竜姫 問う(迷宮神水について)

《アグちんが明言できないのはあれだよ、ファリオンがシュリと交尾した時、あいつの身体は迷宮神水エリクシルに完全適合してたから――》


 スパーン、と良い音が響いた。アグアリクスがひねりを利かせて尻尾をふるい、エゼレクスの後頭部にヒットさせた音だ。一端黙り込んだ緑色の竜と交代して、彼は口を開ける。


《つまり。何を人間と定義するかによって答えが変わるということだ。種か? 姿形か? 性質か? 行動か? 考え方か? 貴方の考える人間とは何だ?》

《……何なのかしら?》

《不明……》


 問いに問いで返され、困ったシュナはなんとなく顔を向けた先のピンクの竜に助けを求める。が、彼も困惑した様子だった。


《それに、貴方の機能については未知である部分も多い。シュリと同等なのか、また全く別種なのか、それすら定かではない》


 アグアリクスが唸り、首を捻りつつ補足するように言葉を連ねると、頭をさすっていたエゼレクスが復活した。


《君はねえ、限りなく人間に近いナニカではあると思うよ。というかさっきも言ったけど、適合体セレクションの父親と分身体アバターの母親を掛け合わせてできたんだから、それなら自然な話、素体も適合体に最も性質が近いんじゃないかと――》

《禁則事項スレスレだぞ。突然死する前に自重せよ》

《ちぇー。ちぇーちぇちぇー。シュナの権限って今のところまだゲスト扱い? おっかしーよなあ、本来なら絶対ホスト側、しかもシュリと同格だと思うんだけどなあ》

《仕方あるまい。何しろ存在がシステムの想定外なのだ》

《まあね。なんかこう、シュリをね。そういう目で見る人間がいるとはね。思わないよねフツー。いや妄想ぐらいはあり得たとしても、本気で実行する馬鹿がいるとはね。思わないよね》

《恐怖……》


 三竜は一斉に顔を見合わせて震えている、なんだかこの光景は前にも見たような気がする。あと会話の内容から推測するに、またも父親について貶されているように思える。

 む、と頬を膨らませたシュナだったが、父ということでまた別の糸口を見つけた。


《そういえば赤ちゃんの頃のわたくしって、どんな感じだったの? 迷宮神水を飲んでいたの?》

《そうだねえ……どうだったっけ?》

《少なくとも迷宮内では……主にシュリの母乳を吸って暮らしていたな。外ではどうなのか知らぬが》

《ってことは赤ん坊の時のシュナはやっぱり適合体セレクションだったんじゃないかな。なんかまた今はちょっと変わってきてるみたいだけど……》

《さっきから気になっていたのだけど、そのセレクション? ってなあに?》


 竜達の独自用語に一々突っ込んでいたら全く話が進まないが、かといって流し続けるのにも限度がある。シュナの質問に答えようとしたエゼレクスが、一瞬止まってくるっと振り返り、アグアリクスを見る。まるで顔色を窺っているようだ。

 黒い竜がぶふっと鼻息を漏らすと、エゼレクスはシュナの方に身体の向きを戻した。雰囲気から察するに、たぶん無事許可が出たと見えた。


適合者セレクションは、迷宮神水に適合した人間のことを示すんだよ》

《迷宮神水を飲んだ人は皆死んでしまうのではないの? わたくし、そう聞いていたのだけれど。原液は飲めたものではないって》


 緑の竜はポリポリと翼の端で頭を掻いた。他の二竜は、今のところエゼレクスが喋っている内容で特に問題ないからだろうか、静観しているらしい。


《んー。迷宮神水を薄めたら薬になるって話は、聞いたことある?》

《……あったかもしれないわ》

《つまりね。迷宮神水にはこう……人間で言うところの? 若返りと治癒の力があるんだけど、原液のままだと普通の人間にはんだ。効きすぎてショック症状が出ちゃうっていうか。わかるかな》

《……副作用という概念は理解できるか?》


 エゼレクスの言葉にシュナがいまいちの反応だからだろうか、アグアリクスも口を開いた。なんとなく聞いた覚えはあるけど詳しくは……と思っているシュナに頷くような仕草を見せて、黒い竜は続ける。


《どんな薬も用法・用量・摂取の方法を間違えれば正しい効果を発揮できず、最悪の場合毒になり得る。というより元々毒と薬は紙一重だ。熱を冷ます飲み薬は、過ぎれば腹を痛めることが多い。咳を止める薬は、最悪呼吸も止まる。塗布はいいが、飲めば毒となる薬もあろう。とにかく使えば治る、そして早く治りたいから量を増やせばいい――薬とはそういうものではないということだ》


 なるほど、とシュナは神妙に頷くと共に心に刻む。ということは、知識や経験のないまま適当に薬を飲ませることは、結果的に相手の症状を悪化させるということもあり得るのだ。


《まあ、ざっくり雑に解説するとね。迷宮神水は、薄めれば人間の薬になる。割と万病薬だよ? 病気も怪我も治るし、うまくすればアンチエイジングにも使える。ただ――君ももう既に十分知っているし、何度か実際体感しているかもしれないけど、迷宮の物は迷宮になければならない、それがこの場のルールなんだ。だから外の人間が使うと、お前よそ者のくせに何勝手してんだよ! って感じに反動が出てくる》

