竜姫 他竜(アグアリクス)と遭遇する

 風に攫われ、シュナの身体は上へ上へと連れて行かれる。


(どうしてよう……このまま迷宮の外に出てしまうのかしら? でも、わたくし……)


 考えながらなんとかバランスを取り戻そうと苦心している間に、上下も左右もわからない暗闇からぱっといきなり視界が開けた。なんだか袋詰めにされて連れて行かれたと思ったら急に逆さに落とされたような気分だ。慌てて翼をばたつかせ、どうにか平衡感覚を取り戻し、落下を防ぐ。


(ここ……来たことのある場所だわ……)


 きょろきょろ周りを見回したシュナは、巨大な木々がぽつりぽつりと連なって立っている光景にピンとくる。


 大木の間。デュランと初陣を済ませた所だ。身体が緊張して強張る。空中に浮かぶ無数の翼を広げたシルエットが目に入ったからだ。


(まさか……ガーゴイル? あんなにたくさん? わたくし一人で!?)


 小柄な竜は悲しみの声を上げる。

 元々温厚で戦闘の類は慣れておらずむしろ嫌いな方、あの時はとにかく必死だった上、荒事に慣れた乗り手がガイドしてくれたからなんとかなったが、一人でより大群を相手にしろなんて言われたら「無理です許して下さい」と咄嗟に思ってしまうのも無理はない。


 せめて逃げなくては、と思ったが、気がつけば四方八方包囲されて――いたかと思ったが、近づいてくる姿が明らかになるにつれ、別の種類の戸惑いが出てきた。


 ガーゴイルの群れかと思ったそれらは、無機質な動く石像と異なって一つ一つが個性的な色を持ち、また動きも滑らかで――極めつけが、ピーピーうるさく鳴いていた。


《お帰り、お帰り、シュナ!》

《ぼくたちのお姫様!》

《おはよう、シュナ!》

《ごきげんよう、シュナ!》


 ちょっと焦ったが、この迷宮、というか世界で唯一ちゃんと味方で事情を話せる相手であると認識できる存在――竜達と出会えたのは、心強くはある。

 が、母と切ない別れを遂げたばかり、さてどうしようと呆然としている間に、いくら好意全開とは言え、大群に全方面から飛びかかられてもみくちゃにされたらたまったものではない。


 喜びのピーピーの中にすぐに悲鳴のピーピーが混ざった。シュナは他の竜より小柄だからぶつかられるとぽーんと投げ飛ばされる。何度か空中を彷徨って目を回したところで、これまた覚えのある感覚。


《本当君は昔からぼくが目を離すとすーぐに泣くんだから。赤ん坊の時と変わらないね。まあ、ぼくは混沌と異端の竜だからね? 全然構わないけどさ?》


 緑色の竜はシュナの身体の下側に器用に潜り込むと自分の身体で彼女を支えた。ふん、と鼻を鳴らして一際かしましく早口で囀る調子は概ね不服だ、とでも言いたげだが、その中に消しきれない喜色が見え隠れしている。


《さあさあ、皆ワンタッチ一巡ぐらいは済ませた? え、まだ? じゃあどんくさい君らはまたの機会にだね、おシュナがぶつかり稽古はもうやめてってさ。歓迎会冷やかし野次馬の有象無双はしっぽ巻いて大人しくお帰り、ここからは担当が受け持ちますので続きは順番待ちでどうぞ。ほら、散った散った!》


