿が空になった後、おもむろに口を開いたかと思えば、
「貴婦人、淑女という存在は、通常もちろん慎み深い方が好まれます。けれど危険が迫った場合ならば例外です。どんなに気を張っていても来る時は来るのが災害というもの。命が脅かされている時になりふり構ってはいられません。とは言え、慣れないことに呆然としてしまうのも道理。あたくしも迂闊でした。明日以降は緊急対策も講習に入れましょうね。デュラン相手でも遠慮はいりません、実験台にするなり、退かせたい時に役立てるといいですよ」
等と淡々と宣言し、横の侯爵を震え上がらせていた。
ああいう時どうすればいいのか教えてもらうのは願ってもないが、デュラン相手にそんな――シュナはすぐに考え直して頭を押さえた。
案外すぐ機会に恵まれそうだ。だってデュラン、冷静に考えると、やっていること大差ない。
(でも、デュランなら、触られるのは嫌じゃないの……。わたくしたちが逆鱗だからかしら……?)
疑問が浮かんでも人の姿では問うこともできない。
ならば、やはり――それ以上追求されることのなかったシュナの頭の中は脱走計画で一杯になる。可及的速やかに実行に移す必要があった。
風一つない、静かな夜。慎重に抜け出して、地面にそっと降り立つ。
寝間着は薄いから少し肌寒い。外に出たらもっと辛いかもしれない。暗闇の中を見回して、ほとんど手探りで上着を見つける。袖を通して深呼吸してから、そっと扉の前に立ち、耳をつける。
(……誰もいない、かしら?)
少し待ってみて、ゆっくりとドアノブを捻り、開けてみる。
最初は少し廊下が見える程度。
それから顔を出せる程度まで隙間を開けて、そこから外を見てみようとする――。
が。
「――!?」
ある程度扉を開けたところで、急にけたたましい音が鳴り響き、シュナはぎょっと手を離した。音源は今触った扉の上の方からだ。見上げるとそこに吊る下げられている金物細工が勝手に動いてシャンシャンがなり立てている。
(嘘……誰かが入ってきたことがわかるように鳴り物がついているのは知っていたけど、だからこそ鳴らないようにそっと開けたのに、どうして!?)
半泣きになっているシュナがベッドの中に逃げ戻るべきか今すぐ駆け出して少しでも距離を稼ぐべきか迷って立ち尽くしている間に、バタバタ走ってくる音がしたかと思うとパッと明かりが部屋に灯った。
「どうされました、お嬢様!?」
駆けつけたのはメイド達だ。見慣れたコレットの姿も見える。シュナが涙目で手をぎゅっと握りしめていると、コレットがすっと歩み寄ってきて手を握る。
「……眠れなくて少しお散歩でもしようかと思ったのですか? びっくりしましたね……そうですね、お嬢様はお部屋の扉が開いたら防犯システムが作動すること、知りませんでしたもんね……」
(そうよ、そんなの聞いてないわ!)
焦って準備不足だったのは否めないが、機を待つ時間とただ無為に過ごしている時間の区別なんてなかなかつけられない。とにかく行動してみようと思った第一歩を思い切り挫かれて、シュナは行き場のない怒りに言葉にならぬ声を上げる。
「――どうかした!?」
少し遅れて、見覚えのある赤毛が登場する。大分ラフな格好ではあるが、寝るにしては襟付き、皺なしのシャツというちょっとしっかりしすぎな服装である。この時間まで何か作業をしていたのかもしれないが、それにしても駆けつけるのが毎回早い。
ここまで予定調和の展開になると、シュナは鼻を鳴らしながら思わず彼のことを叩いてしまった。と言っても体重の軽く筋肉のほとんどない彼女が手足をばたつかせたところでぽすぽす音が鳴り、周囲は彼女の主張がわからず困惑しながら和むのみである。
「眠れないなら……そうだ、絵本を読み聞かせてあげるから」
ベッドの中に戻されてしまった彼女が不満の目を向けていると、デュランはちょうど手に持っていた絵本をぱらぱらと開く。
メイド達も解散したから、後は彼が出て行けばシュナはまた一人きりだ。
……と言っても部屋から無断で出ようとすると酷い目に遭うことは今実証したばかり、扉でこれだけ警戒されているなら窓だって怪しい。
「昔、昔。永久に栄えていくことを誰もが疑わなかった、素晴らしい国がありました……」
最初は膨らませた頬を掛け布団の下に隠してむくれていたシュナだが、落ち着いた声が読み聞かせる話が進んでいくと徐々にその表情が別の強張りを帯びた。
(痣のある王子様……追放された……)
す、と頭が冷えていく。
あの悪夢の夜。銀色の甲冑の男達に、父が放ったいくつかの言葉。
――久しいな、ラザル。
――お前達は何も変わらない。
――これもまた、陛下のご命令か?
――陛下は一体これ以上何をお望みか? 私から全て奪っていったじゃないか。
――私は一度だって張り合おうと思った事はないのに。
痣を持ち、王宮を追い出され、陛下と呼ばれる男から憎まれていた――。
偶然と呼ぶには、あまりに心当たりが多すぎる。
だがデュランが読み聞かせているのは子ども向けの絵本のはず。
彼女が目を見開いていると、悲惨な終焉まで語り終えたデュランがぽん、とシュナのことを布団の上からなだめるように手を置く。
「……ちょっと前に、伝承を読み漁れってアドバイスをもらってさ。色々と読み直してたんだ。これは、昔から迷宮領に伝わるお話の一つ。基本的には、人を妬む心の醜さを教訓にするために読み聞かされるんだ。ちょっと寝物語にするには後味が悪かったね。なんだか奇妙なリアリティがあるし……学者先生なんかは、幾分か脚色や誇張はあるかもしれないけれど、実際にあった出来事を元にしているんじゃないかって説を唱えているんだよ。それこそ、百年前の厄災のこととか。痣のある王子様の話は他にも残っているし、本当に生きていた人なのかもしれないね。もしかしたら、君とも何か縁があるのかも……」
ぽん、ぽん、と緩やかなリズムを刻みながら囁きかけられていると、シュナの瞼はあっという間に重くなる。
健康優良児、姿勢を立てている状態なら気を張っていられるが、布団の中で暗くしていたら自然とそのまま眠りの中に旅立ってしまう自分の体質が疎ましい。
(聞きたいことが、考えないといけないことが、たくさんあるのに……)
せめて寝る前に聞かされた山一杯のヒントを、自分がちゃんと起きても忘れずにいられますように。
それだけ必死に念じたのが、睡魔への最後の抵抗になった。
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