居候 母の夢

 一面の花畑に二人は立っていた。


 痣を持つ男と、明るい青色の髪の女。


 花畑の中に座り込んで手を重ね合わせ、偽物の夜空を見上げる。


「外にはあまりいい思い出がないけど、夜空は本当に綺麗だった。昼は眩しすぎるから、夜の明かりが好きだ。遠いところで輝いている。いつか、星を見に行きたいな。満天の星空を、君と一緒に……」


 男は言った。彼女は寂しげな微笑みを浮かべ、目を伏せる。


「きっと、あるはずだ。君がここを出られるようになる日が、きっと来るはずだ……」


 目を細め、虚像越しに本物の星空と、おそらくその下に立つ自分たちを夢見ている彼は気がつかない。

 彼女が横で、目を閉じたことに。

 それは叶わないのだ、と言う言葉を、そっと飲み込んだことに。



 夜がやってくる。闇がやってくる。暗くなる。辺りが包まれて、見えなくなる。



 再び、花畑。

 そこにはもう、彼女しかいない。

 一人で花の群れを踏み分けながら、彼女は小さく口ずさんでいる。


 ――あなたが星を見たいと言うから、わたしの望みを諦めた。

 代わりにあの子を連れていって、幸せになってくれればよかった。

 隣にわたしがいなくても、笑ってくれればそれでいい。

 あなたがあの子と星空の下にいる。

 それだけでよかった。それだけでよかった……。


 風が吹く。花々が荒れる。女の声は苦痛に満ちている。

 彼女は咳き込んだ。身体を折り曲げて震わせる。

 ひゅうひゅうと呼吸音を響かせながら、花畑の中を歩いて行く。


 ――だけどあなたはもういない。

 あなたは二度と笑わない。

 本物の星はもう、見られない。

 あなたがいなければ、何の意味もない……。


 やがて彼女はたどり着く。

 そこにあるのは箱だ。人が一人すっぽりと収まってしまえそうなほどの箱。

 崩れるように箱に向かって倒れ込んだ女の口から、囀るような音が漏れる。


《ファリオン。わたしにはもう、あの子だけ。わたしにはもう……》


 それは竜の言葉だと、すぐにわかる。

 ほろほろと涙をこぼす彼女の顔が、明かりに照らされていた。



 ***



 二日目の目覚めは一日目ほど酷くはなかった。疲れ切って寝たおかげで眠りが深く、しっかりと休むことができたのかもしれない。それに初めてより、二度目の方が多少は心構えができている。前よりは夢の内容について、驚くよりも冷静に受け止められた。


 静かに瞼を上げたシュナは、まだ慣れない天井を見上げたまま、ゆっくりと瞬きする。


(そうか。あれがシュリ――わたくしのお母様なのだわ)


 妙にすっきりした気持ちだった。

 確信が得られたのは、父親と一緒にいたことと、顔がはっきり見えたことが理由だ。


 確かに父の言う通り、シュリはシュナと同じ顔をしていた。いや、シュナの方がシュリに似ている、と言うのが正しいのだろうか。


(でも……不思議。どうしてわたくしは、お母様のことを夢に見るのかしら? お母様が、何かわたくしに伝えようとしているのかしら? でも、お父様の夢も見たわ。なぜ? それに前にお父様、あの人のこと……そ、それは! 深く考えないことにするわ!)


 危うく、なかったことにしようと思って封印していた光景がモヤモヤと浮かんできそうになり、シュナは言葉にならない声を出しながら、もぞもぞと身体を起こす。


 ひんやりとした感覚にちょっと驚いた。頬が冷たい。触ってみると、自分が涙を流していたことを知った。ぱちぱちと動かした睫毛から、涙が零れて落ちていくのがわかる。夢の中の彼女につられたのだろうか?


 竜であったとき、迷宮で幾多の影の手が、彼女を深いところに攫っていこうとしたように――迷宮の外に出た彼女を、呼んでいるとでも言うのだろうか。襲いかかるようにされた時は、ただ恐ろしいだけだったが、あのような寂しげな姿を見せられると、申し訳ない気持ちもこみ上げてくる。


(お母様はお母様なりに、わたくしを心配しているのかもしれない……それは前より、ずっとわかるわ。でも、彼女はわたくしに、眠ってほしいと思っているのよね? また迷宮の奥で、一人になるの? それは嫌よ!)


