恋乙女 令嬢と会う 後編

 サフィーリアと名乗った令嬢は、侯爵夫人シシリアにどこか似ていた。テキパキしていて、グイグイ引っ張っていくような所が特に。


 けれど若いせいだろうか、それともより気の強い性格をしているのか、令嬢の方が夫人よりも雰囲気が華やかかつ派手だ。


 シシリアのオーラが黙っているときに滲み出てくるようなものなのだとしたら、サフィーリアのそれは積極的に自分から放っていっているような種類のものである。


 加えて彼女がシシリアと決定的に違うのは、絶えず唇に笑みを浮かべ、いかにも楽しくて仕方ないという口調で話をする所だろう。


 侯爵夫人にも喜怒哀楽の感情は備わっているが、基本的に仏頂面が標準、笑っているのはレアケースである。


 ――つまり総合すると。


「それにしても赤い顔。まさか自棄酒でもしていたの? それとも誤飲? 保護者の方々はどうしてしまったのかしら。さぞ気を張っていたでしょうに、こんなところに一人で潜り込んでしまうなんて。あなた見た目にそぐわず、なかなかのお転婆さんなのね?」


 シュナは完全に、このお喋りな令嬢に圧倒されていた。


 見知らぬ女達に包囲されたときは相当緊張したが、あれよあれよという間にきつかった服を少し楽にしてくれたのは素直に感謝したい。


 主の命令をそつなくこなし、終わると壁と同化している女達は、たぶんそう変わらない年齢だろう。


 シシリア付きのメイド達と同じぐらいの手際の良さだが、驚くべきはその静けさである。


 シュナがこのファフニルカ侯爵家で見てきた年若のメイド達は、皆かしましい生き物だった。楽しそうに口を開いてはデュランやシシリア、侯爵閣下とも言葉を交わしている姿はいつもの光景である。


 サフィーリア達の流儀は少々異なるようだった。


 令嬢本人は、繰り返しシュナに話しかけてきているのか、あるいは独り言なのか、ずっと楽しそうに話し続けているのだが、付き人達はけして彼女の言葉に自ら口を挟もうとしない。

 サフィーリアもまた、喋ることができないとわかりきっているはずなのにこちらにばかり話題を振って、お供の女達の方は向こうとしないのだ。


 同じ空間にいるはずなのに、なんとも言えない不思議な線引きがそこにはあるようだった。


(王国は迷宮領より、身分、階級できっちりと別れている国……だったかしら)


 シュナとしては、デュラン達のように親しみやすい雰囲気の方がなんとなく心地いい気がする。


 こっそり様子を窺っていると、ぱっちり目のあったサフィーリアが笑みを深めた。


 しかしどうにも、ご令嬢がこの部屋に現れた時から終始シュナを笑っているような気がして、そこはなんとなく面白くない。


(わたくし、確かに、至らぬ点も多々あるけれど。お子様じゃないわよ! きっとあなたと同じぐらいよ!)


 理由の一つは彼女の話しかけ方が、幼児にするような甘やかで優しい調子なせいなのだろう。


「あら、なあに? わたくしの言ったことに何か怒っているの? 悔しかったらまずはその酒気を抜きなさいな。ふわふわのおちびちゃん」


 ちょん、と指先でおでこをつつかれて、シュナは一瞬反射的に目をぎゅっと瞑った後、ますます憤慨の声を上げた。


(わたくし、そんなに小さくないわよ!)


 と物言えぬ娘が言っているのだろうことは部屋の誰にも伝わったが、いかんせん説得力に欠けるので、抗議している本人以外の視線は生暖かかった。


 トゥラは平均よりやや小柄な娘だ。丸みを帯びたラインは女性らしいが、雰囲気がいかにも何も知りませんという空気をまとっているため、あどけないだとか可憐という言葉を連想させるだろう。


 対するサフィーリアは、男性と並んで見劣りしない背の高さである。

 今は座っているから視線の高さが一緒だが、立って並ぶと頭の位置があからさまに違う。

 デュランを囲む取り巻きの中で一際目立っていた理由の一つはこれだ。


 更に、同じく男性とほぼ同じ(というより、夫に至っては明らかに追い越している)身長のファフニルカ侯爵夫人は細身だが、サフィーリアはお手本のような見事な凹凸を誇っていた。


 二人の令嬢を比べたとき、トゥラの方がちんまりしたヒヨコのごとく見えるのは、ある種致し方ないこととすら言えよう。


 酔っ払いの相手にもある程度慣れているらしい先輩は、ムキー! と全く怖くない怒りを表明している娘の両手を握り、もはや「せっせっせー」なんて口ずさみながら手遊びなんて始め出している。


 完全に小娘を掌で転がして楽しんでいるようだ。


 彼女の付き人達は身体の前で大人しく手を重ねたまま待機し、コレットは両手で顔を覆ったまま首を振っている。


「このままでも私は楽しいけれど、ちょっと酔いの覚めそうな話でもしましょうか。あなたがどうして今ここに一人でいるのか、当ててあげる。デュラン様が他の子と仲良くしていたから寂しくなった――その顔は図星ね。あら、どうしてわかるのかって? さあ、どうしてでしょう。……正解は、全部顔に書いてあるから。正直者って損ね」


