亜人 回想する 後編
来た当初は何もなかった。
持ち物のことでもあったし、何か成そうという野望やら目的やら、そういうものもザシャにはなかった。
そもそも追い出された理由が、「ここにお前の場所はない」という消極的なものだ。
船で「迷宮に潜ったらこんなことを女神にかなえてほしい」ときらきら顔を輝かせながら語り合う連中を、遠巻きに眺め、少年は思考を巡らせる。
願いとは何だろう。希望。そんなもの知らない。望み。腹が減れば食うし、眠気が訪れれば寝る。だけどそれだけだ。別にそれらが快いと感じた事はない。生きているのは、死んだ先が同じようだとは限らないからだ。死後も同じ事が続くなら、この場で首をかききることにも全く抵抗はない。言ってしまえば、痛みすらどうでもよかった。ただ、それを気にしろ、体は裏切らない、としつこく言い聞かせてきた育ての親がいたから、習慣になっているだけで。
空虚な自分がどうすれば心動かされるのか、なら、ちゃんと明確な答えを知っている。
人殺しだ。
正確に言うのなら、殺しは必須ではない。
ただ、踏みにじられた相手から醸される、いかんとも形容しがたい生命の色。あれがほしい。あれが見たい。そう思って行動すると、か弱き少年の身では結果として相手が死ぬ事になる、そういう機会が多いだけ。
だけどその好意は、柔らかに否定された。後ろ盾を失った今、安直に他人を殺す事は悪手である。案外人間一人を殺すのは手間がかかるのだ。いや、殺すの自体はどこをどうすれば死ぬか知ってさえいれば簡単なのだが、殺し続ける、あるいは殺しを日常にしようとすると、なかなかうまくいかない。
人は社会的な動物である。敵を排除し、味方を守るのが社会性動物の本能。同族を必要以上に殺しすぎれば、それはもう身内ではなく駆除対象なのだ。飼育していた魔物と同じ。手に余る魔物は、群れの中には置いておけない。
そういう原理を理解していたし、彼は意外と何もしない、待っている時が嫌いではなかった。むしろ、期待に胸を膨らませている瞬間が一番楽しいかもしれない。現実は案外、あっさりしたものだ。
少年が大人しくしていると、自分の過去を知る人間がいない状況もあって、しばらく落ち着いた生活を送ることができていた。
何も持たない彼が迷宮領という場所で目指すもの。それは自然と、冒険者になる。
そういえば自分のルーツとやらの話も出ていたし、色々と調べたり、何より自由を手にするのにいい職業だと思った。
とは言え、下っ端の頃は、他のあまたの下積み達同様、煩わしい事は多い。
迷宮でまともに仕事をしようと思ったら、組合に所属せねばならない。
この組織は何かとお小言を言ってくるので厄介でもあったが、支給品や住む場所などを世話してくれるのは助かる。
それにワズーリの領土では、元首長の庇護があった。迷宮領では、やせっぽちの小僧なんて、誰も守ってはくれない。
ザシャは整った容姿をしていたから、保護者には困らなかった。案外少年という生き物は、大人達に需要があるらしい。
ただ、同じ相手とずっとくっついていると、執着されて面倒な事になる。それに、なるべく隠してはいても、やはり彼の特異性はふとした折に香り立ち、警戒を呼んでしまう。
彼はうまく、パパやママの興味の対象を別の相手にすり替えたり、面倒ごとを起こしてどさくさに紛れて逃げ出したり、そういう綱渡りを続ける生活の中で徐々に強く感じるようになった。
力がほしいな。
相棒と巡り会ったのはちょうどその頃だ。
宝器はある程度持ち主を選ぶとかいう話があるが、ザシャの場合まさに相手から呼ばれた。
私を取って。そして犯して。
誰にも話したことはないが、男の腰に収まっていた何の変哲もない鞭を見たとき、あれは確かにザシャの脳内に直接囁きかけてきたのである。
幸い、そのときはまだ目立っていなかった。
スリの要領であいてから奪い取り、そして彼は宝器と自分の望みを一つ叶えた。
もっと。もっと。もっと。
