ヒトの娘 お茶会に臨む 後編

 一度ざっくりと釘を刺した後は、主人は客人の無礼や無知をことさらに指摘するような無粋な真似は取らなかった。


「招待をした相手に意地悪をする――ま、そのような不届き者も、残念ながら皆無というわけではありません。ただ、三流であるだけです」


 夫人か講師が、そんなことを言っていただろうか。


 客人が場違いであるならば、その客を招待した者に責任が。

 客人がもし宴を楽しむことができなかったならば、やはりその会を主催した者に責任が。


「本来の貴族とはそうしたものです。何しろ矜持で生きている種類の人間達ですからね」


 甘く美しい菓子の数々。

 洗練された所作の付き人。

 令嬢の口から語られる世界のあちこちの話。


 ただ、彼女が見せるもの、聞かせるもの、出すものすべてが、ヴェルセルヌ王国一の有力貴族と呼ばれる、プルセントラの自信と力を示すものなのだと、ひしりひしりシュナは感じさせられる。


(デュランはそういう人とお似合いと呼ばれる人……)


 ならば確かに、たかがちょっと派手なもてなしを受けた程度で露骨に動揺を晒していては駄目なのだろう。


 しかし……。


 シュナはこっそりと、扇子を手で弄びながら楽しそうに話を続けている令嬢を窺う。


(でも、わたくしがこの人より優れていると示せることなんて、あるのかしら……)


 竜の時なら「わたくしは空が飛べて火が吹けます」というアピールもあるいはありなのかもしれないが、トゥラは人間の娘だ。


 めざとく、物事の関連によく気がつき、知識が豊富でおしゃべり上手人使い上手、おまけに見た目も麗しい。


(わたくしがデュランの隣に立ちたいと望むなら、この人よりも優れている、それを誰にもわかるように示せるようにしなければならない? それって、どうすればできるの?)


 いっそ男同士なら、決闘とかいう手もあるのだろうが……。


 うーんうーん、と首を捻っていたシュナは、自分の発想がつい武力解決に傾いていたことを知って、慌てて妄想を打ち消す。


 自分は基本的に争い事の向かない温厚な性格と自負していたが、以前デュランが危なくなった際咄嗟に「焼き払う?」と口走ったこともある。案外血の気が多い部分もあるようだ。


 そういえば父は複数人の追っ手を相手に戦うような部分もあったし、母に至っては定期的に血迷って娘に襲いかかってくる持病持ちである。


 そうか案外自分も危ない素因を持っているんだ……と神妙になりつつ、どこで入るのかわからない自分の戦闘スイッチは困ったものだ、なんて考えていたら、どうもまた顔にわかりやすく出ていたらしい。


「悩み事?」


 令嬢は艶やかな唇を動かす。娘がぶんぶん首を振って否定を示すと、扇を口元に持って行って……どうも、微笑んでいるらしい。


「もし、それが勝負に関しているなら、いいことを教えてあげるわ。相手が得意じゃなくて、自分が得意なことをするのよ。負けたくないなら、それが処世術」


 何度目になるだろう。令嬢の言葉に素直に感心したシュナは、同時に「おや?」と違和感を覚えて首を捻る。


 やたらと切れる女は、その考えをも見透かすように切れ長の目を細めた。

 す、と左手を上げると、呼ばれればすぐに甲斐甲斐しく世話を焼ける位置に陣取っていた付き人達が、一礼して下がっていく。


 シュナの方の付き人は強ばった顔をしたが、話し相手と周囲を見比べたシュナが「大丈夫、少し離れていて」と目で訴えると、渋々、と言った様子で下がっていく。


 お互いの姿は見えるが、話している内容は聞き取れないだろう。

 そんな所まで距離を取ってから、ようやく令嬢は微笑んだ。


「全てに優れている私にはそんな姑息な手は必要ないんじゃないか、って? 違うのよ、逆。私は自分が負けない勝負と仕方を選んでいるの。だからあなたには強い女に見えているの。それだけのこと。そもそも、本当にただ恵まれているだけの女が、国を出て何年も迷宮領に居座る必要があると思う?」


 机に両肘をついて頬に手を当てる、そんな仕草すら美しくすごみがある。

 ごく、と唾を飲み込んだシュナは、思わず手にしていた飲みかけのカップをソーサーに戻し、両膝に行儀よく手を置いて背筋を伸ばす。


「別に苦労をしてます、って訳じゃないの。あちらでだって、私それなりにうまくやっていけているわ。だからこそ、彼の相手にふさわしいと期待をかけられて送り込まれた、そういう部分もあるの。ただ……」


