星が墜ちた日

 ぼんやりと昔の事を思い出していた亜人は、身じろぐ気配に顔を上げる。


 旅支度を済ませた神官は、部下達を伴って秘密の通路に入ろうとしていた。


 迷宮領に存在する、神聖ラグマ法国の神殿は、地下に秘密の通路を持つ。いざというときに、そこから法国に逃げられるように、非常用の避難経路だ。


 天然の迷路と化しているそこは、道を知らねば入ったまま二度と出てこられないのだと言う。


「ユディちゃーん、いつ取ってくれるかなーって思ってたらこのままサヨナラの気配がしてて、ちょーっと僕も笑ってばっかじゃいられない状況になってきましたケドー?」


 相変わらず手にくっついている鎖をじゃらじゃら鳴らし、女の注意を引く。今は加えて足を柱とつながれていた。当然武装は元から解除されている。


 神官は言い聞かせていたフードの人物からこちらに顔を向け、ふっとどこか馬鹿にするような笑い方をした。


 いつも優等生気取り、判断を外部に委託していた葛藤がなく、つまらない。

 亜人からはそういう評価を受けていた人間だが、案外表情もまだできるじゃないか。


 変なところで感心していると、彼女は杖を突いて近寄ってきた。


「我々が道に入り、充分に距離が取れたら拘束は緩みます。それまで一人で遊んでなさい」

「つかこれ約束違くなーい? いいの? 枢機卿様が契約違反なんかして?」

「約束? 何の話でしょう。わたくしは最初からあなたを信用していない、あなたも同じ。最初から互いに互いを利用しあっていただけ」

「でも僕がいなかったら、その子今こうやってここにいないよ? もうちょっと感謝してくれてもいいんじゃない?」

「働きへの報酬として、生かしているのですよ」


 フードを被せられ、神官達の真ん中に座り込んでいる娘に顎をしゃくると、女は目を細めた。


 ――詭弁だわ。こりゃ最後の足止めに消費するつもりだね。まあ利害関係一致してるんで、いいんですケド。だったらほどいてくんねーかなあ。


 堅実で誠実な神官様らしいけどね、と肩をすくめた亜人の耳が、ピクリと揺れた。


 ぺろっと舌を出して神官に流し目を送るが、どうやらこちらから娘の方に興味をそらしているらしい。聖なる偉業とやらに参加させられた弟子達も、なかなか躾は行き届いているようだが、やはり詰めが甘い。皆、どこか浮き足立っていて、地にしっかりと足がついていない。


(結局この場にあのガキ連れてこられなかった。そういうところがマジファッション聖者だよね、ユディちゃん。土壇場でどっちつかずはよくないよぉ? ま、嫌いじゃないケド)


 結局黙り込んでしまえば、亜人が金色の目をちらちらと動かしているのに、誰も気がつかない。あるいは視界の隅ぐらいには入っているのやもしれないが、安心しているのだろう。


 ユディス=レフォリア=カルディは当代随一の術士。破られることはない。


(信仰は人を強くするかもしれないが、盲信はまずいぜ? 手順書マニュアル使いちゃん達よ)


 喉の奥で笑い声を上げると、さすがに注意を引いたらしい。そのまま大げさに、せいぜい悲しげに見えるように演技しつつ首を振る。


「やれやれ、ご先祖そっくりな冷徹さだこと。それじゃあ僕はこれからどこ行けばいいのかなー。使い捨て宣言とか傷つくぅー」

「その程度の保険なら、かけているでしょう?」


 確信を込めて、冷ややかに枢機卿は述べる。ザシャは微笑んだ。


「うん。だから一応、親切心で教えてあげるけどね――?」


 彼女を取り巻く部下達ははっとした顔になったが、さすが枢機卿は助言の前から気がついていたのか、眉一つ動かさない。


 一斉に神官達が構えると、彼らがこれから行こうとしていた先、神殿の更に地下に続く道から誰かが上がってくる。


 月の出ている夜だったが、それでも闇は深い。


 枢機卿が無言で術を使い、明かりを灯す。


 浮かび上がったのは、夜にそのまま溶け出していきそうな漆黒だ。普段は背中に収めている身の丈ほどの剣を既に抜き放ち、片手に握っている。顔は既に鎧に覆われていて、見えなかった。


