竜騎士 人生で一番かもしれない修羅場

 ああ疲れてるな俺、と最初に思った。

 次に寒気、そして局所的な温もり。熱を求めて身体を動かすと、抱き枕にしては少々硬い感触が返ってきた。


 腕にしびれを感じる。この感覚には覚えがある。


(あ、これ腕枕した時の奴だ……)


 恋人を枕にする。それは人類の比較的ポピュラーなロマンかもしれないが、基本的に短時間で留めておくべきである。


 理由その一。人の頭は脳味噌が詰まっているため案外重い。

 理由その二。人体は長時間圧迫されても大丈夫なようにできていない。


 結果として腕枕になった方が痺れを感じるのは当然の成り行き、自然の道理なのである。


 ……と、数年ほど前に学んだ領主子息は、それ以来求められて貸す腕は利き手と逆の左側、かつ相手が寝入ったのを見計らってからそっと抜く――というマイルールをさりげなく実行し続けてきていた。


 女性の希望は叶える。

 それでいて自衛もする。

 両方やらなければいけないのが迷宮領次期領主という立場であり、なんだかんだ定期的にやらかしても「若様って素敵!」と女の子達からチヤホヤしてもらうための水面下の努力なのだ。


 まあしかし、実のところお立場がどうのというより、個人的な欲求の方が行動理由として強く出やすい男としては、「翌日あいたたと腕を押さえるかっこ悪い自分を見せてがっかりされたくない」という理由の方が動機としては重い。


 何にせよ久しぶりの痺れだ。

 あーやっちまったー、という思いが去来すると共に、ん? と彼は首を捻る。


(……腕枕?)


 はて、おかしい。そんなものは予定になかったはずだ。


 昨晩は絶対に酔うと決めて飲みに行った。彼はそんな状態で誰か寝所に引き入れる男ではない。

 お立場以下略の問題もあるし、単純な話へべれけになってる状態で事に及びたくないではないか。ちゃんとしっかり覚えておきたい。領主子息は煩悩に忠実である。


 だからお誘いを受けても断るし、万が一自分がフラッとしかけても間に入る壁要員としての送迎三人衆である。目論見通り、「そんなこと相談されてもあたしに解決できるわけないでしょ!」と幼馴染みにビンタ(相当の手加減込み)されながら城まで送り届けられ、その後自室まで一人で戻って鍵まで閉めた記憶がある。


 間違いはなかった。間違いなんか起こりようがなかったはずだ。


(それなのにこれは一体何だろう……?)



 痺れた腕を無理矢理動かしてみれば、くしゃくしゃの髪の毛の手触りがした。

 んん? と更に疑問を膨らませながら接触している温もりを探る。


 タッチしたら「ピッ!?」と音が鳴った。

 なんだ? と思いながら掌の感触をもう一度確かめたら抱き枕(仮)が「ピー!」とか細い悲鳴を上げプルプル震えだした。


 変だなあ変だなあと思いつつ、二日酔い手前の鈍覚醒状態でようやく瞼をうっすら開けた男は、そのままフリーズする。


 自分とぴったりくっつくように娘さんが添い寝をしていらっしゃった。

 そして今自分は、彼女に腕を貸しつつもう片方の腕でまさぐっていた。

 女性の上半身で一番柔らかいところを。


 ぴっとりくっついて穏やかに微睡んでいたのだろうに、いきなり胸を揉まれて起きたらしい娘さんが、黒目を潤ませてこちらを見ている。



 カーテンの隙間から朝日が差し込み、チュンチュンと鳴く鳥の声が遠くで聞こえていた。



 さてここまで来たらぼんやり寝てなんかいられるはずもない。

 絶叫して飛び起きるベタな展開にならなかったのは、ひとえに腕を取られていたせいだ。この状態で実行しようとすると相手の首を痛めさせてしまう。


 出鼻を挫かれた領主子息は結果として、表情は真顔のまま、眠気と酒気が全部吹き飛んで実にさっぱりした思考回路をフル回転させ始めた。


(待ってどうしてこうなったここはどこ俺は誰――)


 そこではっとする。

 今この瞬間まず真っ先にするべきこと。それはけしからん右手を自重させることである。ばっと引き、ついでに左腕も引き抜いた。パニックになりつつ実に模範的紳士風に淑女の頭をどかせる様子は、さすが経験豊富な若者と言えよう。


 が、状況はとても経験値を誇れるようなものではなかった。

 もし万が一今この部屋に誰か別の人間が入ってきたら、十人が十人「若様の大馬鹿者!」と叫ぶことだろう。


 そして何が一番の問題か。

 身の潔白が自分で主張できないことだ。


 だってまず格好に全く説得力がない。昨日シャワー上がりに身体を拭いてそのままベッドにダイブした。かろうじてタオルが腰に巻かれてはいるが、そんなものやろうと思えばどうとでもなる。何がとは言わないが。


