姫 神官の弟子に会う

「迷える子羊の群れに祝福を」


 神官の少年――ルファタ=レフォリオ=プルシは少々考える仕草を見せた後、近づいてきて挨拶をした。花束を左手に持ち替えると、手を額、鼻、胸と順に素早く右手で突くような動作をして、最終的には会釈する。詳細は不明だが、恐らくこれが神聖ラグマ法国の、あるいは彼らの信仰する星神信仰の挨拶なのだろう。


「やあ、プルシ。奇遇だね」


 デュランの方は特に相手に合わせるでもなくあっさりした挨拶を返した。リーデレットも軽く頭を下げるのみ。ただ、クルトと呼ばれていた巡回の騎士は、半ば釣られるように怪しげな手つきで礼を返していた。

 さりげなくデュランを盾に興味深くシュナが見守っていると、少年は固まっている一行を見回して首を傾げる。


「こんな所で、どうされました」

「いや、俺たちは休日でちょっと遊びに来てたんだが……君は?」

「似たようなものです」


 生真面目にはきはきと返される返答を聞き届け、シュナは思わず少年の服装に目を向けた。


(この前とあまり変わらない格好だけど……)


 というか、帽子と杖といくつかの飾りを取っただけ、というか。


 お出かけだからと、やれどのドレスがいいだの小物は何がいいだの散々もみくちゃにされた身としては、確かに楽そうではあるが、それで外出が許されるんだ……というような思いもある。


 デュランやリーデレットも甲冑姿よりはラフと言えるのだろうが、ほとんど真っ白な巻頭衣一枚だけのルファタに比べると、二人とも十分華やかで派手な装いだ。彼らの場合、加えてすらりとした体型やパッと印象に残る整った顔立ち等、色々目立つ外見も兼ね備えてはいるのだが。


 星神信仰は確か平等と清貧を美徳としていた所があったような。ならば少年の服装は、それを反映したものなのかもしれない。あるいはルファタが元々、見た目にそこまで拘らない人間なのか。あまり取り立ててお洒落を好んでいると言うような性格には見えないが――。


(……でも、すごく綺麗な花束)


 騎士達の視線もそこに集まっているようだ。

 少年の顔立ちは、言ってしまえば平凡だ。別に醜いなんてことは全くないが、誰と並んでも際だって目立つデュラン達と比べると、やっぱり薄いように思えてしまう(比較対象が悪いだけという説も否めない)。服装も淡泊な色合い――なのに彼の手にある花束だけが色鮮やかかつ彩りに溢れている。

 要するにここだけテイストが違うから、ちょっと浮いて見えるのだ。


「綺麗な花だね。カルディにあげるの?」


 はて、どういうことかしらと不思議に思っているシュナは、騎士達が一斉に奇妙なニコニコ顔になったのを見てぎょっとする。しかし笑いものにしているというよりは、なんだか生温かく……何とも形容しがたい、シュナは見たことがない種類の笑みだ。

 雰囲気の変化を悟ったのだろう、彼は眉をひそめる。


「……その予定ですが、何か」

「そう。いや、別に」

「いいと思うわ。彼女、きっと喜ぶはずよ」

「そうっす、頑張るっす」

「……あの。何ですか。知ったような口を聞かないでくれませんか? あなた方がカルディの一体何を知っていると?」


 騎士達が口々に何か知ったような感じで言ったので、少年の気に障ったらしい。

 おろおろ見比べているシュナの前で、彼はしっかり花束を抱え直し、きりりと表情を澄まして口をとがらせ、まるで練習した呪文を唱えるかのように滑らかな言葉を紡ぐ。


「大体なんです、まるで僕に邪念があるとでも言いたげな目ですね。いいですか? これはただの奉仕行動と慈愛の一つであり、けして邪推されるような淫らな欲望に基づくものではありません。カルディは僕から受け取った花をまた別のどなたかのためにお使いになるでしょう――」

「でも君は、花をカルディに渡すんだろう?」

「ひょっとして休みの度に買いに行ってる?」

「綺麗なラッピングっす。派手すぎず、上品で――」


 少年は明らかにヘソを曲げているが、騎士達はむしろますます笑みを深める一方だ。シュナだけが困惑した表情で見守っている。


「我が師の好みですから、弟子の僕がわかっていて当然でしょう? 花ならば暴食や強欲の禁忌に触れる事はありませんし、意地を通して断ってもせっかく摘まれたものが枯れてしまうだけ、ならば皆の心のために配りましょうと――何ですか、何かおかしいですか!?」

