竜姫 竜達と話す
アグアリクスに促されたシュナはしばしの間考えをまとめようと黙り込んだ。が、比較的間を置かずにするりと言葉が出てくる。
《あのね……わたくし、ついさっき、お母様に会ってきたの》
竜達は皆驚いたように目を見張った。シュナはそっと目を伏せる。
《もっと怖い人なのかと思っていたけれど、ちっともそうじゃなかったわ。優しかったの。お父様のお話をしてくださったわ。でも、自分が正気でいられる時間は長くないって……それでもう行きなさいって送り出されたの。自分は邪魔をしてしまうかもしれないから、以後は竜達を頼りなさい、って……》
お喋り筆頭もシュナのしょんぼり落ち込む様子に空気を読んでいるのか、先ほど黙れと言われた指令のせいか、他竜に目配せをしているのみである。竜達は互いに顔を見合わせ、やがてアグアリクスが声を上げた。
《無理もない。あの方の時間は限られている。しかし、束の間とて言葉を交わせたのなら良かった。貴方を手放したのはまだ乳飲み子の時。どれほど心を痛めていたことか》
《同意》
《むー……》
それを聞いてシュナの胸はますますぎゅっと締め付けられた。赤ん坊の成長について詳しくはないが、本当に一瞬だったはずだ。母とはそれだけの間しか一緒にいられなかったのだ。
そこでふと、彼らの言葉で思い出したことがある。
《わたくしは生まれたばかりの頃は覚えていないけれど……あなたたちも、赤ちゃんの時のわたくしを知っているの?》
《肯定》
《無論。最も面倒を見ていたのはファリオンだろうが……誤解するでないぞ、シュリが貴方を邪険にしたとかではなく、何しろ女神も赤ん坊の世話は初めてだったから、唯一経験のある父親にどうしても頼らざるを得なかったというか、ファリオンが何でもできるからつい頼りきり任せきりになったというか――》
《ファリオン。子守り。上手。シュリ。下手》
《これ、お前という個体は……ま、いくら
《ぶーぶーぶーぶーぶー!》
全然知らなかった、とシュナが目を丸くして聞いていると、緑色の竜が横でばさばさ翼を羽ばたかせ、無言の――無言というのだろうかこれは……? どう見ても不服を申し立てている音を鳴らし、ジェスチャーをしている。アグアリクスもネドヴィクスも当初全面的に無視をする方向で、目立つ竜を視界からなるべく排除せんとでも言うような冷たい態度を取っていたが、途中で熱意に負けたらしい。双方共に半眼を緑の竜に向ける。
《そうだな、貴様は特に暇さえあれば日参していたからな。何ならシュリから取り上げる勢いで遊び倒して、ファリオンに大目玉を食らっていたこともあったな。先ほどシュナのことを赤ん坊の頃から変わっていないとか言っていたか? お前の方こそ全く成長がないぞ、エゼレクス》
《む!》
《目立ちたがり屋。構いたがり。学習皆無》
《むむむむむ!》
……なぜか緑の竜は貶される度にふふんと得意そうに鼻を鳴らして胸を張っている。
けれどこの竜が竜になったシュナに、彼らのルールを破ってでも力を貸してくれようとしたことは忘れていないし、きっと昔もそうだったのだろう。容易に想像できて、シュナは思わず顔をほころばせた。
《そうね……エゼレクスには今も、デュランの次にいっぱい助けてもらっているもの。感謝しているわ》
《むー!?》
全く悪気なく言ったのだが、なぜか竜仲間に色々言われていたよりも激しくショックを受けているらしい。緑の竜はしばらく憤慨の感情を身体を張って表現していたが、さすがにうるさくなったらしい黒い竜に尻尾でバシンと頭を叩かれると、そのまま地面に突っ伏してしくしく悲しみの声を上げている。
《ざまあ》
《むー!?》
ボソッとネドヴィクスが一言だけ何か放った。エゼレクスが身体を起こすと、ピンクの竜はパッと飛び立ってアグアリクスの後ろに隠れた。バサバサバタバタやっている緑の竜が口を閉じたままでも何を言いたいかわかる。
《ずるいぞテメー、アグアリクスを盾にしやがって!》
……たぶんそういう趣旨のことを口の中でモゴモゴしている。
奇声を上げる竜をしげしげ眺めていたシュナは、アグアリクスの咳払いの音に注意を引き戻させられた。
《ふむ。しかし邂逅は喜ばしくもあるが、貴方の疑問への答えを全てシュリから聞き出せる程の時間には到底及ばなかっただろう。先ほどもちらりと言及したが、迷宮の最高管理権限を持つのはイシュリタスでありシュリ、我々の権限はいささか落ちる。可能な範囲で応じよう。それで許してほしい》
