居候 図書室大好き

(すごい……すごい……すごい……!)


 本当に感情が高ぶるとき、人の語彙力は死滅する。シュナはそれを実感していた。


 見渡す限り、本、本、本……広い部屋が棚だらけ、その棚に全てぎっしりと本が詰まっている。しかも棚は二階まである――一部屋の中に二階があるのだ! ざっと見渡しただけでも、シュナが生涯読んだ本の数よりここに置いてある本の数の方が多いことがわかる。


「ここはファフニルカ侯爵家の私的な図書室なんだ。表にある公的図書室や町にある図書館の方が規模は大きいけど、そっちだと誰でも利用できるから。こっちの方が静かにできるし、欲しい本があるなら持ってくるし……おっと」


 彼女がぎゅっと抱きついても、本日二度目だからだろうか、先ほどのような狼狽っぷりは見せない。むしろ若干待ち構えていた感じがあった。


 開かれた扉の先の光景にただひたすら感動しているシュナに、後ろからそっと入って来たデュランがそっと声をかける。他の人達は遠慮しているのかそれとも禁じられているのか入ってこない。


 そんな場所に案内してもらえて、シュナはすっかり感激状態だ。これより大きな場所が町にあると聞いてそちらにも少し興味は出ているが、まずは目の前の本の山に飛び込むのが先である。


 しかしいざ駆けだして行こうとすると、だらしない顔になっていたデュランがにわかに慌て出す。


「トゥラ! 楽しんでくれるのはいいけど、あまりはしゃぎすぎないようにね! 本って結構重いから、ぶつかって落ちてきたら怪我するよ……!」

(知っているわ! 大丈夫よ――きゃあっ!)

「ほら言ったばっかり……お転婆!」


 ドレスの裾を踏んですてーんと転がったシュナだが、柔らかいドレスのおかげか転び方のコツを覚えてきたか、大事には至らなかったようだ。


「……心配だから捕まえておこう。よいしょ」

(はーなーしーてー! いーやー!)

「暴れない、本なら俺が取るから、大人しくしてなさい! ……それにしても軽いな、トゥラ……ちゃんと食べてるの……?」


 起き上がるのに手を貸したデュランだが、立ち上がったシュナが再び同じことを繰り返しそうになったので、腰の辺りに腕を回して確保してしまう。

 早く本棚にたどり着きたいシュナは暴れたが、竜騎士はびくともしない。

 片手でじたばたしている娘を押さえ込みつつ、もう片方の手で器用に本棚を探っている。


「そうだな。うーん、君が好きそうな話だと……挿絵がある方がいいよね。俺が昔読んでたのだと、ちょっと子ども向け過ぎるかなあ。やっぱりロマンス小説? ……いや、あの、その、別に君の好みにケチをつけるつもりはこれっぽっちもないけど、あまり過激なのは、その、どうかと思うんだけど……あっ、駄目だよやっぱり、その棚はまだ早い!」

(まあっ! わたくし、あなたが思っているほど子どもじゃないのよ! もうちゃんと、大人なのよ!)


 ぱっと目についた華やかな背表紙に向かって伸ばされたシュナの両手は、目標の物に到達する前に引っ込められてしまう。

 シュナは文句の声を上げたが、デュランがぽんと一冊手渡してきたのでまずはそちらを受け取る。

 彼はシュナが興味を惹かれた場所からさっさと遠ざけたいらしく、シュナはそのまま棚の並ぶ場所から机と椅子が置いてある場所まで運んでこられた。

 どうもここで読め、ということらしい。照明は明るく、カバー付きの椅子は長い間座っていても大丈夫そうな心地よさだ。


(いいわ。デュランのいないときに後でこっそり見に行くもの。まずはこの本からね!)


