至宝を我が手に

「シュナ――!」


 絶叫しながら男は大剣を振った。

 一閃が走り、放たれた術が霧散した。

 無双の鎧の一部である大剣は、持ち主に迫る危機ならば常識では切れない物も断ち切り、寄せ付けない。


 駆け出そうとする彼を囲み、術士達が杖を構え腕を構え、次の詠唱を始める。


 枢機卿の後ろ、一人が娘の手を引いた。うつろな眼差しの彼女は、抵抗もせず引っ張られていく。デュランと確かに一度目が合ったはずなのに、何の未練も感じられない。


「どけ――邪魔だ!」

「させません」


 突っ込んでくる鎧の男に、真正面からユディス=レフォリア=カルディが相対した。交錯する刹那、女の握る杖がほのかに発酵し、暖色が彼女を包み込む。

 生身で特級宝器の攻撃を受けるのはさすがに無理がある、術で自分を保護したのだろう。


 剣と杖が打ち合った。一度、二度。硬い金属の音と、杖の飾りがシャンシャンと鳴る音が周囲の人間の耳を貫く。


 さすがにデュランの方が力が強いのか、ユディスは打ち合う間に後退していく。それでも彼に自分を超えていくことは許さず、立ちはだかり続ける所は、さすが当代随一の術士と呼ばれるだけのことはある。


 剣を受ける間も時折動く唇は、「呪ってやろう」と宣言した通りに、音なき呪を紡ぎ続けた。


 そうしている間に、シュナはどんどん遠くなる。じれったくなり、デュランは頭上を飛び越えていこうとしたらしい。足に力を込めた気配が見えた瞬間、間髪入れずに枢機卿は彼の足下を杖で指した。


 崩れた足場から飛んだデュランが、三度目の斬撃は真上から振り下ろす。


 神官は両手で杖を持ち直し、脳天からかち割る勢いの一撃を受けきる。杖がミシミシと音を立てた。


「何をした貴様――何をした!」

「ワズーリが言っていたでしょう。記憶を消しました……人格も。仕方のないことでした」

「禁術を使ったのかっ……」

「ええ。……それもあれが言っていたでしょう?」


 そのままデュランは神官を押しつぶすかに見えたが、背後に弟子達の攻撃が飛んでくると、飛び退って逃げる。


 今度は神官達が仕掛ける側だ。光と爆発音で攪乱し、その間にカルディが突っ込んで、杖の先端で激しく若者を突く。

 首を捻って避けたデュランは、剣から片手を離し、その手でユディスの胸ぐらをつかみ上げた。


「シュナは――シュナが何かしたか? 竜の時も人の時も、いつだって彼女は無垢で純真で、誰かを害するような事なんてなかった。それなのに!」

「たとえ今はそうだろうと、いずれ、必ず、人に牙を剥く――貴方が彼女を人類の敵にするのだ、罪深き蛇め!」


 繰り出された杖を剣で受け、男女は数度切り結んでからまた距離を取る。


「自覚はないでしょう、悪気はないでしょう。だがその愛を、認めるわけにはいかない」


 普段は凪いだ水面のごとき静かな表情としゃべり方の枢機卿は、今や鬼のごとき形相で、ともすれば爆発してしまいそうになるほどの熱を精一杯抑えつけて語っている。夜の闇の中で、彼女の握る杖と、それに照らされた瞳が爛々と怪しい輝きを放っていた。


 騎士と神官とは、そのまま互いに相手の出方をうかがって、向かい合ったまま円を描くように歩き出す。


「百年前、女神イシュリタスは一人の男の求愛を受け入れた。けれどそれは彼女の存在に真っ向からぶつかる、大きな自己矛盾をもたらした。いえ、元からいびつな成り立ちだったのです。こんな世界が続いていた事の方が、おかしかった」

「――っ、何を――!」


 神官は左手を掲げた。今度は黒い塊が、風を吸い、辺りの物まで巻き込んで押しつぶそうとしたが、飛び込んだデュランの剣が薙ぐ。そのままユディスに斬りかかった彼だが、見えない壁が彼女を守った。


 それもすぐに破壊されるが、一瞬の隙は体勢を立て直させるのに充分すぎる時間である。くるりと回転したユディスが、勢いをつけたまま杖で殴りかかった。剣で受けると、先端の飾りが激しくりんりんしゃんしゃんと音を立て、明滅して震えている。


「神は人の手の及ばぬ物である。神は人を超える物である。神は人に祈られて成り立つ。しかして、イシュリタスは人を超えられない……そういう呪いなのです。本物の人間に偽物と断じられ、まがい物の人間に神を崇められた。それでもまがい物が、自身を本物と思い込んでいられたからやってこられたのです――彼女が一人の女として愛される事を知るまでは」

