若竜 女騎士と会う

 顔を洗ったり口をゆすいだりと朝の支度をした後、デュランは鞄を持ってちょっとだけ席を外すから、と歩いて行こうとする。


《何をしに行くの?》

《……野暮用。見逃して》


 気まずそうに目を泳がせる騎士にシュナは首を傾げたところでピンときた。


《わかったわ! 用を足す、って奴ね! ラングリース様が来ていた時に時々いなくなっていたのもそれね!》


 嬉しそうにピイピイ言う竜に非常に複雑そうな顔を向けたデュランだが、結局明確に答えることはなくあーだのうーだの言いながら消えていった。


 シュナは大人しく見送ってから、こっそりとまた考える。


(そういえば……生き物は皆、食べて排泄して、そのサイクルを繰り返す。本にあった知識。実際、デュラン達は料理をしていたし、たぶん今姿を消したのはそういうこと……でもわたくし、そんなことした覚えがないわ。あの塔で、お薬だけを飲んでいたの)


 ――疑問に。思わないでもなかった。いや、当時からおかしなことはいくらでもあったのだ。

 自分は父とはどうやら何かが決定的に違うらしい、ということはとっくの昔にわかっていた。

 けれど彼女は大事な人の顔色をうかがって、自然と聞いてはいけないことを覚えていった。


 ほんのりと、寂しく悲しい気持ちも湧くけれど。

 しかし未知の事象に対する推測を広げるのは楽しい。


(たとえば、わたくしが元から実は竜で、人の姿が何かしら……うーん、絵物語などでよくある話風に言うと、封印されていた? のだとしたら。きっとわたくしの以前の生き方は、竜そのものなのだわ。竜は迷宮神水エリクシルを飲んで生きている。だとすると竜は用を足しに行く必要がない。……じゃあ、竜って生き物じゃないの? 何なのかしら? そういえば、デュランと戦ったときに、シンクロ率がどうのとか、変な音も聞こえてきたわ。あれってどういうこと?)


 うーん、うーん、と首を左右に捻っていると、デュランが戻ってきた。水場で手を洗ってから、さて、と気を取り直したように声を上げる。

 シュナは思考を打ち切って、竜騎士の言うことに耳を傾けることにした。


《こうしているのも暇だよね。迷宮内部の比較的安全な所に散歩にでも行かない?》

《それも楽しそうだけど、それでは外から来る人と行き違いになってしまうのではないの? 離れていても連絡が取れるとか、居場所がお互いにわかるとか、そういうわけでもないのでしょう?》

《えーと……まあ、一番確実なのはやっぱりこう、ここで誰かがお知らせを持ってくるのを待ち続けることなんだけど。俺としては絶対にお知らせが面倒ごとだからすれ違っても全然構わないというか、むしろずっと迷宮にいたいというか……》


 騎士はどうやら人待ちに対して全力で後ろ向きなようだった。

 今すぐ迷宮にシュナと潜っていって、何ならそのまま行方をくらませても、とでも言いたげな雰囲気に、シュナはふん、と彼女にしては少々鼻息荒く、厳か――に見えるかはともかく真面目な雰囲気で口を開いた。


《デュラン。わたくし、詳しいことはわからないけれど。あなたは外の人とお話しをすると約束したのではないの? 守らないのはいけないことよ。デュランはその方が都合がいいのかもしれないけれど、あちらはとても困るでしょう? それってよくないことだと思うわ》

《……はい。そうですね。仰るとおりでございます。正論すぎて何の反論もできない……》

《わたくしはデュランと話しているだけで楽しいもの。時間なんてあっという間に過ぎるわ》

《シュナ……!》

《デュランは違うの?》

《俺も君とずっとこうしていたいよ……!》


 騎士は竜に諭された上に嬉しいことを言われてデレデレと表情を緩ませる。見苦しいことこの上ないが、そろそろこの首にぎゅっと抱きつかれる展開にシュナは慣れてきたようだ。特に驚いた様子も見せず、ぴう、と身体が揺れた拍子に一声漏らした後、デュランが落ち着くのを大人しく待っている。