 侵入者、あるいは追っ手。それを警戒したがゆえの、部下達の投入である。しかし、枢機卿は落ち着き払ったものだが、まさか先に退路を断たれるとは思っていなかったのだろう。


 ざわめく神官達を横目に、亜人はきらきらと目を輝かせたまま、両手をぶんぶん振った。


「やっぱり僕の推しは優秀だぁ! いやね、遅かったから、一瞬このまま来てくれないかなってヒヤヒヤしましたけど。まあそれはそれで、後で煽る材料になるから、別に僕はどっちでも構わないっすけど――」

「うるさいぞ、黙れ!」


 怒声と共に光の球が飛んできた。おお怖い、とザシャは首を引っ込め、黙る。しかし依然としてその口元は弧を描いていたし、連中が今夜の主役に集中せざるを得ない状況の片隅、こっそりと舌なめずりしながら手をカチャカチャやり始めた。


「こういう場合は、どうしてここに、と一応はお聞きするものなのでしょうか。迷宮領当主たるあなたならば、すべての経路を把握していたとして、わたくしは驚きませんが」


 しばらく、黙ったままの鎧男を見つめていた枢機卿が、先に静寂を破る。彼はゆっくりと腕を動かすと、大剣をまっすぐ彼女に向かって構えた。


「俺からも最初に一つ聞きたい。ラングリースの一人娘が呪術に蝕まれた状態で見つかった。父親も酷く衰弱している、予断を許さない状況だ。あれはあなたの仕業か?」

「……何の話をしているのです?」

「そうか。……少しだけ安心したよ。あなたがそこまで落ちているとは、思いたくなかったから」


 眉をひそめた枢機卿は、次に亜人の方に冷たい目を飛ばしてくる。

 にらまれてお手上げのポーズを取ったザシャは、ぴょんぴょんと飛び跳ねて更に注意を集める。


「はーいデュランちゃん。元気? あ、ちなみに今超絶丸腰なんで、切る時は騎士道精神よろしくぅ」

「ワズーリ……トゥラは書き置きを残して出て行ったみたいだった。そして、そこに書かれていた人達が、いずれも酷い有様で見つかった。今も苦しんでいる」

「大変だ、一体誰がそんな酷いことを! まあ、こんなのは基本問題だ。簡単すぎるよね。その辺仕組んだのは、そうですもちろん僕ですよ」


 領主子息の表情は、全身にまとわれた鎧の下に秘されていて、今はわからない。

 声はやけに落ち着いているようだった。


「あとユディちゃん、にらまなーいで。強いて言うなら、頭おかしい殺人鬼のご機嫌取り不足で無垢なご家族一組犠牲にすることになった、自分の下手くそな政治手腕でも恨んで?」


 だからザシャは一層、道化として強く振る舞う。敵意を一手に引き受ける。師を煽れば、未熟な神官達は皆こちらに敵意を向けてくる。


 せっかく皆同じフードを被っているのに、ただ一人を除いて、同じ動き。


(領主子息は賢いから、すぐに気がついちゃうよぉ?)