生け贄を対価に、破壊を望みとして生み出されたらしい鞭は、貪欲にどこまでも破壊を欲した。
時にザシャ以上にほしがるそれをなだめながら、大分快適になった生活を送る。
竜を襲ったのは、情報がほしかったからだ。
くりくりした目の犠牲者は、ザシャの目的を知ると素早く痛覚回路とやらを遮断し、興味深そうに少年を眺めた。
《ああ、その空っぽな感じ。誰かに似ていると思った》
相手が対話を望んだのは、ただむざむざ一方的に情報を搾り取られるより、こちらの事も知っておきたい、という狙いがあったのかもしれない。
何にせよ、だんだん減っていく自分の体を特に感慨なく見つめ、竜はピイピイと耳障りな鳴き声でさえずった。
「誰かって、誰。僕さ、よく知らないけど、どうもご先祖がこっちの大陸出身っぽいんだよね」
《ラザル=ヴェレフォード=エド=アルゴイア。百年ぐらい前にやらかした小物。君、あれの子孫だろう。鼻の辺りが似てるよ》
「へえ……それ、貴族の名前だよね。もしかして本当に、あの女は王族の末裔だったのかな。だとすると僕も、ってことになるけど」
デュランなんかは、ザシャがやたらに迷宮事情について詳しくなったのは拷問の果て無理矢理聞き出したのだろうと思い込んでいたらしかったが、実際には解体現場にそぐわぬ、かなり穏やかなやりとりが交わされたのであった。
思わぬ所から自分のルーツっぽい物まで知ってしまったな、と思った彼は、ふと切断した頭部を持ち上げて尋ねる。
「そういえば、僕はいつになったら女神様のところに行けるの? たぶん、一番強いんだけど。深層の門とやらが、いつまで経っても開かないんだよね。起動条件は?」
《確かにね。君はある種の強さの頂点かも。でもそれだけじゃ、僕らの主にはたどり着けないのさ》
「どうして?」
《お前がニンゲンじゃないから》
それまで友好的ですらあったしゃべり口調が、急に嘲りに満ちたものに変わった。
目を見張る少年に、かっぱりと竜の頭部は赤い口を開く。
《ニンゲンはね。ずるくて、悪くて、汚くて、生き延びるために必死になるしかない、限りなく存在する、価値のない生命体の一つなんだ。それなのに、そのままでいられない。着飾り、顎を張り、上を見ようとする。時に錯覚しそうになるほど美しい、不思議な魂の在り方――イシュリタスはだから、神様になってもいいって思ったのさ》
なるほど、と少年は納得し、脳天めがけてナイフを振り下ろした。
そして同時に、自分もまたそんなニンゲン達を愛しているのだ、と再認識する。
これが自分の
妙に晴れやかな気持ちで地上に戻ってきた彼は、ふと強い憎しみの視線を感じて振り返る。
強い強い、金色の目。
――ああ、そういえば、冒険者で、同い年で、金色の目をしている子供がいたのだったっけ。
人気者で、愛されて、竜が大好きで――そうか、だからあれは、あんなに殺意の満ちた目でこちらを見ているのだ。大切な物を、奪われたから。
少年は燃えるような赤い髪をしていた。瞳の奥で、確かに感情がぐつぐつ煮えたぎっているのが見えた。
けれど彼は、深呼吸をすると、精一杯の自制心で、一言もかけることなく去って行く。
領主の子息は、誰よりも美しくあらねばならないから。
綺麗だな、と、ザシャは思った。
あの健康的な健全さを、貴くあろうとする姿を、まるごと全部飲み干して、徹底的に犯してやりたい。
発端とか動機とか、そう呼ばれる物があるとしたらここだ。
ずっと意識の端にはあったけれど、初めてちゃんと認識した。
竜をバラバラにして、殺意を向けられたあの時からずっと、いつ殺そう、いつか殺したい、と活躍を見守り続けてきた。
――だけど、やっぱり。
高揚が、失望に塗り替えられていくのを感じて、亜人はこっそり嘆息した。
準備しているときが一番楽しくて、実行は案外、呆気ないものなのだ。
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