 サフィーリアに握られていた手を素早く引っ込めたシュナは、ぺちぺち自分の両頬を叩き、首を捻っている。

 そんな彼女の様子にきらりと目を輝かせ、ご令嬢はひそひそ話をするように手を口元に寄せた。


「さっきデュラン様が手を貸していた人のこと、教えてあげましょうか。緑色のドレスを着ていた子。気になるでしょう? あの人はね、エフェリナ=パルミア=エド=ゼアンスタ。王国の子爵令嬢。年は十九、ちょうどデュラン様と同い年」


 目を見張り、集中して話を聞き出したシュナの様子ともったいぶって始められた話の内容に、外野のメイドが「これ、止めに入った方がいいのかな……」という顔をしているが、いかんせん相手と状況が悪い。


「まあ……あることないこと吹き込まれる可能性だって当然あったわけで……対策してなかったとしたらそれはきっと本人の自業自得というものなのでは……」


 さらりと責任転嫁をしたコレットがブツブツ独り言を押し殺しつつ視線を泳がせている合間にも、すらすらとサフィーリアの形の良い唇が耳寄り情報を奏でている。


「エフェリナの話、もっと聞きたい? けして不美人と言うわけでもなし、素直な性格の人だけど、とにかくあんな感じで万事要領が悪いの。それを可愛いと思うか、なんて鈍くさいと感じるかは人次第でしょう? たぶん、後者だったのね。婚約した殿方が、随分と酷い解消の仕方をしたの。醜聞ってね、女の方が弱いのよ。寝取られたって泣き寝入りが多いわ。むしろ噂を広められていたたまれなくなる。悪いのは約束を守らなかったあちらのはずなのにね」


(あら? これって、何でもない世間話のように語られるべき内容ではないのでは……?)


 令嬢が涼しい顔で淀みなく喋るのでこちらもうんうん頷いているほかないのだが、なんだか結構ずしりと重たい話が始まっているような。


 そもそもそんなこと外野が勝手に語っていいのか、なんてシュナが瞬きしている間にも、話題は続けられていく。


「ま、ともかく。だから彼女は、本国からこちらに出てきたってこと。傷心を癒やしつつ、ご縁があれば次の方を探そうって作戦ね。つまり、おわかりになって? 迷宮領に来るような王国の人間は、何かしら本国と反りが合わないか、あちらにいられないようなトラブルがあったか、でなければを目的としているか。結構な魔物の巣窟でしょ? おかげで毎日退屈しないわ」


 確かにご令嬢本人はものすごーく興が乗って楽しそうなのだが、その語る言葉がかなり物騒な気がするのは、果たして気のせいなのだろうか。


 どういう反応をするのが正しいのだろうと他の人間達に目を向けても、彼女のおつきは無反応だし、コレットも露骨に明後日の方向に顔をそらして「あたし何も聞いてませんから」というポーズを取っている。


「ああ、でもエフェリナのことは安心なさっていいと思うわ。あの子はデュラン様の恋人候補にすらなれない人よ。あなたもご覧になった通り、気弱で鈍くさいのだもの、侯爵夫人はいささか荷が重すぎる。仮に万が一申し込まれても、本人が萎縮してさっさと辞退するわよ。ましてデュラン様は後追いしない人だし」


 えーとうーんと、考えられない頭で難しいこと言われても処理できない、とこめかみを押さえつつあったシュナだが、エフェリナはデュランと合わない、という部分が耳に入ってくると途端に安心したような顔になる。


 それを見るサフィーリアの視線が一瞬鋭くなり、さらに外でどうしようどうしようと気を揉んでいるメイドが胃の辺りを押さえたのだが、ぼんやり度の上がっているシュナはどちらにも気がつかなかった。


 しばし嬉しそうな様子を見せた後、はっとサフィーリアに問いかけるような目を向けた。


 令嬢は再び口元に笑みを浮かべるが、その目尻はさほどゆるんでいない状態になる。


「私のことも気になる? それはそうよね、一番目立ってたはずですもの。いいわ、正直に答えてあげる。もちろん、私にとっての条件は悪くないのよ。特に対外的な部分を考えるなら、彼にとっても本命と言ってしまっていいのではないかしら」


 ちらりとメイド達を見やってから、サフィーリアはぐっと身を乗り出し、トゥラにかろうじて聞こえるような小声で囁く。


「でもね、知ってる? エスとエスって反発するの。お互い自分がリードしていたい者同士って合わないのよ。一応こちらを立たせてくれてはいるけど、本心では譲りたくないんだろうなって、なんとなくわかってはいたのだけど。あなたを見たら確信したわ。あの人いつも澄ました顔してるけど、迷宮の至宝に最も近いなんて謳われるぐらいなのですもの、貪欲でないわけがなかったわね。さすがは迷宮領次期当主だこと……ふふ。あなたにはまだ難しかったかしら?」


 そこまで一気に終わらせてから、「これは特別大サービスだから、他の人には秘密よ。私がこんな風に言ってましたなんて、内緒ね」と付け加え、令嬢は傷一つない白い指を相手の唇に当てて片目を瞑る。


 気圧されてこくこく娘が頷いたところまで確認した彼女はまた口を開いたが、次の言葉が出てくる前に急に扉の方が騒がしくなったかと思うと、バンと音を立てて勢いよく開かれる。


「トゥラ!」


 転がり込んできた赤毛に、娘は驚いて目を丸くし、令嬢は「あら」と声を漏らし、メイドは一瞬喜んだ顔をした後、「ああっ、グッジョブと言うべきなのか遅いと言うべきなのか、なんとも言えない微妙なタイミングゥ!」と一人身悶え呻いていた。

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