身元不明 新しい名前をもらう

「君のことと、君がこれからどうするのかを、話し合わないといけないけど……喋れないとなると、ちょっと厄介だな」


 騎士の言葉に、シュナは神妙に聞き入る。

 赤毛の青年は少し考え込んでから、もう一度シュナの顔を覗き込み、両手をそっと取って彼の両手で包み込む。


(……あったかい! それにわたくしより大きくて硬いわ!)


 シュナが握られた手をじっと見つつ目を丸くしている間に、デュランは話を始めた。


「言葉で伝えることはできないけど、頷いたり首を振ることはできるんだよね?」


 すぐにシュナが反応を返すのを確認して、彼はすぐに先を続ける。


「ええと……じゃあ、おさらいから行こうか。君は、森の中で倒れていたんだ。それで、そのままにしておくわけにもいかないし、とりあえずここまで連れてきたんだけど……」


 手の方に視線を向けていたシュナがデュランの顔に戻すと、彼は一瞬だけうっと何か詰まったような声を上げた。先ほどから、どうもシュナに真正面からじっと覗き込まれるとそういう態度になっている気がする。


(もしかして、人のことをじろじろ見つめすぎるのは失礼なことなのかもしれないわ。そういえば、そんな話を聞いたことがあったかも……)


 でも見たい気持ちは止められないのだし、とシュナは密かに心中で葛藤している。デュランの声はあくまで優しい。


「君自身のことはわかる? ここに来るまでのこととか。ご家族や心配している人、帰る場所なんかがあるなら、できるだけ早く連絡を取りたいんだけど……」


(家族……帰る場所……)


 少し考えてから、シュナは寂しげな笑みを浮かべてゆっくりと首を横に振る。


「わからない、ってこと?」


 デュランが注意深く確認を取ってきたが、シュナは尚も悲しい笑みを浮かべるのみだ。今度は首を縦にも横にも振らない。


(家族も帰る場所も、きっともしまだわたくしに残されているのだとしたら。それはシュリであり、迷宮なのではないかしら。でもまだ、帰りたくない。まだあそこに、帰りたくないの……)


 シュナの黒い目を覗き込むデュランが、一瞬だけ何か言いたそうな――何かを思いついて、話したそうな顔をした気がした。

 けれど彼は自分の中に浮かんだ考えを振り払うかのように首を振り、シュナに優しく微笑みかける。


「せめて名前が知りたいな。答えられるかはともかく、自分の名前は覚えていない?」


 シュナは今一度デュランをじっと見つめてから、ゆっくりと瞼を下ろし、首を横に緩やかに振った。


(……あなたがわからないなら、きっとわたくし自身も、覚えていないのと一緒)


 騎士は見るからに残念そうな顔になった。が、すぐに気を取り直したらしい。


「自分のことについて、わかることは?」


 シュナはまた首を振った。段々悲しくなってくるが、デュランがそんな彼女の様子を見てだろうか、ぎゅっと手を握りしめてくると、少しだけ安心するような気持ちになる。なぜだろう、彼の手はとても心地いい。竜の時も、触れられることは好きだったことを思い出す。


「そうか……記憶喪失、って奴なのかな。それともこれも、何かの呪い……迷宮のことは知っている? ……知っているけど、知らない?」


 シュナの反応を注意深く見守りながら、騎士は根気よく質問を続ける。ようやく頷きが得られると、質問から説明に話の内容を変えた。


「ここは、迷宮の外の世界。迷宮に一番近い領だ。それで、領の城の中。君は……正直に話すと、発見したときの状況が、その……少し、普通とは言えなくて。だから、まだきっと身体に辛いところもある中で申し訳ないんだけど、この後また今みたいに他の人に質問されたり、色々検査を受けることになると思う。しばらくここにいてもらうことになるかな。その後は……色々考えて、その……できるだけ、悪いようにはしないつもりだから。もしかしたら君が何か思い出したり、喋れるようになったりすることもあるかもしれないし……」


(大丈夫よ。わたくし、いい子にするわ)


 ふん、とシュナが鼻を鳴らすと、今度のデュランは柔らかく目尻を下げ、自然と口を開いた。


「いい子だ」

(やっと褒めてくれたわ!)