「待ってくれ。なんなんだ。さっきから、貴方は何の話をしているんだ――?」

「たかだか百年領主を勤めただけの浅い家の者は知らない――歴史の話です、よ!」


 再び二人の体が離れた。デュランに追撃で、弟子達の攻撃が加えられる。切り捨て、避けた先にまた新たに待ち構えていた罠も両断して、デュランは距離のできた枢機卿を振り返った。


「反迷宮機構――帝国崩壊前から存在していた秘密結社。星神教はその系譜とも聞いていたが……」

「当たっていますよ。帝都は壊滅しましたが、その他の場所の古文書や伝承までもがすべて失われたわけではない」

「なら、どうして――」

「協力しあえないのか? わたくし達は理解しているからです。今が正しくない形であることを。迷宮は、百年前よりのですから」

「教義の違いは受け入れるが、我らが神への侮辱は許しがたいぞ、枢機卿」

「事実です。竜達の前でも臣は何も恐れる事なく同じ事を繰り返すことができるし、彼らとて肯定することでしょう。迷宮イシュリタスはもう持たない。百年前から、世界は次の女神を欲していた」

「――なら、なおさらわからない。シュナが次の女神というのなら、どうして連れて行こうとするんだ!? 迷宮こそ、真の故郷で、いるべき所なんじゃないのか。どうして引き離そうとする……禁術を使ってまで」


 互いににらみ合い、牽制したまま硬直する。


 シュナの手を引く神官は、地下通路への侵入を目標としているらしいが、度々デュランがその前に立ち塞がっているので、隙をついてということが難しいらしい。


 ユディスが立ち回りながら退けようとするが、彼らが走り出そうとすると鎧の男はそれを許さない。


「デュランちゃん? 説法は坊さんの得意分野だもの、だまされちゃあいけないよ。まあ、さも自分が全面的に正しくてお前ら全員馬鹿で無知、みたいなしゃべり口に納得がいかないだろうから、君も全然、そこを譲る気にはならないんだろうけど」


 沈黙の中、どこかから歌うような亜人の声が聖堂内にこだました。


「なんで精神を破壊する必要があったのか? なんで自分の場所に執拗に連れて行こうとしているのか? デュランちゃん。こいつはねえ、昔から善人のふりがしたいだけの、さもしく卑しい人間なのさ」


 弟子達はどこからともなく降ってくる声に反論するような声を上げたが、音の出所を探り当てられずにいる以上、力で黙らせることはできない。


「何のことはない。恋する娘が、やがて愛ある母になる女が、その祝福をお前のために優先して与える。百年前と同じ! 自分たちは二番手、三番手。あるいはお目見え以下のそれ以外。神様は、迷宮の最奥に至れる人間にしか目を向けない――それが許せなかったんだよ。痩せた土地で、遠く夜の空に神なんて作り出さなければ、まともに生きていくこともできない。賢く勤勉なる法国の皆様には……ね?」


 肝心の枢機卿は黙っており、デュランもまた、彼女をじっと見つめていた。


「――そんな、ことで」


 やがて彼は、小さくつぶやいた。


「つまり――利権。自分の所に、優先して資源がほしくて。だけどあのままのシュナでは、俺に……俺と一緒にいるシュナでは、法国を世界で一番にはしてくれないから。だから……こんなこと、を……」


 それは独り言のようでもあり、問いかけのようでもある。

 呆然とした彼の口から漏れ出た率直な言葉に、ぴくりと体を震わせた。

 硬く引き結ばれた唇が、揶揄の形に弧を描く。


「貴方にとってはそんなこと。けれど臣にとっては、一生を尽くして成し遂げようと誓った事なのです」


 あざ笑うのは、男か、それとも自分か。


 目配せした先、弟子は正確に師の意図を組み、大事な客人を連れて行こうとする。


 デュランが反応する。

 しかしそれより、地面を割って飛び出した蔦が彼の足を絡め取る方が早い。


「――! くそっ――」


 剣でなぎ払えば、土の壁が、氷の棘が、瞬く間に男の行く手を阻み、彼がそれらを退ける前にのしかかり、押しつぶして跡形もなく圧殺しようとする。


 その間に、娘を連れた神官が脇を駆け抜け、地下への入り口にたどり着いた。


 ――が。


師匠マイスタ――!」


 少年の絶叫が響き、光が炸裂した。

 まともに目に白を焼き付けられた神官が、叫んで顔を覆い、のたうちまわる。

 導き手を失った娘はぺたんとその場に座り込み、うつろな目を空に向けていた。


 枢機卿が、驚愕の表情で振り返る。


「……プルシ」


 構築していたはずの結界を破って聖堂に踏み込み、自分を邪魔した者。

 それが疑いようもなく愛弟子であることを確認すると、師は呆れとも悲しみとも――あるいは安堵とも聞き取れるような声を、ぽつりと上げた。


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