 しかし二人で会話を楽しむ間もなく、案外と早く変化は訪れた。


「スケコマシ! 待たせたわね! あたしが来てやったわよ!」


 滝の上から威勢のいい言葉が放たれ、シュナは驚いて頭上を見上げる。


 ラングリースが姿を現した所に、また別の誰かが立っている。


「うわ……よりによって一番うるさいのが来た」


 声を聞いて誰かすぐにわかったらしいデュランがとても歓迎しているとは言いがたい呟きを漏らしている。


 新たな人物は崖の上から「とうっ」とかけ声を上げたかと思うと、ひらりと地面を蹴って――。


 考えるより先にシュナの身体は動いた。


 素早く翼を広げて後ろ足に力を込め、落下する身体が地面に叩きつけられるより早くその下に潜り込む。


「――あら!」

「シュナ!」


 叫んだのは人間二人だ。

 シュナは問題なく飛び降りた人物を背で受け止めると、一度上昇してからゆっくり地面に降り立つ。


「ありがとう、気を利かせてくれたの? 心配させちゃったかしら。あのぐらいの高さなら大丈夫よ。優しくてお利口さんなのね」


 ぽんぽん、と竜の首を優しく叩いてから危なげなく飛び降りる。シュナに受け止められた直後、すぐに身体の位置をずらしたのはおそらく竜に乗ったことのある経験者で、かなり上手な方の乗り手なのではないかと感じられた。


 身じろぎすると、頭の左側一つにまとめられているさらさらの金髪が揺れる。高い声に、デュランよりも華奢なシルエット――どうやら女性だ。

 格好はちょうどデュランとラングリースの間ぐらい、と言うところだろうか?

 胸部と胴体の下部、それから手と脚は同じ硬い材質の鎧で覆われているが、他の部分は動きやすさのためだろうか露出が多く、腰は短いスカートで覆われている。

 瞳の色は緑色で、きりりとした眉は意思の強さを、自然と上向きに弧を描く口元は明るい印象を抱かせる。


 惜しげもなく晒されている太ももに思わずシュナは赤くなったが、たぶん竜の姿なので人間達には伝わっていない。


 女性は翼を畳んだシュナの正面に回ってくると、マジマジと穴が開くかと思うほど見つめた後、その場でぴょんぴょん跳ねた。


「あーもー、可愛い顔! ちっちゃい身体! 繊細なシルエット! それなのにパワフル! しかも優しい性格に、気も利くなんて! 本当にどうやってこんな美人を拐かしてきたの? あんた一体何をしたの?」

「拐かしてなんか、な……いや、その……とにかく、シュナが驚くだろ」


 デュランの歯切れが途中で悪くなったのは、誘拐ではないにしろ、色々と事故の多発した経緯でシュナをここまで連れてきている自覚があるからだろう。

 シュナがどうすればいいのか、とおろおろしている間に、金髪の女性は目を輝かせた。


「名前はシュナ? 大丈夫ですよー、お姉さん怖くないですよー、おいでおいでー」

「嘘つけ馬鹿力」


 ガッ、と鈍い音が響いた。

 非常に素早いかつ何気なく行われたことなので見逃してもおかしくはなかったが、シュナは女性がニコニコ笑顔を保ったままぼそっと言ったデュランの腹部に手刀を叩き込んだのを目撃してしまった。

 デュランは鎧に覆われているはずだが、「うっ」と声を上げて怯んでいた。

 ……外見は細身の女性だが、ある程度力があることは確かなようだった。


《ハイ、驚かせてごめんね。あらためて、初めましてとさっきはありがとう、シュナ。あたしはリーデレット=ミガ。竜騎士の一人よ。よろしくね》


 思わずびくっと震えるシュナに、女性は胸元から笛を取り出して息を吹き込む。

 彼女の笛はデュランが持っていたのと違って桃色をしていた。


 逆鱗持ち、とシュナはピンとくる。

 竜の扱いに慣れている人だと安心するような、むしろ余計に緊張するような……。


《初めまして……》

《シャイなの? ますますかわいい子ね》

《その辺にしておけ》


 コチコチになっているシュナの顔をごくごく自然な流れで撫で回している女騎士に、デュランがたしなめるような声をかけた。


 そこでシュナは、あ、と声を上げ、おずおずと言い出す。


《……あのね、デュラン。わたくし、今、デュラン以外の人を乗せてしまったわ》

《……えーと。今のはノーカン、緊急事態だったし》

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