 それこそが自分の狙いでもあるのだが。

 ひとまず鎧の下の視線がある一点で止まったであろう事まで確認してから、彼は続きを歌い出す。


「基本が終わったら、次は応用編だ。いっくら僕でも、さすがに潜るのがうますぎた。単独犯は無理がある。じゃあ誰と組んだ? 王国のミスリードには、引っかからなかったかなー。?」


 娘が書き置きを残してきた、という言葉はザシャの想定外ではあったが、順当に彼を追ってこようとすれば、たどり着くのは迷宮領西部。

 実際、ニルヴァ=ラングリースが下手な接触を図ろうとしてさっさとバレたのも、その後呼び出されたのも、そして亜人が見事目当ての娘を捕獲したのも、全部王国の管轄地区での出来事だ。


 動機もある。手段ならば、外注すれば事足りる。そして疑いの目なら、種なら仕込んである。挑発兼小手調べを加えると、驚愕より、「やっぱりあれもお前だったのか」というような、どちらかといえば納得の空気が漂ってくる。


 さすがに自制心の強い奴だ。それに、これだけ亜人が身を張ってサービスしてやっているというのに、じわりじわりと陣形を変更し、男を取り囲んだ神官達は誰一人として踏み込む事も術を仕掛けることもできていない。


 意外性への耐性不足は否めないものの、ユディス=レフォリア=カルディが手勢の中から今日の任務に選んだ者達だ。動いた者から確実に斬られる、だからまだ、手が出せない。


「確かに、ニルヴァの転移元を探ったら、西の廃墟にたどり着いた。駆けつけたのが遅かったけど、トゥラもいた――俺にはわかった。あそこはプルセントラの領分だ――」


 しかしいい加減に焦れてきたのか、包囲網を成している一人が男の話の途中で半歩踏み出した。その瞬間、彼の手の中で回転した剣がまっすぐそちらに向かって伸びる。先走った神官は怖じけて後ずさるが、デュランは背後からかかってこようとしたフードに目もくれない。体も顔も、ずっとユディスと、その脇に座り込む人物に向けられている。


「だからサフィーリアに確認をしたよ。。それで彼女は教えてくれた。お前に脅迫されていたこと、けれど屈しなかったことを」

「そーそー、弟の事で揺さぶってみたんだけど、真性の貴族は誇り高くて虫唾が走るね。れるもんならってみろ、何代かけてでも復讐し返してやる、ときたもんだ。で? すごいじゃん、そっからどうやってここまで来れたの」

「別に――心当たりがなくなったから、ちょっと発想の転換をしてみることにした。もし仮に、仕組んでいるのが俺の考えている奴だったんだとする。きっと一番、

「――高潔で真面目な術士様と、下劣で不良の特級冒険者。考え得る限り最悪で、しかも実現の可能性は基本的にはナイ。僕、めちゃくちゃ頑張ってそこの堅物説得したんだよ? 喜んでくれて嬉しいなあ」


 ここで初めて、男が亜人の方に明確に顔を向けた。


「お前のことは後で片付けてやる。だから、今は、黙れ」

「痺れるね! 今の超ヌけるぜ、坊ちゃん」


 これまで一切感情を押し殺してきた彼が、初めてぎらりと尖る刃を見せた。その快感に、亜人はぞくぞくと全身が歓喜を表明するのを感じる。


 ユディスは二人の会話中、何度か傍らの連れを立たせて他の部下に任せようとしたようだが、その気配を察知する度に、一歩、また一歩、と無双の鎧をまとった男が足を踏み出してきた。