 エゼレクスが声を張り上げると、そこかしこから明らかにブーイングだろう鳴き声と羽ばたきの音がバタバタ聞こえてくる。


《ずるいー!》

《エゼレクスのばかー!》

《あほー!》

《いけずー!》

《落ちろー!》

《その他大勢の妬み嫉みは気持ちいいねえ!》


 大音量の応酬に巻き込まれたシュナがまた悲しみの声を上げたのとほぼ同時、凛とした声が響き渡った。


《――騒がしいぞ。浮かれすぎだ》


 するとエゼレクスの時は一斉に口を開いて抗議していた竜達が、水を打ったかのようにしんと静まり返り、一匹の竜の方に顔を向ける。


 シュナは彼らの視線を追って、上の方を――首が痛くなるほど上を向いて、ようやくたぶんあれだろうという竜を見つけた。すぐにピンとくるのは、色鮮やかな中にあってあえての黒色が目を引くのと、他の竜に比べて一回りほど大きいように見えるからだ。……距離が遠いからちょっとわからない所もあるが。


《機会ならまだいくらでもある。興奮する感情は理解するよ、だがそれで傷つけては元も子もない。全員一度頭を冷やしてこい》


 怒鳴りつけているわけでもなく、むしろ淡々と喋っているのにやけに響く声である。

 するとエゼレクスに対しては口を開いて猛抗議していた竜達が、次々に同意か了承するような声を上げ、先ほどまでの喧騒はどこへやら、ただ翼の音とシュナへ去り際に別れの挨拶をさらりと済ませる音だけがしばらく続く。


《こちらに来るといい、シュナ。飛んだまま話すのは落ち着かないだろう》


 下りてきた黒い竜の顔を見てシュナははっと息を呑んだ。左顔に模様がついている。


(この竜、なんだかお父様に似ている……)


 そんな気がするせいだろうか、彼女もまた、促されるまま大人しく彼に従い、間もなく大木の枝の一つに着地した。するとすぐ近くに降り立った緑色の竜がちゃっかりかっぱり口を開く。


《やあ、シュナ。調子はどう?》

《エゼレクス――それにネドヴィクス》

《肯定》


 続けてもう少し遠くに降り立ったピンク色の竜を見つけ、シュナはちょっとほっとした気になった。ピンク色の竜は相変わらず口数が少なかった。たぶん先ほど飛んでいたときにも比較的近くにいたのだろうが、お喋り達に紛れると埋もれてしまう。


《この前は参ったよ。ぼくたちは皆完成形で生み出されてくるから、君みたいな未熟個体の扱いは不得手でね――おっと。じゃあ君から話しなよ、アグアリクス》


 エゼレクスは翼の端でかりかり器用に頭を引っ掻いていたが、顔に模様のある黒い竜がいかにも不満そうに鼻息を荒く鳴らすと言葉を切った。巨木の上に並ぶとわかるが、やはり通常の竜より更に一回りほど身体が大きい。竜の中で一際小さいシュナと比べるとまさに大人と子どもサイズだ。銀色の目を細め、黒い竜はシュナに向かって大きな口を開いた。


《アグアリクスだ。そちらは初めましてになるな。我は貴方の事を昔から知っているが。ファリオンの腕に収まるぐらいの大きさだったが、立派になられた。母君によく似ている》

《……おい、肝心な自己紹介部分を省いていきなり感想に走るなよ。シュナ、こいつは秩序と正統のアグアリクス。要するに秩序のトップで、竜の中で一番顔がでかい奴。混沌の頂点たるぼくの天敵でもある。アグちんって呼んであげたら喜ぶよ》

《世迷い言をさも真実のように騙るな、たわけ》

《事実も混じえてますー》

《なおのこと悪い》


 目を丸くしているシュナだったが、二竜を見比べていてなんとなくすぐさま把握する。


 おそらく竜の中にも――人間とはまた異なるのかもしれないが、上下関係というか強さの順番というかそういうものがあって、このアグアリクスという竜はかなり上の方の存在なのだろう。一喝で周囲の竜が皆言うことを聞いた辺り、相当力があると見た。


 エゼレクスとは……これは素直に仲が悪いとみるべきなのだろうか、それともこういうのも仲の良さの裏返しって奴なのだろうか。ファフニルカ侯爵夫妻という前例を経験していると、なおのこと関係性が把握しにくい。ただ……黒色の竜の方が若干立場が強いのだろうか? エゼレクスが忌ま忌ましげに頭を振りつつ、なんだかんだアグアリクスに一目置いているというか、この自由人にしては、遠慮と言えばいいのだろうか、とにかくちょっとだけ奔放度が下がっている気がする。