 本選びを制限されたことには憤慨しているが、環境には相変わらず感激している。

 シュナはニコニコとページをめくった。どうやら物語の本で、何枚かページをめくると時々挿絵が挿入されているらしい。

 きらきら瞳を輝かせて早速読み始めたシュナだが、間もなくその目に困惑の色が浮かぶ。


(あら? 文字は一緒、単語はわかる……ううん、わからない単語もあるかしら。知っているはずだけど、知らない文……なんだか変な感じ)

「……難しそう?」

(そうなのかも……)


 何冊か本を持ってきて机に置いたデュランが、シュナの様子を見るとまた踵を返し、慣れた足取りで部屋の中を往復する。


 とん、と横に置かれた数冊のうち、一際分厚い物に目が行った。するとシュナの目が再びきらきらと輝く。


(辞書!)


 食い入るように文字を追っている彼女の様子を注意深く見ていたデュランが、先ほどよりもさらに熱心に読書をしている姿を見て、呟きながらフラフラ離れいく。


「そうか、好みは辞書か……えええ? 結構ハードだな。学術書? 専門書? いや、難しすぎるだろう。辞書、辞書、そうだなあ、何がいいかなあ……」


 デュランはデュランで唸りながら歩き回っているようだが、シュナはシュナで文字の――いや文章の解読に忙しい。


(……やっぱり、なんだか文が変よ。一応読めるのだけど……読みにくい! 読みにくいわ! どうしてこんな書き方をしているのかしら? 言葉は同じはず、聞き取りは問題ないのに、どうしてこんなに文字になると読みにくいの? ううん、文字自体は平気。……文。文がおかしいの! それともわたくしが読み慣れていた方が違っていたの? お父様が持ってきていたご本の書き方が、少し普通の物と違っていたのかしら?)


 その辺りでまた戻ってきたデュランが、今度は分厚い上に大きな本を机に置いた。


「トゥラ。これ、迷宮のことをまとめている図鑑だけど……図鑑ってわかる? そう、良かった」


 ぱあっと顔を輝かせたシュナを見て、彼はほっとしたような表情になる。

 彼女が細かい文を追うより、絵図に夢中で見入っている様子を確認してから、再び首を傾げた。


「文字がちょっとわかりにくいのかな? 読みにくい? 文字も読み方も知っているみたいだけど……慣れてないのかな。そうしたら、絵がたくさんある方がやっぱりいいか。そうだな……」


 その後彼は数冊、本を出したり引っ込めたりしながらシュナの横に置いていく。

 何度か続けてから、このぐらいあればいいか、と一息ついて、小さく声をかける。


「トゥラ。読み終わったり、何かあったら声をかけて。……トゥラ?」


 すっかり読む方に忙しくなっている彼女は生返事だ。「うー」と応じているんだかいないんだかわからない声が返ってきて、デュランは苦笑した。


「さて、俺も俺の調べ物をしますか……」




 結局午前中、シュナはずっと図鑑にかじりついていた。

 そろそろお昼ご飯だと迎えに来たデュランが引き剥がすように連れて行こうとすると、嫌だとまた暴れそうになる。結構真剣な抵抗に、あやうく騎士は参ったの声を上げそうになった。


「わかった、じゃあ、こうしよう、貸し出そう! でも、貴重な物だから、汚したり壊したりしないでね。綺麗に扱って、ちゃんと返す。約束できる? ……なら、俺から父さんと母さんにも話しておくから。それにまた、ここにはいつでも来られるから。ね?」


 デュランに言い聞かされている姿はまるで初めて物を買ってもらった幼児のようだが、本人は至って真剣な様子でこくこく何度も首を縦に振っていた。


 図書室から出てきた娘が後生大事そうに図鑑を抱え込んでいるのを見て、使用人達は目を見張ってからこそこそ囁き交わす。


「お嬢様、ドレスよりご本の方がずっと嬉しそう……」

「あたし、ここに若様が女の人を招待したところまでは見たことあるけれど、図鑑の貸し出しをしてもらった方は初めてよ」

「あら、それを言うなら、あんなに甲斐甲斐しく選んであげるところまでサービスするのだって初めてよ。普通入り口まで案内して、はいあとは壊さず汚さず静かに好きにして、だもの」


 デュランは半眼で彼らをちらっと見て黙らせたが、ほくほく幸せそうな顔をしたまま昼食に向かうシュナはどちらにも全く気がついていないのだった。

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