 絶対に逃さない、という、言葉以上の宣言。


 彼女は大きく息を吐き出すと、背中に娘を押し込み、自らついに杖を構え、彼に対峙した。


「だけど……今でも、信じたくない。何故だ、ユディス=レフォリア=カルディ。あなたはずっと、清くて、正しくて、優しかった」

「最初にお会いした時にも言ったはず。臣は星の民。星の導きに従うまで。同じ所を向いているうちは友ですが、違えればもはや敵。自明の理というものです」

「我が城から客人を誘拐し、許可なく本国に連れ帰る事が? 道を外れた男に従ってまで?」


 突如場違いな音がはじけた。

 それは女の笑い声だ。

 ぎょっとしたように、弟子も、騎士も、通常絶対そんなことをしない彼女が狂ったように腹を抱えて声を上げる様に、一瞬だけでも魅入られる。


「あなたがそれを言いますか! 臣にこの決断をさせた、あなたが!」


 冷静沈着で、喋るときは一定調子、感情を感じさせない無機質な声。その枢機卿が、鎧の男に向かって、まるで憎悪しているような目を向けた。


 彼女の手にしている杖が、高ぶる感情を表すかのように、りんりんしゃんしゃん音を立てている。ビリビリと空気が震え、神官達は皆ぐっと踏みしめる足に力を入れた。


「彼女が何者でもないままだったら、それでよかった。それでもよかった。だが、悪魔にしてはいけない。至宝は存在してはいけない。まして、あなた、あなたのような――」


 苦渋を飲み込むような歯の食いしばり方も、悔しそうに歪められた眉も、ほんの瞬きの間のこと。


「もう一度、地獄の蓋は開かせない。この愛は、摘み取る他ないのです。他のすべての、民の幸福のために」


 すぐに枢機卿としての自分を取り戻した女は、低い低い声で説法をするように朗々と語った。


「枢機卿は間違っている。誰か一人を犠牲にして、他の皆が、なんて……そんな世界はおかしい。トゥラを――シュナを、かえせ。俺の大事な存在ひとを、やっと宝物なんだってわかった女性ひとを、奪わないでくれ!」


 かすれて震え、消えそうになる、若者の言葉には血がにじんでいた。喉から絞り出された、ようやく見つけて、その瞬間に踏みにじられようとしている愛情が。


 そして、沸騰した煮えたぎる情愛を押さえつける、それはもはや理性でなく怨嗟である。騎士は唸った。竜のように。


「今なら犠牲を出さずに済む。逆らうなら、全員斬る」

「では臣はこう返さねばなりますまい。その蛮勇を祝し、お前をこの場でまじなおう、と」


 譲れぬ主張がぶつかり合い、静かに決裂した。


 片方は杖を、もう片方は剣を、互いに片手から両手に持ち直し、構える。


「――ねえデュランちゃん。本当にまだ、わかってないの?」


 一斉に杖を両手で握りしめ、祈りの姿勢に入った神官達が呪を唱え出す。


 その間、どこからか男のささやき声が降ってきた。

 誰かがはっと振り返れば、亜人をつないでいたはずの場所に誰もいない。


 暗い、暗い、夜の闇の中から、睦言よりもずっと甘い、それでいて残酷な響きを含むささやき声が届けられる。


「さっき、僕は言ったよね。って。トゥラを、シュナをかえせ? お前、よ。んだよ。超ウケる。マジ笑う。気がつくまで待ってあげてたのに、全然わかってないみたいだから教えてやるよ。なあ、よく見て? ちゃんと見てやれよ。おかしいと思わなかった? 、って」


 促され、彼は視線を動かしてしまう。見てしまう。ずっとそこにいることがわかっているのに、心の中で呼び続けているのに、何か違う、何かが違う、知っているのに知らない、彼女のことを。


 ユディス=レフォリア=カルディの背後。フードの下の、うすぼんやりした目と目が合った。


 黒い、黒い闇の色。夜の空の色。けれどそこには、あれほど輝いていた無数の光がない。ただ空虚な黒が、無感情に広がり、景色を反射して映している、それだけ。


 彼はようやく悟った。彼女に何が起きたのかを。どうしていつかの時のように、迷子が親を見つけたようなほっとした顔で、彼の胸に飛び込んでこないのかを。


 ――星がない。星が、どこにもない!


「それはね。口にするもおぞまじい禁術で、人格と記憶を全部、二度と蘇らないように徹底的に、ぶっ壊された後だからさ!」


 高らかに、亜人は手遅れの騎士様をあざ笑う。


 鎧の下で叫んだ彼――そこに開いたこれ以上ないほどの隙に、編まれた呪術が放たれた。

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