ついつい脱線して竜達がじゃれ合っているのを見守るだけになりがちだが、そう、シュナには大事な使命が存在する。
仕切り直そうという気概のアグアリクスに釣られてピンと姿勢を伸ばしたシュナは、しかし勇ましそうな姿を見せたわりに、いかにも自信のなさそうな、ちっちゃな声で質問を始める。
《あのね……確認したいのだけど。お母様は、迷宮の女神様イシュリタスで……ということは、あの人は竜なの? お会いしたとき、わたくしと同じような見た目でいらっしゃったわ。あれが本来のお姿なの?》
そういえば母に対面したとき、色々聞いておくべきだったはずなのに忘れていたシリーズ第一弾だ。あと地味に本人には聞きにくい内容でもある。アグアリクスは早速、難問だとでも言いたそうな唸り声を上げ、ネドヴィクスの方が先に口を開いた。
《肯定。兼。否定》
《ネドヴィクスの言う通りだ。そうであり、そうではない。広義では竜と表現されるのだろうが、厳密には異なる》
《……つまり、どういうことなの?》
《たとえばシュリの姿という項目に限定するなら、けして竜の姿が本性というわけではない。おそらく貴方が今その格好だから合わせたのだろう。シュリはいくつも
シュナは影の手を思い出す。エゼレクスはあれは本体ではないと言っていて、しかし今アグアリクスから聞いた話から想像するに、竜の姿も、そして恐らくシュナを生んだときに取っていただろう人の姿も、どうやら彼女自身というわけではないらしい。
《……その、アバターっていうのはつまり、仮の身体のこと? たとえば腕を六本動かせるとか、普通の手足に加えて翼も動かせるとか、そういう感覚に近いの?》
《肯定》
《む……ま、そうなろうな。意識の共有という部分は、慣れていない貴方にはまだ難しいやもしれぬが……》
《しかもお母様、それをいくつも持っていらっしゃるの? 同時に操れるの? きっとそうよね。だってわたくし、影の手がいっぱいうじゃうじゃしている所、見たもの》
《う、うむ……?》
《つまりお母様は分身できるのね! なんだかすごいわ。お伽噺みたい……》
しみじみ言うシュナを何とも言えない顔で見守り、アグアリクスはネドヴィクスに助けを求めた。
《……シュナの感動するポイントがいまいちわからぬ。我が古竜であるせいか?》
《難問。回答拒否》
《そうか……若者とは難しいな……》
《むっ》
二竜にアピールしている緑の竜は今度も黙殺された。
しゅん、と心なしかうなだれて、黒い竜は申し訳なさそうにシュナに向かって首を下げる。
《シュリの正体という話は……すまぬが我の――いや、我々の
《迷宮創造神話。則。最高機密情報。女神階級。唯一。限定条件。開示可。故。竜階級。開示不可》
《むむむーむむむ。むーごごご》
シュナはしばし無言のまま必死に思考回路を働かせようとする。ネドヴィクスが一番解読困難だが、アグアリクスやエゼレクスもまた話していると途中で頭痛に苛まれそうになるときがある。恐らく彼らが彼らの独自用語を知っている前提で話すせいだろう。なぜが飽和して固まってしまいそうになるが、懸命に意味を推測して次の質問をなんとかひねり出す。
《ええと……とにかく、お母様は……人ではない……のよね?》
《そうであるな》
《肯定》
《でもわたくしのお父様は、人間だったのよね?》
《……一応、そうと言えるのではないか?》
《それはどういう意味? お父様も人じゃなかったの?》
《いや、ファリオンは紛れもなく人間だったのだろうが、その……なんだ……》
《むむむーむむむ、むーぐぐぐぐ、ぐごごごごごごぎぐがぐが!》
アグアリクスが言いよどむと、ここぞとばかりに背景の主張が激しさを増した。もはや歯軋りしているし、翼を動かすから風が吹くし、びったんびったん尾で巨木の枝をひっぱたくものだから不安定に足場が揺れている。
さりげなくシュナを支えているピンク色の竜が、無表情を黒竜に向け、首をすくめるような動作をしてみせた。
《提案。許可。面倒。又。解決。推測》
《……やむを得ぬ、か。喋っていいぞ》
《ぷはっ! やったぜ! この状況で見てるだけとか死ぬかと思ったよ! 二人とも会話下手だからさ!》
アグアリクスがものすごく渋い顔のまま嫌そうに出した許可に、自称コミュニケーションに長けている竜は水を得た魚のようにつやつやきらきら輝きを放った。
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