《飲み過ぎると全身から出血して死ぬ、というのが具体的な所だな。飲み過ぎという言葉が意味するのは、一度に摂取する量でもあるし、累計の量でもある。また、年齢や健康状態によってある程度推測はできるが、どこからがデッドゾーンになるかという判定は、個体差が大きいため難しい》

《一日に瓶を何本も消費できる人もいれば、一口目で出血する人もいる。でも一度に飲める量が多いからって調子に乗っていると、ある日突然全く飲めなくなる日が来る――そういうこと。なんとなくイメージつかめてきた?》

《迷宮神水は人間達にとって、便利だけど、怖いお薬なのね》


 シュナはしみじみ言いながら、デュラン達のことを思い出す。トゥラの姿の時、怪我をした彼女への対処に右往左往していたやりとり。あれはつまり、迷宮神水を薄めた薬を使用すればあの場で傷は防げるが、どのぐらいの量でトゥラが駄目になるかが予想できずに躊躇していた、ということらしい。

 それはそれでまた新たな疑問が出てきそうになったが、エゼレクスがまだ終えていなかった質問への回答を始めた方が早かった。


《閑話休題。なんとなくお薬の概念がわかってきたところで、適合者の話をしよう。基本的にはだから、飲むと一時的に治る、でも飲み過ぎると死ぬ、それが人にとっての迷宮神水。だけどね、たまーに、出血した後、生き残る奴がいる。それが適合体――選ばれし者セレクション。ただし形は人間のままでも、中身はごっそり迷宮生物に変質してるからね。人間時代の自分を忘れたり人格が豹変したり、人の形を保ってられなくなることだってある。……ものすごく運がいいと、人間の状態の全盛期をで不老不死を会得できるよ? でも誰が適合者になるのかは、ぼくらにもわからないんだ。飲んで、血がブッシャーってなって、生き残って、ああこいつは大丈夫な奴だったのねって、それだけ。だから人の世界ではざっくり飲んだら死ぬ、って伝わってるんだろうさ。迷宮に詳しい奴は注釈部分まで知ってるけどね》

《……それなら、お父様は迷宮神水を飲んでも大丈夫な人だったってこと? どうして大丈夫な人と駄目な人がいるの? 選ばれたってどういう意味?》


 シュナが黒い目を瞬かせて尋ねると、今まで流暢に解説していたエゼレクスがアグアリクスを見る。


《禁則事項だ》


 黒竜は今度は重々しく、一言だけそう答えた。緑の竜はシュナに申し訳なさそうな顔になる。


《本当ごめんよ、おシュナや……どうなるか、は割と教えられることも多いんだけど、何故、の部分って、機密事項に触れやすいんだ。まああれだ。シュナは自分が人間かどうか気にしているみたいだけど、哲学でもしたいの? そうじゃなくてなんかこう、直近で困ってることあるんじゃない? もうちょい具体的な問題にフォーカスしてみ? そしたらたぶんもっと有益なアドバイスが可能だからさ》


 どうやら竜は竜で色々と大変らしいから、ほしい答えをもらうにはまず適切な問いを考える必要があるのだ。シュナは一生懸命脳を働かせる。彼女が唸っていると、三竜はどこかほっこり表情を緩ませつつ大人しく待っている。


《あのね。わたくし、お父様と塔で暮らしていた頃は、迷宮神水を飲んでいるだけで生きていられて……その。お手洗いに行ったようなこともなかったの。それが今回、迷宮を出て行ったら、食べ物も……そういうことも必要になったの。怪我もしたけれど、勝手に傷が塞がることはなかったわ。だから、例えば何を食べてよくて、何は駄目なのかとかが、わからなくて……》

《アーハン。人間と竜の有毒物質ってちげーからな。ほら人間は基本迷宮神水の原液飲めねーってことになってるから。竜は逆に飲まないと生きてけないけど》


 ようやく彼女が何を気にしているかまで理解できたらしい竜達は、顔をつきあわせて唸った。


《なるほど……以前は適合体だったが、今はもう適合以前の人間にすら変形できるということか》

《マジ? 姿形だけじゃなくて本質からごっそり変わっちゃうわけ? いや可能性としてはあったし、薄々そうなんじゃないかってのも思ってたけどさ……うひー、生命の神秘ってエグいね。というか、だとしたらやっぱりシュナって、超越点に到達しているんじゃ――》

《馬鹿め。禁則事項だ。貴様よもや自爆アラートが作動していないのか?》

《いやめっちゃ鳴ってるのは聞こえてるけど、一応まだ予告段階イエローカラーだし? 手遅れレッドじゃないし? クッソー、この制限ほんとキライ。シュナの権限開放、ないのかなあ》


 なにやら不穏な単語を耳にしたような、とシュナが身を震わせていると、ここでずっと黙り込んでいたピンクの竜がカパッと口を開く。


《推奨。検証。事実。整理》

《そうだな。まずは貴方の経験を我々で共有する必要がありそうだ》

《――ということは。まあ、シュナが一生懸命喋ってくれるのを聞いててもいいんだけど。せっかくだから同調シンクロの練習でもする?》


 三竜に一斉に顔を向けられたが、一人理解の追いついていないシュナはきょとんと目を見張ることになった。

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