《最高管理権限保持者が判断機能を失っている今、迷宮における管理権限は、一時的に我らに降りてくる。シュナの保護はいついかなる時も最優先。我々は貴方の力になろう》


 厳かにアグアリクスに宣言され、シュナはちょっと考えた後、どうしても一言言わずにいられなかった。


《……この前はわたくしのこと、皆で避けていたのに?》


 もちろん、竜達を頼ろうと思って迷宮に戻ってきたのだし、母にも竜を頼れと言われた、だから協力を宣言されるのは嬉しい。が、一番困っていたときに周りを取り囲んだ上でスルーされた記憶も少々忘れがたい。軽くトラウマだ。


 黒い竜がむ、と黙り込みそうになると今度はエゼレクスがからから口を開けて笑った。


《ほらね? このかわいこちゃん、大人しい見た目だけど案外言うときは言うのさ。おシュナや、怒らないであげて。あれは判断保留段階だったからノーカンにしてくれないかな》

《……あの時は皆でわたくしをどうするか相談していた最中だったから、まだ手を出せなかったってこと?》

《クレバープリンセス! 理解が早いって素晴らしいことだと思う。こーゆーとこは赤ん坊の時とは大違いだね、あん時はシュリが来るまで泣いてるだけだったからさ》

《肯定》


 緑の竜が嬉しそうに抑揚をつけて言葉を放つと、ピンクの竜が短く引き取った。なるほど、と見慣れた二匹の答えに、シュナは納得する。

 段々と竜達のことがわかってきたかもしれない。秩序とか中立とか混沌とか、おそらくは彼らの性質というか役割というかを示すのだろう。言葉から察するに、秩序が規範に従う方、混沌がかき乱す方、中立はその中間と言ったところか。


《つまりあの時エゼレクスだけが来てくれたのは、あなたが不良担当の竜だからなのね》

《不良じゃなくて異端だよ? なんか格を落として表現するのやめてくれない? ぼくこれでも混沌の頂点よ? たぶん全竜の中で一番――はさすがに言い過ぎでも五指に入るアタッカーよ? ……君やシュリにはさすがに劣るけど》

《ところで異端の竜よ。不良行為と言えば、貴様よもや一人だけ先走って謹慎処分を受けたこと、忘れてはおるまいな》


 話題が出たからついでに、という風にアグアリクスが口を挟むと、異端の竜は露骨に嫌そうな顔をした。


《えー? まさかまだなんかペナルティ続いてんの? そりゃあね、ぼく、皆さんがやきもきしつつも我慢してる間に勝手に一人飛び出していってめちゃくちゃ美味しい思いしましたけど? でもそれぼくの役割だし? シュナの助けにもなってましたけど? その辺は酌量されないの?》

《この場に居ることを許しているではないか。だが先ほどからどうも反省が見られない上に、ちらほら余計な事を言う態度が腹立たしい。故に、この先我がいいと言うまで黙っているが良い》

《むむ!? むむむ……》


 途端にエゼレクスは口を閉じたまま呻きだした。少し前の印象の通り、この二竜の力関係はあちらの方がやや上なのだろうか。


《……ノイズ。無様》

《むむむーむむ、むーむむ!》


 相変わらず黙ったままのピンクの竜が、揶揄するようにぽつっと言った。緑の竜は明らかに不満を示しているが、言葉にはならない。それらをするりと無視して流して、黒い竜は再びシュナに向き直って威厳たっぷりに大きく翼を広げた。


《さて、姫よ。色々と横やりが入ってしまったが、改めて帰還を心よりお祝い申し上げる。と同時に、我々に用があって戻ってきたのではないか。話や疑問があれば応じよう》

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