「いや、別に。いい心がけだと思う」

「気にしないで、さっきちょっと嫌なことがあったばかりで……ごめんなさいね。心が温まる光景を見たものだから、つい気が緩んじゃったみたい」


 年上の騎士達は、少年の初々しい態度に心を和ませているらしい。会話の内容から懸命に推測するに、見守っているだけのシュナにもなんとなく事情が理解できてきた。


 どうやらこの少年、件の師匠――おそらく先日出会った女性、ユディス=レフォリア=カルディに好意を抱いているらしい。単なる師と弟子の関係というより、もう少し強い気持ちを。


(お花なら、わたくしもお父様からいただいたことがあるわ……でも、何かしら? それとはまた違う気がするの。だってこの子、先ほどから顔を赤くして、何かムキになっているみたい……照れているの? なぜ? どうしてそれを、デュラン達はどこか含みのある笑みで見守っているの?)


 そこでシュナはびくっと肩を跳ねさせた。いつの間にか、見つめているはずが見られている方に回っていたからだ。少年はぴゃっとデュランの背中に隠れたシュナの首元、ショールに細めた目を向けてから、デュランに視線を移す。


「先ほど嫌なことがあった、と仰っていたようですが。彼女、怪我を? 血の臭いがします。首元の布はそれを隠すためですか」

「……ギルディアの亜人に噛まれた」


 騎士達の間に渋い色が戻ってくる。デュランが短く答えると、少年は幼さの残る顔に理知的な色を浮かべた。途端に彼は、年上の青年達にからかわれていた幼い少年から、若いながら一人前である一人の神官に姿を変じる。


「なるほど。かの国では、噛み痕を残すことでその異性への所有権を示す風習があると聞きます。合意の上でしたら人間における指輪の交換のようなものですが、片想いの場合自己主張と周囲への牽制という意味が強くなるそうですね。しかし歯型が残るだけでも痛みを伴いましょうが、出血に至るとは……穏やかでない。挑発でしょうか?」


 すらすら口にする言葉は、話しかけているというよりは自分の考えをまとめるために喋っているようだった。そういえば彼の師カルディも、どちらかといえば相手に語りかけると言うより、自分の思う事をそのまま言葉に出していたような記憶がある。彼女より弟子の方が、大分普通の言葉遣いをしてくれているので、解読の手間が省けるのはたぶん良きことだ。

 デュランは特に答えなかったが、表情で否定ではないことがわかったのだろう。少年神官は右手を胸に当て、軽く背を折った。


「よろしければ、見せていただいても? 未だ若輩、修行中の身ではありますが、司祭プルシの階級を賜る身。慰術には多少の心得があります。それに噛首関連のトラブルは神殿にも定期的に持ち込まれる問題ですから、お役に立てるかと。見返りを警戒せずとも結構です。無垢なる魂への奉仕は私たちの最も望むこと、アルストラファルタは強欲や卑怯を嫌います」


 騎士達は顔を見合わせた。というか、残りの二人がこの場の決定権を持つデュランに「どうする?」とでも言いたげに顔を向けた。竜騎士が思案するように瞳を揺らしながら口を開く。


「仮に任せたらどうなる? 診断だけして、処置は別か?」

「もしお任せいただけるなら、僕に可能なことは全てさせていただく予定です。少なくとも消毒や止血等の簡易処置はできるでしょう。不安や不満があるようでしたら、途中で断っていただいても結構です」

「主治医に連絡が取れなくて、とりあえずハンカチを当てて様子を見ている所なんだ。ポーションの利用も考えたが、副作用が怖い。君はこの前カルディに同行したから知っているだろうが、彼女は特殊な呪い持ちだ。その影響も、俺だけでは正直判断に迷う。司祭プルシとしてその辺りはどう考える?」

「我が師であり、当代最高の術師たるレフォリア=カルディにも看破できなかったものですから、確実にとは言い切れませんが……小さな傷を塞ぐ程度でしたら、後遺症の類も現れないと考えられます。後は……そうですね。先日の事故は防衛機能の発動――となれば、彼女自身の不安が高まりすぎなければ、問題ないかと推測されますが」

「そうか……なら、お願いしていいか? 痕を残したくないんだ」


 聞きたいことを全て並べ、また答えを得られたらしいデュランの決断は素早かった。少年がどこかほっとしたような微笑みを浮かべる。


「心得ました。ではここでは野次馬も鬱陶しいですし、どこかもう少し落ち着ける場所に移動しましょう」


 厳しい顔から表情を緩ませると、やはりまだ幼さの面影が色濃い。


(わたくしより若いと思うけど……)


 立派に勤めを果たしている年若な少年と、怪我一つで周囲を振り回している自分。

 なんだか少し落ち込んだ。誰もシュナのことを責めない、むしろ気遣い続けるのがかえって心に痛かった。

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