 さて次に、というかある意味一番大事になってくる彼女の様子はどうだろうか。

 服を着ている。服は着ている。乱れていたり中途半端にはだけられていたり濡れていたりするような様子も一応ない。しかしそんなもの割とどうにでもなるから無罪放免の根拠とはなり得ない。何がとは言わないが。


 ええい見た目が駄目なら反応は。反応はどうなのだ。

 トゥラはさほど経験豊富でなく、また素直な気性の娘とみている。ならば何かあったら平然とはしていないだろう。彼女の様子はどうなのだ。


 恥ずかしそうに胸元に両手を当てて身体を丸めている。

 駄目だ全く参考にならないどころかますます混迷を極めていく。

 その赤らんだ顔と涙目は、今うっかり寝起きに事故で胸を揉んでしまったせいなのか、それとも昨晩もっと激しいご無体を強いられたせいなのか。


(おっ……覚えてない、なんか昨日の晩やらしー夢を見ていたような気はするけど、え、あれ現実だったの、そして俺は何をしてたの!?)


 デュランは真顔のまま、十九年間生きてきて一番かもしれない難題に頭を悩ませ始めた。


 状況的にはいわゆる黒だ。仮に本当に一切何もなかったのだとしてもこれはアウトだ。どう考えてもデュランが悪い。


 が、素直に罪を認めようとするには、あまりに身に覚えがなさ過ぎた。あれば潔く「そうです犯人は俺です」と両手を差し出して出頭するしかないが、全く記憶にない罪を断罪されても責任を取りがたいではないか。


 というかそもそも、若干おぼろげではあるがギリギリ記憶に残っている昨晩の夢が現実だったのだとして、なんでシャワー上がりの独身男の寝室に若い娘さんが夜中滑り込んできて、しかも添い寝なんかしてるのか。まるで意味がわからない。色んな理不尽に揉まれて強く生きてきた迷宮領の若様もさすがにこんなのは初経験である。


 加えて実際本当に駄目なところまで行ってしまったのか、一応まだ未遂なのか、真実ではなく事実が重要だ。


 主にトゥラの健康面の安全のために。


(いや、というかなんでトゥラが俺の部屋にいるの、連れ込んだ? そんなことした? 自制心は一応それなりにあると思ってたけど違ってたの? 待って、過去の俺、マジでこう……じ、自分で自分にこれ以上失望したくないのに……駄目だ、トゥラに膝枕を迫ったことと同衾に誘ったことまではなんとなく俺だという確信があるけど、部屋に招き入れたところはどーしても記憶がない!)


 真っ青な真顔のまま頭を抱えているデュランは、一夜を共に過ごした(語弊があるかないかは未定)相手がゆっくり身体を起こすのを見るとビクビクビクゥ! と全く隠せていない怯え全開で反応した。


 くあ、と欠伸をかみ殺した彼女は、ふるふる頭を振ってデュランを見つめる。

 ほんのり頬を染めたまま、首を傾げて「あうー」と言った。

 たぶんおはようの意だ。可愛い。いやそんなこと思ってる場合か。


 何かあったにしては反応が薄い気がするのでこの点において自分は白であると安心したいが、いかんせん口のきけない相手なのでただでさえ聞き出しにくいのにちゃんと事実確認できる自信が全くない。


「トゥ、トゥラさん……あの……おはようございます……?」


 震え声を彼がかければ、彼女はむ、と口を尖らせるような顔になり、「う!」とベッドから部屋の中を指さした。


 釣られて恐る恐る目を移せば、昨晩シャワーに入る前にあちこちに脱ぎ散らかした服の残骸が転々と散らばっている。


(そんな格好で寝るから寒くなるんでしょ! 早く着て!)


 そんなところだろうか。

 確かにまともな格好になれば多少状況はマシになるような、ますます悪化するような。


「そっ……そうですね着替えは必要ですね……ところでトゥラさん、その、水場の利用はご入り用でしょうか……一応そちらの方にシャワーとかお手洗いとかございましてですね……?」


 油断するとすぐ言語崩壊しそうだが、だって心の方が砕けそうなのだ。


 かろうじて気力で喋っている男のニュアンスを組んでくれたのだろう。トゥラはちょっと考えるような様子をしてから、「う!」と言い、ベッドからいそいそ降りて、手で示されたバスルームの方に消えていった。


 後ろ姿が完全に見えなくなる所まで見送ると、


(ねえそれだからどっちなのさ、朝シャワーが必要な事を昨日俺がしたってことなの、ねえ!?)


 と再び恐慌に陥りそうになる心に闘志を注ぎ込み、領主子息は行動を開始する。


 とりあえず服だ。服を着よう。まず野蛮人から文明人に戻ろう。話はそれからだ。


 硬直状態から解かれた男は素早かった。

 昨晩に限ってなぜ脱衣所ではなく寝室の方で解き放たれてからシャワーに入ってしまったのかと思う存分己を罵倒し悔いつつ惨状を片付け、五分程度でいつものかっこいいデュランを(見た目だけ)取り戻したのだった。


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