 けだるげに、女は自嘲した。指がぴん、とテーブル上に整然と並べられている茶器の一つをいたずらに弾く。


「王国は恵まれた土地よ。安定こそが正義。あちらではね、欠けた物には価値がないの」


 王国の人間が好むのは、白磁器だ。あるいは、磨き抜かれた銀食器。

 今日出されているカップは、白色を基調に淵や持ち手には金色の模様が施されたデザインをしていた。


 女が口をつけた部分には、紅が残っている。それを彼女は指の腹でつとなぞった。汚れを拭うように、あるいはさらに広げるように。


「プルセントラ公爵家には娘が三人。私が末。王国では女は家を継げない。私達の夫となる、誰かが次のプルセントラ公爵になるでしょう。……でもね、実は今の我が家で言うなら、他にも候補はあるの。たとえばお父様が、メイドを孕ませてこしらえた男の子――とか、ね」


 この令嬢は、色々なことをなんでもないことのように、そよ風が吹いたような軽い口調でさらりと流す。


「でもその子はけして私の弟とは呼ばれないの。いえ、そういう風になりそうだった時もあったわ。だけど今はもう、誰もあの子を次の公爵だなんて考えない。生まれが卑しい? いいえ。それよりもっと大事なこと。


 本来ならば給仕係に持たせるポットを片手で持ち上げ、令嬢はその中の液体を空になったカップに注ぐ。白色の中に、茶色が広がっていく。


「落馬したのよ。それで顔にも傷を作った。いえ、その程度ならまだ男だもの、なんとかなるの。打ち所が悪くて、あの子は腰を悪くした。腕のいい優れたお医者様にこう言われたの」


 ――回復してもこの先一生、まともに歩くことはできないでしょう。杖――いえ、車椅子が必要になります。それと打ったのが腰でしたから、よもやすると将来……。


「わかる? 馬に乗れない。ご婦人と踊れない。式典で胸を張って立っていることができない。何より、種が残せないかもしれない。そんなものは貴族とは呼べない、


 令嬢はあくまで微笑みを浮かべている。

 けれどテーブルの上で握りしめられた手は、微かに震えていた。


「優しくて大人しくて、誰よりも努力家だったわ。どちらかと言えば運動は苦手、けれどそれでは足りないと周囲にけしかけられて、必死で馬に乗った。掌を返されて、光の差さない小部屋に追いやられても文句一つ言わない」


 女の目には炎が燃えていた。

 穏やかで麗しい美女の装いの下には、激しい感情が燻っているようだった。

 それをごうごうと燃え立たせたまま、ふっと笑んだ顔からは、少し前までに全身から吹き出るようだった熱が抜けて、寂しげな表情を作っている。


「喋れないとか、素性が知れないとか。あまり他人事に思えないのよね」


 吐息を漏らすように、ふと彼女が漏らした。

 その言葉に、シュナは大きく目を見開く。


 温くなったカップを両手に包んだ令嬢は、くるくるそれを回し、波を立たせて遊んでいる。


「一方で疑問にも思う。あなたが片足を突っ込みかけているのは、そういう世界。それを変えていける場所でもある。それはあなたに合っていること? 本当にしたいこと? うまくいっている間はいいわ。でも手を離されたときに、自分で立てる足がないというのは、とても危険よ」


 シュナはじっと、目をそらさずに見つめ返していた。


 光をきらきらたたえた大きな黒い瞳は、彼女が何者になろうと、その輝きを失うことはない。


 するとじっとのぞき込んでいた令嬢が、急に眼力を抜いたかと思うと、肩をすくませる動作をする。


「――なーんて、ね。あまり本気にしすぎるものではないわよ。私の家族のことなんて、あなた何も知らないでしょう」


 きょとんとした顔になった娘の前で、優雅にお茶の残りを片付けてから、令嬢は真っ白な歯をちらりと見せる。


「どうやらただ浮かれてというわけでもなし、ならばこれは越権行為にすら到達するでしょう。潔く引きます。ああでも、仲良くしたいのは本当。なるべく縁が長く続けばいいと思っているのも本当――」


 傷も染みも一つもない、なめらかな肌の腕を娘は差し出した。

 一瞬の困惑の後、慌てて握り返したトゥラに、サフィーリアは笑いかける。


「私ね、ここで戦おうかとも思った。でも、それが駄目になったと決まったなら、一番派手に舞ってみようと思うわ。あなたもだから、飽きたらこちらにいらっしゃいな。私は前向きに頑張る人間の味方よ」


 彼女はいつも笑みを浮かべているが、そういえば歯を見せたのはこれが初めてだ。


 握手する手の力強さに驚きながら、ふとその白さが脳裏に酷く焼き付いて残ったシュナだった。

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