 シュナがニコニコする一方、デュラン本人は自分の言った事に気がつくと、若干気まずそうな顔になり、それから首を傾げる。


「君……」


 彼女の黒い、黒い瞳を何度も覗き込む彼の顔には疑惑の表情が広がっていく。

 何かシュナを見て、聞きたいことがあったのかもしれないが、結局はもごもご言うと、やめてしまった。


「……なんでもない。そうだ、名乗るのが遅くなってしまった。俺はデュラン。デュラン=ドルシア=エド=ファフニルカ。当分は君の……その、後見人って程ではないけれど。色々面倒を見ることになると思う。よろしく」

(知っているわ)


 シュナはにっこり微笑み、こっそりと心の中で言ったが、デュランの方はよろしく、の言葉に快く応じられたと思ったらしい。ほっと息を漏らすような音を出してから、うーん、と唸り声を上げる。


「君は……なんて呼ぼうか。名前がないと不便だ」


 シュナがじっと、ちょっと期待を滲ませた目で見守っていると、しばらく俯いて唸っていた騎士が顔を上げる。


「……トゥラ。トゥラはどう? 昔の言葉なんだ。意味は、真実、純粋、唯一……」


 シュナがきょとんとしていると、騎士は照れ笑いのようなものを浮かべて、ボソボソと付け加えた。


「君はなんだか……俺の知っている子に似ているところがあって。だからちょっと、その子をイメージしている部分も大きいかもしれないけれど。そう呼んでもいいかな」


(トゥラ。真実トゥラ……あなたの中のシュナは、トゥラ……?)


 何度か自分の心の中で繰り返してから、シュナはこくこくと頷いた。


「それじゃ、君はトゥラだ。小さな可愛いお姫様」


 デュランはそう言うと、何気なくシュナの小さな手をすくうように上げて、指先に口づける。

 思わずぴゃっと声を上げてシュナは手を引っ込めてしまった。


「……嫌だった?」

(い、嫌じゃないけど……びっくりしたわ……!)


 竜の時も抱きつかれたり撫でられたりは散々あったが、どうも人間の形でいると……何かこう、またスキンシップされるときの心持ちが違うのだ。

 だって竜の時はシュナの方が大きいけれど、人間の時はデュランの方が大きい。

 知っている人のはずなのに違って見えて、時々ふと――ものすごく、ドキドキする。


「気分を悪くしてなかったなら、よかった」


 デュランはそう言って笑ったかと思うと、また身体を近づけてくる。

 息を呑んで思わずきゅっと目を閉じた彼女は、ぱさりと自分の上に何かが掛けられる気配を感じて恐る恐る目を開けた。


 ……どうやら、掛け布団を優しく被せられただけらしい。布の上からぽんぽん、と優しく叩いて、彼は言う。


「今の時間はまだ夜だから。君も、もしかしたら眠くないかもしれないけど……この後朝になったら、今度こそ色んな所に引っ張り回されると思うし。今のうちに、また眠っておくといいよ」


(……なんだか、なんだろう。子ども扱いされている気がするわ……)


 シュナはこっそり布団の中でむっと頬を膨らませ、そんな自分自身に何が気に入らないのだろうと困惑する。


「それじゃ、お休み。完全には消さないでおくから。何かあったらそこのベルを鳴らして」


 大人しくしていると了承と取られたのだろうか、デュランは室内の明かりを暗めにして、そのまま部屋を出て行こうとする。


 ……が、思い直したように、扉の方からベッドの横に戻ってきた。


「眠れるまで、ここにいた方がいい?」


 シュナは顔の半分まですっぽりと布団に包まれたままだったが、目は片時もデュランから離れることがなかった。

 こくこくと彼女が何度も頷くと、彼は喉の奥で笑ったような音を立ててから椅子を引いて腰を下ろす。

 ぽん、ぽん、と彼女のことを優しく叩きながら、小さく低い声で囁く。


「トゥラ、大丈夫だよ。何も怖いことなんてないよ。俺が側にいる。君は安全だ。誰にも君を傷つけさせないよ……」


 適度な暗さの中、デュランが繰り返す声。

 暖かさと優しさに包まれて心地の良さに浸っているうち、シュナは――トゥラは、いつの間にかすっかり深い眠りに落ちていた。

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