秘密持ち 襲われる

 暗い中いきなり明かりで照らされてしばらく目がうまく働かない。


 女性らしい、ということはかろうじてわかったが、近づかれると思わず咄嗟にシュナは警戒の声を上げた。それに女が苦笑する音が聞こえる。


「今下ろしてあげるからさあ、そんなに喚くものじゃないよ。ああ、でも、怯えていて可愛いねえ。威嚇の仕方がなんだか竜じみてるけど、そりゃどっから習ってきたんだい」


 からかうように言われた言葉に、ついぎくりと黙り込む。

 女は確かに、大人しくなったシュナを宙吊りの状態から下ろし、網から出してくれた。この辺りでようやく相手の様子がわかり、シュナはぎょっとする。


 頭から長い二本の耳が生えていて、おそらくは亜人だ。それはまあいい。彼女が悲鳴を上げかけたのは、ほとんど裸同然(にシュナには見える)な服装である。


(お腹に胸の半分、足もあんなところまで……!?)


 最低限本当に見えてはまずい所だけかろうじて布で隠れているという感じだが、それもふとした際の身じろぎや風のいたずらであっという間に失われてしまいそうな程の儚さである。

 そういえばかの亜人の冒険者も腹部を露出した格好で、全体的にデュランより肌色部分が多かった気がする。彼らはそういう文化圏なのだろうか、それにしたってちょっと肌を出し過ぎなのではなかろうか。

 少なくともシュナがこんな格好をしたら間違いなくファリオンは卒倒する。……いや、あの父は気絶なんてしない。たぶん無言で激怒する。想像しただけで震えたシュナは、女が不躾に自分のことをじろじろ眺めていることに気がつくと、より悪寒が酷くなるのを感じる。


「あんた、トゥラって子だろ。なんでこんな時間にこんな所……はまあ、別にそんな大事でもないか。興味がないわけじゃないが、別にあたいに関係があるわけじゃないだろうからねえ。あたいはオルテハ。オルテハ=ヴァイザー。ま、冒険者の一人さ。よろしく頼むよ」


 喋りながら女は指を伸ばしてくる。なぜ名前を知っているのか、と思いかけたが、亜人で冒険者と言うことなら既に一人心当たりがあり、おかしすぎるという程でもないかと思い直す。しかしこの漠然とした不信感が拭われたわけではなく、むしろ胸の中のモヤモヤした感じは大きくなる一方だった。

 触れられる感触にびくっと震えてシュナは身を引きかけたが、あちらは気にせず不躾に頬をなぞってくる。その指の冷たさに、また震えが一つ走る。


(男の人はだめ……女の人は大丈夫……そのはず、だけど……何かしら、この違和感は。今まで会った、どの女の人たちとも違うような……)


「……ふうん。本当に痣があるんだね。こりゃ誰かに殴られたのかい? それに喋れないのも事実だったんだねえ。耳は聞こえてるようだが」


 どうやら顔の痣をなぞっていた指が下に降りてくる――その瞬間、咄嗟にシュナは手を振り払ってしまった。なんだか妙に距離感が近いというか、初対面の相手にいきなりベタベタ触られるのは気分の良いものではない。


(もう、いいでしょう! 罠から出してくれてありがとう。でもわたくし、もう行くわ。さようなら!)


 どうもこの女性が現れてこちら、ぞくぞくした感覚が止まらず落ち着かない。さっさと立ち上がろうとしたが、上がったのはうめき声だった。シュナが押さえた足首をちらっと見下ろして、オルテハが唇を歪める。


「あーあー、引っかかったときに捻っちまったんだねえ、かわいそうに。お姉さんがおまじないをかけてあげよう」


 座り込み、シュナの足に手を這わせたオルテハは、確かに最初痛みをなだめるようにさすっていた。けれどすぐ、その手が足首からふくらはぎ、膝上へと上がってきて、ローブをたくしあげようとしている。ぞぞぞぞぞっとシュナは自分の体から血の気が引いていった音を聞いた。


(……なに。これは、何なの!?)

「他にも怪我をしているところがあるかもしれないだろう? 確かめなくっちゃ」

(ない! ないわ、足だって少しすれば元に戻るもの。結構よ……!)


 両手を突っ張って拒絶の意思を示しているのに、女はニヤニヤと笑いながら手を止めてくれない。気のせいではない、呼吸も先ほどより荒くなっている。ぎらぎらと目は輝き、おそらく興奮していることが見て取れる。しかしシュナに理解できないのは、なぜ(おそらくは自分の仕掛けた罠にはまって)無様にも怪我をした女相手に、女性が鼻息を荒くするような事が、理由があるのかについてだ。


(わからない……わからないけど、今とてもまずい状況であることだけはわかる……!)

「ちっちゃくて細い足……でもすらりとしていて。ふふ、痩せすぎているわけでもない。いい体してるじゃないか……」

(い、いや……やめて……!)

「こういうのは初めてかい? 大丈夫、あたいに全部任せな。たっぷりかわいがってあげるからさ……」


 いつの間にか押し倒されて馬乗りになられていた。女性同士だが、元々怪我をしている上運動に慣れているとは言いがたいトゥラの体では力比べには敵わない。


 どうしようどうしよう。シュナの頭はあらゆる感情でぐちゃぐちゃになっている。


(竜になって逃げる……だめよ、この人は今のわたくしがトゥラだってわかっている。トゥラがシュナだって、わかってしまう。姿はこのまま、迷宮に逃げる……でも、今ここに入り口を開いたら、この人ごと迷宮に引きずり込むことになるのではないの? それでは逃げたことにならないのではないかしら。この場をやり過ごす……ど、どうやって。そもそもどうして、こんなことをするの?)


 オルテハは鼻歌を歌いながらシュナの服に手をかけている。……たぶん、脱がせようとしているのではないか。彼女の言う、怪我を確かめるための行為でないことはなんとなくわかる。


(どうしよう……誰か助けて……!)


 胸元に伸びてきた手に、ぎゅっとシュナが目を瞑って身を縮めたその瞬間、だった。


「誰かそこにいるのですか」


 懸命な祈りが届いたのだろうか。凜とした声が響き渡り、オルテハの動きが止まった。

 彼女は動かず、返事もしなかったが、新たな人物には二人の所在がわかったらしい。照明を掲げてやってきた人物に振り返って、冒険者が心底嫌そうな声を出した。


「……なんでよりによって、あんたがここで来るかね」


 もうダメだと思った瞬間に心の中で助けを求めた相手ではなかったが、シュナも知っている姿ではある。オルテハが上からどいたので、シュナは慌てて起き上がり、めくり上げられた裾を直す。シルエットのほとんど出ない巻頭衣に身を包んだ女性は、その様子に丸い眉をひそめ、静かだがよく通る声で問うた。


「ここで一体何をしていたのです、ヴァイザー」

「別に、何も? あたいは自由に生きていただけだよ、お堅い枢機卿サマ」


 そうだ、枢機卿――ユディス=レフォリア=カルディ。ルファタという少年の師であり、確か当代随一の術士、だったろうか。


 以前デュランと共に出会った神官の名前をようやく思い出したシュナの視線の先では、対照的な女二人が双方身構え、にらみ合っている所だった。

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