 ぎゅっと眉の間に皺を寄せて唸っていると、控えめなノックの音が聞こえた。

 はっとシュナが顔を上げると、コレットが部屋に入ってくる。


「おはようございます、お嬢様。あ、よかった。ちょうどお目覚めですか――」


 そこでメイドが血相を変えたので、何事かとシュナの方もつられてぎょっとなる。


「おっ、お嬢様! どうかなされました? 痛いところでもありますか? それとも怖い夢でも見ました!?」


 駆け寄ってきたメイドがさっとハンカチを取り出して顔に当ててくるので、そういえば自分が涙を流していたことを思い出した。

 なんでもない、と答えようとしたが、なぜか雫は止まらず次から次へとぽろぽろ零れてくるので、シュナもメイドも、落ち着くまでちょっとお互いに慌てることになった。



「トゥラ、本当に大丈夫? 身体は特に問題なさそうとは言っていたけど、念のため部屋で休んでいた方が……」


 一時期はお医者さんまで呼ばれる騒動になったものの、どうにか大丈夫のお墨付きを得て朝の支度を済ませたシュナに、デュランが心配そうな声をかけてくる。


 シュナはぶんぶん頭を振って、全力で自分の健康を主張した。というか、大丈夫だ大丈夫だと言っていたのだが、何しろ言葉が出せないもので、周囲の人間達が勝手に苦しさを訴えていると勘違いし、必要以上に騒ぎ立てた感じもある。


(わたくしもどうして涙が止まらなくなったかわからないけど、何ともないのよ! お部屋に閉じこもっているなんて嫌よ!)


「やっぱり、枢機卿カルディに見せた方が……レフォリアは法国の人間だから、もう少し接触は後にしたかったけど、王国よりはマシ――いや、駄目だ、逆に王国がうるさくなる。個人的に、夢のことや伝承のことも聞きたいし。そうなると最適解は……教授、か……?」


 今日も朝食はデュランがエスコートしてくれるらしい。

 シュナの手を引きながらブツブツ呟いている彼の言葉に、彼女は想わず目を見張る。


(夢? デュランも夢を見たの? それをどなたかに聞きに行くの? カルディって何? レフォリアって何? 法国って何? 王国って何?)


「そうだ、トゥラ。今日の予定なんだけど――色々聞きたいことがありそうな顔をしているね。君が話せれば、俺の知っていることなら、全部答えてあげられるんだけど……」


 好奇心で目を輝かせ、こっち向いて! 教えて! とアピールしているシュナに、振り返ったデュランがふふっと顔を緩めた。


「……それで、今日の予定だ。城の中を案内する。もう少しの間は、俺がついていられると思うけど、俺は迷宮やこの領の色々な所に行かなきゃいけないことも多くて。母さんもマナーレッスンとか予定を入れたいみたいだけど、どうしても君が一人になる時間も出てくると思うんだ。君は、伝えることはできないけれど、文字が読めるんだよね? だから、図書室を紹介しようと――うわっ、トゥラ!?」


 その言葉を聞いた瞬間、シュナは歓声を上げてデュランに突進した。


(図書室? 図書室って、ご本がとてもたくさんある所でしょう? 連れて行ってくれるの!? ありがとう、デュラン! 嬉しい!)

「わ、わかった、喜んでくれたのなら何よりなんだけど、その、ちょっとあの、ええと、俺もその、君が笑ってくれるなら嬉しいんだけどね? でもこれは後々困ったことになるんじゃないかなって言うか……おいやめろ、そんな目で見るな! 何だよ!? 俺は悪くないだろ!?」


 よろめくこともなく受け止めたデュランだったが、途端に周囲から向けられた生ぬるい眼差しに抗議の声を上げる。するとニヤニヤしていた使用人達が、ぱっと視線を散らしてえへんおほんとわざとらしい咳払いをする。


 そんな些細なことを全く気にする様子もなく、シュナは図書室という単語にすっかり浮かれきっている。ぎゅうぎゅうデュランを抱きしめて、思う存分、自分ができうる最高の感謝を表現したのだった。

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